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【書籍化・コミカライズ】冷遇されるお飾り王妃になる予定でしたが、初恋の王子様に攫われました!  作者: 櫻井みこと


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記憶に眠る恋・6

 守護の紋様は、手のひらほどの大きさの布に刺繍をしなければならない。これを上着の裏側などに縫い込むそうだ。

 カーテンをまっすぐに縫うことさえ難しかったノエリアには、無理かもしれないと思っていた。

 けれど、不思議と思っていたほど苦戦しなかった。

 カミラと比べても、そう大差がないくらいだ。

 アルブレヒトのために何かできることが嬉しくて、本を読むことさえ忘れて、夢中になっていた。

 この日も一日中、カミラと一緒に過ごし、夕食のあとはひとりで部屋に戻る。

 今朝早く出かけたアルブレヒトとライードは、まだ戻っていないようだ。

 ならば眠るまでの間、刺繍を続けよう。そう思って寝台の近くまで机を移動させると、その上に燭台を置いた。

 慎重に、針を進める。それでも慣れていないノエリアは、何度も指を刺してしまった。

「……っ」

 今度は深く刺してしまったようで、指に玉のように丸く血が滲む。

 刺繍を汚してしまわないように、慌てて別の布で指を抑えた。

「……難しいわ」

 中央部分は細かくて、さすがに苦戦していた。それでもこれだけは、自分ひとりで仕上げたい。

 もう一度針を持とうとしていたノエリアは、ふと風の音が強くなってきたことに気が付いて顔を上げた。周囲に生い茂った木の枝が窓を叩き、獣の遠吠えのような音が響き渡る。

 どうやら悪天候になってしまったらしい。

 まだ戻らないアルブレヒトのことが心配で、暗い空を見上げようとした瞬間。

 周囲がぴかりと明るく光る。

 続いて、地鳴りのような音が建物を震わせた。

 雷鳴だ。

「……っ」

 古い窓枠ががたがたと震え、ノエリアは息を呑む。

 昔から雷は苦手だった。

 さらに、建物が古いせいか、それとも山頂が近いせいかわからないが、今までとはくらべものにならないくらいの轟音に、身が竦む。

 続いて、激しい雨まで降ってきた。

(どうしよう……。怖い……)

 せめてカーテンをきっちり閉めれば、少しは音を抑えられるかもしれない。そう思って手を伸ばす。

「きゃあっ」

 だが、その瞬間に雷鳴の音が大きく鳴り響き、ノエリアは悲鳴を上げて座り込んでいた。

 床に座り込んで目を固く閉じ、両手で耳を塞ぐ。

 風も強くなっているらしい。

 吹きつける風が古い木の窓枠をがたがたと揺らし、わずかに開いた隙間から雨とともに入り込んできた。

 雨はノエリアの身体に容赦なく降り注ぎ、さらに運の悪いことに、それが机の上に置いてあった燭台の炎を消してしまう。

「!」

 深淵の闇の中に、轟く雷鳴と激しい雨の音が響き渡る。

 ノエリアはもう動くこともできず、うずくまって震えていた。

「アル……、助けて……」

 思わず助けを求めて呼んだ名前は、父でも兄でもなく、アルブレヒトのものだった。

 彼はまだ戻っていない。

 もう夜になるし、こんな天気だ。

 どこかで雨宿りをしているのかもしれない。

「アル……」

 だから呼んでも無駄だとわかっているのに、縋るように、繰り返し彼の名前を呼んでしまう。

 何度目かの雷鳴。

 轟音に身を竦ませた、そのとき。

「ノエリア?」

 扉の向こうから、待ち望んでいた声が聞こえてきた。

 それを聞いた瞬間、涙が滲んでしまうほどの安堵を覚えた。暗闇の中、声がした方向に歩いていく。

「アル、どこ?」

「ここにいる」

 必死に手を伸ばすと、温もりが包み込んでくれる。

 しっかりと手を握り合った。

「無事か?」

 気遣ってくれる言葉に声も出ず、こくこくと頷く。

 暗闇で顔は見えないけれど、この優しい声。

 そしてこの腕の感触は、間違いなくアルブレヒトだった。

「雨に濡れているな。窓が開いたのか?」

「風で、少し」

 そう答えると、アルブレヒトはノエリアを腕に抱いたまま、手を伸ばして窓をきっちりと閉めてくれた。

「蝋燭は……。濡れていてだめだな。代わりを持ってくる」

「待って!」

 部屋を出ようとした彼に、必死に縋る。

「灯りはなくてもいいから。だから、傍にいて」

 まだ雷鳴は続いている。

 優しい温もりに触れてしまうと、またひとりになってしまうのが恐ろしかった。

 困ったように笑う気配。

 優しく宥めるように、そっと肩に触れる腕。

「お願い」

「わかった。だが、そのままでは風邪を引いてしまう。まず着替えをしたほうがいい」

「ええ」

 カーテンを閉めようとして窓の近くにいたため、ノエリアはわずかに開いた窓の隙間から入り込んできた雨で、すっかり濡れてしまっていた。

 こうして少し落ち着くと、寒さを感じる。

 たしかにこのままでは、体調を崩してしまうかもしれない。

「外に出ている。着替えが終わったら声をかけてくれ」

「あ、待って」

 それがわかっていてもひとりになるのが怖くて、思わず呼び止めてしまう。

「お願い、ここにいて」

 異性の前で着替えをするなんて、はしたないことだとわかっている。

 でも、先ほどまで胸を支配していた心細さは、容易に消えそうにない。それに灯りのない部屋の中は、何も見えないくらい暗い。これなら傍にいてもわからないくらいだ。

 アルブレヒトは戸惑っているようだ。

 それでもノエリアを安心させるような声で、こう言ってくれた。

「わかった。入り口の近くで、後ろを向いている。風邪を引くといけない。はやく着替えたほうがいい」

「ありがとう。わがままを言って、ごめんなさい」

 そう謝罪すると、そっと髪を撫でられる。

「こんなに濡れて、かわいそうに。怖かっただろう。もう大丈夫だから、安心していい」

 兄のような優しい言葉に、不安に震えていた心が優しく宥められていく。

「ごめんなさい。すぐに着替えるから」

 ノエリアは手探りで新しい衣服を取り出し、急いで着替えようとした。

 アルブレヒトは言葉通り、入り口近くで後ろを向いているようだ。

 自分で頼んだこととはいえ、アルブレヒトがいる部屋で着替えていることが恥ずかしくて、手早く済ませようとして急いだ。

 でも、あまりにも慌てていたのかもしれない。

「きゃっ」

 濡れたワンピースの布地が肌に貼りつき、足を取られて転びそうになってしまう。

「ノエリア?」

 とっさに体勢を整えることはできなかった。

 身動きが取れず、そのまま転ぶしかない覚悟をしたノエリアを、咄嗟に手を伸ばしたアルブレヒトが受け止めてくれる。

 だが、彼も暗闇の中で距離感がうまく掴めなかったのだろう。

 支えようとして伸ばしたアルブレヒトの両手は、ノエリアを真正面から抱きしめる形になってしまった。

「あっ」

「!」

 しっかりと抱きしめられ、ノエリアは息を呑む。

 濡れた身体に感じる、彼の温もり。

 吐息が感じられるくらい、密着している。

 小柄なノエリアは、アルブレヒトの腕の中にすっぽりと納まっていた。

 どきりと胸が高鳴った。

(ど、どうしよう。私、こんな格好で……)

 服を脱ぎかけた姿で抱きしめられていることに気が付いて、ノエリアは慌てて彼から離れようとする。

 それなのにノエリアの肩に回されたアルブレヒトの腕は、少しも緩まない。

「アル?」

 思わず名前を呼ぶと、彼ははっとした様子で、ようやく手を離してくれた。

「怪我はないか?」

「ええ、ごめんなさい。少し慌ててしまって」

「気を付けろ。ああ、でもやはり、灯りはあったほうがいいな。雷もようやく止んだようだ。代わりの蝋燭を取って来るから、待っていてくれ」

 アルブレヒトはそう言うと、止める暇もなく部屋から出ていく。

 ノエリアは呆然とその後ろ姿を見つめた。

 あまりのことに、羞恥を感じる暇もなかった。

 それに、触れ合った腕から感じた動揺。

 ノエリアを抱きしめた彼の腕は、かすかに震えていた。

 いつも優しく穏やかなアルブレヒトは、どんなときも冷静だった。そんな彼が見せた激しい動揺に、心が乱されていく。

 優しい彼のことを、いつしか兄のように思っていたのかもしれない。

 でも、兄妹のようだったふたりの関係が、これからは変わってしまうような気がした。

 それは少し寂しくて、怖くて。

 そして、不思議な胸の高鳴りを覚えるようなできごとだった。

 窓の外はいつのまにか静かになっていた。

 嵐はようやく過ぎ去ったようだ。

 彼が戻らないうちに着替えをしようと思いながら、ノエリアはなかなかその場から動けずにいた。

 それでもようやく着替えをして、濡れてしまった髪を乾かしていると、ようやくアルブレヒトが戻ってきた。

 もういつもと変わらない穏やかな顔で、新しい蝋燭に火を灯し、濡れてしまった髪を丁寧に乾かしてくれる。

「ありがとう、アル。あの……」

「嵐は通り過ぎたようだな。だが今日は、もう休んだほうがいい。寒くはないか?」

「ええ、平気よ」

 ノエリアはそう答えながらも、アルブレヒトを見つめる。

 ふたりの関係がどう変わってしまったのか、見定めようとした。

 でもアルブレヒトはノエリアの目を見ようとしない。視線を反らしたまま、言葉だけは優しくおやすみと告げると、去っていく。

 しばらくそのまま立ち尽くしていたノエリアは、やがて大きく息を吐いて寝台の上に座った。

 考えすぎだったのだろうか。

 でもあのとき感じたアルブレヒトの動揺は、間違いなく本物だった。

 これから彼と、どう接すればいいのだろう。

 いくら考えても答えはでない。

 でも考えずにはいられなくて、ノエリアは嵐が去ったあとの夜空を、いつまでも眺めていた。


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