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【青衣の人】


 からからから、と土の崩れる音がする。


 胸のうちの炎とともに消えていこうとする我の意識が、思い出したように暗闇に浮かぶ。黄帝の娘として人々の歓待を受けていたころには、まさか斯様かような場所で死を迎えるとは想像もできなかった。鮮やかな青衣せいい色褪いろあせ、破れ、薄汚れてしまった。


 蚩尤しゆうの叛逆はいつのことだったか。それに続く風伯、雨師うしとの戦いと。父から招聘しょうへいされ、身に宿る火の力をもって叛逆を鎮めた。ところが、である。


 苛烈な闘争を通じて、うちなる炎は燃えあがったまま治まることを知らず。目にするもの、手にするもの、踏みしめるもの、すべてを灰塵かいじんに帰すほかなかった。


 我の留まる地は激しい旱魃かんばつに見舞われ、田畑は荒れ、獣も人も喉を干からびさせることになった。いずこへ行くこともできず、荒漠とした大地の果てを独りでさまよい、炎の治まる時を待ったのだ。あるいは死か。

 だが、その治まる時は来ず、気付けば、食べるものも飲むものも不要になっていた。どうやら日の光を受けて身のうちに熱を蓄えることで生きていける体と化したらしい。すなわち、化け物である。


 人でないものとなったからには、我が身を我が手で滅ぼさずにはおかぬ。そうして短刀で胸を貫いて死を望んだが、噴き出るのは炎ばかり。血の代わりに体の中を巡っているらしい。その炎に触れるや、刃物すら溶け落ちた。


 我の苦境を知り、初めには救う手立てを、次には命を絶つ方策を考えてくれた父は、慈悲深いと言ってよいのだろう。


 では、叔均しゅくきんはどうか。


 慈悲を与えず、我に生き延びることを求めた。日の射さぬ岩屋の奥で死を望んでもそれを許さず……。ああ、愛しい人よ。情け深く、また容赦のない人よ。賢臣のほまれ高く、我の伴侶となりえた人よ。その名を呼ぶだけで、いな、その名を思うだけで胸の炎が沸き立つようだ。


 このまま我を焼き尽くし、燃やし尽くし、炭と化しておくれ。さもなければ、このまま岩屋の奥で、独り、熱を失い、静かに消えて逝かせてくれぬものか。


 誰も訪ねて来るはずのない荒野の果てを、あの人は何度も訪ねて来た。捨てられたいぬあるじの後を追うように。


 我は、逃げて逃げて逃げ続けた。


 風のように、火のように、雲のように。叔均しゅくきんを恋い慕う限り、会うことはできない。そして、恋い慕わぬのならば、会うことに意味はない。


 各地に旱魃をもたらしながら逃げまわった。世には、我が叔均しゅくきんを恐れていたとも見えようか。だが、彼を避けるは恐れゆえにあらず。胸の火を掻き立てる想いゆえ。


 あい抱きしめるに死の怖れあり。


 彼を抱きしめた時、この大地のように焼き殺してしまうに相違なく、彼もまた、焼き殺されるとしても、それでも我を抱きしめようとするに相違ないゆえである。あるいは、


 ……いや、人を試すようなことは許されない。ないしは、それは怖ろしい。


 ああ、岩屋の入り口から、こつんこつんと足音が響いてきている。生きとし生けるものの息を奪う熱気をかきわけながら近づいてくるのは叔均しゅくきんか。もはや、逃げるに遅く、死ぬにも遅い。


 我は君の名を呼ばぬ。だから、君も我の名を呼びたまうな。胸の想いが、炎となって君を燃やしつくすことのないように……。



蘊蓄うんちく

 馬場あき子さんの『鬼の研究』で紹介されている逸話が美しく、想像に任せて書いてしまいました。元々は中国最古の地理書『山海経』にあるばつの話です。

 黄帝が逆臣の蚩尤しゆうを討とうとするも、風雨の力で抗されて苦戦します。そこで、火の力を有する娘の魃を使って勝利したのですが、その力が抑えられなくなり、留まる地を旱魃が見舞うようになりました。処刑するに忍びなく、賢臣叔均けんしん しゅくきんの助言を受けて北の僻地に幽閉したとか。その記述からは、叔均との関係は読み取れません。


 『鬼の研究』では、次のような感想が述べられています。「小さな青衣の鬼が、風に乗って走りつつ、天下に身を置くところのないさびしさを噛みしめるように、大旱にひび割れた大地をみつめているさまなど、この上なく哀しい思いを誘うではないか。大旱の神力をもった青衣の女人が、赤水の北辺に押しこめられつつ、そのような苛酷な処遇を与えた賢臣叔均を怖れて逃げまわったという後日譚も哀れである」


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