11話 お屋敷メイドのシエル
エルグランドは自身を恥じていた。ガイアナ砦が襲撃されるのは予想が出来ていて、そして的中したというのに、どうしてあのように手薄な布陣を敷いたのかと。
「甘えた……! 誰も死なない訳が無いだろう!」
他の砦に分散して四騎士を配置したのは、もしもエルフの襲撃があったとき、むざむざと部下を死なせたくなかったからだ。
己の浅慮を恥じ、手元の書類に視線を落とす。
ガイアナ砦からの連絡が途切れたのがちょうど二十四時間前、状況を確認しに行った部隊が往復して帰還したのが十五時間前。部隊はテリドの遺体とエルフの王女のものと思われる濡れた両足を持って帰還した。
聞くところによると、移動の間に完全に溶けてしまったが到着した時はどちらも少し凍結していたという。
だが、エルフの死体は無かった。
あれが悪魔でなければなんとする。再生能力があることは分かっていたが、姿形が人間に似ていることにエルグランドは疑問を感じていた。
テリドの遺体もご遺族に見せるべき状態ではなく、内々に火葬の手配をした。テリドの部下たちに至っては終戦までは恐らく手の施しようがないだろう。
額に手の平を当て次の策を練るが、予定は依然白紙のままだった。
「……はっ、何が皇帝だ」
席を立ち、ソファに寝転がったエルグランドは深い眠りの中に落ちていく。皇帝から王子に、王子からひとりの子供へと意識はエルグランドの根底へ近づいていった。
『起きてくださいエルグランドさま、学園に遅れてしまいます!』
メイドのシエルがエルグランドから毛布を引き剥がし、机に朝食を並べていく。
『俺ももう十八だぞ。一人で起きれる』
『できるようになってから言ってください。さ、衣服はこちらに用意してありますので』
エルグランドは鈍重な動きで起き上がる。歪んだ襟やハネた髪を直すのはシエルに任せ、自身は席に着いた。
『父上はこんな早朝から会議か。エルフ族とはそのように重大な事項なのか』
『私に聞かれても知りませんよ。ささ、行きましょう』
エルグランドは掃除を始めたシエルに半ば追い出されるように、廊下へ出た。八つほどの扉が両側にある、長い廊下を通り抜けて学園へ向かう。
屋敷からは歩きで十五分もかからず門をくぐった。
授業は貴族や王族向けの武芸や文筆、しきたりなどを学ぶものだった。何も学問のレベルが低いという事は無かったが、エルグランドにとって障壁足り得るものは何一つとしてなかった。
『退屈そうですね』
声をかけてきたのはシエルだった。講堂でぼんやりと次の講義を待っていたエルグランドの隣に、いくらでも席が空いている中詰めて座ってきた。
『……どうしたらそんな発想に至るんだ。ここの卒業生でもないのに制服を持っているのはどういうことだ』
『空気読んで下さいよ。これも仕事の一環です』
引く気配のないシエルは、どうやら生徒としてこの学園に在籍していることにしたいらしい。が、エルグランドの父である現皇帝は、そんな茶目っ気のある指令をわざわざ出すような人物ではない。
『一年目の秋だ。別に国政に大きな動きがあった訳でもなければ、俺が何か困る状況でもないだろう。どういう風の吹きまわしだ』
二十六歳でそれはどうなんだ、とは流石に追及しない。一目で分かる浮かれた表情なのもそうだが、別に責めるつもりはなく単純に理由が気になった。
『いえ、人払いをされまして』
『人払い? ふむ、俺があれほど急かされたのもそれが理由か』
『それは遅いからです』
『……まぁいい。だが妙な話だ。エルフの国とは鉄鉱石の採掘権に関して交渉しているのだろうが、何も使用人を追い出すほどではないし、過去普通に会談は行われている。言葉にしてみると、情報管理が甘い気がするな。
うむ、シエルが学生服を着てここにいる理由は何一つ分からん』
『実質休暇なんですからなにをしてもいいでしょう』
『やはり仕事ではないのだろう! 長い付き合いだが、本当にこういうところは分からんな』
『趣味ですよ趣味』
シエルはクスっと笑い、どこか誇らしげに指を振って胸を張った。
『俺を見るのがそんなに面白いか? 分からんな』
シエルはエルグランドの手元にある羊皮紙のノートを覗き込む。
『シエルは二十台の間ほとんど老けなかったな』
『エルグランド様のお傍に居たからですよ』
『馬鹿言うな。俺にそんな効能は無い』
その日最後の授業はそのまま二人並んで過ごした。
シエルも読み書きは出来る。授業の内容が新鮮に映ったようで、エルグランドとは対照的に真剣な面持ちで授業に臨んでいた。
しばらくして授業は終わり、エルグランドとシエルは学舎を出た。
『シエル、少し街に寄っていこう。まだ話し合いが終わっていないかもしれない』
そう言ってエルグランドはシエルの手を引き、繁華街の方へ突き進んでいく。普段はエルグランドが手玉に取られている構図なのだが、これにはシエルも驚いたらしく、照れるように頬が少し赤く染まっている。その状況に全く気付かないエルグランドは、宝石店の扉を押し開けた。
『しばらくぶりだな店主。彼女に似合うイヤリングを見繕ってくれ』
珍しい来客に驚いた宝石商の男は、対応の前に一瞬硬直し、エルグランドの後ろできょろきょろと店内を見回すシエルをじっと見つめた。
『ご自分で選んでみてはいかがでしょうか。お連れの方もそれをお望みかと』
『何?』
シエルの方を振り返り、エルグランドはしばし逡巡する。
『そうだな。しばし待て』
エルグランドが並べられた宝石を見比べ始めたところで、店主は自分の判断が間違っていなかったと胸をなでおろし、半歩引いた。
商品の前でしばらく顎を撫でていたエルグランドだったが、ふいに手の動きが止まった。
『これがいいだろうか』
エルグランドはダイヤモンドのイヤリングを指さし、念のためシエルを振り返った。するとそこには、顔を真っ赤にして嗚咽しながら、袖で涙を拭うシエルの姿があった。
『な、おい! どうして泣いているんだ!? 退職金ではないぞ、日ごろの感謝だ!』
『うえぇぇぇぇん』
『ほら、シエルは長い金髪だろう。気になるなら耳は隠れるし、なんなら観賞用でつけなくてもいい!』
生暖かい視線を送ってくる店主を恨みながら、エルグランドはシエルをなだめているのか説得しているのか自分でもよく分からなかった。
『私が……もらでもいいんでじが…』
エルグランドはシエルの右手にイヤリングを入れた小箱を握りこませた。
『あぁいい! 喜んでもらえるのなら俺としてはそれが最良だ。ほら、ハンカチをやるから涙を拭いてくれ』
『やざじぃ……』
『どうしたんだ、情緒不安定過ぎるだろう……』
『ありがとうございまず……』
代金を手渡すタイミングで店主に馬車を用意するよう囁き、エルグランドはしばらくシエルをなだめていた。シエルの目元は赤く腫れ、まだ少し呼吸のリズムが乱れている。
『落ち着いてきただろうか? すまない、俺が軽率だった』
『いえ、あの。こんな私に宝石をプレゼントしてくれるなんて、その、すごく嬉しかったんです』
『あぁ、お前との付き合いもそろそろ十年になる。どうやったって、お前が欠ければ俺は無い』
『それは、とっても嬉しい言葉です。なんでしょう、普段からねぎらいの言葉は頂いていたのに、何かを選んでプレゼントしていただくのが嬉しくて……』
予想をはるかに超えた反応に、まだ鼓動が早まったままのエルグランドだった。そう馬車が到着したと店主に耳打ちされ、シエルを裏口へエスコートする。
『どうして馬車を……?』
と、シエルに問われたが、お前の泣き腫らした顔を誰かに見られたくないなどと言うのは、あまりに気恥ずかしく、無言で切り抜けた。
二人を乗せた馬車は市民や他の馬車とすれ違いながら街道を抜けていく。
だんだんと落ち着いてきたシエルが両手で顔を隠して黙り込み、対面に座るエルグランドは窓から差し込む赤い夕陽に照らされていた。