第123話 歳月と
――あの日から、もう20年の月日が流れた。
私の日々は、多少の紆余曲折はあったものの、それほど大きくは変わっていない。
神殿の上に住み、20年前と変わらない空と海を眺めている。
――リツカはもうすぐ、成人式を迎える。たくましいもので、彼女はSP付きの不自由な生活ながら、アカデミーでの生活を楽しんでいるようだ。
私は神殿の南端にある小高い岬に向かって歩く。
季節は、夏。
セミの声は届かず、滝のおかげで年中涼しい辺鄙なこの場所だが、風が吹くと気持ちがいいのは地上と同じ。
夏の濃厚な積乱雲が、高く上空へと連なっている。変わらないこの光景が好きだ。
――変わったのは、地上か。
小さな祠の横を通り、岬の上にぽつんと2つ並んだ丸椅子の上に腰かけた。
よく、リツカとここで話をした。
自分の育った国のこと、仕事のこと、彼女の恋愛のこと。そしていつも、最後には父の話をした。
彼はこの空の向こうで今も一生懸命に頑張って、この星を守ってくれているんだよ、と。
娘はうんうんと聞きながら、「お父さーん!頑張ってねー!」と声をかけてくれた。
最近は彼女も忙しくなって外で過ごす時間が増えているが、ここに帰ってきた時は必ず礼拝堂で祈りを捧げてくれている。本当に、優しい子に育ってくれた。
そして彼女はもともと武闘派な二柱の加護を受けている上に軍学校とアカデミーの特殊訓練で徹底的に強化されたため、今や直接的な実力は私より上かもしれない。
現代の最新魔導兵器で武装した一個大隊でも彼女を傷つけることはできないだろう。
――それ程の実力者であっても。
彼女はいずれ、私に代わってここで暮らすことになる。
私は彼女がいるであろう遥か東の――空、そして海の向こうへと視線を移した。
雲に届くほどの巨大な建造物が群生している光景が目に映る。
……人類文明は今、栄華を極めていると言っても過言ではないだろう。
ダンジョンマスターの死によりS級ダンジョンが自然崩壊したタイミングで、利用価値のあるダンジョンを傀儡化し、残りは全て淘汰された。
S級の出現により消失した大都市…ワシントン、北京、ノヴォシビルスクなどはまるでネオ・シティとでも言わんばかりの魔導都市として生まれ変わった。資源はそのほぼ全てが、旧日本の地下深くに眠る一つの魔素核により賄われている。
――コア・オリジナル――
いつから、どうして、あの場所にそれが存在していたのか、今や誰も疑うことすらしていない。
唯一それに関わることについて研究していた科学者が……彼女だ。
――雪。
彼女は、自分の中に眠る雷神、そして【主】の記憶を紐解くことでコア・オリジナルを解明しようと研究に身を捧げてきた。恐らく、それがワープ装置の開発に繋がることを信じて。
だが彼女はだんだんと、研究ができる身体ではなくなっていった。
ミカエルのギフトで一時的に持ち直した異形の腕による神経浸食が、再び始まってしまったのだ。
――数年前から、彼女は視力すら失った。
それでも彼女は信頼できる部下を使い、今でも研究をやめていない。
……今の私に唯一の職があるとしたら、彼女の治癒に関わっていることかもしれない。出来ることは本当に限られているが……。私は彼女に寄り添い、共に過ごす時間をとても大切に思っている。
ただ――彼女が私のことをどう思っているかは、まだ怖くて聞けていない。
20年が経った、今も。
ふぅとひとつ、小さく息をはく。
そして彼に問いかけるかのように、ぽつりと呟いた。
「ねぇ、そろそろ聞いてもいいかな。私の事――許してくれたかな、って」
――その時、一陣の風が吹いた。
群雲が流れていく。
後には、青い、碧い、かつてどこかで見た草原のようなまっさらな空が現れた。
稀に見る、綺麗な空色だった。
この時の私にはなにか、予感めいたものがあった。
――彼女が危篤に陥ったとの報を受けたのは、それから程なくしてのことだった。




