攫われた花嫁・8
「そう。ネースティア公爵が。昔、あなたの御父上は、愛した姫君を手に入れるために、あらゆる手を尽くしたそうよ」
父が母を愛し、とても大切にしていたことはよく知っている。
母が亡くなってしまったあとの父はひどく落ち込んでいて、ノエリアと兄を抱きしめ、お前達がいてくれなかったら耐えられなかったと涙を流していた。
父の涙を見たのは、あの日が初めてだった。
「そんなに大切な妻との愛娘を、政略結婚の駒にされてしまうなんて。さぞかし苦悩したでしょうね……」
カミラはそう言うと、ふいに表情を正してノエリアを見た。
「あなたを結婚式前に救出することができてよかった。私は、心からそう思っているわ」
「私と、ロイナン国王との結婚を、ですか?」
「ええ。あの男は簒奪者よ。八年前、ロイナン国王陛下と王妃陛下を馬車の事故に見せかけて殺し、王位を奪い取ったのよ」
「!」
カミラの言葉は、あまりにも衝撃的だった。
「そんな……。馬車の事故では……」
「事故なんかではなかったわ。海に落とされた馬車は、もう無人だったの。あの男は私兵の騎士団を率いて馬車を襲撃して、ロイナン国王陛下を……」
そのとき、不運にも同乗していたカミラは、すべてを目撃していた。
「王妃陛下が、命懸けで私と王太子殿下を逃がしてくれたの。私が海を見たいなんて言い出さなければ……。そんな我儘を言わなければ、あんなことにはならなかったのに」
カミラの瞳から涙が零れ落ちる。
ノエリアのことを盗賊の仕業に見せかけて殺そうとしたあの男の手は、すでに血で染まっていたのだ。今さらノエリアひとり殺すくらい、何ともないことだったのだろう。
「王太子殿下は、何度も私をイースィ王国に返そうとしてくれたわ。でも真実を知ってしまった私を、あの男が見逃すはずがなかった。いつのまにか私達は盗賊に仕立て上げられ、捕まってしまった仲間達は、盗賊として有無を言わさず処刑されてしまったのよ」
「……」
衝撃のあまり、ノエリアは言葉を失っていた。
王太子と、イースィ王国の王女であるカミラは生きていたのだ。
だが、あの男が即位するまでには猶予があった。誰を新王にするかの話し合いは長引き、兄にまでその話が持ち込まれたくらいだ。
すぐにでも王城に戻り、あの男を断罪すればよかったのではないか。そうすれば、国王を暗殺した男が新国王になることはなかった。
最初の衝撃から立ち直ると、その疑問を口にする。
「どうして、すぐに王城に戻られなかったのですか?」
「……王太子殿下はひどい怪我を負っていて、地元の領主に匿ってもらうのが、精一杯だったの。何とか命を取り留めたときには、もうあの男が即位していたわ」
そして彼がようやく動けるようになった頃、カミラと王太子を匿ってくれた領主は、国王陛下の事故を知りながら救出を怠ったと言いがかりをつけられて、身分も財産もすべて没収されたと言う。
「それからも頼る先はすべて、新国王となったあの男。イバンに潰されたわ。それでも味方になってくれた人達と一緒に、私達はこうして抵抗を続けてきたのよ」
「盗賊」と接した者達が拘束されてしまうのも、彼らが王太子の生存と、現ロイナン国王であるイバンの罪を知ってしまったからなのか。
「私も何とかして、イースィ王国に帰ろうとした。父にすべて話して、王太子殿下を支援してもらいたかったわ。でも国境の守りは特に強固で……。もうこれ以上、護衛してくれていた人達が殺されるところを、見たくなかったのよ」
カミラの言葉は悲痛に満ちていた。
国境付近に出没していたという「盗賊」は、カミラをイースィ王国に帰還させようとして戦っていた彼らだったのだ。
本来ならばノエリア以上に大切にされて、守られていたはずの王女が、どれだけつらい思いをしてきたのだろう。
手を差し伸べてくれた人達が次々とイバンに狙われ、それでもずっと戦い続けてきた彼女達の八年間を思うと、胸が痛くなる。
あまりの真実に絶句するノエリアに、カミラはさらに恐るべき事実を告げる。
「でも、今となっては帰国しなくてよかったと思っているわ。あの男が国王として即位できたのも、それ以前にこれほどの悪事を決行することができたのも、強力な後ろ盾を手に入れていたから。このことを知らずに国に帰っていたら、私はきっと殺されていたでしょう」
衝撃的な言葉に、ノエリアは息を呑む。
けれど思考は止まることなく、カミラの言葉の意味を考えている。
彼女は、祖国であるはずのイースィ王国に帰れば殺されてしまうと言った。それは国内にロイナン国王の協力者がいるということになる。
それは八年前、ロイナン国王の王位簒奪に手を貸した、恐ろしい者である。
(まさか……)
王女を手に掛けることができるほどの者など、数えるくらいしかいない。
辿り着いた恐ろしい答えに、思わず組み合わせた手が震えてしまう。
「カミラ、そこまでだ」
ふいに声がして、話が遮られる。
顔を上げると、アルが部屋に入ってきた。
「まだノエリア嬢はここに来たばかり。もう少し落ち着く時間が必要だ」
「……そうね。ごめんなさい。外部の人と会えたのが八年ぶりだったから、つい焦ってしまって」
カミラはそう言って謝罪してくれたが、八年間も追われ続け、戦い続けてきた彼女の気持ちを思うと、切なくなる。
静かに首を横に振り、自分は大丈夫だと伝えることしかできなかった。
ノエリアはあらためてじっくりと、彼と、そして隣に立ったカミラを見つめた。
ふたりとも平民と変わらないような質素な服装だが、その美貌は際立っている。さらに常人とは違う立ち振る舞いや気品なども、似通ったものだ。
(もしかして、彼は……)
「だが、話はすでにあらかた聞いてしまったようだね。あらためて名乗ろう。俺は……」
「ロイナン王国のアルブレヒト王太子殿下、でしょうか」
その言葉にアル……。アルブレヒトはひどく驚いた様子で、ノエリアを凝視する。
切なそうな瞳で見つめられ、困惑した。
「……あの、殿下?」
あまりも過剰な反応に戸惑い、助けを求めるようにカミラを見た。
「彼女はなかなか聡明だわ。私のこともすぐに見抜いてしまったもの」
「……あ、ああ。そうだな。カミラの話を聞けば、わかることだったな」
アルブレヒトはそんなカミラの言葉に、ようやく我に返ったようだ。自分に言い聞かせるかのようにそう言うと、ノエリアに笑いかける。
「今の俺は身分も何もない、ただの男だ。殿下などではなく、アルと呼んでほしい」
「私もカミラでいいわ。あなたのことも、ノエリアと呼んでもいい?」
「はい、もちろんです」
ノエリアも笑顔でそう答えた。
そんな笑顔から、アルブレヒトは視線を逸らす。どうして彼は、こんなにも動揺しているのだろう。
自分が何かおかしなことでも言ってしまったのかと考えていると、彼は何かを差し出した。
「話だけでは信用できないかと思って、これを持ってきた」
見ると、それは紋様が刻まれた指輪だった。
それを見てカミラも、鎖を通して首からかけていた指輪を取り出す。
金色の指輪にはそれぞれ、ロイナン王国とイースィ王国の紋章が刻まれていた、
これを所持できるのは、直系の王族だけだ。
どちらとも、間違いなく本物だろう。
でも、こんな証拠がなくとも、ふたりの話は本当だと信じていた。
あの気品ある美しさは、演技などで身に付くようなものではない。でも、ノエリアがふたりの身分をしっかりと確認すれば、これから先、何かできることがあるかもしれない。
だがアルブレヒトとカミラは、それをふたつともノエリアに差し出した。
「これは君が持っていてくれないか」
「え……。私が?」
驚いて、ふたりの顔を交互に見つめる。
これは身分を証明してくれるものだ。けっして手放してはいけないのではないか。
だが彼は、自分達が持っているほうが危険だと言う。
「俺達が持っていても、イバンに負けてしまえばそのまま打ち捨てられるだけだ。誰かに悪用されてしまう可能性もある」
だから、できれば信用のできる者に預けたかったと言われ、ノエリアは差し出されたふたつの指輪、ロイナン王国とイースィ王国の紋章が刻まれたそれを受け取った。
考えたくはないが、もしロイナン国王がふたりを打ち負かせば、盗賊を打ち取ったと報告するだけだ。
彼らが必死に戦ってきた八年間を、伝える者は誰もいなくなってしまう。
ノエリアは無力だが、父や兄など、無条件で味方になってくれる存在がいる。
ロイナン王国の血を引き、イースィ王国の公爵令嬢という身分もある。
彼らのために、何かできるかもしれない。
だからそれを恭しく受け取った。
「はい。たしかにお預かりしました」
「ありがとう。これで少し、安心することができる」
指輪を手渡したアルブレヒトは、そう言って微笑んだ。
今度は曇りのない笑顔だった。




