姫宮(晴明視点)
ああ、夢だ。
いつもの、あの夢だ。
目が覚めてすぐにそう思った。
霊力を巡らせる。周囲を確認する。
無意識に行ういつもの行動。
そうしながら、ふと気付いた。
いつもはただ闇雲に母を探して走り回るだけの夢なのに、今日はあのあとのやりとりまで夢に見た。
久しぶりにあの方の夢を見た。
――もしや、『予兆』か?
私は陰明師をしている。
千年前にこの世に生を受け、死んでは転生してを繰り返し、今生は十回目の人生だ。
それなりに霊力量も多いし、実力もある。
その私が『視る』夢となると、ただの『夢』とも言えないことが多い。
予知。予兆。先見。
そんなものが『夢』として現れる。
ふと、『予感』があった。
もしかして。
あの方に会えるのか?
あの方。
役立たずの小汚い子狐を抱きしめてくれた人。
姫宮。
千年前。母の正体を『視て』しまい、母を失った。
そのまま闇雲に母を探し、『魔』に堕ちる寸前であの方に救われた。
目が覚めたら家だった。
あの方との出会いも、母のことも夢かと思ったが、首から下がる袋が「現実にあったことだ」と示していた。
私が選んだのは、人間の世界だった。
成長してどちらの世界とも関わるようになれば、人間の世界にいてもいつか母に会えるかもしれない。
この人間の世界にはあの方がいる。
いつかあの方に再び出会い、恩返しがしたい。
そう思った。
幼かった自分でもわかった。
あのとき、あのままだったら、私は『魔』に堕ちていた。
自我は薄れ、ただ滅ぼすだけのモノに成っていた。
そうしておそらくそのまま『禍』に成り、悪しき『場』に成っていた。
それを救っていただいた。
ココロも救われた。
私はあの方に『恩』がある。
人間の世界で、いつかあの方に恩返しをしよう。
そう、思った。
それから私を厭うた父に知り合いの陰明師に預けられた。
小僧としてそこで雑用をしていた。
主人の外出の折、たまたま妖魔の行列にでくわしたので報告したら気に入られて弟子になった。
そうして陰明師として修行し、安倍晴明と名乗り、独り立ちした。
気を許せる友人ができた。
妻を、子を得た。
あの方の言ったとおり、生きてさえいれば、信じられないような奇跡が起こるのだと思った。
そのくらい、あのころには考えられない、おだやかでしあわせな日々を過ごしていた。
三十代になり、そこそこ名の知れた陰明師になった私に、ある依頼が来た。
伊勢の斎宮の選定に関わる話だった。
候補となる王家の姫に『不吉』の卦がでているという。
このまま伊勢に下らせていいものか、別の姫に斎宮を変更したほうがいいのか。
内裏の裏で騒ぎになっているという。
「ともかく会って『視て』みましょう」と、その姫の住まう館に出向いた。
まだ五歳だという姫は御簾の向こうにおられた。
側仕えの皆様の話を聞いていたその時。
御簾の向こうから話し声が聞こえた。
「あの子狐が立派になったものだな」
「子狐?」
「覚えておられませんか? 姫。
三十年ほど前に、ススキの中で『魔』に堕ちる寸前の狐の小僧を助けたでしょう」
「――ああ。そういえば」
「え? この方が、あの?」
「――ホントだ! まあ、ご立派になられて…!」
「よかったですね姫」
「ほんとに」
「―――!」
姫と男の会話は、私以外に聞こえていないようだった。
それをいいことに二人は好き勝手におしゃべりをしていた。
三十年前。子狐。ススキ。
それは。
それを知っているのは。
声が震えるのをなんとか抑え、側仕え達にお願いした。
「姫宮と、ふたりだけにしていただけないでしょうか」
「『先見』に必要なのです」と言えば側仕え達はしぶしぶながらも応じてくれた。
それでも姫宮と男をふたりきりにするわけにはと姿の見える廊下で侍った。
それで十分とこちらも了承し、遮音結界を張る。
姫宮が結界に反応したのがわかった。
「――お久しぶりです」
私の言葉に、御簾の向こうの空気がピシリと張り詰めた。
「その節はお世話になりました」
ニヤリと笑みがこぼれた。
御簾の向こうで絶句した気配がした。
時間停止の結界を展開して、姫宮が御簾から出てきた。
肩に黒い亀を乗せた、五歳の少女がそこにいた。
私の前に座り「え、ええと」とオロオロする姫宮に挨拶をし事情を聞く。
遥か昔に異世界から『落ちて』きた落人だということ。
転生を繰り返していること。
異世界にいたときからの守り役である亀と共に『災禍』と呼ばれるモノを追っていること。
「私が王家にいては、皆に迷惑がかかります」
ただでさえ高霊力保持者の周囲には様々なモノが寄ってくる。
善いモノも、悪いモノも。
共に過ごす者達を危険にさらしたくない。
『災禍』を追う責務もある。
だから王家を出たいのだと、今回の斎宮選出はうってつけなのだと姫宮は話す。
「伊勢に下る途中で妖魔に襲われて喰われたことにしようと思うのです。
妖魔相手なら、誰も罰せられないと思うのです」
生真面目にそう言う姫宮にくらりと頭痛がした。
「そんなわけないだろう」「斎宮はどうするのか」「選定した関係者は罰せられるに違いない」
そう叩きつけるように言ったら、姫宮は明らかに衝撃を受けて落ち込んだ。
守り役と紹介された黒い亀がこれにあわてた。
「ならばお前、協力しろ」
「私が?」
「先程姫に『恩がある』と言っただろう。その『恩』を返せ」
守り役は策を講じた。
「姫宮には確かに『不吉』の卦がある」
「伊勢に下る途中で妖魔に襲われる」
「だが姫宮が妖魔に襲われ生命を捧げることで、王家が、ひいてはこの国が救われる」
「だから姫宮を伊勢に向かわせろ」
「その上で、次に向かう斎宮候補の選出を進めろ」
そういう『先見』をしろと守り役が強要してくる。
「――条件があります」
「なんだ」
「私も伊勢に下るのに同行します。
私の幻術で妖魔に喰われたように見せましょう」
「いいだろう」
「その後、そのままお二人に協力します」
「「は……、はあああああ!?」」
「私が受けた『恩』は、そんな今回の一件だけで返せるようなものではありません。
『恩を返せ』とおっしゃるなら、きっちりかっきり受け取ってもらわねば」
そうしてうっかり者の主従に協力することを誓約し、側仕え達には守り役の言うとおりの言葉を告げた。
伊勢に下る一行にも同行し、見事姫宮を妖魔に喰われたように見せた。
何故か私の陰明師としての評価が上がった。
その後は我が家を拠点としていただき、必要物資を渡したり困り事の相談に乗ったりした。
交流する中で転移術を教わったり、逆に私が陰明術を教えたりした。
そうして姫宮は十七歳で亡くなった。
「また転生されるのですか?」
「ああ。それまで私は休眠する。元気でな晴明」
「……転生されたらご一報ください。まだ『恩』は返しきれておりません」
「わかったわかった。じゃあな」
そう言って守り役と別れた。
きっと守り役も姫宮も、転生したときには私が死んでいないと思っていたのだろう。
当時の平均年齢を考えるとあり得ることだった。
だから五年後、顔を出した守り役の第一声は「お前まだ生きていたのか!」だった。
あれから五年しか経っていないことに亀は驚いていた。
たまたますぐに転生したらしい。
すぐさま姫宮を迎えに行って、怒られた。
「赤ん坊が生まれたばかりの家に行ってやることか!」
それでもしつこく付きまとい、支援をした。
「もういいです! もう十分です!」と何度も言われたが構わず世話をした。
そうしてまた死に別れた。
八年後。七十歳を超えてまだ生きている私に姫宮も守り役も唖然とした。
「エラいモノを助けてしまった」
守り役がぼそりとつぶやいた。
「ちょっと協力してもいたいことがあるんです」
ある日姫宮にそう言われた。
「とある術式を研究していて、実際使えるか実験台になってほしい」と。
姫宮が『お願い』してきたのは、あの斎宮選定の一件以来初めてのことだった。
だから私は何も考えず了承した。
「生命にも霊力にも問題はないはずです」
「なんの術ですか?」
「記憶に関する術です」
「―――え?」
――――――
私は幼いころ母親を亡くし。師匠のところに小僧として入り。妖魔の行列を『視た』ことで陰明師の修行を始め、それなりに知られる陰明師になった。
ずいぶん長生きしたが、それももうそろそろおしまいのようだ。
真っ暗闇の中、目の前には大きな門がある。
何故かその門だけは明るく、はっきりと見えた。
「えーと、安倍晴明さん、ですね」
名を呼ばれ顔を向けると、官僚のお仕着せを来た男が一人立っていた。
「貴方、もう数年寿命が残っていますよ。
また改めてお迎えに行きますので、今日のところはお引き取りください」
「……ここは、どこですか?」
「冥府の入口です」
目の前の男はあっさりと答えた。
「貴方様は?」
「冥府の役人です」
どうやら私は霊魂の状態で冥府の入口まで来てしまったらしい。
「お帰りはあちらです」と指し示される。
「ご迷惑をおかけしました」
「いえいえ。では数年後。――おや?」
辞去しようとした私を役人が見とがめる。
「貴方、なにか術がかかってますよ?」
取りますか? と問われ、よくわからないながらもお願いする。
彼が私のすぐ目の前でパンと手を打った。
その途端。
―――思い出した!!
「――あの二人――!」
ギリ、と歯ぎしりがもれる。
今の今まですっかり忘れていた。
おそらく記憶を封じられていた。
あの方の記憶を。
おそらくは私を関わらせないため。
いつもそうだ。あのやさしい方は私を遠ざけようとする。
自分達の責務に私を関わらせまいとする。
おそらくは、私を守るために。
もうあの頃の役立たずの子狐ではないのに。
いつでもあの方は私を守ろうとする。迷惑をかけまいとする。
だから私の記憶を封じた。
自分達に関することだけを封じた。
「どうされました?」
ひとりわなわなと怒りに震える私に役人が声をかけてくれた。
怒りにまかせて彼に事情を聞いてもらった。
「あー。あの方とお知り合いですかー」
「ご存じなのですか?」
問うと役人は「ええ。まあ」とうなずいた。
「あの方達はねー。特殊で困ってるんですよー。
『呪い』のせいで通常の手続きが効かないし。
あの『災禍』もねー。あれのおかげでいろいろ面倒なことになって、困るんですよねー」
「『運命』や『宿命』が無理矢理捻じ曲げられる」とか「流れが」とか、なにやらいろいろ言っていたが、どうやら冥府でも姫宮が追っている『災禍』は知られた存在らしい。
「――これも何かの『ご縁』ですかね…」
役人はそうつぶやき「ちょっとここで待っていてくれ」と私を置いてどこかに行った。
しばらく待たされてやっと戻ってきたときには、役人が三人になっていた。
「こちら私の上司です」
役人の上司と、そのまた上司だと紹介される。
そして彼らは彼らの事情を語った。
『災禍』の存在について。
『災禍』によって捻じ曲げられた運命のために死ぬはずのなかった人間まで死んだり、逆に死ぬはずだった人間が長生きしたりと『理』がめちゃくちゃになること。
その後始末やら修正やらで、役人達は毎度毎度大変なこと。
どうやらあの『災禍』は、これまでも多くの『世界』を渡り歩いてきたらしい。
いい加減どこかの違う『世界』に行ってもらいたいが、冥府の役人が現世に関わることは禁じられている。
時空の穴を空けて『災禍』を「ぽいっ」としたくてもできない。
その『世界』に『願い』を持つモノがいなくなったり、『災禍』自身に危険が及ぶ事態になれば違う『世界』に移動するらしいのだが、そんな手段を取ることこそするわけにはいかない。
だからこそ『災禍』の存在を唯一認識していて、転生を繰り返しながら追っている姫達に期待をしているという。
「貴方は先ほどおっしゃいました。
『救ってくれた姫宮に恩返しをしたい』
『姫宮を支援したい』
間違いございませんか?」
「間違いございません」
即答する私に、役人達はなおも問いかけてきた。
「――もしも。もしも、ですが」
「貴方も記憶を持ったまま生まれ変わったとしたら、どうしますか?
生まれ変わっても、姫を助けますか?」
「もちろんです」
「何百年も、何千年もかかりますよ?」
「関係ありません」
断言する私を、役人達は真意を計るようにじっと見つめてきた。
納得してもらうために言葉を重ねた。
「私は、姫宮に救われました。
あの時あの場に姫宮がいらっしゃらなかったら、私のその後の『しあわせ』はありませんでした。
母に再会しました。
かけがえのない友と出会いました。
人を愛することを知りました。愛されるしあわせを知りました。
親になる喜びを知りました。子供の成長を見守る楽しさを知りました。
なにもかも、姫宮があの時救ってくださったおかげです。
その『恩』を返すためならば、何百年でも、何千年でも、姫宮につきあいます」
三人の役人はお互いに目配せをしてうなずいた。
「――ここからは、私達三人の話なので。気にしないでくださいね」
突然何を言い出したのかと取りあえず様子を見ていると、三人は大きな声で、私によく聞こえるように、私にわかりやすく話はじめた。
「あー。あの『災禍』っての、どうにかなりませんかねー」
「異世界から『落ちて』きた姫達ががんばっているけれど、長期的に手助けする存在がいてくれたら助かるよなー」
「でも『神』も『神使』もそれぞれ仕事があって手出しできないしなー」
「人間で、長期的に支援する家がいるよなー」
「いっそ同じ家に記憶をもったまま転生してくれたらいいですよねー」
「そんな方法、ありますかー?」
「あるある! 転生の呪法。霊力多い人間なら多分使えるよ!」
「えー! どんな方法なんですかー!」
演技の良し悪しはともかくとして。
そうして、私は自分の子孫に記憶を持ったまま転生する術を知った。
冥府の役人に別れを告げ、現世に戻った私は早速その術を実行した。
数十年後。
「なんでお前まで転生してるんだ!」
再会した守り役は怒り、姫宮は頭を抱えてへたり込んだ。
それから何度も何度も生まれ変わり、姫宮達を支援している。
『恩』を返そうとしているのに、なんだかんだ世話になることもあり『恩』が重なり、いまだに『恩』を返し切れていない。
現在私は十回目の人生。高校一年生になる。
今再会している姫は西の姫だけ。
守り役は西の守り役と南の守り役だけ。
西の姫によると、現在他の姫も三人とも転生していて、全員西の姫と同い年だという。
だが、三人は記憶を封じられているから、私は再会できていない。
今朝のあの夢はもしや、姫宮との再会を予兆しているのか?
柄にもなくココロが浮き立つのを感じながら朝食をとり、学校へ行く。
夕方、御池の弁護士事務所で仕事をしていると、式神が一体飛んで来た。
私は数体の式神を使い、常に市内を巡回し探索させている。
なにか異変があったときにいち早く気付けるように。いち早く駆け付けられるように。
そして、姫宮を見つけられるように。
「主座様! 見つけました!」
その様子に、その言葉に「やはりあれは予兆だったか!」と心の内で喝采をあげる。
浮き立つココロをなんとか隠し「詳細報告」と短く告げると、式神は喜びを隠すことなく叫んだ。
「リカ様を――奥方様を、見つけました!」
………そっち!?
『災禍』や姫達については『紅蘭燃ゆ』→『戦国 霊玉守護者顚末奇譚』をお読みくださいませ。