魔王、町へ
現状の認識、そして為すべきことは確認した。
ではまず何から行うか。
「・・・戻ろう」
魔王の力を手に入れたとはいえそれはそれ。
当たり前の日常生活を送り日々の糧を得なければいけないことに変わりはない。
幸いにして集めていた薬草はすでに十分な量。
泥だらけなうえに汗でべたつく衣服もさっさと着替えてしましたい。
現在地は住んでいる村と町の間に広がる森。
帰宅して着替えたいところではあるけれど、薬草を換金するのには町に行く必要がある。
村と町の間には道が通っているとはいえそれなりに距離もあり、帰ってからまた町に行くのはやや手間だ。
軽く服をはたいて歩き出す。
森といっても奥深くまで踏み入っているわけでもなかったのですぐに街道に出ることができた。
先代の領主様がそれまでの獣道に毛が生えたようだった道を、馬車が1台は通れる程度に拓いてくれたらしい。
当代の領主様は碌に手をいれてくれないので徐々に下草などに浸食されて今は荷車が通れる程度。
街道というにはちょっとみずぼらしいのだけども。
そんな荷車の轍の残る街道を行くことしばし、森の終わりが見えてきた。
森との境には小川が流れていて小さな木製の橋が架かり、そこからすぐの町までは農地が広がっている。
「あ、そうだ」
ふと思いつき橋から川を見下ろす。
緩やかに流れる水面に私の顔が映し出される。
「大丈夫かな?」
揺れる水面は鏡などとは比べるべくもないが、それでもざっくりとした判別には十分だ。
この国では見かけることのない東方民族の特徴である黒い髪に黒い瞳。
どうやら魔王になったからと見た目は変わっていないらしい。
目に見える範囲では変わりはなかったが角でも生えたり瞳の色でも変わっていたらどうしようかと思ったが杞憂だったようだ。
川を越え農地の脇を進むとすぐに町の門にたどり着く。
すんでいる村とは違ってしっかりとした石造りの壁に囲まれたそれなりに大きい町だ。
とはいえ続く街道の先が辺境の農村ということもあってこちら側の門はあまり大きい門ではない。
国の内側に接続する反対側の門は見栄もあってかそれなりに立派なのだが。
そんな辺境の懐事情も表していそうな門のそばには衛兵が二人立っている。
年若い二人だった。
「ハズレか・・・」
衛兵の顔が確認できると思わず愚痴がこぼれる。
せめてどちらかが年嵩であればよかったのに。
内心の不満を表に出さないように気を付けながら門に進む。
通常こちらの門は利用する人間が限られており、私の顔も覚えられているためいちいち止められたりはしない。
しかしニヤニヤしながらこちらを見ている様子を見るにすんなりとは通れなさそうだ。
まぁ魔王であるということがばれているわけではなさそうなのが唯一の救いか。
「止まれ」
やっぱりか。
思わずため息をつきそうになるが何とかこらえてニヤつく衛兵に向き直る。
「何でしょうか?」
極力感情を排して答える。
この町の人間で私を知っている人間が向けてくる反応は大抵二つに分かれる。
すなわち嫌悪か好色。
この二人はどうやら後者の様だ。
「名前と目的を述べよ」
わざわざ大仰な言い方をしてくるのは自身のほうが立場が上であるということを強調するためだろうか。
こちらの門は利用者が少ない。
忙しくはないがその分暇であり、袖の下の様な役得は得られない。
つまりは暇つぶし、あるいは憂さ晴らしの相手として目を付けられたようだ。
「カヤ、ギルドに薬草を納品に」
端的に名前と目的を告げる。
「ずいぶんと薄汚い格好だが?」
「森で転倒しまして」
「本当は森で逢引きでもしてたんじゃないかね?」
「誰かと寝ていたのかもしれんなぁ」
あぁその下卑たニヤケ面を殴ってやりたい。
私が魔王だと知ったらどんな顔をするのだろうか。
むろんそんなことはできないわけだが。
「たとえそうだとしたところで何か問題があるのでしょうか」
「認めるのかね?」
「私が誰と関係を持っていたとしても町に入るうえで関係はないと思いますが」
いちいち返していたらキリがなさそうなので止められる理由がないことだけを返す。
「そうはいかんなぁ。何せ貴様には魔族と繋がっているという噂もある」
「もしや胎に魔族を宿しているのではないか?」
またそれか。
私は二度死にかけたことがある。
一度目は魔物の群れに村が襲われたとき。
そして二度目は野党に村が焼かれたとき。
二度の襲撃で当時の村はほぼ全滅し生き残りは私を含めて片手で数えられる程度。
やり場のない怒りや憎しみはもともと外見的差異で村では遠巻きにされていた私に向かった。
曰く不吉な存在で魔物を呼び寄せる。
曰く賊に体を開いて生き延びた。
町に逃げ延びた村人が流したそんな噂は面白半分に脚色され、今では「魔族と密通して魔物を生んでいる」だの「そこにいるだけで魔物の群れがやってくる」だのと言われている。
さすがに本気で信じている人間はほぼいないだろうが。
それでも淫売だの悪魔だのと陰口をたたかれるのは日常茶飯事だ。
「まさかそのような荒唐無稽な噂を根拠に私はとどめられているのですか?」
「勿論噂がすべて真実だとはこちらも思ってはいない、だが住人の懸念を放置するわけにはいかんのでな」
「そんな中でそのように疑わしい様相だとこちらとしてもすんなり通すわけにはいかんなぁ」
もっともらしいことを言いながらもその顔には相変わらずの下卑た笑み。
向こうの目論見はわかるがかといってこちらにできることは少ない。
すくなくとも実際の力関係はともかく表向きの立場は町の衛兵とただの村娘なのだ。
「着替えて出直せと?」
「不審な人物をみすみす見逃すわけにはいかんよなぁ」
「まったくだ、嫌疑はしっかり晴らさないとなぁ」
出直すことさえさせてくれないらしい。
「ではどうしろと?」
「そうだな、魔族と交わったのだとしたら何か痕跡が残っているやもしれん」
「やましいことがないのであれば改めさせてもらおうか」
どうせそんなことだろうと思ったが案の定か。
ここで服を脱いだところでどこまで要求がエスカレートするか分かったものではない。
今まではここまで露骨な要求をしてきた手合いはさすがにいなかったので対応に困る。
「どうした?なにか問題でもあるのか?」
いっその事本気で消してしまおうか。
幸いにしてこの二人以外に人目はない。
一瞬で跡形もなくしてしまえば衛兵の失踪で問題になるかもしれないが少なくとも私の仕業とは思われまい。
そんな物騒な思考が頭をよぎった時だった。
ゴーン、ゴーンと町の中心に備え付けられている鐘が鳴り響く。
「交代の時間だぞ、何をしている?」
そして鐘の音ともに年嵩の衛兵が二人怪訝な顔をしながらこちらに向かってくる。
「あっ、いえ、なんでもないですよ。なぁ?」
「あぁ、ちょっとこちらの女性が土にまみれていたので質問していただけです」
とたんに目の前にいた二人は顔を青ざめさせて、ペコペコしながらこちらを放って彼らに駆け寄る。
「そうか?問題は?」
「いえ、ありません!」
さすがに立場が上の人間の前で無茶な要求をする度胸はないらしい。
問題ないとのことなので足を進める。
さっきまで下卑た顔を浮かべていた二人はこちらに向かって余計なことは言うなよとでも言いたそうな顔をしていたが安心してほしい。
どうせ村娘が訴え出たところで対した処罰が下るとは思えないしそんなことで余計な恨みを買うつもりはない。
ぺこりと会釈をして引き継ぎを始めた4人の衛兵の脇を通り門をくぐる。
ただ町に入るだけのことなのにずいぶん余計な時間を食ってしまった。