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プロローグ 1

 ノエリアは豪華な細工が施された椅子に腰をかけ、静かに目を閉じていた。

 沈みゆく太陽が緋色の光となって窓から入り込み、その姿を照らし出す。

 明るい金色の髪が、細い身体を守るように包み込んでいる。

 白い肌に映える緋色のドレスを身に纏った彼女は微動だにせず、その様子は贅を尽くしたこの部屋の中でも、一番美しい置物のようだ。

 だがその静寂を打ち破るように、暖炉の中で燃えていた薪が爆ぜた。

 高級な調度品と、人形のように美しい彼女が作り出していた調和を乱したその音に、ノエリアはびくりと身体を震わせ、ゆっくりと目を開く。

 その濃紺色の瞳には、深い悲しみの色が宿っていた。

(どうしてこんなことに……)

 思い出しているのは、昨日、王城で開かれた夜会でのことだ。

 イースィ王国の王太子ソルダの婚約者だったノエリアは、その夜会で婚約破棄を言い渡されていた。

 しかも、王太子の親しい友人である伯爵令嬢を虐めたという、まったく身に覚えのない罪で。

 ネースティア公爵令嬢であるノエリアは、母が隣国であるロイナン王国の王家の血を引いており、多くの貴族の中でもとくに高貴な血筋だった。

 病で早世してしまった母によく似たノエリアを、父と兄は過保護なくらい大切にしてくれた。だからか、やや世間知らずでおっとりとしている。

 そんなノエリアが、あの自信に満ち溢れていて気の強い伯爵令嬢のリンダを虐めるはずがない。

 それは婚約者だった王太子も、よく知っているはずだ。

 冤罪であることは、誰の目にも明らかだった。

 それなのに、突然のことにうろたえるノエリアを庇ってくれる者は誰もいなかった。助けを求めるように周囲を見渡しても、今まで親しくしていた友人達は遠巻きにこちらを見ているだけ。

 どうしたらいいのかわからず、逃げるように屋敷に戻ってきたノエリアに事情を説明してくれたのは、四歳年上の兄セリノだった。

 金色の髪に、鮮やかな緑色の瞳。

 ノエリアと同じく隣国の王家の血を引く兄は、そのロイナン王国の王位継承権も持っている。八年前にロイナン国王が亡くなったときは、次期国王として兄の名を挙げる者もいたくらいだ。

 あの夜会の日。

 仕事で遠方に向かっていた兄は、おそらく向こうで婚約破棄のことを聞いたのだろう。

 よほど慌てて帰ってきたようで、端正な顔に疲労の色を濃く滲ませながら、困惑しているノエリアを優しく慰めてくれた。

「お兄様。私……」

「ノエリア、かわいそうに。今回のことは、お前にはまったく非のないことだ」

 そう言って、金色の髪を撫でてくれる。

「ソルダ殿下は、どうしてあのようなことを」

 兄の背に手を伸ばし、涙ながらそう訴えたノエリアは、兄がまだ外出着であることに気が付いた。よほど急いで駆け付けてくれたのだろう。

「お兄様、心配をかけてしまってごめんなさい。着替えをして、少し休んでください。私なら大丈夫ですから」

 慌てて涙を拭って微笑んだノエリアに、兄は首を振る。

「俺のことなど気にしなくてもいい。ずっと泣いていたのだろう? 目が赤くなっている」

「お話を聞くのが怖いの」

 どうあっても休んでくれそうにないと悟ったノエリアは、そう言って怯えたような顔をしてみせた。

「お兄様が着替えをして落ち着くまでには、覚悟を決めます。だから、少しだけ時間をください」

 そう懇願したのだ。

 きっと兄ならノエリアの希望を優先してくれるはずだ。

「……わかった。話はまた後にしよう」

 予想通り、兄はそう言ってくれた。もう一度ノエリアを優しく抱きしめてから、この部屋を出ていく。

 その後ろ姿を見送って、ほっと息を吐く。

(よかった……)

 少しでも休めれば良いと思うが、兄は自分の部屋には戻らないかもしれない。あれほど急いで帰還したのは、ノエリアのことだけが原因ではないだろう。

 だが、こうして兄の顔を見て、優しく抱きしめてもらったことで、ノエリアの心も先ほどより落ち着いていた。

 そうすると、ただ悲しいだけだったあの事件のことも、少しずつ理解することができるようになっていた。

 王太子ソルダに疎まれたのはノエリア個人ではなく、このネースティア公爵家ではないか。

 彼の態度や言葉から、ノエリアも日ごろから何となくそれを感じ取っていた。

このイースィ王国と、隣国のロイナン王国の両方の王家の血筋であり、膨大な資産と権力を持つネースティア公爵家。

 その娘であるノエリアを王太子妃にして公爵家を手中に収めようとした国王陛下とは違い、ソルダは公爵家のことを、王家を脅かす存在として敵視している。

 けれど、まさか冤罪で婚約破棄をするとは思わなかった。

 兄はノエリアのせいではないと言ってくれたが、誰よりも王太子に近い位置にいながら、彼の思惑を読み取れなかった自分に非がある。

 しかも、突然のことに対応しきれずに、逃げ帰ってしまったのだ。

(間違いなく、私のせいだわ)

 ノエリアは俯き、膝の上に置いた手を強く握りしめた。

 昔から、怒鳴り声や人の争う姿が嫌いだった。

 しかもただ嫌いなだけではなく、恐ろしくて震えてしまうほどである。

 特に男性の怒鳴り声には、ひどく怯えてしまう。

 どうやら幼い頃に何らかの事件に巻き込まれたことが原因らしいが、ノエリアは詳細を覚えていない。

 まだ小さかったから仕方がないと兄は言ってくれたが、今回も王太子の怒鳴り声がとても恐ろしくて、あの場から逃げ出すことしか考えられなくなっていた。

そんなノエリアの行動が、ネースティア公爵家の立場をさらに悪化させてしまったのは間違いない。

(お父様とお兄様に、謝罪しないと……)

ノエリアは立ち上がり、侍女が止めるのも聞かずに部屋を出て、兄の後を追った。

 広い廊下に、ノエリアの小柄な影が映る。

 いつのまにか太陽は沈み、広い廊下に置かれたランプには火が入れられていて、淡い光を放っていた。

 ふと視線を窓の外に移してみれば、ついさきほどまで赤く染まっていた空は、もう藍色に染まっている。

 この色が空を彩るのはほんの一瞬のことで、こうして見つめている間にも深い闇に変わっていく。

 夜風が窓枠を揺らし、かたかたと音を立てた。

 代々受け継がれてきたこの広大な屋敷は、外見こそ華やかだか、見えないところで少しずつ老朽化している。兄の代になれば、そろそろ建て直しが必要になるかもしれない。

 急ぎながらそんなことを考えていたノエリアは、ふと応接間から聞こえてきた声に、思わず足を止めた。

「断ることはできないのですか?」

 兄の声だった。

 普段は父も兄も温厚で、ノエリアの前で怒った姿を見せたことなど一度もないくらいだ。それなのに聞こえてきたその声には、隠し切れない苛立ちが含まれていた。

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