第1話 クリミナルマインド
可愛らしい二つの丸いヘッドライトのついた黒いビンテージ車が夜雨の降る貨物船停泊場をゆっくりと走っていく。ブロロロと小さなエンジンを蒸し、後ろに移動式の部屋のようなコンテナをつけた車は右往左往と角を曲がり蛇行し続けると一つの大きな倉庫の中へと消えていった。
その様子を遠い灯台から一人の少女が黒い単眼鏡を片手に観察している。黒いウール生地に赤い縁の入った制服を身に付ける少女の、軍帽に抑え付けられた艶やかな黒髪が雨風に揺れる。少女が右目から単眼鏡を離した。左眼窩は大きな眼帯に埋もれていた。
夜雨に染み入る黒装束。宙に浮かんだ白銀色の「鷹」。闇の中でも光失わぬ公安警察の生き様を、如実に描きとったシンボルが少女の左目で鎮座していた。
「ターゲットの車と思しき車——後ろにコンテナのついた黒いT型レードが今、倉庫の中に入りました。赤いトタン板屋根の比較的大きな倉庫です。」
誰もいない灯台の屋上に、少女の凛と澄んでいながらも抑揚のなく、無機質的な声が空気を駆ける。彼女の耳に掛けられた黒い筐体が白い魔法陣を宙に浮かばせていた。
『コンテナのついた黒いT型レード——間違いない。それが例の魔石の違法取引業者だ。俺たちは直ちに包囲網を展開する。』
男の声が少女の耳を直接震わす。再び少女が口を開いた。
「では私は」
男の感情のこもっていない声が黒い媒体から流れる。
『ゼロ、お前は直ちに例の倉庫へ向かい、取引が行われる前に』
男は強調して言い放った。
『始末しろ。』
少女の左耳の媒体から光が熱りの覚めるように消えていく。ロゼと呼ばれた少女は、問題なく動くか確かめるようにグローブのかかった右手の開閉を繰り返すと、もう息のない媒体に向かって夜の冷たさに同化し溶けていくような声を張った。
「了解致しました。マスター。」
灯台の屋上から飛び降りる。少女は薄暗い暁前の闇へと消えていった。
「......これでよし。」
倉庫から少し離れた地で少女に命令を飛ばしていた男が千切れた右耳についた媒体から手を離す。刈り込んだ赤毛に強靭な体を持った男の顔は古傷に塗れ、痛々しくはあるがそれと同時に猛々しい。振り返り、後ろに続く十数人ほどの制服姿の男たちを一瞥すると、檄を飛ばした。
「現在コードネーム「ゼロ」が現場へ進行中!第四班は包囲網を展開!第五班は現場に向かい、「ゼロ」を援護しろ!」
「「「了解!!」」」
威勢のいい声が一瞬にして激しく場を震うと、男たちは班ごとに固まり、自らの任務を全うするため持ち場へと消えていった。
この仮初めの拠点、作戦本部に残ったのは少女がマスターと呼んだ男のみのはずである。
男は再び媒体に手を触れた。白い魔法陣が眩く光り輝く。
「こちら第三班。第四班、第五班への指示を完了しました。」
『了解。第三班もそのまま現場へ向かえ』
ドスの効いた渋い声が男の人欠けた外耳を震わす。男は誰もいない空気に向かって敬礼をした。
「了解! 」
媒体から光が消える。
「......よし、行くか。」
男は左腕につけたブレスレットを確かめると、指を鳴らした。そして走り出そうとしたその時だった。
「あの、すみません。第五班のものです。」
突然背後から声がしたのだ。肩を震わす男。第五班はもう既に現場に向かったはず。先ほど彼らに指示を仰いだばかりのはず。そんな彼らの一人がここにいる事は少なくとも異常な事だ。
(逸れ者か? それとも緊急事態か? )
「どうした? 緊急か? 」
男は振り返った。男の瞳に制服姿の男が映る。
男は一瞬にして顔を硬らせた。
その頃、赤い屋根の古ぼけた薄暗いコンテナの中では男の声がこだましていた。
「例のブツは持ってきたんだろうなぁ? 」
白いスーツを羽織り、黒いリムジンの後部座席にどっかりと座った禿頭の男が恐喝する。肩を震わした車の外に立つちょび髭を生やした男が、謙る様に口を開く。
「も、勿論でございますっ!! 例の品はこちらになりますぅ!! 」
ちょび髭の男が禿頭の男にアタッシュケースを差し出す。躊躇いもなくアタッシュケースをこじ開けた男は紫色の怪しげな光を顔一面に浴びる。禿頭は目を細め口角を上げた。
「こちらは我が社が提供できる中でもトップクラスの力を誇る魔石、闇と水の混合属性魔石、アリゲーターですっ!! 」
ちょび髭の説明に禿頭が喉を鳴らす。
「魔石レベルはA+。遠距離攻撃、近距離攻撃共に優れた攻撃力を発揮します。」
「ほう。」
禿頭の男が左腕に巻きつけた腕時計型の魔石を弄り始める。ガラス製の蓋を外し、元々付けられていた水色の魔石を外すとそこに紫色の魔石を埋め込む。右手を開くとそこに大きな紫色の魔法陣が形成される。しっかり型に嵌ったことを確かめると男はもう一度口角を上げた。
「こいつは本物の様だ。——金を払おうじゃないか。」
車の奥から大きなアタッシュケースを取り出す禿頭。ちょび髭がアタッシュケースを受け取ろうと前へと動いた。
その時だった。
「うぐぁっ!! 」
外から重い銃声と男の汚い悲鳴。アタッシュケースを取り出す手が止まる。
「何だ今のは!? 」
男の低い声が倉庫の中を右往左往し、やまびこのように声が響く。
「外からです! 旦那は隠れていてください! 」
男の二人の護衛が車を守るようにして立つ。
閉まっていた倉庫の重い扉が鈍い音を立てて吹き飛ぶ。そこには一人の少女が片足を突き上げて立っていた。
「——————っ!?」
敵の出立ちに狼狽を覚える二人の護衛たち。外では三人の武装した護衛が蹲り、辺りには三人の護衛たちが持っていたであろう銃器がバラバラになって転がっている。
「公安警察です。あなた等はシュネルフ連邦王国魔石流通法第18条、Aランク以上の魔石に対する売買についての法律に違反します。速やかに魔石を置き、降伏しなさい。」
怒気も冷気も感じない。あたかもスピーカーから発せられているかの様な感情の欠片もない無機質な声が倉庫内を凛とこだまする。
倉庫の空気が一瞬にして凍りついた。四人の護衛は完全に気圧されていた。
そんな中一人の笑い声が倉庫を響かせた。禿頭の男の笑い声だ。護衛の反対を押し切り、リムジンから降りて自ら姿を表す禿頭。
爛々と光る目には挑発が宿っている。
「公安警察? 笑止。ただの少女じゃないか。それも一人。お前ら。ちゃんと目は見えてるのか?」
鶴の一声に護衛等がハッとする。明らかに空気が変わった。護衛たちの士気が緩やかにも上がっていく。
一方の少女はそんな様子の護衛らに焦りもなく戸惑いもない。感情を捨て去った人形の様に禿げ男ただ一人を睨め付ける。
そんな人間味のない様子の少女に男は少しながら嫌悪感を覚えた。
「こんなやつ、さっさとやっちまえ!!」
禿頭の男が声を張り上げた。
「これでもくらえ!!」
護衛の一人が両手を前に突き出す。左手につけた赤色の魔石が発光し、魔法陣を形成する。魔法陣は周囲の空気を高周波な音を立てながら吸い込むと、前方に巨大な火柱を轟音と共に噴き放った。
少し距離があるとはいえども高火力な炎魔法は車並みの速さで飛んでいく。流石に少女では避けられないだろうと男たちは勝ちを確信した。
一方、半径1mちょっとの火柱が勢いよく迫る中、少女は逃げる様子も躱す様子も慌てふためく様子もない。
火が目前まで迫っている中、不意に少女はグローブをつけた右手を突き出した。
その刹那、彼女の目の前で火柱が塵のようになって消滅したのだった。
「——————っ!?」
目を見開き唖然とする一同。火力を消して、残った勢いさえない風を顔に受けて黒髪を揺らす少女はさもや当たり前かのような装いだ。
前方へ誰かを押し出すように突き出した右手を今度は握りしめ、人差し指と親指だけを立てた状態で人差し指の先を、先程火柱を投げつけた男へ向ける。
拳銃のように突き出した指から火柱を出した魔法陣が展開されたかと思うと、轟音と共に光線が撃ち放たれ、男の太腿を撃ち抜いた。
「なっ!?」
驚きの余り、声を出す男たち。撃たれた男は苦し紛れにくぐもった声を口内で転がすとその場に足を抱えて倒れ込んだ。
「そんな馬鹿な......魔法模倣だと......!?」
禿げ男が狼狽を露わにして声を張り上げる。
「魔法模倣ではありませんよ。私はただ彼に魔法を返しただけです。」
冷静に淡々と答える少女。グローブは自らの魔法に溶け、右手が露わになっていた。
現れたのは鋼鉄の掌だった。流線美を描いた金属光沢のある硬そうな腕が曝け出されていた。
そんな様子に気付き、戸惑いを隠せない禿げ男。その様子に気付かない護衛の一人、大柄の男が乱痴気気味にモーニングスターを取り出し、突撃する。
「だああああああっ!!」
握りに埋まった魔石が反応し、緑色の瘴気を纏うモーニングスターを振り回す護衛。横からの打撃を何回も繰り返すが少女は躱し続け一向に当たる気配がない。
「うあああああああっ!!」
その様子に腹が立ったのか、攻撃のパターンを変え頭の方までモーニングスターの握りを持って行くと、縦に振り下ろした。
少女が護衛の間に入り込み、握りの先を右手で掴みにかかる。金属のぶつかり合う鈍い音と散る火花と共に緑色の瘴気が一瞬にて消え去った。
「ええっ!?!? 」
口から驚きに満ちた素っ頓狂な声が漏れる男。しかし少女はそんなことをお構いなしに右手でモーニングスターをしっかりと掴んだまま男の腹を蹴り飛ばす。男の重い体は最も容易く吹き飛び、小さな車にぶつかった。車が紙細工の如くひしゃげ曲がる。
その様子を見てきたちょび髭の男が憤慨した。
「てめぇ......俺の愛車をよくも......」
豹変する口調。先ほどまでの口調がブラフだと一目で分かるような口調だった。
男が両手を翳す。胸につけたペンダントが光り、青色の魔法陣を両手に形成した。
「いけーー!! バブルマシンガンーー!! 」
そう叫びながら魔法を展開するちょび髭。水泡が弾となり、少女に向かって乱射する。
少女はモーニングスターをその場にまたもや右手を翳し、水泡を一瞬で消し去るとちょび髭の男に巨大な水泡をぶつけた。
膝から崩れ落ちるちょび髭。残るは禿げ男のみ。男はとあることに気がついた。
「こいつ......魔法を吸収して、放出しているのか......! ——————思い出した。新聞で目にしたことがある。接触した魔法をストレージに保存し、好きなタイミングで保存した魔法を放出するという最先端技術を......!! 」
「ご名答。この義手はそのようなものの一種です。正解おめでとうございます。」
以前変わらない無表情で応答を続ける少女。堂々たる様に男は焦りを募らせるものの不敵な笑みを少女に見せつけた。かなり気持ちの悪い笑みだ。
「まあいい......手慣らしだ......魔石レベルA+のこいつの力を見せてやる! 」
男が左手を翳す。魔石から溢れ出す紫色の靄が鰐のような外郭を線引きする。
「アリゲータークロー!! 」
男が叫ぶ。紫色の靄から生まれた幾つもの波動が少女を襲う。少女が間一髪で避けた。避けきれなかった髪の毛先が鋭い波動に切り裂かれ、宙を舞う。
再度迫る波動に右手を差し伸べる彼女。鉄骨の右手が波動に触れるが、波動が消える感触はない。鋭い火花を立てて右手が弾かれた。
制服の裾がボロボロになり、掌の鉄板に裂傷が生まれた様子の右手を眺める彼女。少女の眉が微かに動いた。
「そいつは魔法じゃない! 文字通りの波動だ! 真似どころが消すこともできん! 」
続けて波紋を乱射する男。少女は右往左往へと走り、波動から避けるのみだ。
そんな少女の様子を見て、今度は逃げる先にも波動を飛ばす男。だんだん少女の逃げ道が消え失せていき、ついに少女の動きが止まった。
「そこだ! クロコダイルナックル!! 」
男が右手を前へ大きく突き出す。紫色の魔法陣が開花し、黒く猛々しい様の鰐を模した霧が勢いよく襲いかかり、少女の体を殴った。
波動に弾かれる少女。華奢で軽い体は吹き飛び、凄まじい音を立ててコンテナの鉄板に減り込む。
「やったか!? 」
埃の舞う中男の野太い声が構内に広がった。
壁に寄りかかり、項垂れる少女。どうやら多大なるダメージで体を動かせないようだ。
「手間がかかったが——————これで終わりだ。」
魔法レベルの高い魔石はレベル相応に体力をも消費する。額に浮いた汗を腕で拭いた男はまたもや両手をかざした。
「アリゲータークロー! 」
両手から波動が生まれ、少女の首めがけて真っ直ぐ飛んでいく。砥石で研ぎ澄ましたような鋭い爪が少女へ迫っていく。
あともう少しで空気の刃が彼女の肉を削ぎ落とすといったところだった。
突然、蜘蛛の子を散らすように波動が消えたのだった。
「なにっ!?!? 」
男が予想外の出来事に唖然とする。
「そんな馬鹿なっ!? この爪は波動! 何故吸収できるんだ!?」
「......申し訳ございません。その質問にはお答えし兼ねます。」
少女がゆっくりと、先程のダメージは嘘だったかのように起き上がる。男がその様子に狼狽し、幾度となく波動を撃ちまくるが全て少女を目前にして灰の如く消えていく。
「何故だ! 何故だ! 何故私の攻撃が効かない!? 」
男は半ばパニックを起こし始める。なぜ魔法しか吸収できない物が魔法以外のものをも吸収することができるのか。もちろんではあるがそのような魔法具を男は見たことも聞いたこともない。
そこで男は気付く。少女の右腕の仕掛けは知っているが男はまだ少女の持つ魔法の詳細を知らない。少女の能力は全て知ってしまったと男は勘違いしていたことに気付く。
「......お前の魔法か? 」
返ってきたのは無言。少女は男の声を聞き流し、徐に左眼窩を覆う眼帯を外した。男が目を見開く。男に恐怖の感情が芽生えた。
「お前は何者なんだ? 」
震えた声で話す禿げ頭の男の顔は青ざめていた。