攫われた花嫁・9
「私はこれからどうなりますか?」
「あなたのことは、できるだけ早くイースィ王国のネースティア公爵にお返ししようと思っているわ」
「父に、ですか?」
カミラはイースィ王国ではなく、父個人の名前を挙げた。
やはり、彼女達の敵は国の上層部にいるのだろう。
(もしかしたら、それは……)
ノエリアは、今まで自分に起こったことを、ひとつずつ思い出してみる。
王太子との婚約破棄も、ロイナン国王との婚姻も、すべてある人物の差し金だった。
「ええ。だから、それまではここで暮らしてもらうことになるわね。ここでの暮らしは不自由で、申し訳ないけれど……」
「いえ、そんな。王女殿下がそのような……」
謝罪したカミラを、ノエリアは慌てて止める。
今まで大切に守られて生きてきたノエリアには、戦い続けてきた彼女達の気持ちを完全に理解することはできないだろう。
おそらくノエリアの想像以上に、過酷でつらい日々だったに違いない。それなのに、彼女に謝罪までさせるわけにはいかなかった。
「むしろ助けて頂いたのは私のほうです。あのままではいずれ、殺されていたかもしれませんから」
「それは、どういうこと?」
宿の片隅で聞いた、侍女と護衛騎士の言葉を伝えると、カミラは整った美しい顔を紅潮させ、はっきりと怒りを示す。
「どこまで卑劣な男なの」
ノエリアのために本気で怒ってくれたカミラは、今度は安心させるように優しくこう言ってくれた。
「そんな男からあなたを守れて、本当によかった。きっと公爵とあなたの兄上が、すぐに探し出してくれるわ。それまではここで、私達があなたを守るからね」
「ありがとうございます」
ノエリアはそう言って、頭を下げる。
たとえロイナン国王の企みを知っても、ひとりではあの宿から抜け出すことはできなかった。あのままではなす術もなく殺され、それを、彼らを攻撃する理由にされてしまうところだった。
「君の兄は、妹が行方不明になったと知れば必ず動く。そして君を救い出せるだけの力もある。彼のことだ。こちらから知らせる前に、妹の失踪を知るかもしれない。そうなったらイバンよりも早く、ここを見つけ出すだろう」
アルブレヒトは、静かにそう言った。
たしかに兄ならば。
ノエリアのために、けっして断れない結婚さえ止めようとしていた兄なら、ノエリアを見つけ出して救ってくれるかもしれない。
「あの、兄を御存知なのでしょうか?」
だがあまりにも確信に満ちた言葉に、彼は兄を知っているのかもしれないと思って、尋ねてみた。
予想通り、アルブレヒトは頷く。
「ああ。親しい友人だった。セリノがどれくらい、妹を大切にしているのかも知っている。間違いなく君を探し出すだろう」
「……はい。私もそう思います」
アルは親しかった人を呼ぶように、兄の名を自然と口にしていた。
ノエリアはあまりよく覚えていなかったが、母が生きていた頃は、よくロイナン王国を訪れていたそうだ。きっとそこで知り合い、交流を深めていたのだろう。
「それまでは不自由な生活を強いてしまうが、許してほしい」
カミラと同じように、アルもそう言って謝罪してくれた。
「いえ、そんな……」
ノエリアは思わず立ち上がる。
「カミラ王女殿下……。カミラ様にも言いましたが、私のほうこそ助けて頂いたのです。ですから私に手伝えることがあれば、何でも言ってください」
そう言ってみたものの、ノエリアにできることなど何もない。せいぜい自分のことは自分でやって、周囲に迷惑をかけないようにするしかない。
「あなたにはひとつだけ、頼みたいことがある」
だがアルブレヒトは、真剣な顔をしてノエリアに向き直る。
「はい。私にできることなら」
「イースィ王国に無事に戻れたら、ネースティア公爵にカミラの生存を伝えてほしい」
もちろんだと、ノエリアは大きく頷いた。
「むしろ私よりも、カミラ様の救出を優先させるべきだと思います」
「だめよ」
そう提案したが、カミラは首を横に振り、ノエリアのほうが優先だという。そうでなければ、指輪を預けた意味がないと。
「あなたはただ、巻き込まれてしまっただけの被害者だもの。それに、私なら大丈夫。もう八年も、ここで暮らしているのよ」
「でも……」
困ったノエリアは、アルブレヒトを見つめた。静かに考えを巡らせていた彼は、その視線を受けて顔を上げる。
「カミラ、君だってこの国の事情に巻き込まれてしまった被害者だ。ふたりには本当に申し訳ないことをした」
アルブレヒトの謝罪に、カレンは一瞬、泣き出しそうな顔をした。
「そんなこと言わないで。私達は八年間、一緒に戦ってきた仲間なのに」
八年間。
ノエリアはあらためて、その時間の長さを思う。
事故当時、カミラは十九歳だったはずだ。
それから二十七歳になった現在まで、王女であるはずのカミラは、追手に怯えながら森の奥にあるこの邸宅で過ごしていた。
痛ましいことだと、ノエリアも目を伏せる。
「兄はカミラ様の存在を知れば、きっと救出のために力を尽くすでしょう」
「そうだな。セリノならばきっと、そうしてくれるだろう」
アルブレヒトの声には、兄に対する信頼が宿っていた。ふたりは、ノエリアが思っていたよりも親しかったようだ。
ノエリアも、兄がきっとそうしてくれると信じている。
「とにかくしばらくは、ゆっくりと休んで体調を整えたほうがいい」
「はい。お心遣いありがとうございます」
そう礼を述べるとアルブレヒトは立ち上がり、何か足りないものがあったらカミラに言うようにと告げて、部屋を出ていく。
ノエリアも立ち上がって彼を見送り、それから俯いたままのカミラの傍に近寄った。
「あの、カミラ様」
そっと声を掛けると、彼女は顔を上げて笑みを見せる。
「……ごめんなさい。今まで色々とあったものだから」
そう言って笑みを浮かべたが、どこかぎこちないものだった。
「あまりあなたを疲れさせてはいけないから、私も戻るわ。危ないから外には出られないけれど、この邸宅の中なら自由に歩いてもいいからね」
「はい、ありがとうございます」
「着替えも準備してあるわ。質素なものしかなくて申し訳ないけれど……」
「いえ、そんな。充分です」
今度は部屋を出ていくカミラを見送り、ノエリアは、これからどうしようかと考える。
まず、動きにくいこの服を着替えたほうがいいかもしれない。
ノエリアはさっそくドレスを脱いで、用意してもらった服に着替える。飾り気のない、質素なワンピース。だがこれなら手伝ってもらわなくとも、ひとりで着替えることはできる。
(なるべくひとりでできるように、頑張らないと)
彼らに負担をかけてはいけない。
ふたりから預かった大切な指輪は、肌身離さず持っていようと、カミラが持っていた鎖にふたつともつけて、首から下げる。
金色の長い髪も邪魔にならないように結んでみた。
あまりうまくできなかったが、公爵家で暮らしていたときのように毎晩手入れをしてもらうわけにはいかないのだから、自分で何とかしなければならない。
着替えをすませてしまうと、もうやることがなくなってしまった。
(少し、状況を整理してみよう)
ノエリアは椅子を窓辺に移動させると、そこに座って静かに考えを巡らせる。
ここひと月ほどで、周囲を取り巻く環境は驚くほど変化した。
ほんの少し前まで王太子の婚約者であったことが、もう遠い昔のことのようだ。
それが婚約破棄され、今度は結婚が隣国に嫁ぐことになった。
だからロイナン王国のことを懸命に学び、できる限り良い王妃になろうと努力した。
でも待っていたのは、王都に入ることさえもできず、宿屋に押し込められて不安に過ごす日々。
もしアルブレヒトが助け出してくれなかったら、絶望の中で、冷遇されたままロイナン国王の計画通りに殺されていたかもしれない。
(でも彼が私を助けてくれたのは、きっとカミラ王女殿下のため……)
ロイナン国王があのままノエリアを娶っていたら、彼は正当な血筋という武器も手に入れることになった。それを防ぐために、アルブレヒトはノエリアをロイナン国王から奪い取ったのだろう。
だが、彼にはカミラをイースィ王国に返したいという強い思いがあったに違いない。
気心の知れたようなふたりの姿を思い浮かべると、なぜか胸の奥が痛むような気がした。
(八年も一緒に過ごしていたのだから、仲が良いのは当然だわ)
ノエリアは自分の中に生まれた感情を振り払うように首を振ると、これからの生活に思いを馳せる。
(お兄様には、また心配をかけてしまうわ)
それでもアルブレヒトの言うように、兄はノエリアが連れ去られたことを知ったら、必ず助けに来てくれる。カミラ王女の救出にも、力を尽くしてくれるに違いない。
(今の私にできることは、いつ山越えになっても大丈夫なくらい、きちんと体調を整えることかもしれない)
ノエリアはそう決意を固め、空を見つめる。
標高の高い山の空は怖いほど澄んでいて、その美しさに魅せられ、いつまでも眺めていた。




