記憶に眠る愛・4
「イバンは本当に卑劣な男よ。手を貸してくれた人達を迫害するほうが、アルには効果的だと知っている。だからそうしたの。事故当時、彼はまだ十三歳だったのよ。両親を殺され、助けてくれようとした人達も次々にイバンの手に掛かって。どれだけつらかったか」
「そんな……」
アルブレヒトは兄と同い年だと知り、ノエリアはそのときのことを思い出してみる。父は、まだ幼さの残る少年だった兄が後継者争いに巻き込まれ、政治的に利用されないようにと守っていた。
それなのに同い年のアルブレヒトは、そんな過酷な戦いに八年間も身を置いていたのだ。
そしてその戦いは、今もなお続いている。
「今のアルブレヒトは、王位奪還でも両親の仇を取るためでもない。支えてくれる仲間と、盗賊として処刑されてしまった仲間達の名誉を回復させるために動いている。すべて、仲間達のため。だから私達がどんなに言っても、まったく聞いてくれなかったの」
もう少し休んだほうがいい。
もっと、自分のことも考えたほうがいい。
ライードと、そう言い続けてきたのだとカミラは語った。
「でも、だめだった。アルは仲間のため、その名誉を回復させることができるのなら、自分はどうなってもかまわないとさえ思っている」
ノエリアは、さきほどのカミラのようにきつく手を握りしめていた。
十三歳のときから、叶わない敵とずっと戦い続けてきたアルブレヒトが、そう考えるようになってしまったのは、狡猾なイバンの作戦だ。
そのために、執拗に仲間達を狙い続けてきたのだろう。
カミラのイバンに対する憎しみの理由が、わかった気がした。
「それなのにノエリアには休むと約束してくれた。こんなに嬉しいことはないわ。あなたのお陰で、アルの心にも少し変化があったのかもしれない」
「私は何も……」
アルブレヒトに良い変化をもたらすことができたとしたら、それはとても嬉しいことだ。
でも、明確に何かしたわけではない。
だから戸惑いがあった。
「アルは、ずっとひとりだったから。きっと、あなたがきてくれて嬉しかったのよ」
ひとり、という言葉が胸に刺さる。
彼のどこか寂しそうな瞳が目に浮かんだ。
「でも、カミラ様がいらっしゃるのに」
「私は、イースィ王国の人間だもの。彼にとっては巻き込まれた被害者でもあるわ。他の人達も、自分に協力してしまったために、こんな状況に追いやられてしまったという負い目がある。だから、ひとりですべて背負っているの」
でも、とカミラは、ノエリアを優しい瞳で見つめる。
「あなたは、アルが救出することができた唯一の人よ。あのままだったら、いつか殺されていたかもしれないと言っていたわね」
「ええ。ロイナン国王はそのつもりだったようです」
「アルと関わって、良い方向に変わった人はあなたが初めてだから。それにあなたはイースィ王国の公爵令嬢だけれど、ロイナン王家の血を濃く引いている。両親や身内を失ってしまったアルにとって、近しい身内はもう、あなたとあなたの兄上だけよ」
他国の公爵家の嫡子である兄まで、国王に推す声があったくらいだ。王家の血筋は、ほとんど残っていないだろうと察していた。
でも、自分と兄だけだとは思わなかった。
アルの両親である前国王夫妻を除けば、病死が多いらしい。おそらく、あまり身体が丈夫な家系ではないのだろう。
だがその王家の人間の少なさが、あの男に野心を抱かせてしまったのかもしれない。
「アルが、あなたを大切にしたい、守りたいと思う気持ちが強くなっても、それは仕方がないと思うわ。負担に感じることもあるかもしれないけれど、どうか受け入れてあげて」
「……はい」
ノエリアは静かに頷いた。
これからは、アルブレヒトがノエリアのためにしてくれたことは、たとえどんなことであっても受け入れようと決意した。
それでも心が沈むのは、彼の孤独と過酷な生きざまを知ってしまったから。
(私はお兄様が迎えに来たら、イースィ王国に帰らなくてはならない。でも、アルをここに残して行くなんて……)
カミラはあなたが来てくれて本当によかったと告げて、去っていった。
ひとりになっても、今まであれほど夢中になっていた本を、もう読みたいとは思えなくなっていた。
ノエリアは椅子に座ったまま、机の上に置かれた本の表紙を見つめる。
髪を優しく梳いてくれた手。
ノエリアのために、使っていなかった書斎を綺麗にしてくれたこと。
彼がしてくれたことを思うたびに、胸が疼いて苦しくなる。
(アル、あなたをひとりにしたくない。傍にいてあげたい……)
同時に、彼がけっしてそれを望んでいないということもわかってしまう。
アルブレヒトが望んでいるのは、ノエリアが兄のもとに無事に帰り、幸せに生きることだけだ。
ノエリアだって、彼の幸せを願っている。
でも彼の幸せとはいったい何だろう。
(ロイナン国王を倒さなければ、彼に平穏は訪れない。だから私とカミラ様がイースィ王国に帰って、お父様にすべてを話し、アルを支援しなければならないわ)
何もできずに傍にいるよりも、離れたほうがアルブレヒトの役に立てる。
苦しいが、それが現実だ。
だからせめて兄から迎えが来るまで、彼と一緒にいよう。
ノエリアはそう決意して、立ち上がった。
案内してもらった書斎には、興味深い本がたくさんあった。でも今は、本を読むよりもやりたいことがある。
部屋から出て、アルブレヒトのもとに向かう。
兄はきっと、すぐにノエリアを探し出してくれるだろう。
時間はあまり残されていなかった。




