09話 ガイアナ砦の布陣
「もう夜か、宣戦布告から八時間ほどしか経っていないのだな」
片っ端から部下の問題を解決した後、エルグランドは冷めた焼き魚をナイフで切って黙々と食べていた。周囲はまだ兵士たちでごった返しているが、エルグランドが食器に手を付けた時が相談終わりの合図となっていた。それからは四騎士と兵士たちで軽く交流が見られた。
「ラジーナさん僕と付き合ってください!」
「好みじゃないの、ごめんなさいね」
「はぅあ」
花束を抱えた若い兵士が悶えながら後ろへ倒れ、同期の兵士達に運ばれていった。もはや、玉砕してなじられるところまでが様式美だ。
ラジーナは熱くなると苛烈な口調になる時もあるが普段は温厚だ。今日も丁寧に断っているだけなのだが、妙な愛好家が増えているらしい。攻められてなお士気を保つのは戦場だけにしてほしいと、ラジーナは時々ぼやく。
その流れにマルクバッハとメルルはあまり干渉してこないが、フラれた若者は同世代としてテリドが救済する。
「僕も今年で二十二、でも華やか話は何にもないよ。だからみんなも頑張ろう?」
「テリドさんは自分からいかないじゃないですか! 医務部とかテリドさんのファン多いのに」
「え、ホントに……?」
テリドは少し気弱で攻め手に欠ける部分がある。だが、格闘においては右に出るものは居らず、弓矢の使えない室内戦では絶対に相手にしたくない戦士だ。
聞き耳を立てていたエルグランドも夕食が済み、すっくと立ちあがった。このような時間はごくたまにしか取れないが、部下に不満がたまらない様にエルグランドなりの気遣いであった。他の領地の兵舎まで出向くことはできなくとも、ここでの意見は他に生かされ、その土地の責任者にきちんと通達される。
「明日から戦になるのですね」
「宣戦布告をしに来たからには、奴らの目的は『ちゃんと勝つこと』だろうからな。おそらくは砦をいくつか落として、最後にはここへ来るつもりなのだろう」
「陛下を殺害しようとしたあの一撃だけは未だに分かりませぬな。あれが通っていたら、彼女らの目的には反しているでしょうに」
「それは我も腑に落ちない点だった。一番納得できる理由としては」
食堂の扉を押し開き、エルグランドはため息交じりに言った。
「なんとなく、だろう」
エルフの王女は恐らくバカではないが、本能的に動いている部分があるとエルグランドは見抜いていた。欲をかいた人間の行動なら予測できるが、さして理由もない動きなど予想できるはずがない。
利益も特にない行動は帝国側の兵を動揺させる、どこか舐めてかかったり、おかしな奴として恐怖してしまったりする可能性もある。
「どこまで考えているかなど考えれば奴らの思うつぼだ。基本を忠実に守り、とにかく情報の伝達に意識を配る。馬は使い潰さぬように、各都市で乗りかえさせるのだ。日暮れにはその指示も出しただろう?」
「えぇ、すでに各地の準備も進んでいる頃かと」
エルグランドはふと、右手の平を天に向かって突き出した。満天の星空に満ちた月、美しいものを見て感傷的になるらしくない自分を鼻で笑う。
手をずるりと下ろし、深く頭を下げるマルクバッハを置いて執務室へと歩き出した。
明日から戦だというのに、ハギリ村で殺された部下の弔いは葬儀も何も、書類に印鑑を押した以外何もやれていない。
それでいて、明日全てを終わらせると断言できない自分が、ただひたすらにむず痒く感じられた。
翌朝、エルグランドはガイアナ砦にテリドを向かわせた。
ガイアナ砦は水で満たされた堀に囲まれ、出入り口は南北の跳ね橋のみだ。通常は大量の兵糧とともに立てこもる堅牢な砦なのだが、今回ばかりはそうもいかない。ハギリ村を滅ぼしたしたエルフの魔法を警戒するなら、中に数千の兵を待機させるのは愚の骨頂である。
敵が少数超精鋭ということあり、歩兵で囲むは通用しない。配備は弓兵と補給、そして伝達。詰めは四騎士だ。
願わくはこの一戦で終わってほしい。エルグランドは執務室から澄み渡る空を見つめていた。