記憶に眠る恋・7
だが、そんなノエリアの心配は杞憂に終わった。
あれからアルブレヒトやライードを始めとした男性陣はほとんど姿を現さず、カミラや他の女性達とばかり過ごしていた。
彼らはどうしているか尋ねると、カミラはどう答えたらいいのか迷っている様子だった。困らせてしまったのかと思って慌てたが、やがて彼女は真剣な顔でノエリアを見つめる。
「アルは、あなたにはなるべく知らせないようにと言っていたわ。でもあなた自身にも関わりのあることだから、知っていた方がいいと思うの」
「……はい。私も聞きたいです」
ノエリアは、カミラの言葉に同意するように頷いた。
たしかに兄のように過保護なアルブレヒトなら、何も話してくれないだろう。
けれど、ノエリアも当事者である。
何もできないかもしれないが、ただ守られているだけでは嫌だった。
「そうよね。私も最初の頃、何も教えてくれない彼と大喧嘩をしたことがあるのよ」
過去を思い出したのか、深刻な顔をしていたカミラの表情が和らぐ。
「喧嘩、ですか?」
「ええ」
カミラは懐かしそうに目を細めた。
「私の方が七歳も年上だったのに、まだ十代半ばのアルに対して、ひどいことを言ってしまったわ。でも、そのお陰で何でも話してくれるようになったの。アルは何でもひとりで抱え込んでしまうから」
慈しむような瞳で語るカミラに、ふたりの絆を感じてしまい、何だか胸が痛くなる。
そんなノエリアの視線には気が付かない様子で、カミラはどこか思いつめたような顔で、静かに話し始めた。
「八年前から続くこの事件には、私の父、イースィ国王が関わっていたの」
「……っ」
静かに語るカミラの言葉に、ノエリアは思わず組み合わせた両手を握りしめていた。
以前。カミラが何も知らずに王都に戻ったら、殺されていたかもしれないと言ったときから、予感はあった。
けれど改めてカミラの口から聞くと、さすがに衝撃だった。
ロイナン国王、そしてノエリアの母国でもある、イースィ王国の国王陛下。
両国の王を敵にして、果たして自分達は生き延びられるのだろうか。
もしかしたら今までも、カミラがイースィ王国に帰れる機会はあったのかもしれない。
けれど前ロイナン国王夫妻とともに、実の父に殺されかけたのだ。
味方のいない祖国に戻るよりも、ここでアルブレヒトとともに隠れ住んでいた方が安全だったのだろう。
「国王陛下は、どうしてこのようなことを……」
アルブレヒトの父である前ロイナン国王は、立派な王だったと聞く。
そのような王が暗殺され、隣国が乱れてしまえば、イースィ王国だって影響を受けてしまうのではないか。
まして事件に巻き込まれたカミラは、王にとっては実の娘である。
カミラは悲しげに笑うと、ふと窓の外に視線を逸らした。
どこから話せばいいのか、迷っている様子だったので、ノエリアは辛抱強くカミラの言葉を待った。
「ロイナン王国とイースィ王国は、遥か遠い昔、同じ国だったの。知っているでしょう?」
「……はい。一応は」
家庭教師の授業でそう習ったことを思い出し、ノエリアは頷く。
ロイナン王国は、もともとイースィ王国の領土だったのだ。まだこの大陸が国同士で争っていた時代に、イースィ王国から独立した国である。
もう数百年ほど前のことで、今は国際条約で国同士の戦争は禁止されているし、今は隣国として良好な関係を築いていたはずだ。
少なくとも、アルブレヒトの父の代までは。
「父は、愚かにもかつて分かたれたロイナン王国を併合しようと考えていた」
「そんなことを?」
静かに話を聞こうと思っていたのに、思わず声を上げてしまった。
両国が同じ国だったのは、もう数百年も前のことだ。
カミラも同意するように頷いた。
「そう。今の時代に、他国に戦争を仕掛けるなんて許されることではないわ。でもロイナン王家は病で早世する人が多く、少しずつ人数を減らしていた。王家が途絶えれば、もともとは同じ国だったのだから併合できると考えていたのかもしれない」
カミラは、怒りを堪えるように両手を握りしめた。
「とても稚拙で自分勝手な考えだわ。とても一国の王とは思えない」
「どうして国王陛下は……」
震える声で、ノエリアはそう呟く。
八年前の事故で、ロイナン王国の直系の王家が途絶えてしまったと思い、そう考えたのではない。
その事故さえ、イースィ国王の陰謀だったのだ。
彼女の言うように、あまりにも乱暴な考えであり、そんなことを本当に実行したなんて信じられない。
「私があの国にいた頃から、イースィ王国の国力は、少しずつ低下していた」
カミラは感情を抑えるように、そう言葉を続けた。
「それは……」
ノエリア自身は町に出たことはなかったが、たしかに父と兄が、王都では失業者が増えているとか、そんな話を深刻そうにしていたと思い出す。
「それに加えて父も、あまり有能な王ではなかったから」
何とか国を立て直そうとした政策は上手くいかず、有能だった前ロイナン国王と常に比較されてきた。
それが、イースィ国王を追い詰めていったのか。
国王は少しずつ、ロイナン王国を敵視するようになった。
「私とソルダの母は侯爵家の娘だったけれど、曾祖父がロイナン王家の血を引いていたの。でもそれが、母と私達が父に疎まれていた原因でしょうね」
正妃を遠ざけたイースィ国王は、没落して王城で侍女をしていた女性を愛妾として迎えた。
貧窮によって一家離散となった愛妾の実家は、もともとは由緒正しい歴史ある家系だったらしい。おそらくイースィ国王は、彼女自身ではなくその血筋を愛したのだろう。
長年蓄積したロイナン国王に対する劣等感が、父の正気を失わせてしまったのかもしれないと、カミラは苦しそうに言った。
「すべて、父のせいだったの。アルブレヒトがこんな目に合っているのも、あなたが弟に婚約破棄されて、あんな男と結婚させられそうになったのも。ごめんなさい。どんなに謝っても償いきれない……」
気丈なカミラの瞳に涙が浮かぶ。
ノエリアはたまらずに、自分よりも背の高い彼女を抱きしめた。
カミラだって被害者だ。
実の父に殺されそうになり、八年も戦い続けてきたのだから。
そっと慰めるように背を撫でていると、やがてカミラは涙を拭って顔を上げた。
「ありがとう。いよいよ、父と対峙するときが近付いてきたと思ったら、感情が昂ってしまって。ごめんなさいね」
その言葉に、とうとう兄が動き出したことを知った。
「もしかしてお兄様が?」
「ええ。アルがそう言っていたわ。あなたの兄上は、ロイナン王国の王都に妹が辿り着いていないことを知ったのでしょう」
ノエリアとロイナン国王との結婚は、半年後の予定だった。
結婚してしまえばもうロイナン王国の人間になるが、今のノエリアはまだネースティア公爵家の令嬢である。だから身体の弱い妹のためにと、兄は高価な薬や薬草茶を王城宛に送ったのだという。
それによって兄は、ノエリアのことを常に気にしていること。何かあれば、すぐにでも会いに行くという意志を示したのだ。
身ひとつで王家に嫁がなくてはならないとはいえ、まだ結婚前である。
しかもドレスや装飾品ではなく、身体を気遣った薬となれば、さすがにロイナン国王も受け取らないとは言えなかったようだ。
その兄の行動で、ロイナン国王はノエリアについて、長旅で体調を崩してしまい、穏やかな気候の港町で静養していると発表したようだ。
彼の計画では、ノエリアは海を見たいと我儘を言って港町に居座り、そのうち盗賊に殺されてしまったと発表するはずであった。
けれど兄の話と、実際にノエリアと接触した侍女や護衛騎士の話を聞いて、それでは通用しないと考えを変えたらしい。
「たしかに、あなたが我儘を言って、そのせいで盗賊に殺されてしまったと言われても、あなたの兄上は絶対に納得しないでしょうね」
「……はい」
兄は、ノエリアがどんな覚悟でこの国に嫁ぐことを決意したのか、よく知ってくれているはずだ。
そうして兄がノエリアを探していると知ったアルブレヒトは、これを機に大きく動き出した。
国境近くに配置されていた、盗賊を討伐するためにという名目で結成された騎士団と戦い続けながらも、兄の手の者と接触できないかと考え、危険だが王都の近くにまで行動範囲を伸ばしているようだ。
(アルと離れてしまうのが寂しい。そう思っていたのが恥ずかしい……)
彼らはノエリアを守るために戦ってくれていたのに、自分のことばかり考えていた。そのことを恥じて、彼らの無事を祈った。
あれから毎日のように、何度も指を刺しながら刺繍をしたお守りも、もうすぐ仕上がる。
たとえここを離れても、無事に生き残ることさえできれば、また会える。
兄もきっと、友人だったというアルブレヒトに力を貸してくれるだろう。




