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第45話 アナスタシアと故郷

 三月のロシアの寒さは依然厳しい。

内陸部でそれは更に顕著であり、世界の淡水量の約2割を占めるというバイカル湖の水面は、まだその殆どが凍り付いている。

シベリア鉄道は首都モスクワのある西のヨーロッパロシアから極東のウラジオストクに至るまで、東西一万キロメートル近い道のりを、氷の世界の中を走り続ける。資源大国であるロシアは、世界が分断された現在でも、鉄道を稼働させ続けている。輸送する対象は、今では人よりも軍事物資が主体ではあるが。世界随一の宇宙工学部門には、この状況下でかなりの予算が追加され、聞くところによると、一握りの人類を宇宙に逃がす計画も進められているとか。

(私の故郷、ロシア)

私が産まれた頃といえば正にソ連解体の最中であり、資本主義社会に向けて激動する時代であった。

まだ幼かった私は両親がどんな仕事をしていたのか、どんな苦労をしていたのかを知らない。

だだ、楽しかった思い出だけが、朧げに残っている。

両親はダーチャ(郊外の別荘)を持っていたので、夏の合間はよくそこで家族3人で過ごした。頑張って育てた作物を収穫すると、保存食を拵えて、それは厳しい冬を越えるための貴重な冬の食糧となった。ペテルブルグの喧噪から離れて、自然に囲まれながら、手作りの木のおうちで過ごす日々が、大好きだった。ペチカ(暖炉)を囲うように暖をとり、その上に置かれた鍋では色鮮やかなビーツを刻み入れた真っ赤なボルシチのスープがぐつぐつと音をたてて、湯気は天井へと昇っていく。

追いかけるように見上げると、優しい両親の顔が私を見つめて、笑っていた気がする。

あの木のおうちは、今はもうない。


 世界を救うために神に選ばれた『三人』のうちの一人になった私。

…私は、はたして自分の役目を果たせているのだろうか。

世界を飛び回り、幾つもの巨大な魔導要塞を僅かな期間で築きあげ、人類を地上に溢れ出たモンスターから守護しているアレク。

今でも十分過ぎるくらい強いが…いずれ大いなる『力』を顕現させる可能性を秘めた太一。

私は、このままで良いのだろうか。


「ささささ、寒い!ナーシャさん!暖房スイッチオンでお願いします!」

「え…?」

ふと賑やかな声で我に返ると、時差の影響でまだ薄暗いそこは、私が記者時代に過ごしたモスクワのマンション、その一室だった。

「あ…ごめんね、店長さん。ここ、もう電気、通してないんだ」

暗がりの中で応える。

『大災害』と言われる3か月前のあの日よりも以前に、人間の常識とかけ離れた異能を手にした私。

その中でも非常に稀有なスキル『テレポート』を使い、日本からロシアへと一瞬でワープしてきたのだ。確かにこのいきなりの寒暖差はびっくりしたかもしれない。

「ルパちゃん、よろしくね」

「るぱ!」

元気よく店長さんの肩へと飛んで行ったのは、小型化した火の神獣ことルーパーちゃん。成体化して三メートル級の巨大な龍となったが、幼児期のサイズまで小さくもなれるようで、混乱の最中にあるロシアでいきなり巨大な龍がマンションから登場しないよう、予め小さくなってもらってきた。

 ポゥ、と真ん丸な火の玉が宙を漂うと、部屋の中に灯りと熱が生まれた。

「店長も大げさだな。今更寒さだなんて。さて、これからどうする?」

答えたのは、未だ世界が知らない私たちの真のリーダー、『人類の希望』である太一。本人にはあんまりその認識というか、プレッシャーがなさそうに見える。

そのメンタルの強さは尊敬するし、時折、羨ましくも思う。

先程の暗闇の中でも、彼の両目だけが、異常な存在感を放っているように感じた。最近益々人間を卒業しつつある彼には、マイナス5度の気温や少々の暗がりなどは、全く不快にもならないようだ。

(まぁそれくらいであれば、どうやら私もそうみたいだけど)

ロシアを発った頃はまだ成長度数レベル40そこそこだった自分も、今では150になった。

幾つかのC級ダンジョンを制覇したダン協の世界上位ランカーでも、まだ60程度とのことである。

(今ならバイカル湖に裸で飛び込んで、寒中水泳だって出来るでしょうね)

故郷の寒さを肌で感じられないことは、少し、寂しいけれど。

「ええ…少しモスクワで用事を済ませてから、すぐにアレクと合流します」


 ロシアのA級ダンジョンは、ノヴォシビルスクという都市の郊外に生まれた。

シベリアの中枢にしてロシア第三の都市である。

そして、ちょうどモスクワと中国の国境線まで、どちらも千キロメートル程の距離にある。

S級と最も接したA級としてロシア軍とダン協が躍起になってここを抑えようとするのも納得だ。

実際、幾重にも張り巡らされた魔導要塞は、莫大な被害を生んだスタンピードを完全に封じ込め、幾つかの精鋭魔導兵部隊をダンジョンへと送り込むことに成功していた(誰一人として生還した者はいないが)。アレキサンダーが生成した魔導機械の凄まじさが分かるというものだ。

 だがそれも、奉魔教会によるテロが起こるまでの約2か月の間だけであった。

現在の詳しい状況は分かっていない。


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「基地に向かう前に、少し人と会う用がある」とアナスタシアは一時的にパーティを離れた。

その間、太一たちは彼女からとある依頼を受けた。

モスクワとペテルブルグの中間くらいに位置する、C級ダンジョンの討伐だ。

そう遠い場所でもなく、ルーパーに飛び乗って、ものの十数分で到着した。

 深い緑の生い茂る森の中にひっそりと潜むように、その入り口は存在した。近くにダーチャと呼ばれるらしい別荘がちらほら見えるが、ここ最近は誰も住んでいないようで、草木は生い茂り、建物の外観は朽ちつつあった。

確かに時間は出来たが、なぜ今更ピンポイントでC級なのかと、太一はアナスタシアに問うたのだが。

「…これは至極個人的な理由での依頼。身勝手だとは思うけど…この借りは必ず返すわ」とはぐらかされた。

(曰く付き、か)

なんとなく想像はついた。

(まぁ、珍しいナーシャの頼み事だ。きっちり達成して帰らなきゃな)

目の前に佇む入り口の、暗がりの向こうを見つめる。ひんやりとした空気が中から這い出てくるような、独特の気味悪さを感じる。

まぁ、もうダンジョンにも慣れたものではある。

「店長、ルーパー。ちゃんとついてこいよ?」

準備体操をしながら、太一はふたりに発破をかけた。

「太一さんこそ。私のルパちゃんのドラテクに、ちゃんとついてきてくださいよ?」

「るぱるぱ」

ニヤリと不敵に笑い合うと、どちらともなく、勢いよくスタートを切った。

 アナスタシアにもらったダンジョンの地図は頭に入れてある。

このダンジョンは5階層までで、敵は雑魚ばかり。分岐も少なく単調である。

太一は全身に薄くバリアを張ると、全力の徒競走を開始した。地を、宙を、壁を蹴り、重力など存在しないかのように驚異的なスピードで洞窟内を滑走する。太一の移動線上で巻き込まれた雑魚モンスターたちは触れただけで粉々に四散していく。

かたやルーパーも、身体能力では再び太一に抜かれてしまったが、飛行能力を駆使して太一にくらいつく。次郎が搭乗しているおかげで、ひとりでにモンスターは寄り付かず、不殺のままにどんどん階を進んでいく。


 そうして30分足らずで、両チームともほぼ同時に5階のボス層までたどり着いた。

躊躇なく太一がボス部屋の扉を蹴破ると、現れたのは緑色をした人型の巨人、トロール。

長い舌をべろんと垂らして、手には大きな棍棒を持っている。

「あべーー!」

侵入者を見つけたダンジョンマスターは、棍棒を振り上げて威嚇してきた。

「体力B+、ね」

対する太一は、まったく動じず敵を分析する。

「…『ファイア』」

おもむろに太一は初級火炎魔法を放った。

「あべべべぶぅっぅ!!!?」

ボンッと軽々放たれた火球はトロールの胴体にヒットすると激しく燃え上がり、遥か高い天井に届くかという程に火柱が立ち昇った。

「うぉ、さすが魔力が人間の限界を突破しただけあるな。ただのファイアでこれか」

放った本人の太一がびっくりするくらい、彼の魔法攻撃力は飛躍的に向上していた。

殆ど進化といっても過言ではないレベルで。

その結果、本当にあっさりと、ダンジョンマスターは巨大な黒い炭と化して、死んだ。

「太一くん、圧倒的だ!!すごい!!!すごすぎる!!!」

太一の隠れファンである次郎も思わず興奮する。

だが、それと同時にある事実に気づいてしまった。

「でもこれ、わたしたちが付いてきた意味あったんでしょうか…」

「るぱ…」

つぶやく主従。スピード重視でモンスターを一匹すら倒さず太一を追ってきた二人は、本当にただついてきただけであった。意味があったとすれば、何事にも競争は大切である、ということくらいか。


 トロールが座っていた玉座には、いつものように宝箱と転移魔方陣が出現した。

太一が宝箱を開けると、ロシアの名も知らない神が開放されたのだが、太一をじっと見つめると、何かを語りかけてきた。

「…………………」

「…そっか」

伝えたいことを伝えたあと、ここの土地神らしい神様は、空に召されて消えていった。

「太一くん、なんて?」

「うん、この宝箱の中身を守ってくれてたんだってさ」

説明書きのない宝箱の中には、古ぼけたペンダントが入っていた。


 きっちり一時間でアナスタシアが約束した場所へと帰ってくると、太一達は既にそこで待っていた。

「本当に一時間で攻略して帰ってくるなんて、必死でC級に挑んでいる加護者の世界ランカー達もびっくりね」

「あぁナーシャ、おかえり」

(あまり探りを入れている時間の余裕もないし…まぁ、聞いてみるしかないな)

「ねぇナーシャ。あのダンジョンがあった場所は…君のご両親が亡くなられた場所じゃないか?」

「…うん、よくわかったね。あそこは、私たち家族のダーチャがあった場所だったの」

ナーシャは一瞬顔が強張り、その後はしゅん、と俯き顔になった。

「本当は私の手でダンジョンを破壊すべきだったんだけど…。私…」

「いいさ。色々と…あるよな。はい、これお土産。あそこに封じられていた土地神様が守っていたものらしい。中、少し見ちゃったんだけど、多分これは、君のものだ」

太一は、落ち込んでいるアナスタシアの手に、ロケットのついたペンダントを握らせた。

デザインに何となく見覚えのあるそれを恐る恐る手にとると、アナスタシアはロケットを開いた。

古ぼけた写真が埋め込まれていた。

その中では、幸せそうな三人の家族が、こちらに向かって笑いかけていた。


「お父さん、お母さん…」


---------------------------------------------------------------


「太一、店長さん、ルパちゃん。本当にありがとう」

アナスタシアは『大災害』の後に一度だけ、自分たち家族が息絶えた場所を訪れたことがあった。

だが思い出のあの場所に自分たちの家はなく、変わりに、いびつな角度で地面から生え出た魔窟の入り口が鎮座しているのみだった。彼女は、一目散に逃げ帰った。

まだレベルの低いあの頃の自分に、単独でダンジョンに挑んで両親の仇を討つような力はなかったし、何よりも怖かったのだ。

両親を養分に変えたダンジョンに足を踏み入れるなど、考えただけで吐き気が止まらなかった。

(結局私の手で両親の仇をとることはできなかった。弱くて、臆病な私…)

手の中のペンダントを見る。

太一にダンジョンの破壊を依頼したのは、供養のためか、自分の弱さの象徴を消したかったがためか。

でもまさか、土地神様が母の遺品を守ってくれていただなんて、思いもよらなかった。

写真を見ていると、両親が励ましてくれているような、そんな気がしてくる。

(ごめんね。色々落ち着いたら、今度は私自身で会いに行くからね)

今の自分には、己の弱さを補ってくれる、大切な仲間もいる。

(ただひたすら、今の私に出来ることを、やっていくんだ)

 

 決意を新たに、未だ滲む涙をぬぐって、ナーシャは仲間たちに告げた。

「私はこの一時間で、この国の首領達と会っていたの。ノヴォシビルスク要塞の奪還作戦は二時間後にここモスクワ基地を発つ空軍と、現地のゲリラ兵達の主導によって行われるわ。私たちは一時間後にヘリで一足先に出発して、アレクと基地の外で合流します。」

そこでアナスタシアは太一の方に向き直ると、笑顔を向けた。

「…あくまで軍の目的と限界は、敵の人間部隊と味方との交戦区域をダンジョンの周辺から引き離すこと。その隙に太一。あなたの力でダンジョン周辺のモンスター達を一気に殲滅して」


「はは、いいね。地上でぶちかますのは初めて極大魔法を覚えた時以来か。楽しくなってきたな」

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