第62話 第二のS級②
三か月前の悪夢の再来を阻止すべく、S級ダンジョンマスターとのリベンジ戦が始まった。
手にした鎌を掲げて無数のカマイタチの塊を生成している雪。風神を祀る一族の末裔である彼女は風に愛され、操る超級魔法の威力は極大級にも匹敵する。
「疾ッッ」
大小様々な無数の風の刃が、オメガの眼球、首筋、胸部、関節、アキレス腱といった急所へと容赦なく殺到していった。
それを見送りながら、太一は空から、クリスは地上から巨人へと接触した。
メキメキと音を立てて木々が踏み倒されていく中、クリスは巨大な足部に取り付いた。アイアンフィストに仕込んだ鉄の爪を杭として駆け上ろうとするが、微塵も刺さらないことを確認すると、『瞬歩』を応用した壁蹴りの要領で駆け上がっていった。
あいつ、ホント何でも出来るな…。
彼は守護神との同調は始めているようだが、まだ神威を発動させてはいない。
俺達にはスキル『金剛』があり、攻撃の見極めさえできれば最初の一発目はそれで防げる。脳への負担を最小限にするための措置だろう。
雪の放つ魔法は大した威力だが、やはりオメガには効いていない。目への攻撃だけは鬱陶しいのか、時折瞬きをさせているが、その程度だ。
だがそれで十分。俺たちがしようとしているのは、奴に対するあらん限りの嫌がらせだからな。
俺も負けじと、『ペネト☆レイ』を撃つための魔力を充填し始める。
すると、急に視界が黒いもので覆われた。
ブゥンッ!
やっ…
ガキィン!!
ば。危なかった。
また石柱による攻撃を受けた。間一髪、『金剛』の防御が間に合った。弾き飛ばされたあと、距離をとって空中で静止する。練った魔力は霧散し、スキルのクールタイムが訪れる。
そうか…筋力と敏捷の境界は曖昧だと感じてはいたが、あれ程双方のステータスに差があれば、仕組みもはっきり分かるというものだ。石柱の一振りは恐ろしく速かった。生物の常識が当てはめられるのであれば当たり前だが、攻撃のスピードは筋力(理力)の影響を受けるらしい。油断もあったが、俺でも避けきれないほどに。
そして魔力を察知するスキルでもあるのか、魔法に対する反応が早すぎる。近距離で迂闊に魔法は使えないな。
「レーザーは有効だろうが、使うなら距離をとれ」
クリスからの指示がとぶ。あぁ、今のでよく分かったよ。黒炎も仲間を巻き込むから使えないし。
「攻撃はお前じゃひょっとすると目で負えない速さだぞ!すぐ神威を展開したほうがいい!」
返す言葉でクリスに檄を飛ばす。
「もうやっている」
見れば、クリスの身体を黄色に耀く淡い流線が取り巻いていた。元々防御に秀でた神が待つ色だ。
そして神威に脅威を覚えたのか、魔力に対する反応程ではないが、オメガは初めてクリスを有害と認識し排除を開始した。ちょうど腰の辺りを駆け上がっていたクリスは手で振り払われ、空中で無防備となった。
次の瞬間、ハエを駆除するかのように、オメガの両手がクリスを両方から挟み込むように叩き潰した。
バチィィン!!!
「ひっ」
小さな悲鳴が漏れる。
「大丈夫だ雪」
後ろの雪へと声をかけた。クリスの防御の神威は完璧だ。心配する前に、俺も意識を集中させなければならない。
『…?』
矮小な存在をぺしゃんこに潰した筈の掌から妙な感覚を感じて掌を開いたオメガは、それを潰し損なったことに気が付いたようだ。
身を縮め、バカみたいな破裂音と圧力、衝撃を何とか耐え抜いたクリスは、自身の背丈程もある巨大な親指を鉄棒がわりに跳躍すると、オメガの左胸に取り憑いた。
クリスの腕を覆うかのように黄流線で形作られた巨大な前腕が展開された。それは迸る星のエネルギーを纏いながら握り拳を作ると、クリスと共にオメガの胸を強かに打ちつけた。
ドンッ!
オメガの呼吸が、わずかに喘ぐ。そのデタラメな強度の体表に打撃で傷をつけることは敵わないが、クリスの奥義と憑の神威を合わせた強烈な一撃は、内にある心臓を僅かにだが揺らしたようだ。
さすがだ。俺も後に続く。飛び出す先の標的は一つ。足首だ。
この戦いのために装備クーポン下を二枚使用し入手しておいた二振りの小刀を構える。長くは保たないだろうが、基地にある量産武器よりは遥かにマシだからな。
地面に着地すると、赤色に耀く流線を小刀に伝わせた。物理攻撃に秀でた龍神の神威だ。武器の強化が戒の神威の本質だから、下のクーポン武器であっても、そう簡単に折れることはない。
「!」
オメガの移動を止めるため、ザクザクと足首の削ぎ落としを開始した。慣れない双剣だが、手数で部位欠損を狙う今はうってつけの装備であるはず。アキレス腱なんてものが本当に存在するかは知らんが、無心に基本の型を繰り出す。地味だが、少しずつ皮膚は削れているようだ。
ズゥゥゥン!ズゥゥゥン!ズゥゥゥン!
肝が冷える。痛覚に乏しいのか反応は緩慢だが、俺の神威に反応し時折踏み潰されそうになる。俺はクリスほどには神威の防御性能が高くないので、基本は回避しなければならない。『念動力』もとっくに発動させて、紙一重で巨人の掃打を避けながら切削を続ける。
はぁ、やっぱり俺は重たい棒でガツンとやるのが性に合ってるな。
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雪は戦況を苦々しく見つめていた。
クリスは先のダメージのために一時離脱し大量のポーションを服用している。神威の三段階目を使ったことで敵の歩みは一瞬だけ止まったが、それだけだ。クリスは副作用も相まって脳が揺れ続けているのだろう、足取りがおぼつかない。それに対し、巨人は再び何もなかったように歩き出している。
太一は巨人の足元で綱渡りの攻撃を続けている。もし先に武器が壊れてしまえば大きなタイムロスとなるだろう…。既にメキシコラインは遠く彼方だ。
だが何より一番の問題は、私の風魔法が敵に擦り傷さえ付けるに至ってないという現状だ。でも仕方がない、私は近接戦闘タイプなんだから。
半機半生の左腕を見る。私の生命エネルギーを食わせてやれば、掌に触れた万物を消滅させることができる。これでオメガの足首の皮膚さえ消滅させれば、あとは兄さんが何とかしてくれるだろう。そうだ、私の存在価値はこの腕で兄さんの役に立って、一刻でも早く悪魔達を地球から駆逐することじゃないか。私の命はあの日兄さんに地獄から救ってもらって以来、兄さんのものだ。何をためらう必要があるのか。
異形の掌を握りしめる。ギシギシと、悲鳴のような鉄擦れの音がした。
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…雪のことだから、とかなんとか思ってそうだなぁ、そろそろ。はぁ、俺がちんたらやってるから。
「兄さん!」
ほらきた。
三人の念話リンク内で雪が発言を続ける。
『私が異能で足首の皮膚を削るわ。削れるだけ削ったら離脱するから』
『だめだ、お前はさっきのクリスみたいに掴まれでもしたら本当に挽肉だぞ』
『構わない。全て回避すればいい。自分の身は自分で守るわ。兄さん、私を子供扱いしないで』
『いや子供扱いだなんて…』
『そこらへんにしておけ』
クリスが仲裁に入ってきた。
『雪の案は採用だ。蹴りや踏みつけは自分で避けろ。ただし、腕や石柱が伸びてきたら、一度だけ俺が何とかする。その間に雪は離脱しろ。あとはタイチ、きっちりやれよ』
『あは、さすがクリス、話がわかる』
『わかったよ二人とも。くれぐれも、こんなところで命を無駄にするなよ?』
「行くわ!」
雪が俺の隣、地面すれすれの所まで降りてきた。地響きを立てながらゆっくりと、しかし実際にはスポーツカー並みの速度で目的地へと体を運ぶ巨人の足を、二人並んで忌々しく見つめた。
「ふー……」
愛用の死神之鎌は背中に収納されていた。機械仕掛けの左腕がギチギチと、軋むような、何かを食らわんとするような、独特の音を立て始めると、いつの間にか、掌には次元を歪ませたような非透過の薄い領域が展開されていた。
巨人は、どうやらこれには反応してこないようだった。雪と顔を見合わせると、彼女は素早く足首の一番皮膚が薄い場所に対して、異能の技を仕掛けて行った。
「『反物質的掌打撃』」
通常モンスター相手には掌打による頭部の消滅を狙っていたが、今はより幅広く消滅させるため、指先まで展開されたフィールドで薙ぎ払うように仕掛けた。
「あああああああ!!!」
雪は足首に取り付いて、何度も何度も対象を抉りとった。分厚い皮膚や皮下脂肪がどんどん薄くなっていくにつれて、雪の顔色もどんどん青白くなっていった。そして遂に、急所であるに違いない、足関節を支える腱が露出した。
「おい雪良くやった、もう十分だ!そろそろ…」
『グオオオオォォォォォ!!!!!!』
「ぐッ!」「えっ…」
何をやっても俺たち自身を脅威とはみなしていなかったオメガが、吠えた。
ダンッ!
ズゥゥゥゥゥゥゥン!!!
鼓膜をつんざく大咆哮とともに、勢いよく一跳びに退くと、臨戦態勢のような構えをとった。その目はまっすぐ雪を見据えており、まるで怯えているかのようにも見えた。
『グオアアアアアアアアアア!!!』
怯えを振り払うかのように、オメガが石柱を握りしめると、嘗てないほどに石柱の文字が輝きだした。圧倒的な膂力が、膨大な魔力に変換されているらしい。俺の五感や第六感が、生命の危機に対する最大級の警告を鳴らしている。どうやら…奴を本気にさせてしまったらしい。
「さぁて…」
俺にも切り札はあるにはある。だが、あの一撃を止めることはほぼ不可能に近いだろう。
『龍の翼』を使えば避けることはできるだろうが…。
雪は生命力を随分消耗して、肩で息をしながら俯いている。過剰行使しすぎたのだ。
…やるしかない。
ドンッ!!!
ズシンズシンズシンズシンズシンズシン!!!
勢いよく地面を蹴って、巨人が突進してきた。
天変地異でも起きたかのように大地が揺さぶられている。
さて、数秒以内に真っすぐ雪目掛けて振るわれるであろう石柱を食い止めるためには、もうこれしかないだろうな。
神威の同時行使。
内なる魔神様への祈りを捧げる。かの神の好む情動は、嫌悪と、殺戮衝動。
同じ祈りでも、心を無にするという般若心経とはえらい差である。
ボイタタと練習していた時に、一番苦労した貢物の奉納だ。これをやると、どす黒い負の感情がどろどろと渦巻いて、しばらくきついんだよな…。
…目を閉じる。
次々と思い浮かぶのは、雪と、巨人。ナーシャとルシファー。そして、母の最期の姿。
『うふふ、太一。あなたの混沌はとっっても美味ね。そう、いつも。あの外敵を退けるために力を貸しましょう。ふふ、また困ったときは、いつでも私を呼んでね♪』
人を惑わすような誑かすような、そんな内なる囁きが通り過ぎていった。相変わらず、魔神は苦手だ。
目を開くと、両腕に持った双小刀は、紫色の耀きをもって、巨大な二振りの大太刀へと姿を変えていた。更に、それを包みこむように伝わる、赤色の耀き。
たった今だけ、最上位の二柱の神の力が、このただの人の身に宿っている。
この…状況は…長くは…もたない…。
オーバークロック状態の脳に残ったメモリはわずか。シンプルな命令しか下せない。
あの石柱をはじき返せるだろうか。はじき返した後は…?
もういい、とにかく俺はあいつを★☆したい。
「ワタセタイチ!石柱は俺が防ぐ!お前は足をやれ!」
クリス?
そこからは、自然と『超集中』のかかったようなスローモーションの世界だった。
『金剛』をもって石柱の初撃を防いだクリスは、弾丸のような速さで後方へと吹っ飛んで消えた。
だがそのおかげで石柱の軌道は俺たち二人から逸れていった。
俺は大太刀を背負って、弾かれたように足首めがけて走った。
途中奴の片腕が俺目掛けて伸びてきたが、一の刃で難なく弾き返した。
足元にたどり着くと、夢中で『龍の爪』の乱舞を放った。無数の刃は露出した急所のみならず、斬撃は骨まで到達し、ついには大量の血が鉄砲水のように噴き出した。動脈を切ったのだろう。
『グゥオオオオオオオオオ!!!!!』
ズゥゥゥゥゥゥン!
「…ふぅ」
巨人が地にひれ伏したのを確認してから、神威を解いた。それと同時に、手にしていた小刀は2本とも跡形もなく消滅した。
ありがとう、おつかれさま。
「っいてぇ…」
はんぱない頭痛が襲ってくるが、クリスのおかげで時間が短かったし、とりあえずは大丈夫だ。
巨人の足元には大量の血の池ができており、かなりのダメージも与えられたことがわかる。
「兄さん…ごめんなさい」
青白い顔した雪がしょぼんとした顔で歩み寄ってきた。
とりあえず頭を撫でておいた。
「何言ってるんだ、よくやったな。それより、クリスを探してきてくれないか、『金剛』が切れた後、きっとダメージを受けてボロボロになってるに違いない」
「わ、わかった!」
雪が走り去ったのを見届けて、うつ伏せに倒れこんだオメガの顔の方へと歩いていく。
『グゥゥゥゥゥ…』
オメガは半分切断されかかった足首を両手で抑えて止血に専念しているようだ。
今ならトドメをさせるのでは?という思いもあるが、俺たちもボロボロだ。今は深追いして命を落とすべき時ではない。なんとかこいつと交渉して、巣へと帰ってもらえないだろうか。
奈良の仏像のように大きな顔の前までやってきた。オメガの薄っぺらな顔には表情筋というものがそもそも存在しないのだろう。苦々しく思っているのかどうか。なにを考えているかは分からない。
「なぁ、俺の言葉がわかるだろう。今日は痛み分けということで、帰ってくれないか」
『…』
オメガの大きな眼球が俺の姿を捉えた。瞳は全身鏡のように俺の姿を映して、まるで自分自身と対話しているかのような気分になった。
『トドメヲササナイノカ?ハメツノチカラヲモッタニンゲンノナカマヨ』
どうやら言葉が通じるらしい。
「お前がこのまま帰ってくれるのなら、今日はこれ以上やり合うつもりはない。どうしても南へ行くっていうのなら、脳を溶かしてでも、俺はお前を殺す」
『………』
しばし、巨大な眼とにらみ合った。
本来なら恐怖で飛び退きたいような状況だろうが、オーバーヒート後の俺の脳は恐れや戸惑いといった機能を忘れ去ってしまったかのようで、俺は巨人の眼をじっと見つめ続けた。
『……ヨカロウ。ワレハ、ヒク』
どうやら、交渉は成立したようだ。
なんとか血が止まったらしい巨人は、よろよろと立ち上がると、その場で北へと進路を変えた。
あの様子だと『超回復』といったスキルは持っていないのだろう。今回はそのおかげで助かった。
「一つ!聞きたい!」
立ち上がり、天高く離れたオメガの耳に届くように、叫ぶ。
「俺の仲間を知らないか!力をもった人間三人と、白い龍だ!」
『…』
オメガはびっこを引きながら、黙って北へと歩きだした。
やっぱだめか。
そう思ったとき、オメガは歩みを止めて、ポツリとつぶやいた。
『ワガシチュウ、ヒョウソウニフウジタニンゲンタチカ、ヨカロウカイホウシテヤル。タダシミコヲノゾイテナ』
「巫女…ナーシャのことか!?なぜ彼女だけだめなんだ!彼女も返してくれ!!」
『…ホッスルナラバ、オノレノチカラデトリモドセ』
それきり、何を言ってもオメガが言葉を返してくることはなかった。
ゆっくりと、北へと歩いて去っていった。
「…くそ」
だがあの表情のない巨人とは、敵の中では初めて、ちゃんと心が通ったような感覚があった。
そして仲間の居場所も。アメリカのS級ダンジョンの表層に、店長、リーリャ、ルーパーが封じられていると言った。解放したとも言ったが、本当だとして、あのS級ダンジョン圏から店長たちだけで自力で脱出することは不可能に近いだろう。きっとそれを分かって、大人しくしていてくれるに違いない。
俺たちが助けに行かなければ。
「タイチ、退けたか」
雪に肩を借りて、クリスが戻ってきた。
全身切り傷だらけの血まみれだが、無事のようだ。
「クリス、無事でよかった」
「フン、当然だ」
「あら、当然なの?」
雪がつん、と脇腹をさすと、うぐ、と呻き声が上がった。
相変わらずこいつは雪に弱いな…。
クリスを『ヒール』で手当てしながら、二人に先ほどのオメガが漏らした情報を伝えた。
「嘘だと思うか?」
クリスに尋ねる。
「分からん…分からんが、この三か月何の進展もなかった中で初めての、しかも直接的な情報だ。罠かもしれん。だが挑む価値はあるだろう」
まぁな、尋ねておいてなんだが、最初から腹は決まっていた。
俺の『意思疎通』は、嘘をついてるかどうかには、明確に反応するから。
「ブラジルA級に挑むのは保留だ。あそこのスタンピードは基地や魔導兵たちで何とかしてもらう。帰って傷を癒して、しっかりと準備をしてから、俺たちの総力を挙げてS級に挑もう。きっとナーシャも、一番奥で待ってる」
「あぁ、アレクとジャンにも、すぐに連絡をとろう」
「…」
雪は何も言わずに、頷いていた。
巨人の大きな足跡は、南米大陸に差し掛かろうかという地点まで到達していた。
パナマにできた巨大な血の池は、自然に消えることはなく、その場に暫くの間、残り続けた。
聖女パーティ改めゲートバスターズの戦士たちの初の安否情報はダン協内部で広く伝達され、オメガを追い返したことも乗じて、この絶望的な状況下で、久々にダン協構成員たちの士気は高まった。
ただひとり雪だけが、誰にも言えない思いを抱えていたことに、太一は気が付かなかった。




