大地の支配者
第二章
春の月 アレンド王国周辺フィールド
揺れる漆黒の髪。内面を覗かせない深紅の瞳。そして、陽光を受けて輝く漆黒の翼。
前を歩く端正な顔立ちの少年を追いながら、私は思考を巡らせた。
-この男は、何者なのだろう。
カイリと名乗った少年に着いて行くことにしたが、カイリは一体何者なのか。魔王の存在を知っていたことから考えれば、王家の者であることになるだろう。しかし、どうしても背から広がる翼が気になった。人間に翼があるのは初めて見た。モンスターならば翼があるものもいるとクウマに聞いたが、この男がモンスターだということは有り得ないだろう。
「...あなた、空を飛べるの...?」
あまりに気になったため疑問を口にすると、カイリは立ち止まって振り向いた。
「どう思う?」
「え...?」
予想外の反応に戸惑った私を、カイリは真顔で見つめ、答えた。
「...ただの飾りだ。」
「......」
カイリの顔がどこか曇ったような気がして、それ以上は何も言えなかった。せめて。そう思い、私がカイリの隣に並ぶと、カイリはよく通る声で言った。
「......今日中に《萬緑の竜》を倒してもらう。」
「......今日中!?」
無理だ。私は稽古で木剣を振ったことしかないし、モンスターと戦ったことはもちろんない。今更ながらに魔王を倒すことなど夢物語だったのだと実感させられる。
「倒せ。アンタの意志、見せてみろよ。」
「意志......」
「そうだ。魔王を倒したいなら、その心意を示せ。それに、アンタが持ってるフォーマルハウトじゃ、魔王にかすり傷さえ付けられない。萬緑の竜から採取できる素材で、一段上の剣を作る。」
強くしてやる。カイリはそう言った。魔王を倒したいなら、救いたいなら、私が己を鼓舞しなくてはならない。このチャンスを、逃すわけにはいかない。
「解った。竜と戦うわ。あなたに心意を示してみせる。」
私の答えに満足したのか、カイリは唇を吊り上げた。
「じゃ、早速行くぞ。」
「望むところよ。」
私はカイリの隣を駆け足で追いかけた。
アレンド王国周辺フィールド東
風に靡く金色の髪。世界を優しく映す新緑の瞳。
隣を歩く黄金の輝きを視界に入れながら、カイリは自問を繰り返していた。
-何故、魔王のところに案内すると告げたのか。
無論のこと、カイリが魔王本人だ。魔王が魔王のところに案内するのは常識的にもおかしい。今までカイリの討伐を試みた兵士たちは、自己優先的だった。カイリの事情を知ろうとした者など、誰一人としていなかった。だからだろうか。少女がカイリを救いたいと言った時、面白いと思った。この少女に倒されるなら、本望だと思った。カイリはいつも、殺してほしい、死にたいと願っているのに、自分のことを何も解っていない奴らに殺されるのは嫌だと思っていた。故に、兵士たちに軽傷や重傷を負わせ、返り討ちにしてきたのだ。カイリと戦った者は、その戦闘のショックからカイリの姿を忘れる。だから、この三百年間生気を吸い続けられた。兵士たちと戦ったのも、生気の調達にちょうどいいと思ったからだ。この少女を強くし、カイリを倒してもらう。勿論、カイリも本気で戦うつもりだ。殺してほしいからといって手加減はしない。本気で戦い、カイリが勝ったなら、また新たな人が現れるのを待つ。それだけだ。少女の実力がどれほどなのかは判らない。育てがいがあればいいが。
意識を戻すと、あと一キロ程で萬緑の竜の巣に着くところだった。巣はフィールド東部の森林の最北にある。萬緑の竜は沢山いるため、巣も一つではない。どこでもいいが、巣に潜り込み戦う。そして竜の角を採取する。簡単なミッションだ。隣を見ると、少女が張り詰めた表情で周囲を見渡していた。この少女が竜に負ければ、それまでだ。
そこで、ふと気になった。この少女は何者なのだろう。アレンド王国の騎士しか持っていないフォーマルハウトを持っているのだから、アレンド王国の騎士なのだろうか。しかし、それにしては防具が軽装過ぎないか。薄手のドレス一枚とは、魔王を甘く見ているのか。だが、おかしな点がいくつもある。そもそも騎士が一人で魔王を倒そうとするだろうか。フィールドで一人途方に暮れていた様子から考えれば、騎士である可能性は低いと思われる。そういえば、カイリはこの少女の名を聞いていない。
「あそこの巣でいいかしら?」
名を聞こうと口を開きかけたカイリだったが、少女の疑問に遮られた。少女が指さすのは、平均並みの大きさの巣だった。
「ああ、行こう。」
今は少女の実力を見ることが最優先だ。カイリは少女の前に行き、巣に入った。
萬緑の竜 巣穴
「大丈夫かな...」
私は前を行くカイリに声をかけた。しかし、カイリはスタスタと進んでいく。慌てて後を追いながらも、不安が胸中に染み付く。私に倒せるだろうか。カイリに自信満々な返事をしてしまったが、萬緑の竜は大地を支配していると言われている。王国騎士の数名が戦ったことがあるそうだが、かなりの激戦だったそうだ。剣技初心者の私が勝てるだろうか。
「心意を強く持て。」
ふと、今まで言葉を発しなかったカイリが歩きながら言った。
「どれほど強い相手でも、勝てると信じれば勝てる。己の心意を相手よりも強く持つんだ。」
心意。さっきもカイリはそう言った。心意を強く持てば勝てるのか。そんなことで、強くなることができるのか。
「だが、怒りや憎悪などの歪んだ感情の心意を持てば、簡単に負ける。」
「じゃあ、何を込めるの...?」
反射的に問うと、カイリは振り返り、言った。
「それはアンタが見つけろ。大切なものは、自分の中にある。」
「自分の...中.......」
「着いたぞ。アンタの力、見せてみろ。」
カイリの言葉に顔を上げると、巣の最奥に着いたようだ。生い茂る木々の中央に一際大きな岩柱があり、その上に全長二十メートルはあると思われる緑の竜の姿があった。あれが、萬緑の竜だ。幸いにも眠っているようで、不意打ちが可能だ。身体は若葉色の鱗に包まれ、顔の方向に色が薄くなっている。そして、最も目を引くのは角だ。深緑の輝きを帯びた角は、木々の隙間から差し込む陽光を受けて輝いている。
「俺はここで見てる。タイミングはアンタが決めろ。」
「うん...」
圧倒的な存在感に怯みながらも、足を前に動かす。左腰のフォーマルハウトに手を添えながら、横たわる竜に近づく。竜まで僅か十五メートル。鞘から長剣を抜いた時だった。竜の両目がパチっと開き、私を真っ直ぐに見た。エメラルドグリーンの瞳が鋭く光り-
バアアアアアッと轟音が鳴り響いた時には、私はその場にしゃがみこんでいた。木々が揺れ、散った葉たちが、鋭利な刃へと変化したのだ。深緑の刃は私の体に無数の傷をつけた。ほとんどが軽傷だったが、一つだけ右足に深く突き刺さり、鮮血が垂れる。
痛い。
自分の足から流れ出る深紅の液体を見ながら、私は震える手で長剣を握り直した。私は王女だ。しかしそれ故に、こんな傷を負ったことはなかった。王国騎士や衛士の者は、いつもこんな痛みを感じていたのか。いや、こんなのは序の口だ。騎士たちの中には腕や足を失った者、命を落とした者もいる。
-ならば。
立たなければ。王女たる私が、こんな傷で怯んではいけない。騎士たちの傷に比べればかすり傷だ。私は剣を地面に突き刺し、それに体重をかけて立ち上がった。もう、一切の震えはなかった。同じく新緑の瞳で竜の目を見る。竜は状態を起こすと、雄叫びを放った。空気が震え、大地が揺れる。それに呼応して私も走り出す。狙うのは首。一発で落とす。両手でフォーマルハウトを右斜め下に構える。私は勢いよく跳ぶと、斜め下から竜の首目掛けて剣を閃かせた。
「ハアアアアアッ!!」
両手剣用斜め切り技。《風雪斬》。
間合いは完璧。当たれば首を落とせる。私はそう確信した。しかし。
ガアアンッという音と共に、硬い衝撃が両手を走った。長剣が捉えたのは竜の首ではなく、横幅二メートル程の大岩だった。岩と剣の接合点からは火花が散り、私は衝撃に耐え切れずに後方に吹き飛んだ。広葉樹に背中をぶつけ、地面に落下する。顔を上げると、竜がこちらを静かに見ていた。私はようやく理解した。萬緑の竜は、自然を全て操るのだ。さっきの大岩も竜が操ったのだろう。おそらく、自然を操るだけが能力ではないはずだ。甘く見ていた。これでは剣は届かない。竜が再度雄叫びを放つと、エメラルドグリーンの瞳がオレンジに変わった。と同時に、地面に咲いていた花たちがその身を伸ばした。花々が茎で私の足を絡めとる。
「なっ!?」
驚愕していると腕も絡め取られ、拘束状態に陥った。フォーマルハウトは別の花に絡め取られ、私から離れていく。花は徐々に強度を増して私を拘束し、足や腕がちぎれそうになる。最初に負った深緑の刃による傷口から再び血が滴り、他の箇所からも鮮血が漏れる。竜が口を大きく開き、そこに若葉色の粒子が生まれる。ビームか。やはり、自然を操るだけが能力ではなかったのだ。粒子はだんだんと光を増していく。何かしなければ。まともに喰らえば重症だ。しかし、どうする。フォーマルハウトは使えない。到底私を拘束する茎を断ち切ることはできない。どうすれば。どうすればいいのか。
「剣技が全てじゃないぞ。」
後方で声が聞こえ我に返った。カイリだ。見ているだけだと思っていたのに。
剣技が全てじゃない。ならば、他に何があるというのか。竜の技は魔法だ。魔法に対抗するには-
魔法。
そうだ。魔法だ。城のお堀に橋を下ろしたように、私は基本の魔法ならば使える。花の拘束から脱するには、火だ。切れないのならば、焼けばいい。拘束されている右手の人差し指を伸ばし、攻撃術式を唱える。
「フローガ・カノン!!」
人差し指から炎の柱が上がり、火の粉が散った。たちまち炎は花や木に燃え移り、当たりを真っ赤に染める。私を拘束していた花も焼け、拘束から解放された。解放された瞬間に竜の口から深緑のビームが放たれた。
-避けられない!
私が敗北を確信したその時。
「スコプルス」
背後で透き通るような声が聞こえ、黒い影が私と深緑の輝きの間に割って入った。次の瞬間、轟音と共に凄まじい突風が吹き荒れた。思わず目を閉じ、右腕を顔の前にやる。突風の中、僅かに瞼を持ち上げると、目の前でカイリが黒革のコートをはためかせていた。カイリの前には紺碧の波紋が広がり、その向こう側で深緑の輝きが停止している。つまり、カイリが竜のビームを防いだのだ。紺碧の波紋は防御魔法か。これほどの魔法は王女の私も見たことがなかった。やがて深緑の輝きは薄れ、跡形もなく消え去った。
「すごい......」
私が感嘆の声を漏らすと、カイリは振り向き、短く言い放った。
「下がれ。」
「え...」
その刹那。カイリの右手に漆黒の長剣が現れ、黒い竜巻の如くカイリは竜に突っ込んでいった。再びの突風に私は目を閉じ、開いた時に見たのは、音もなく地面に転がった萬緑の竜の首だった。