第57話 救済と、絆
表層で雪とコンタクトをとることは、諦めた。
何度繰り返しても、一つとして事象を変化させることは敵わなかったからだ。
「探したよ、お嬢ちゃん」
もう何度見た光景か分からないが、彼女がエウゴアに連れ去られた後、俺は納屋の中に留まった。
何故か。深層へと通じる穴は、ここにあるわけではないのだが。
何度も繰り返す中で、穴の場所は見つけてある。それは、彼女の家だ。
村長宅への道すがらに彼女の家はあり、いつでも深層へと赴くことは可能だ。
だがその前にやっておくことがある。
なぜ彼女が、この場所に何度も何度も帰ってくるのか。その疑問の解決だ。
最初は、母親に避難を命じられたこの場所が彼女の唯一の心の拠り所なのかとか、地獄から逃避できる場所を無我夢中で探しているうちに、いつの間にかここに座標が固定されてしまったのか、とか色々考えた。
だが、よくよく彼女を観察すると、彼女はここでただ身を隠しているだけではなかった。
エウゴアに見つかるまでの短い間、暗がりの中で、何か探し物をしているような様子があったのだ。
それを見つけてやれば、彼女はこのループから抜け出せるかもしれない。
納屋の隅々にいたるまでに、『念動力』によるサーチをかけた。
実際に物に触れられるわけではないのだが、これで魔力的な知覚は働くらしい。
そしてそれは、すぐに見つかった。確証はないが、これが探し物である可能性は高いだろう。
もしチャンスが訪れれば、彼女に教えてあげたい。
願わくば、それが彼女が立ち直るためのきっかけになればよいのだが。
納屋から出て、雪の家へと向かう。
深層への入り口は、ニ階にある彼女の部屋だ。
机の上の写真立てに目が留まる。
家族写真が飾ってあり、優しそうなご両親と、お兄さんが写っている。
お兄さんは双子だったようで、彼女と瓜二つだ。きっと、仲良しだったのだろう。
…あまり人の過去の世界を詮索するのは良くないな。
目的のクローゼットを開くと、まさに次元の割れ目といった不可思議な光景が広がっていた。
…ここから先は、本来は他人が入っていい場所ではない。速やかに、事を済ませよう。
今一度、己が彼女を救うという強い意思をもっていることを確認して、中へと侵入した。
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そこは、草原だった。
広い空と、何も遮るもののない、真っすぐに伸びた地平線。
だが、空は暗く淀み、草木は枯れ果てている。
これが元々だとは思えない。確実にいるのだろう、元凶が。
ここは自我が作り出した虚構の映像世界じゃない。
俺の力も、この領域ならば発揮できるはず。
精神汚染を来している元凶を速やかに見つけ出して、排除しよう。
相棒である太極棍を取り出すためにアイテムボックスに手を差し込む。
あれ、おかしいな、いつもはすぐに出てくるんだけど…。
…あ。
そういえば、ロシアで死んだ時に持っていた武器が、あれだったか。
回収できなかったのか…。痛いな…。
ついに特上装備クーポンを使ってしまうか?
うーん。
迷った末に、二挺拳銃フォースリンガーを取り出した。
限界突破した今の魔力では、下手に込め過ぎれば壊れるかもしれない。大切に使おう。
この領域内に汚濁を振りまいているであろう、元凶。
その気配へと向かって、まっすぐに走っていく。
目的の対象へは、容易にたどり着いた。
「グゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥオオオオオオオオオオオl!!!」
(ひどい臭いだ)
臭いだけじゃない。なんとまぁ醜悪な姿だ。
そいつが立っているのか座っているのかすら判別がつかないが。
ともかくそいつが存在している地点から、汚染は広がっていた。
この存在の姿を形容するとすれば、まさに、キメラ。
掛け合わされた生き物同士が適合できず、肉がどんどんと腐り落ちているような。
―生命の冒涜。
そんな使い古された道徳の言葉が、一番しっくりときた。
彼女の全身をとっかえて乗っ取るつもりだったのが、腕しか味方がこなかったものだから、逆に異物と認定された。
その挙句、こうして身体が腐っているんだろうな。
「…反吐が出る」
銃に何千発分もの魔力を込めて。
「全弾総発射」
迷わず打ち放った。
ィィィィィィィィン!
暗く淀んだ大気を引き裂くように、強い光が空へと昇って行った。
「グゥアアアアアア…ア‥‥…ァ…ァ…ァ………ァ」
ベチャッ
細切れになった肉の塊たちが、ボトボトと地面に落下していく。
こいつらは汚染物であり死んだだけでは不十分。余さず消毒して帰らないとな。
さすがに雪の中でイン★フェルノをぶっ放つ訳にもいかないので、肉片たちは、ファイアで丹念に焼いていった。
焼き残しがないよう、作業に没頭していた。
地面の茶色い染みが消えかかる頃には、空は青く澄み渡っていた。
草木には緑が戻り。
どこからともなく風が吹いて、草木を優しく撫でては、消えていった。
(綺麗な世界)
これが本来の、彼女の心なんだ。
明るく、自由奔放で…家族に愛されて育ったのかな。
多分、俺の世界じゃ、こうはいかないだろうな。
(あ…。…俺っていう人間は本当に、なんてバカなんだろう)
よりによって彼女の前で、あんなことを言ってしまっただなんて。
雪はこんな綺麗な世界に住んでいたのに、今では、あの地獄の中をループする様な目に遭っているー。
彼女の自我を治療しなければ、結局はじきに、先程の姿に戻ってしまうだろう。
早く戻らなければならない。
ーだがその前に。
「ねぇ、いるんだよね」
気配を感じたほうへと。声をかけた。
すると黒いモヤの塊がどこからともなく集まって、人型のような形へと変わっていく。
人様の精神の中で銃を撃ったり魔法を使ったりしていたから、こうして現れたんだろうな。
彼女の防衛機制が。
俺に対して非常に警戒しているようだ。
すぐに武器をしまう。
「俺は君を助けに来た」
「…」
「だがその前に、ひとつ君に謝らなければならないことがある。過去の俺は、世界が変わることを望んでいた。君は覚えていないかもしれないが、それを君に正直に告白したこともある。だがそれは、大きな間違いだった。世界は元々、とても綺麗だったんだ。俺が気づいていなかっただけで。今世界は、ひどく歪なものになってしまっている」
「…」
「ごめんなさい」
深く、頭を下げた。
この領域の支配者である防衛機制に攻撃されたら、侵入者である俺は致命傷を受けるかもしれない。
それでも、頭を下げて、謝りたかった。
どれくらいそうしていただろうか、気配はどこかへ消えてしまった。
頭を上げると、もう黒いモヤは消えていた。
攻撃は、されなかった。
その時、消えたモヤと入れ替わるように、一陣の大きな風が吹き抜けていった。
(…早く助けに来てね)
風に乗って、そんな声が聞こえた気がした。
最後にもう一度振り返り、彼女の中の深淵を見渡す。
明るくなった世界。草原の向こうには、陽光に照らされた、海が広がっていた。
あの向こうが、彼女にとってのエスだろうか。
―エスは、その人にとっての、理想郷。
(俺にとっての理想郷って、なんだろうか)
(あるいは、ナーシャにとっての…)
そこに足を踏み入れてみたいという誘惑がある。
でもそれは、人が人らしく生きるためには、危険な発想だろう。
(痛っ)
突然、頭痛がした。
ほらみろ、妙なことを考えるからだ。
…早く、戻ろう。
雪を一刻も早く救い出したいんだ。
柔らかな草木の上を走りだす。
雪の自我が待つ、意識層へと向かって。
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クローゼットを通って表層へと戻った俺は、納屋の中で、彼女がやってくるのを待った。
出来る限りのことは、やった筈だ。
ズキ、ズキ
さっきから頭痛が止まらない。
もしかすると、俺の精神の疲労がやばいのかもな。
いかんせん、ここでの俺は完全に異物だから。
試しにヒールをかけてみるが、案の定無意味だった。
残された時間は少ない。
今の俺にとってもだが、雪の時間は、もっともっと少ない。
ダイブする前の雪は、顔色が悪かった。次があるとは、思わない方がいい。
「ハァ、ハァ」
そして彼女は、またここに、帰ってきた。
最初に見たときは気が付かなかったが、やはり彼女は何かを探しているようだ。
彼女の顔を正面からのぞき込む。黒いモヤは、かかっていなかった。
よし。
「こんばんは」
出来るだけ優しく声をかけたつもりだ。
「だ、誰!?」
「君を助けに来た。俺は世界の外からやってきた、ここには存在しない人間だ。何故なら、ここは君の記憶が作り出した世界だからね」
「な、なにを言ってるの…?あなた」
「雪、君はここで、何度も何度も酷い光景を目にしてきた。よく頑張ったね。でももう、終わりにしよう。ここは君がいるべき場所じゃない」
「…言っていることの意味が…」
その時、あの足音が聞こえてきた。
納屋の扉が開き、エウゴアが彼女を迎えにやってくる。
「探したよ、お嬢ちゃん」
「ひっ!もうあそこはいやだ!もうみんなのあんな姿…みたくない。もういやーーーーー!!!」
俺が理を外したことがきっかけで、彼女もループの記憶が戻ったのかもしれない。
(雪を守るんだ。URスキルの力を信じろ。必ずできる)
「失せろ!!!」
ありったけの威圧を込めて、スキルの力を行使した。
(ぐッ!)
割れんばかりの頭痛がした。
頭がくらくらするが、ここで意識を失っては、また雪が連れ去られてしまう。
そうなってはもう終わりだ。
納屋に入ってこようとするエウゴアを、睨め付け続けた。
しばらく俺の威圧を受けたエウゴアは。
やがて、ここでは何も見なかったかのように、無言でドアを閉めて、去っていった。
(やっ…た)
あいつを追い払った。
(痛ッ)
頭痛がやまない。
鼻の下をぬぐうと、鼻血が出ていた。
「…おにいさん、大丈夫?」
「あ…あぁ、大丈夫。俺は渡瀬太一っていうんだ。君は、記憶が?」
「…うん、思い出した。全部。あなたが助けてくれたんだよね。…ありがとう」
気が付けば、彼女の左腕は、異形の形へと変わっていた。
髪の襟足も、紅く染まっている。
「でも私、こんな姿になっちゃった。もう、村の皆といっしょ、人間じゃない」
「誰が何と言おうと君は人間だ。だから、元の世界に戻ろう」
「…そうかな。私のこの気味の悪い左腕で、大怪我した人もいるんだよね」
「…あぁ。でも君は奴らの一番の被害者で、意識もなかった。やり直す権利は誰にだってある。君の事を悪く言うやつは、俺が許さない」
「…おにいさんは、なんで私のためにそこまでしてくれるの」
「なんで、なんでか。色々あるような気がする…けど」
「…けど?」
「この先、君が幸せを取り戻してくれたら…俺はすごく嬉しい」
「…そう」
俺は彼女の左の掌を、俺の右の掌で、握った。
「ちょ、ちょっと何してるの!バケモノの腕だよ!?制御なんてできないのに、おにいさんの手が消えちゃうよ!」
「大丈夫、俺はこう見えて、結構凄いんだ。一回死んでも生き返れるし!」
「そ、そうなんだ。でも、もう誰も怪我させたくない。また腕が独りでに暴れるのは…怖いよ」
それは、怖かっただろうな。
自分の腕が自分の言うことを聞かず、人を傷つけたら、怖いだろうな。でも。
「大丈夫、もう暴走しないよ、原因は取り除いたから。欲しくもないだろうけど…この腕はもう君のものだ。残酷なようだけど、もし君が…ケガをさせた人達に報いたいと思うのなら、この腕がもつ力を、この先、人を助けるために使ってほしい」
「人を…助ける?」
「あぁ、君にはその力がある」
「…無理だよ。もう、故郷も、家族もいない。こんな世界で、ゼロから、やっていけないよ…」
雪は、頭を抱え込んで、震えている。
彼女には、生きていくための支えが必要だ。
どうすればよいだろうか…。何か…。
(そうだ!)
さっき見つけた…今なら。
狭い納屋の中をえっちらおっちら歩いて、先ほど見つけた彼女の探し物を、『手に取る』。
「ねぇ雪、君は探し物をしていたんじゃないのか」
その言葉を聞いた瞬間、彼女の震えが止まった。
目だけだが、こちらを向いてくれた。
「もしかして、おにいさん、場所を知ってるの?」
「あぁ、納屋の中で見つけたんだ。これじゃないか?」
彼女の右の掌の上に、小さな木箱を手渡した。
彼女がおそるおそる箱を開けると。
雪の結晶のような、綺麗な水晶が入っていた。
「う…うぅ…おかあ…さん」
それは、風の神を崇める一族の末裔としての証。
大災害が起きた後で、母からもらった最後のプレゼント。
ループの始まりのあの日、彼女が納屋でなくしてしまったものだった。
「うぅ…うあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん」
彼女が作り出した虚構の世界の中で、彼女は、いつまでも泣き続けた。
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「おにいさん、本当にありがとう。私、頑張ってみるね」
泣き止んだ雪は、涙で腫れた顔で、絞り出すように言った。
そんな彼女の顔を見ていて、俺はひとつ、思いついたことがある。
突拍子もないことだが、考えれば考えるほど、いい提案なんじゃないかと思えてきた。
今、言ってしまおう。
こんな提案、ヘタレな俺は、とても現実世界じゃ言えそうにないから。
「なぁ雪、ひとつ提案というか、お願いがあるんだ」
「うん、なんでも言って。おにいさんの言うことなら、なんでも聞くよ」
「これはあくまでお願いだから、いやだったら断ってくれ。
俺も君も、大災害で家族を失った者同士だ。でも俺はもう十分に大人で、君はまだ子供だ。
だから、君さえよければ…」
「うん」
「俺たち、家族にならないか?」
「うん。………え?」
「突拍子もないことだとは思うけど、家族になろう。俺が、君を支えるから。いつか君が、ちゃんと自分の手で幸せを掴める日が来るまで」
「あ……えと…えとえと!?!?!?」
…
…俺の言い方が分かりづらかったとは思うのだが。
雪は、パニックに陥った。
その後、誤解を解くのにしばしの時間を費やした後。
俺達はまた二人、今度は笑顔で手を繋ぎながら。
精神世界から、現実へと帰還した。
なんと、こういう事になりました。
次回、3章の最後となります。




