表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

3/32

攫われた花嫁・1

 それからしばらくして、ノエリアは冤罪であったと発表された。

 国王陛下は、多少強引な方法であったとしても、ノエリアと王太子との婚約を解消しなければならなかったのだろう。

 それでも、王太子に婚約破棄を突き付けられるような者を、隣国の王に嫁がせるわけにはいかない。

 最初からそういう筋書きだったのだ。

 国王陛下からの使者がノエリアのもとを訪れ、謝罪の言葉を伝えてくれた。

 今回の件は王太子の独断であり、伯爵令嬢のリンダが主犯だということだ。

(そういうことに、なったのね)

 ノエリアは王太子の隣で得意げに笑っていた、リンダの顔を思い出す。

 彼女と王太子は、ノエリアとの婚約を国王陛下の承諾を得て破棄し、ふたりの婚約を認めてもらうつもりだったのだろう。

 けれど、それは不可能だった。

 リンダの生家である伯爵家は歴史も浅く、当主もあまり良い話を聞かない。

 国王陛下はノエリアとの婚約破棄のために、リンダを利用したにすぎない。

 リンダは、公爵令嬢であり王太子の婚約者であったノエリアを陥れた罪を問われ、実家の伯爵家は爵位をはく奪されていた。

 王太子はリンダを守ろうと奔走したようだが、すべて徒労に終わったようだ。

 そんな彼もまた、ノエリアと同じく国王陛下の駒に過ぎない。

 そう思うと、一度は望みがすべて叶ったと思っていただろう王太子のほうが哀れに思えてくる。

 国王陛下の許可を得て、ノエリアとの婚約を破棄したはずなのに、いつのまにか伯爵令嬢に篭絡され、冤罪で婚約者を断罪した無能な王太子と囁かれているのだから。

 そして国王陛下の子どもは、彼ひとりではない。

 八年前の不幸な事故で亡くなってしまった姉の他に母親の違う弟がひとりいて、その生母である愛妾を、国王陛下は特に寵愛していると聞く。

 王太子交代も間近かもしれない。

 それを思うと、今回のロイナン王国からの申し出は、国王陛下にとっては利しかなかったのだろう。


 ノエリアは冤罪であることが証明されたその翌日、父のもとを訪れることにした。

 おそらく国王陛下から、ノエリアとロイナン王国の国王陛下との縁談を正式に伝えられているだろうに、父はいまだにその話をノエリアにしようとしない。

 きっと父も苦悩し、迷っているのだろう。

 この日は天候が悪く、朝から雨が降っていた。

 強い雨音が天井から響き渡り、周囲の物音さえよく聞こえない。窓を叩く雨の強さに思わず足を止めた途端、雷鳴が鳴り響く。

 ノエリアはその音に、びくりと身体を震わせた。

 母が亡くなったのも、こんな雷の日だった。

 轟く雷鳴に、小さくなって身体を震わせていたことをよく覚えている。

 そのときの記憶が甦り、ノエリアは固く目を閉じた。

(お母様……。どうか私に、お兄様とこの領地を守る勇気を与えてください……)

 そう静かに祈りを捧げる。

 それから決意をあらたに、父の部屋に向かった。

 侍女が開けてくれた扉を通り、書斎にある机に向かっていた父に挨拶をする。

「お父様。今回の件ではご迷惑をお掛けしてしまい、申し訳ございません」

 ノエリアは悲しそうに言うと、深々と頭を下げる。

「私がもっとしっかりと対処していれば、あのようなことにはならなかったのに」

 父は何かを言いかけたが、何も言わずにノエリアを抱きしめてくれた。

 その温もりに、ふいに泣き出しそうになる。

 他の誰とも結婚せず、この家で父と兄と暮らせたら、どんなに幸せだろう。

 それでも勇気を振り絞って、決めていた言葉を口にした。

「王太子殿下が公の場で婚約破棄を宣言なされた以上、冤罪だったと証明されても、私はもう殿下の婚約者には戻れないでしょう。いつまでもこの家に居座って、お父様とお兄様にご迷惑をお掛けするわけにはいきません。私は家を出て、修道院に入ろうと思います」

 静かにそう告げた。

「ノエリア」

 父は驚いた様子で、腕の中にいる娘を覗き込む。

「何を言う。お前を修道院に行かせたりしない」

 修道院に入るということは、すべてを捨てて神に仕えるということだ。

 ノエリアは公爵令嬢でなくなるのはもちろん、俗世での縁をすべて切らなくてはならない。もう二度と、父と兄にも会えなくなる。

「ですが、お父様。私はもう公爵家の娘としては、役立たずになってしまいました。それならば神の御許で、お父様やお兄様。そして領民たちの幸せを祈りたいと思っています」

「……」

 父は苦悩の表情をしたまま、しばらく何も言わなかった。

 修道院に入ると告げたのは、こう言えば父が、隣国の国王陛下との縁談を話してくれると思ったからだ。修道院に行ってしまい、もう二度と会えなくなるよりは、どんな経緯だとしても隣国の王妃として暮らす方が幸せなのではないか。

 父がそう苦悩しているのがわかるだけに、心が痛む。

(お父様、ごめんなさい。でも私は、お兄様とこの領地を守りたいの)

 沈黙が続いたあと、父は大きく息を吐いた。

「ノエリア。実はお前に新しい縁談がある」

「……本当に?」

 顔を輝かせて、嬉しそうに、ノエリアは父を見た。

 うまく笑えているだろうか。

「王太子殿下に婚約破棄された私を、どなたが? もしかして、他国の方ですか?」

「ああ、そうだ」

 父は覚悟を決めたようで、とうとうノエリアに縁談の話をしてくれた。

「ロイナン王国の国王陛下が、お前を正妃として迎えたいとのことだ」

「え?」

 ノエリアは不思議そうに首を傾げる。

「ですが、ロイナン国王陛下は、ご結婚なされていたはずです」

「その女性とは、離縁されるそうだ」

 もともと国王が傍に置いている女性は愛妾であり、正妃は不在である。このところ、その愛妾も体調を崩して王城から辞しているので、正式に離縁することにした。だから新しく正妃を迎える必要があるのだと、父は語った。

 どうやら向こうは、そういう筋書きになっているようだ。

「それで、私を?」

「そうだ。お前も知っているように、八年前に不幸な事故があった。そこで、少しでも王家に近い血筋を求めているようだ」

 やはり、そうなのだ。

 けれど、結婚するはずだった王太子だって、ノエリア個人などまったく見ていなかった。ネースティア公爵家の娘というだけで毛嫌いし、傍に寄せ付けなかったのだ。

 それと、どれほどの違いがあるというのだろう。

「……わかりました。他国とはいえ、お母様の母国ですもの。それに、もう修道院に入るしかないと思っていた私がお役に立てるのであれば、喜んで向かいます」

 だから、笑顔でそう言った。

「……そうか」

 ノエリアの覚悟を知った父は短くそう答えると、目を閉じた。

 沈黙が続く。

「お父様。私なら大丈夫です。たとえ他国に嫁ぐことになったとしても、しっかりと自分の役目を果たします」

 自信などまるでなかった。

 でもあえてそう言ったのは、父を安心させたかったからだ。

 今までは父と兄が守ってくれたが、嫁いでしまえばもうふたりを頼ることはできない。それが隣国とはいえ、他国ならなおさらだ。

 だとしたら不安を口にして余計な心配をかけてしまうよりも、笑って大丈夫だと言いたかった。

「情報は、武器になる。お前にはすべてを話そう」

 そんなノエリアの覚悟を受け取ってくれたのか、父は、今のロイナン王国の状況を細かく話してくれた。

「まずロイナン国王だが、やや強引で独裁的な部分があるようだ。国王に即位する前から彼は、目的を達するためならば手段を選ばないと言われていて、あまり評判の良い男ではなかった」

「そうですか」

 ノエリアは父の言葉に、なるべく表情を変えないようにして頷く。

 だが内心は穏やかではいられなかった。

(そんな人が、私の夫になるの?)

 父も兄も温厚で、いつもノエリアを優しく大切にしてくれる。

 他の男性を知らないノエリアにとって、そんなロイナン国王はとても恐ろしい男に思えた。

 そもそも自分よりも王家の血を濃く引いているというだけで、兄を襲撃するような男なのだ。

 だがそんな怯えを父に悟られてはいけない。

 震える手を押さえつけるように固く握りしめ、思案顔で首を傾げる。

「そんな方が急に血筋を気にするなんて、よほどのことがあったのでしょうか」

「そうだな。まず一番に、今のロイナン王国の治安がとても悪いことが挙げられる」

「治安。ロイナン王国が、ですか?」

 すぐには信じられなくて、ノエリアは父の言葉を繰り返す。

 あの国は、とても美しく豊かな国だったはずだ。

 ノエリアの戸惑いに同意するように、父も深く頷いた。

「にわかには信じがたかったが、国境近くに盗賊が多数、出没しているようだ。それがどうやら手練れらしく、国境を警備する騎士と何度もやりあっているが、いまだに殲滅することはできないらしい」

「盗賊……」

 今度こそ堪えることができなくて、ノエリアは震える肩を両手で抱きしめた。

 大きな声を出されるだけでも恐ろしいのに、騎士と盗賊達が激しく戦っていると聞くだけで、血の気が引く思いだった。

 それなのに、その国境を通って嫁がなければならないのだ。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ