表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/9

【NERO】


 彼女は、別れた恋人と一緒に仕事をしている。大人同士の付き合いで、それはそれ、仕事は仕事だ。わだかまりがないとは言えないが、ビジネスパートナーとして対応してきた。


 だから、彼が若い女と結婚すると聞いても、おめでとうという言葉以外に吐く言葉はなく、特段の想いもなかった。

 とはいえ、やはりわずかな引っかかりがあったのかもしれない。新たな商品として売り出した若者向けのヴァイオリンに彼がNEROと名付けた時に、ふと不吉な名前だと思いつつも口に出さなかった。どこか、彼のしあわせを恨む気持ちがあったのだろうか。


 彼女がイメージしたのは、地獄の劫火に身を灼きながらヴァイオリンを弾き続ける皇帝ネロの姿だ。地獄の堕天使たちは、地上に失われた偉大な芸術家を歓呼して迎えたのか。あるいは、あくびをしながら、かつての皇帝をゴキブリのように叩き潰したのかも。


 やはり、と言うべきか。


 彼の新居は結婚した次の日に焼け落ちた。すくなくとも初夜を越えられたことだけは幸せだった。そう言っても構うまい。

 むろん彼女が火をつけたわけではないが、警察と消防の検証を経ても火元はわからなかった。ただ、リビングに飾ってあった例のヴァイオリンのあたりが強く燃えていたらしい。


 目覚めたとき、彼女はまだ火災の事実を知らなかった。不吉な夢のことを思い出す。


 夜の奥で彼の新居が燃えていた。


 燃えさかる炎を通して、ヴァイオリンの演奏が聞こえてくる。途切れ途切れに響くのは、〈トロイアの陥落〉だ。炎でできた彫像のような人影は皇帝ネロに違いない。どうせ顔など知らないと思いながら目を凝らすと、演奏者は自分の顔をしていた。

 それに対し、夢の中の無関心さをもって見つめながら、そもそもネロとヴァイオリンの話は嘘だと考えていた。燃えさかるローマを眺めながら音楽にふける、そんなことは絵画的な嘘でしかない。


 火事場に背を向けて歩き出した彼女は、途中で何かを見たようにつぶやいた。クォ・ヴァディス、どこへ行かれるのですかと。


 不可視の何者かを追うように目をやった先で燃えさかる彼の新居が崩れ落ち、やがて幽かに聞こえていたヴァイオリンの音が消え去り、失われた炎とともに静謐が満ちた。


 足を止めていた彼女は歩き出し、もはや振り返ることもなく、どこへいくのかと聞かれることもなく、ひっそりと目覚めたのだった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ