第72話 傀儡
檻の向こう側で繰り広げられる凄まじい戦いを横目に、リーリャ達は即座に移動を開始した。
屋内にいるのを忘れてしまいそうになるほど広い空間の最奥に、その研究塔は存在した。
入口には大勢のアンドロイド兵が待ち構えていて、一斉の波状攻撃で出迎えられた。
店長の盾で防ぎ、黒炎を補充したばかりのルーパーの掃射がそれを黙らせた。
塔の内部へと侵入した三人は、ひたすら最上階を目指した。
セキュリティがかかっていたので、エレベーターのような装置は使用できず、階段を使うことになった。
どの文明レベルでも階段はなくならないのだということに少し安心感のようなものを覚えた。
各フロアはどれも生体実験を行う施設であり、目をそむけたくなるような光景がどの階にも広がっていた。
ここを元人間が管理しているなどと、悪い冗談のように思えた。
キメラを量産する大型の培養層があるフロアからは、ゴンドラで吊り下げられて大量に運ばれていくキメラたちを見送った。
そうしてリーリャ達は数十階に渡る行程を驚異的なスピードで駆け上がり、最上階へと到達した。
ギギ、ギギギギ
「フゥ。ここか」
「ぜぇぜぇぜぇぜぇぜぇ…」
「ジロウ、生きてるか?」
「ぜぇぜぇ、なんとか」
次郎は殆どルーパーの背中に乗っていた気がするが…。
フロアにはセキュリティがかかっていたので、リーリャはスキルで扉をこじ開けた。
そこは、見覚えのある部屋だった。
広い空間、傷やシミひとつない金属の壁、天井にまで届く大きな機械。
そして、それらが取り囲むように中央に配置された無機質なベッド。
モニターでナーシャが眠らされていた部屋で間違いなかった。
ナーシャの姿はなかった。
「ようこそ、お待ちしていました」
リーリャ達は、静かな声に出迎えられた。
「…あんたか」
テレビではよく見たことのある人物だった。
世界がこうなってからは、芸能人や俳優などよりもよほど顔は知れていた。
しかし、本当にこんな顔だったかどうか、自信はない。
彫りの深い顔だった。目元が窪んでよく見えないほどに、骨格のよく浮き出た顔だ。
「ナーシャさんをどこに隠したんですか!」
次郎が怒気をはらませた声で問いかけた。
「いますよ、近くにね。それよりも、人に会うのは久しぶりなのです。せっかくですから自己紹介をさせてください」
「不要だ、エウゴア。さっさとナーシャを出せ。さもなければ殺す」
戦斧を構えたリーリャが一歩前へと出た。
「まぁまぁ。ここで私を殺したところで、どのみちオメガにあの二人が殺されれば、次はあなた達の番です。そしてあなた達の実力では、あれに加勢したところで何の役にも立たない」
「貴様!」
リーリャはすぐにでも飛び掛からんばかりだ。
だがそれをしないのは、この男の得体が全く知れないからだ。
「誤解しないでください。あなた達は十分に優れている。ただあれらが異質なだけです。ワタセタイチ、とかいいましたか。献体の少女も含め、よく人のままあれだけ個を高められたものです。…まぁ少女のほうは少しばかり混ざってますが」
「…反吐が出る。あんたもガチャとやらを引いた人間なんだろ?なぜ侵略者から地球を守るためにその能力を使おうと思わなかった!」
リーリャはエウゴアを睨み付けたが、彼は涼しい、うすら笑顔のままだった。
「私の前職がなにか、知っていますか?リーリャさん」
「知らん」
「そうでしょうね。ただの人であった頃の私は、エル・ゴラという、そこそこ名の知れた科学者でした。ところで、ワタセタイチがあのガシャポンに使った金額を聞いていますか?」
「…なんの話だ。くだらん時間稼ぎに付き合うつもりはないが」
リーリャが戦斧を床に打ち付けると、ひどく硬質な音が短く響いて、消えた。
「ここの床や壁は硬いですから、音さえ満足に鳴りませんよね」
エウゴアは表情ひとつ変えずに話を続けた。
「おそらくワタセタイチは人類最強なのでしょうが、彼が最高額を投入したなどと思われているのは心外ですね。私は、賞で得た金や政府・企業からの科研費を惜しみなくあれに投入しました。田中次郎さん、あなたの国の金額でいえば、ざっと10億円くらいでしょうか」
「…たいした投資家ですね」
圧倒的な額だと次郎は思った。
太一は自分が渡した給料と、あとは掛け持ちのバイトで収入を得ていたような様子はあった。
それでもせいぜい、数百万円といったところだろう。
目の前の男は、どれだけの能力をもらったのだろう。
「それでゴミのようなスキルを大量にいただいたあげく、『私財以外は反則って言ったのに』と、私は地球の神から強化を打ち切られました。不思議ですねぇ、私の能力が正しく評価されて得た科研費が、私財以外のなんだというんでしょうか。…おっと、愚痴を失礼。まぁ私は、それでも地球を、人類を救うつもりでしたよ。大災厄が地球外生命体によるものである事は、アナスタシアのあの日の発言から予測が立っていましたから、種の一個体として当然の行動だと思いましたのでね」
怒りも悲嘆もなく、ただ平坦な調子のまま、エウゴアは話続けた。
「大災厄よりも前に、まさかのS級ダンジョンの飛来に巻き込まれて、そこで彼に出会うまではね」
エウゴアが短く呟くと、壁に映像が表示された。
そこにはオメガと太一、雪の激しい戦いの様子が映し出されていた。
「特等支柱の主。大いなる力を与えられたその一生命は、様々な惑星に先制的に埋め込まれた支柱が吸い上げた養分を存分に扱い、飛躍的に自らを高めることができる。あのオメガはただの破壊の権化ですが―彼は全く違った」
エウゴアは熱に浮かれたように話を続けた。
「彼は、全知全能でした。少なくとも、私にとっては!私が知っている科学は、彼の中では化石のような知識に過ぎなかった。それでも、彼は死にかけていた私を救い、見出してくれました!」
「ルシファーか」
リーリャが絞り出すように声を出した。
「様をつけたほうがより正解ですかね。私はね、全人類が超常の力を得てなお、人類は勝てないと思ったんです。いえそれどころか、抗うことがそもそも不自然だと思ったのです。リーリャ・グラジエヴァさん、あなたは遺伝子を組み替えられた野菜を可哀そうだと思った事はありますか?」
「…え?」
「ないでしょう。『食べたくない』と思ったことはあるでしょうがね。除草剤に枯れない、害虫に強い大豆は、明らかに優れた種に他なりません。それを『食べたくない』のは、それが未知のものだからです。生命の操作は、仮説とトライ&エラーでしか科学を進められない我々の、明らかに限界の向こう側にありました」
エウゴアは青白く、異常に指の長い掌をかかげ、そこに青い炎を灯した。
「私達人類は、彼らからすれば品種改良もままならない原始の豆粒でした。ねぇ、そのような存在のほうがよほど可哀そうだと思いませんか?」
「人類は、あえて時間をかけてその問題と向き合っていたのだ」
リーリャは思わず反論した。
「さて、そのような希望的観測は知りませんね。人類に時間など残されていないのですから。私はね、一科学者として、むしろチャンスだと思いました。人類種の絶滅を防ぐだけでなく、その存在を更なる高みへと導く。これは私にしかできない仕事だろうと!そう思ったわけなんです」
「…狂ってる。どうせお前はもう人間じゃないんだろう」
「人間ですよ。新しい人間であり、これからの人間の中心となる者です。つまり誰よりも人間なんですよ、私は」
リーリャは目の前の人間もどきが狂っていることは分かったが、それがどこからおかしいのかがよく分からなくなってきていた。
少なくとも、リーリャはエウゴアのペースに完全にのまれていた。
その時、ジロウが声をあげた。
「お話の途中すみません、エウゴアさん。ひとつ聞いてもよいでしょうか」
「ええ、どうぞ」
「あなたに、家族はいましたか?」
全く思いもよらない話題をふられたエウゴアは窪んだ眼窩の下で鋭い目線をジロウに向けるたが、すぐまたうすら笑顔を浮かべた。
「…いましたが」
「奥さんですか?」
「妻と…子と…」
「どうなりましたか?」
エウゴアからうすら笑いが消えた。
「死んだ。…いえ、いや、品種を改良しようとして…それで…途中までは良かったんだが…」
「分かりました、もういいです」
「…」
次郎はハンマーを取り出し、ルーパーの背へと飛び乗った。
「あなたの顔を見れば分かります。もう疲れたでしょう。例え人間であろうとなかろうと、あなたはやってはいけないことをしました。私たちは、全力であなたを止めて差し上げます」
「ジロウ」
さすが太一の元雇用主なだけはある、とリーリャは思った。
「運などというわけのわからんステータス以外はただの人間に過ぎないお前が私を裁くつもりか?面白い。…ククク。まったくこれだから救いがたいのだ、人類は」
「とびぬけた運の力はすごいんですよ」
「黙れ、思い上がりも大概にしろ!!」
エウゴアは血走った目で叫び、青い炎の波動を次郎目掛けて放った。
麻痺性を伴った超高熱の炎の渦。
ルーパーはそれを宙返りしてさらりと躱した。
次郎が察知し、ルーパーが躱す。
太一の『念話』のリンクで再びつながった二人のコンビネーションは完璧だった。
「ほっほ、未知を避けることが愚かだと語ったのはあなたですよ」
「その通り。ではお前は希少なサンプルだな!!」
エウゴアはそう言うと、何もない空間から突如として何十丁もの重火器を召喚した。
「まずはしっかり解体して、そこからゆっくりと科学の進展に役立ててやろう」
そのすべてが一斉に火を噴いた。
まばゆいマズルフラッシュと爆音、迫る炎と銃弾、砲弾の嵐。
「ヒャハハァ!さっそく二体殺った!」
エウゴアは、喋っている間にひそかに練り上げていた錬成武器を、一息で全て解放したのだ。
「ジロウ!」
焦った表情を浮かべるリーリャ。
「クク、お前は、後で美しく処理してやりますからねぇ」
いつの間にか、サディスティックな表情となり、言葉尻も変貌したエウゴアの姿がいた。
これがこいつの本性らしい。
どうやら、根っからのクズだったようだ。
煙幕に包まれたジロウとルーパーの姿は確認できない。
エウゴアは歓喜の表情で撃ち続けている。
そんな中、リーリャは冷静に壁や床を観察した。
傷一つついていない。
ここもまた随分丈夫にできているようだ。
(これならナーシャに危険が及ぶこともないか)
「クク、強化された私の魔弾の味はどうです?知力にも武力にも優れていないと、新たな人類のリーダーは務まらないですからねぇ。あなたも私の下に来る気はありませんか。可愛がってあげますよ」
余裕の表情となったエウゴアはリーリャへと話しかけてきた。
どうやら全弾撃ち尽くしたようだ。
下卑た表情の狂人に向けて張り付けていた焦りの表情を取り外すと、リーリャは侮蔑の視線と共に言葉を返した。
「あんたが馬鹿でよかった」
「…へ?」
理解できなかったらしい。
呆けたそのエウゴアの横顔目掛けて、煙幕の向こうから放たれたのは、黒い炎。
ゴウ、と一瞬の音をたてて、エウゴアの全身が炎に包まれた。
「あぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」
「この四カ月、私はジロウを見てきた。あいつももう十分バケモンだよ」
煙の中から無傷のジロウとルーパーが現れた。
ルーパーの口からは煙が上がっている。
「ほっほ、リーリャさんのおかげで上手く隙がつけました」
「るぱ」
「毎回思うけど、なんであれだけの弾が避けられるんだろうな」
「あれだけ放ったら、むしろ弾同士がぶつかり合っちゃうもんですよ」
「むしろ、ね」
リーリャは苦笑した。
「かほっ」
炭の塊となったエウゴアが、口から炭を吐き出した。
まだ生きているようだ。
「さすがしぶといな、今楽にしてやる」
リーリャが近づくと、真っ黒な顔から白い眼球が現れてリーリャをじろりと見つめた。
「私を殺したら、アナスタシアの居場所が分からなくなりますよ?」
リーリャは、気持ち悪いと思った。
今の見た目もそうだが、ちゃっかり彼女を呼び捨てにしている事もだ。
「チッ、そういう命乞いで来ることは想定されたが、やはり下衆か」
「なんちゃって。彼女はこの床の下に隠しています。リフトの起動ボタンはアレですよ」
エウゴアはすぐに言を翻すと、視線で赤い大きなボタンを示した。
「そんな情報が…」
リーリャがそう言おうとしたところで、変化が訪れた。
エウゴアの身体が、細かく震え始めたのだ。
危険を察知したリーリャは距離をとった。
「なぁジロウ、こういう、悪役が勝手に情報をベラベラ喋り出した時って」
「えぇ、定番ですね。奥の手があるのでしょう」
次第に炭となった皮膚は剥がれ落ち、下から筋組織の塊のような肉芽がメリメリと生えてきた。
小柄だったエウゴアの身長はどんどんと膨れ上がっていった。
「私の真の姿をお見せしましょう。これからの新しい人類とは、変身するものなのですッ」
(そんなわけないだろーが…)
リーリャは呆れたが、目の前の怪物が脅威となりつつあることは紛れもない事実だった。
「ルパちゃん!」
「るぱぉー!」
変身を待つ必要などない。
リーリャに指示されたルーパーは再び黒炎を放った。
しかし炎はすり抜けて、その身体を焼くことはなかった。
「おっと、私の真の姿は、ありとあらゆる属性に極度の耐性が備わっています。その不愉快な黒い炎も無駄撃ちになりますからやめておきなさい」
異常に太く長く発達した上腕、チーターの後足のような脚部、ワイヤーのような筋繊維が隆起した胴体、そしてグロテスクに後方へと伸びた頭部。
右腕には大砲と大剣を組み合わせたような銃剣が備えられている。
元の姿の面影など、かけらも残ってはいなかった。
「魔弾が当たらないというのであれば、直接殴るしかありませんよねぇ」
ニヤリとその大きな口が笑う。
次の瞬間、エウゴアの姿がぶれた。
ガキィィン!
ルーパーの頭部を切断せんと振り下ろされたギロチンのような大剣は、リーリャの戦斧がすんでの所で止めていた。
「る、るぱ」
おそるおそる剣先をみつめるルーパー。
そのまま両者は何合か撃ち合った。
利き腕が再生したリーリャの斧さばきは、見惚れる程に見事だった。
明らかに膂力が格上の相手に対し、一歩も引くことなく、彼女は舞うように戦斧を振った。
そしてリーリャの戦斧に身体の一端が切り裂かれたのを見て、エウゴアは飛び退いた。
「ほぉ…筋力の限界突破は未達成のはずだが…少々見くびっていましたか」
「武術の素人に真向勝負で負け続けては、師匠に顔向けできないもんでね」
リーリャはそう言いながら、体内で練気を続けた。
映像を見る限り、オメガの強さは彼女の理解を超えたものだった。
勿論、それに対抗している二人の強さもだが…。
自分程度では足手まといにしかならない。
だが。
(ジロウとナーシャの存在が、勝敗を分けるかもしれない)
なるべく早く決着をつける必要がある。
筋力を増強する『MMM』は既に発動した。
己がやることは一つ。
新スキルをしかるべきチャンスでぶち込み、あの気味悪い頭部と胴体を泣き別れにさせるのだ。
「第二ラウンドは私の番だ。疾っととかかってこい」




