魔王と同志
応援よろしくね!と軽い感じで締めくくった彼女が壇上から姿を消すと続く人間は現れず、どうやら今回の告知はこれで終わりの様だった。
銘々に帰路に就く人の流れに従って私も広場を離れる。
当初は予定を済ませた後はすぐ家に戻りこの力のことを確認しようと思っていたが予定を変更して門とは別の方向に足を向けた。
中心部かつ大通りにもほど近い、町でも一等地と言って過言ではない住宅地に目的地は存在する。
足早に一軒の住宅の前にたどり着くとノッカーを鳴らした。
「ハイディ、戻ってる?」
そのまま呼びかけると扉の奥から応答がある。
「カヤ?手が離せないからそのまま入っていいわよ」
「失礼するわね」
扉を開けて屋内に足を踏み入れると油のツンとした匂いが鼻を刺す。
玄関を抜け室内に入ると壁一面に所狭しと飾られた絵画、そんな部屋の中心でキャンバスに向かい筆を振るう赤毛の女性の姿が目に入った。
「今いいところだからちょっと待ってて」
彼女はこちらに目を向けることなく一心不乱に絵筆を走らせる。
この様子ではもう少し時間がかかりそうだ。
「お茶でも入れる?」
「お願いするわ」
家主と客人という立場から考えれば本来は真逆であろうやり取りをして台所に向かう。
昨日までと比べ格段に扱いやすくなった魔法でお湯を沸かすと戸棚から紅茶の茶葉を取り出す。
そしてポットとカップを用意して温めるとポットに茶葉を入れてお湯を注ぎ蒸らす。
少し蒸らしたらスプーンで一混ぜしてカップに回し注いでいく。
彼女と出会うまでは紅茶など入れ方を知るどころか飲んだことすらなかったのに、この一年ですっかりと手順が身についてしまった。
二人分の紅茶を用意すると部屋に戻る。
すると彼女も丁度一息ついたようだった。
「淹れてきたよ」
「ありがと、こっちも一段落したわ」
よほど集中していたのか髪と同じく赤い瞳のあたりを揉み解しながら彼女がこちらに向き直る。
釣り目がちで気の強そうな(・・・実際その印象通りの性格だが)顔には頬に絵の具が一筋。
同じく汚れたエプロンに包まれた断崖絶壁は先日会った時から変わらない様相で微塵の隆起もない。
「今人の胸見て失礼なこと考えなかった!?」
「メッソウモナイ」
こちらの視線の動きを見て取ったのだろう、相変わらずの鋭い注意力だった。
彼女はハイディ。
この町に住む優秀な魔法使いの探索者。
人は誰でもある程度の魔法は扱えるが実戦に耐えうるレベルの魔法となると話は別となり、そういった魔法を操れる存在が魔法使いと呼ばれる。
その割合は少なく、この町のギルドではせいぜいが両手足の指の数を辛うじて超える程度らしい。
中でも彼女はトップクラスの実力を持つという。
「はい、どうぞ」
「いただくわ」
紅茶を渡すと香りを楽しんだ後、一口飲んで一息つく。
「どう?」
「なかなか上手に淹れられるようになったじゃない」
「誰かさんに仕込まれたからね」
「以前の貴女ったらそのまま茶葉を入れて沸かそうとするんだもの」
そういって顔を見合わせるとどちらからともなく笑いだす。
ひとしきり笑った後気になっていたことを聴くことにした。
「今描いてたのはさっきの?」
「勿論よ!」
先ほどまで彼女が向かっていたキャンバスに視線を向けて尋ねると、鼻息荒く彼女は答える。
「見てもいい?」
「ええ、とはいってもまだまだ下絵だけどね」
彼女越しにキャンバスをのぞき込むとそこには先ほどの広場での一幕、すなわちレナが剣を翳している瞬間が描かれていた。
それは下絵といえどもこの短時間で描かれたとは思えないほど精緻でその技量の高さがうかがえた。
「この短時間でよくここまで・・・」
「あの瞬間を脳裏に焼き付けて全力で走って帰ってきたもの!」
「流石ね!」
この絵もきっと、この部屋の他の彼女の絵姿のように躍動感あふれる素晴らしいものになるに違いない。
「これだけでも食べていけるんじゃない?」
「馬鹿ね、私が私の為に描いてるんだから手放すわけないじゃない。頼まれたって描きたくないものを描いたりするつもりもないしね」
「それもそっか」
彼女は数少ない私の友人で何より、
「それにしてもさっきのレナの恰好良さときたら!」
「ほんとよ!あの雄姿を思い出しただけで三日は戦えるわ・・・」
「しかも今回なんて一番最初に彼女に返事しちゃったわ!」
「聞き覚えのある声だと思ったらやっぱり貴女だったのね、羨ましい!」
「あの活発なところが可愛くて」
「そのあとの一転して真面目な表情を浮かべた時の凛々しさ」
「「今日も最高よね!!」」
彼女を信奉する同志だ。
「貴女も普段は町にいないのにラッキーだったわね」
「見逃してたらきっと死ぬほど後悔してた」
「そしたら描き上げたこの絵を見せびらかしながら自慢してたわ」
「どうしよう、そんなことになったら私貴女を殺してたかもしれないわ」
そんな冗談を言いながら笑いあう。
でももしそうしたらこの家にある彼女の絵姿を全部いただいていただろう。
「カヤ貴女、目がマジなんだけど・・・」
「おっと、冗談だよ冗談」
いけないいけない。
ちょっと妄想に心が動かされてしまったかもしれない。
「私、貴女に殺されてあげるほど弱くはないわよ」
「・・・だよね」
実はそんなこともないのだけども。
まぁ彼女を殺すつもりなんて微塵もない。
あくまでもいつものやり取りの延長である。
「でも、今回は喜んでばかりもいられないわよね」
やり取りがひと段落した頃合いを見計らって彼女が急に声のトーンを落とす。
「というと?」
「というと?じゃないわよ!今回の神託の本題忘れたの?」
「あぁ魔王」
「あぁ魔王って貴女そんな他人事みたいに」
他人事どころか本人です。
「いくら貴女でも魔王の恐ろしさくらいは聞いたことあるでしょ!」
「えっと、まぁ、はい」
「そんじょそこらの魔物とはわけが違うのよ!いくら勇者様でも心配だわ・・・」
「えーっと多分大丈夫なんじゃないかなぁ・・・?」
なにせ本人が負ける気満々である。
他の魔王に対して心配というのはわかるが、少なくとも今回の神託の魔王については心配はいらない。
それをここで説明することはできないが。
「まったく貴女ときたら・・・」
こちらが魔王のことを碌に理解してないと思ったのか呆れた表情を浮かべる。
人類で一番詳しいのは他でもない私なんだろうけど・・・。
とはいえ変な反応を返して怪訝に思われるよりはそのまま勘違いしていてもらった方が都合はいい。
「まぁ確かにここであれこれ不安がっていても仕方ないわね」
そう一人で納得した彼女に内心でホッと一息。
彼女の不安を晴らせないことに一抹の罪悪感は感じるが、こればかりは仕方ないことだと自身を納得させる。
カップに口を付けようとして中身が空になっていることに気づく。
窓から差す日差しも傾きつつあった。
今日の感動を彼女と分かち合おうとやってきたが思ったよりも長居してしまったようだ。
「これ以上お邪魔すると帰るころには日が沈んじゃうしそろそろ帰るね」
「あら、もうそんな時間なのね」
同じように窓から外を覗いた彼女が席を立つ。
「以前も言ったけど貴女もこの町に住めばいいのに。なんなら部屋貸すわよ?」
彼女が純粋な好意で言ってくれているのはわかる。それでも
「噂、知ってるでしょ?一緒にいたらハイディも何を言われるか・・・」
「無責任な輩には好きに言わせておけばいいのよ!私の前で変な話をするようならひっぱたいてやるわ!」
「ありがとう、でも大丈夫。気持ちだけ受け取っておくよ」
彼女はそれを何とも思わないのだろうけれど私は彼女とは対等な関係のままでいたい。
それに何より今となっては私は魔王だ。
もし何かの拍子に露見したら彼女には迷惑がかかるどころでは済まない。
「そう・・・。でも何かあったらいつでも頼って。私たち・・・その、友達でしょ?」
こちらの意思が変わらないであろうことを見て取った彼女はそれでもそういってくれる。
顔を赤らめながら尻すぼみに言う彼女は大変かわいらしかった。