口下手な神様
濃い闇が弾けた。
いつの間にか握っていた小刀に、それは吸い込まれていく。
わからなかった。
何もかもが、わからなかった。
闇はまだ、自分を取り囲んでいる。
そして、ジリジリと近寄っては襲って来る。
なぜ、襲われているのかわからなかった。
木漏れ日が差し込む森の中に自分はいた。
なぜこんなところにいるのか、わからない。
先ほどまで自分はこんなところにいなかったはずだ。
闇が懐に飛び込んでくる。
とっさに小刀でかばうと、また闇は弾け吸い込まれる。
ここが森だと認識したとたんに、この状況だ。
教えてくれ。
わからないんだ。
ここはどこなんだ?
あの闇はなんなんだ?
なぜ、襲われている?
俺は誰なんだ?
男は周囲にいる狼のような生き物と対峙し続けた。
一向に減る気配のない狼は男を追い詰めていく。
男が狼に小刀を振るった。
なけなしの気力で抵抗の威を示したのだ。
狼達にはその抵抗は掠りもしなかった。
しかし、そこで不思議なことが起きた。
小刀を振るった先にいた狼達が音もなく弾けたのだ。
弾け、ちぎれ、こよって束になり渦をまく。
そして、小刀に吸い込まれる。
男は熱い息を吐いた。
そして、一つ、二つと小刀を振っていく。
それを十回ほど繰り返すと狼達はいなくなった。
すべて、小刀が吸ったのだ。
男は息が上がっていた。
その場で座り込み、倒れ、意識を失った。
男は知らない、狼がその森に住む魔物だと言うことを。
三百あまりの魔物を男が持つ小刀が吸ったのを。
小刀には無色透明な宝石が輝いていたのを。
「若、こんな得たいの知れぬものをお拾いになるのは…」
女の声で目が覚めた。
ここは、木漏れ日溢れる森ではなくなっていた。
日が沈み、空は星を撒き散らしている。
パチパチと若木が跳ねているのか焚き火は、大きく作ってあった。
「目が覚めたか?
お前、こんなところ何故で寝ていた?」
その声の方を振り向くと男が近くに腰かけていた。
「俺達が日の高いうちに見つけたとはいえこの森には魔物もいる、小刀一本でどうにかなるものでもないと思うが?」
小刀?
確かに自分は小刀を握りしめている。
魔物?
「魔物…に襲われた…?」
「その小刀で生き延びたのか?
たいした奴だ」
「ジル坊、それは召喚剣だぞ。
万が一でも、助かる可能性はあったのだろう」
男の隣で火を見つめる小人が言った。
「では、祝福者か。
面白い拾い物だな、ハルビィ」
男の正面に女が腰かけている、それがハルビィなのだろう。
男の言にハルビィは応えない。
「お前、名は?」
「ジル坊、名を訪ねる時はまず自分の名を明かさねば信頼関係を積み上げることなど出来ぬぞ」
「ガロ爺の言う通りだな。
俺は、バルジール、バルジール・コーウェンだ」
バルジール…。
それが俺の横にいる男の名だ。
俺は…。
「俺は…」
自分の名を発しようとした。
「俺は、俺は誰なんだ?
わからない、わからないんだ」
目眩がした。
小僧は名乗らずに気絶してしまった。
「これはまた、難儀なことだ」
ガロンは、燠を漁りながら呟いた。
「ジル坊、この小僧は神の祝福が過ぎたようじゃ。
愛され過ぎておる」
「記憶がない…か。
ハルビィ、俺はこいつを連れていく、異論は挟ませない」
ハルビィは下肢づく。
「若の仰せのままに」
ガロンはそんなやり取りを横目に、召喚剣を小僧の縛めからほどく。
その短い両刃と柄の会わせ目といっていいところに、宝石が輝いている。
「無色の宝石なぞ見たことがないわ。
それに刃は潰れて斬れるものも斬れん、どうなっておるのじゃ」
宝石のが武具に埋め込まれているのは、神からの祝福の証だ。
宝石自体は、それほど珍しい物でもなく、安価なものなら誰でも手に入る。
だが、武具に宝石を埋め込まれているとなると、話は別だ。
武具に宝石を埋め込むことは不可能なのだ。
いくら、腕利きのドワーフに頼んだとしても、それを制作した瞬間に宝石も武器も粉々になってしまう。
それを、成すのは神しかおられぬ。
召喚剣は神から下賜される物だ。
そして、下賜される者に選択権はない。
勝手に下賜されて、その代償になにかを奪われる。
「何が召喚できるんだ?」
促され、ガロンは宝石に手を翳した。
宝石から黄金の糸が溢れ出す。
無数の糸は円を描き、そのなかに幾何学模様を編み込む。
ガロンは召鑑士だ。
この世の宝石には力が宿る。
ガロンはその宝石の鑑定を生業にしていた。
鑑定を行うものを俗に召鑑士とよんだ。
「ワーウルフじゃ」
「ワーウルフはこの森にもいますね、軽い身のこなしで集団戦に長けた魔物です。
一匹々々はそこまで強くありませんね」
ハルビィが首をかしげる。
バルジールも同様だ。
「ふむ、そんな魔物の召喚したところで…」
「三百二十五匹じゃ」
「え?」
バルジールの顔は呆気にとられている、信じられないのだろう自分の耳を疑ったようだ。
「ワーウルフを三百二十五匹召喚できる。
小僧の魔力が、底無しであればな…」
基本、宝石一個から召喚できるものは一つだ。
例外もあるが、この召喚剣のように大量に召喚出来るものなどない。
「例外中の例外じゃな。
それにこの召喚剣、魔物を喰ようじゃ。
そして、召喚できる数、種類を増やしていく」
「そんなのありかよ…」
バルジールが召喚剣を、ガロンから受け取り宝石をまじまじと見つめる。
「ジル坊、それを使おうとするなよ?
喰われて召喚物になってしまうぞ」
ひぇっとバルジールは手元から召喚剣をこぼしてしまう。
「魔力さえ込めなければ召喚剣は力を発揮しないのですから、そんなに慌てなくても良いのでは?」
ハルビィが召喚剣を拾いながら、冷静に物の扱いを説いた。
朝、目を覚ますとバルジール達は出立の準備を整えていた。
「ほら、朝飯だ。
取り敢えず街まで連れていくから、記憶はゆっくり思い出していけばいいさ」
バルジールは、燻製肉と水をくれた。