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愚かな子狐(晴明視点)

 ああ、夢だ。

 いつもの、あの夢だ。


 一面ススキが広がる野原。

 風がススキの穂を揺らす。

 波が寄せては返すように。


 白銀の海原を進むのは、一匹の子狐。

 その身の霊力を噴き出し、ただ闇雲に彷徨(さまよ)っている。


「ははうえ」

「ははうえ。どこ?」


 泣きながら母を求めて彷徨(さまよ)う子狐。


 愚かな子供。

 己のせいで、母を失った。



 平和だった。しあわせだった。

 立派な父と、優しく美しい母に包まれて、何も考えないただの子供でいた。


 何故こんな山奥で暮らしているのか、何故両親以外の人間に会わないのか、そんなことひとつも疑問に思うこともない、ただの子供だった。


 陰明師の父に様々なことを教わった。

 母の愛情に包まれていた。

 今にして思えば幸福で奇跡のような日々。

 それを当たり前のことと、当然のことと受け止めていた。


 愚かな子供。




 物心つく前からいろいろなモノが視えた。

 陰明師の父は「素質がある」と喜び、喜ぶ父に母も喜んだ。


 だから、『視る』ことが悪いことだと、思わなかった。


「ははうえは、きつねなの?」

 だから、何も考えず、『視た』ままを口にした。



 父に惚れた母が、結ばれるために人間に变化しているなんて、知らなかった。

 父と暮らすために『誓約』を課しているなんて、知らなかった。

『正体を見破られたらヒトの世界にいられなくなる』なんて、知らなかった。


 母はみるみるうちに白狐に姿を変えた。


「ごめんね」


 止める間もなく、大きな白狐はつむじ風のように私の前から姿を消した。



 帰宅した父に殴られた。

「何故そんなことを口にした!」

 父は母を呼びながら家を飛び出した。

 母を探しに行ったのだとわかった。


 私もいかなきゃ。

 ははうえをさがさなきゃ。


「ははうえ」


「ははうえ」


 呼んでも呼んでも応えはない。


 あちこち探した。闇雲に探し回った。

「ははうえ」

「ははうえ」


 どこを探しても、どこまで行っても母はいなかった。


 白い狐だから白い場所に隠れているのではないかと、ススキの海原に行き、探し回った。


「ははうえ」

「ははうえ」


「ごめんなさいははうえ」

「わたしがわるかったです」

「だから、かえってきて」

「ははうえ」

「ははうえ」



 こんなときなのに風に乗ってどこかで誰かが噂をしているのが聞こえてくる。


「葛之葉の息子が母親の正体を言い当てたそうだよ」

「愚かな子供だ。黙っていれば」

「役立たずの子狐」


 わたしがおろかだったからははうえはいなくなった。


 わたしがだめなこだったからははうえはいなくなった。


 わたしのせいで。


 わたしは。


 わたしは。


 わたしは、わたしが、ゆるせない。



 ゴ! と霊力が立ち上がる!

 己の身を壊そうとするが、同じ威力で勝手に己の身を守ってしまう。


 相反する二つのチカラが己の身を変えようとする。

 黒く染まっていく。(よど)んでいく。



「ははうえ」


 呼んでも答えは返ってこない。


「ははうえ」


 手を伸ばしても誰も応えてくれない。


 さみしい。かなしい。くるしい。

 こんな世界、いらない。

 ははうえのいない世界なんて、いらない。


 ゴ。

 カラダがこわれる。

 ビシビシとひび割れるような。カラダの中からナニカ出てくるような。

 黒いナニカはわたしのカラダを(むしば)み作り変えていく。


「ははうえ」

 いたいよう。くるしいよう。さみしいよう。

 よしよしってなでて。

 ぎゅうってだっこして。


 なんでははうえはいないの?

 なんでわたしはひとりなの?

 わたしがわるいこだから?

 わたしが役立たずの狐だから?


 わたしは ははうえに すてられたの?



 ゴオォッ!!

 身体から黒い渦が噴き出した!

 渦は子狐を取り囲み包み込む。

 ムクムクと身体が大きくなる。

 尻尾は三本に増え、黒い炎のよう。

 ゾワリと逆立つ毛も黒。

 手の先には鋭い爪が伸びていく。

 ギリ、と食いしばった歯も鋭く伸びていく。


 黒々とした霊力が辺りを枯らしていく。

 じわりと毒が広がるように、狐を中心に円状に枯れ地が広がっていく。


「ははうえ」

 低くしわがれた声。

 こんなわたしではははうえはわたしとわかってくれないかもしれない。


 ああ、でも、もう手遅れなんだ。

 わたしが余計なことをしたから。

 もうははうえは帰ってこないんだ。


 それなら。

 それなら、こんな世界、いらない。


 いらない!


 バチバチ! バチィッ!!

 雷撃が周囲で爆ぜる!

 身体の中にもその雷撃が溜まっていく。

 コレを吐き出せば世界をこわせる。

 コレを、吐き出せば!


 ド、と吐き出そうとした瞬間。


 キィン!


 ナニカに縛られた。



 私を縛ったナニカはよしよしと頭を、背中をなでてくれた。

 結界に縛られた私の周囲を取り巻いていたあの方の霊力がただ(ただよ)っていただけだと今ならわかる。

 でもそのときは、誰かがあたたかい手でやさしくなでてくれていると、そう、思った。


 ははうえがなでてくれていると、思った。


 よしよし。となでられると、スルリと黒いモノが剥げ落ちる。

 よしよし。となでられると、スルリと雷撃が消えていく。


 よしよし。と。

 いい子いい子。と。

 あたたかくやさしいその手はどこまでもやさしくてあたたかくて、ほろりと涙が出た。


 そのとき笛の音が耳に入ってきた。

 やさしい音。ははうえの声のような。ははうえの歌のような。


 ボロボロボロッと涙が落ちるのと一緒に、カラダを取り巻いていた黒いモノがボロボロボロッと剥げ落ちた。

 爪も歯もスルスルと元の長さに戻り、尻尾も一本に戻った。


「わああああぁん!!」


 わんわん泣いた。

 泣いただけ私を作り変えていたモノは崩れ落ちた。


「わああああぁん!!」


 泣いている間もずっとあたたかい手がなでてくれていた。

 やさしい笛の音が歌ってくれていた。



 そうしているうちに、狐の姿から人間の子供に耳と尻尾がはえた状態になった。


 泣いて泣いて泣き疲れ、クスンクスンと鼻を鳴らしてうずくまっていると、目の前に誰かがいることに気がついた。


 その人はそっと頭をなでてくれた。


 何も言わず、ただただ頭をなでてくれた。


 それがとても気持ちよくて、とても安心して、また涙が出た。



「――かなしくても、つらくても、くるしくても、生きていかないといけない」


 頭をなでられながら、そんな声が聞こえた。


「あなたは、生きているのだから」


 やさしい声。女の人の声。

 どんな人が言っているのか気になって、のろりと頭を動かした。


 穏やかに微笑みを浮かべるおねえさんが、そこにいた。

 やさしい目をして座っていた。


 キラキラと光る黄金の天冠。若竹色の袴と同色の千早。領巾(ひれ)がふわりと広がっている。

 両親以外で初めて会った人間だった。


 顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃ。身体もあちこち草まみれの泥だらけの小汚い子供に、その人は両手を差し出した。

「抱っこしてもいい?」


 のろりとその人の膝の上に乗ると、ぎゅうっと抱きしめてくれた。

 よしよしと頭を、背中をなでてくれた。


 ははうえみたいに。


「――ははうえぇぇ」

 またぼろぼろ泣いた。

 抱きついて鼻水を垂らす小汚い子供を、それでもその人は抱きしめてくれた。


 ようやく落ち着いたころ「どうしたの?」と聞かれた。

 だから、答えた。

 母の正体を見破ったこと。母がいなくなったこと。


「――そう――。さみしいね…」

 痛そうにそう言われて、また泣いた。

 そんな私に、その人は言った。



「『生きている限りは、生きる努力をしなければならない』」

「『それが、生きる者の勤め』」



「――『勤め』――」

「なんですって」

 いたずらっ子のようにクスリと微笑んで、その人は言った。


「私の夫がそう教えてくれたの」

 しあわせそうな微笑みだった。


「こんな私でも、信じられないくらい『しあわせ』な時間を得ることができた。

 生きていれば、生きてさえいれば、時々信じられないような奇跡が起こることがあるのよ」


「だから、『生きている限りは、生きる努力をしなければならない』」


 ただぼーっとする私の頭をよしよしとなでながら、その人は続けた。


「今は世界をこわしたいくらい苦しいかもしれない。かなしいかもしれない。

 でも、生きてさえいれば、あなたにも素晴らしい出会いがきっとある。

 生きてさえいれば、きっと『生きててよかったなあ』って思える瞬間が、きっとある」


 ただじっとその人を見つめる私が『信じていない』と思ったのか、その人は自信満々ににっこりと笑った。


「私にだってあったのだもの。きっとあなたにもあるわ」


 その顔があまりにもしあわせそうで。

 その笑顔に何故か『この人の言う通りかも』と思われて。

 私はうなずいた。


 その人はそんな私におだやかに微笑んだ。


「今のあなたは、人間(ひと)と妖魔のあいだに立っている」

 私を膝の上に乗せたまま、その人は説明してくれた。


「今のあなたは、人間(ひと)と妖魔、どちらの世界で生きるか選べる」


「もちろんどちらにも行き来することはできるけれど。生活基盤をどちらにするかは決めておいたほうがいいと思うの」


 どっちがいい? と聞かれ、考えた。

 妖魔の世界を選べば、ははうえと生きることもできるだろうか。

「そうかもね」


 人間(ひと)の世界を選べば、私はどうなるのだろう。

「それは誰にもわからない」

「あなたがこれからどう生きたいか、なにをしたいかによって変わってくると思う」


 その人は「こうしろ」とは決して言わなかった。

「私が決めればいい」と、ただ抱きしめてなでてくれた。


「これ、あげる」

 そう言って、ちいさな丸い透明な石をくれた。

「封印石。あなたが選んだ世界の姿になれるように、選ばなかった世界の姿を封じる石よ」

 これを握って「こちらの世界で生きる」とココロにおもうだけで、ふさわしい姿になるという。


「そんなに強い封印じゃないから。

 大きくなって霊力操作ができるようになったら、どちらの姿も自在にとれるようになると思う」


 そうしてどこからか出した袋にその石を入れ、私の首に袋の紐をかけてくれた。



「帰るところはある?」

 そうたずねられ、うなずいた。

「帰る? それとも、帰りたくない?」


 しばらくぼーっとして考えた。

「帰る」というと、その人は「わかった」と立ち上がった。


 私を抱いたまま、私の指し示す方向に進むおねえさん。

 知らない歌を口ずさみながら、夕焼けの中を進んだ。

 やさしい歌とゆらゆら揺れる心地よさに、いつの間にか私は眠っていた。

おねえさんについては『助けた亀がくれた妻』をお読みくださいませ。


この子は気付きませんでしたが、肩に黒い亀がいました。

おねえさんは常に結界をまとっていますが、自分の意思で触れようと思った相手には『承認』がなくても触れられます。

暴れているときの「よしよしして」「だっこして」という思念を感じ取っていたので抱っこしてよしよししました。

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