01話 停戦協定
「姿を見せろエルグランドォ! いくら大国の王といえど、王女を拘束するなど無礼にもほどがあろうが!」
「いいのですミル。私はエルフの国から人質としてここに来たのです。皇帝エルグランドの機嫌を損ねてはなりません」
王女と呼ばれたエルフ、シルディアとその守護を任されるエルフの女騎士ミルは、敵国であるベオロード王城前の大橋に居た。
両手両足に拘束具をつけられ、武器も奪われている。
「我々が停戦交渉の要なのです。絶対に抵抗してはなりません」
「……承知しました」
ミルは唇を噛み締めながら、皇帝エルグランドの沙汰を待っていた。そう待たずして城門が開き、エルグランドが現れる。若き皇帝エルグランドは現在二十七にして、四千万の国民を抱える大国の王だ。これより大きい国は戦争の歴史の中で消えていった。
「これはこれは。エルフの王女シルディア様。敵国につき、交渉の席では自由を制限させてもらっている。周囲に武装させた兵士も居るが、ご承知いただけるだろうか」
「かまいません。私の身柄と引き換えに停戦協定が結ばれるというのであれば、このような扱いも受け入れます」
「クソッ……!」
怒りをあらわにするミルに対して、シルディアは凛としてエルグランドと対峙していた。恐怖が無いわけではない、だがシルディアには自国民の命がかかっている。自己を殺し、ただ国の事だけを祈っていた。
「王女の拘束を解除せよ。御付きの騎士は……少々そのままで居て頂こう」
エルグランドの指示で、衛兵のうちの数人がシルディアの拘束を外し、再び持ち場に戻った。外している最中、ミルは一瞬エルグランドと目があったが、ひどく濁った瞳から吐き気のような嫌悪感に襲われ、すぐさま目を逸らした。
「では王女様、舞いを見せてもらえるか」
「舞い、ですか?」
ニヤつくエルグランドと周囲の衛兵たちを軽蔑しながらも、シルディアはゆったりと故郷では伝統的な舞いを始め、ミルは鬱陶しい拘束具に縛られながらもそれを見守った。
「いかがでしょうか」
三分ほどで軽くお辞儀をして、一つの演目が終わった。シルディアはエルグランドの表情を伺うようにゆっくりと顔をあげた。
「素晴らしい舞いでした。私のような若輩者でもその素晴らしさはよく実感できた」
「当たり前だろ……王女の舞いは貴様如きの……」
「ミル、黙って」
「……失礼しました」
エルグランドは拍手を続けていたが、急に手を止めて一言呟いた。
「それにしても何か物足りないような気もするのですよ。王女シルディア」
「では、別の演目もご覧に入れましょう」
「いえ、そういうことではないのです」
シルディアはこの時初めて、背筋が震えるほどの邪悪な視線を感じた。エルグランドの口角が少し上がっただけなのだが、シルディアは決意を揺るがされるほどのどす黒いものを感じていた。
「裸踊りという趣向は……いかがでしょうか」
「なっ……」
「あぁいえ、別に強制しているわけではありませんよ。ただ、王女が良いというのであれば、という話です」
ミルとシルディアは呆気に取られていたが、先に声をあげたのはミルだった。
「貴様ぁ! これ以上ふざけた事を抜かすのであれば、その首引きちぎ」
「ミル!」
「ですが!」
「エルリーフ王国王女として命じます。黙りなさい」
ミルはうつむきながらも怒りに打ち震え、唇を噛み切り口元は赤く染まっていた。シルディアはするりとドレスを脱ぎ、一つ一つ丁寧に重ねた。
「では、舞わせていただきます」
ミルは少しだけ顔をあげた。
綺麗だった。白く透き通った肌と揺らめく長い銀髪が、さながら流水のように、また氷の花のように美しく気高く咲いていた。
だが、シルディアの目から大粒の涙が流れているのも見逃すことができなかった。
それを見たミルの拳は固く握られ、手のひらの肉に爪が深く食い込んでいた。
「つまらん、笑え」
シルディアは涙でぐしゃぐしゃになった顔で必死に笑顔を作った。シルディアは何を言われようとも逆らわない、この皇帝の機嫌を損ねれば家族も国民も領地もすべてが失われると肝に銘じて、ここまで来たからだ。その誇りだけで彼女は力強く舞っていたのだ。
「つまらぬぞ、声を出して笑え」
エルグランドはもはや荒い口調を隠さなかった。最初の丁寧な対応ですら、趣味の悪い演技だったようだ。
「あは、あははっ、あははは!」
ミルは額を地面に押し付けてシルディアから目を逸らしていたが、嗚咽交じりの笑い声は嫌でも耳に届く。そしてそれを笑う皇帝と兵士の声。だがそれでも暴れださなかった。国を守るという王女の覚悟を無駄にしないため、怒りはただ噛み殺すしかない。
「これより面白い見世物はみたことが無いな。エルフの王女よ、娼婦の才があるのではないか?」
言葉の一つ一つがシルディアの決意を土足で踏み荒らす。それでもシルディアは笑いながら舞い続けている。
舞いもそろそろ終わるというころ、シルディアはぐらりと体勢を崩した。異変に気付いたミルが顔をあげると、シルディアはミルの肩にもたれかかるように倒れ込んできた。
「射殺せ」
シルディアが倒れたのは、腹部を矢に射抜かれたからだった。さらに四本の矢が右肩、右胸、そして左足に二本突き刺さった。
「シルディア! シルディア!」
シルディアの晒された肌は赤で濡れていくが、痛みに声をあげることはなかった。呼吸は弱り、動きも鈍っていく。
「眠いよ……ミル……」
それが最後の言葉だった。孤独な戦いに身を投じ、覚悟の下で理不尽な要求にも耐えたシルディアは、ゆっくりと瞳を閉じた。
「君達エルフの国は一昨日には滅んでいる。七日もかけて馬車で来るなど、見え透いた時間稼ぎには少々呆れた。
だが飛竜部隊の試験に適切でな、森に住む民族ということだけあって探すのが面倒だったが、焼いて餌にして食えば飛竜部隊は五日で往復できたのだ。これは我が軍にとって大きな進歩となるだろう」
底知れない醜悪さを前に、ミルは一つだけ質問を返した。
「シルディアが裸で舞ったのは……無駄だったってのか?」
「無駄ではない。余興だ」
「てめぇぇぇぇぇ!」
手首の肉を抉りながらも手錠の鎖を引きちぎり、ミルは立ち上がった。そのまま膝をぐっと曲げ、常人では考えられない跳躍でエルグランドに迫る。
だが、届かなかった。
エルグランドの傍から現れた四本の剣に四肢を貫かれ、勢いを殺されたミルはブンと放り投げられシルディアの傍へと飛んで行った。腹から地面に打ち付けられたミルは呼吸も出来ず、ただシルディアを守るように覆いかぶさる事しかできなかった。
「御苦労四騎士。片付けは任せる」
ミルを貫いた四本の剣は、暗闇へと消えていくエルグランドを追って見えなくなった。
「俺はなにも……まもれねぇ……」
ミルはただシルディアを守ることだけが生きる意味だった。浮浪児だった自分を拾った変な奴、はいつしか王女として国を背負うようになり、その笑顔を守ることだけのために剣を振るっていた。
だがシルディアはもう笑ってくれない。そして、シルディアが最後に笑顔を向けたのは自分ではなく、エルグランドだった。しかも、娼婦のようだと笑われながら、それでもシルディアは笑うしかなかったのだ。
その時、ぐっと兵士に首元を掴まれた、四肢の筋肉が切られたために腕がわずかしか動かず抵抗できない。
「捨てとけだとよ」
「陛下の持ち物に手を出すのも気が引けるしな」
ミルとシルディアは無造作に手首足首を掴まれ、ひょいと橋から投げ落とされた。
悔しい、悔しい、悔しい。殺す殺す殺す!確実に助からない高さの峡谷へ落とされながら、ミルの心は憎悪で満たされていた。
そのさなかでも、一緒に放り投げられたシルディアの身体が少しでも綺麗に残るように、痛苦に耐えながらシルディアを強く抱きしめた。
ミルは絶命した。