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第114話 アインの記憶

 地下ハイブで急速に増殖した擬人の残党は、地上にもその多くが溢れ出していた。

 なぜか私までそのように過酷な地上の補助任務に任命されて現地に向こうことになってしまったのだが――行きの車輛内で伝え聞いた情報はもっと悲惨なものだった。

 なんでも、補助と言いながら割り当てられた部隊の大半が直接戦闘に投入されるほど前線が崩壊しており、補助部隊の殆どが碌に戦いにもならないまま、ただ擬人たちの餌になっている状態――だと。

 アドルフとマルコは、「そうか」とだけ返事をした。まるで端から分かっていたかのように。

 私は、身体の震えが止まらなかった。 

 そして車は無情にもスムーズに戦地へと到着してしまった。

 アドルフは私の肩をポンと叩き、すたすたと躊躇なく車から出ていった。

 だが輸送車の外に広がる光景は、そんな彼をしても思わず顔をしかめる程には凄惨なものだった。


「ひどいものだな」


 独特のすえた臭いを覚えながら、その声に続いて恐る恐る外に出た私は、広がる光景により込み上げた嘔気とまずは必死に戦わなければならなかった。


 クチャ――クチャ――グチャ――クチャ。


「あ……」

 降りた途端、遠くに見える()()()の擬人がなぜか口を止めて私を見た。

 両手に両腕を持って全身を赤に染めている。

 それで私は――かなしばりに合ったように指先一つ動かせなくなった。


「ギイィィィ」

 手に持った誰かの腕を放り投げて、私の方へ嬉しそうにじわじわとにじり寄ってきた。

 私はあの狩猟者にとって、完全に食糧――しかも大好物らしい――意外の何物でもないらしい。


 ハッ、ハッ、ハッ


 呼吸が荒くなる。

 ――殺される。

 惨たらしく――、死ぬ瞬間まで苦痛に全身を苛まれながら。


「ギィッ――」

 ボトッ


 落ちた。飛び交かろうとした擬人の――。

 首が、落ちた?化け物の首が、いきなりぼとりと地面に落ちた。


 ハッ、ハッ、――ハ、ハ。


 アドルフが、いつの間にかあれの隣にいて、サーベルについた緑の液体を振り払っている。

 彼が――助けてくれたのか。

 認識が追いつかないくらい一瞬の出来事だった。


「大丈夫か、アイン」

「あ……うん。だ、大丈夫」

「私は戦況を立て直してくる。アインは車輌に戻って負傷者の治療を。マルコ、お前は土魔法で要塞を築きながらここを救護所として機能させてくれ」

「ほいほい」


 そう言い残すと、アドルフは敵陣の中へと単騎で向かっていった。すぐに姿は見えなくなった。


「あ……」

 いくら強いって言ってもまだ学生なのに……。

 あんな集団の中に飛び込むなんて……。

「だいじょうぶだよ、アドルフは」

「え?」

「あいつまじで規格外だから。どうせまた、たんまりレベル上げてくるんだと思うよ」

「れ、レベル?」

「今の君に言っても分かんないかな。大丈夫、君の――ご、ほん。あーこの任務を任されたってことがつまり、そういうことなのさ。僕を含めてね」

 マルコが何を言っているのか全然分からなかったが、穏やかに語るマルコと一緒にいると、不思議と心は落ち着いてきた。


 ――その時、戦線から逸れた擬人がニ体、私に向かって飛び交かってきた。


 グシャ!!


 巨体のマルコは一体をゲンコツで殴り殺した。

 更にもう一体の首根と足首を掴んで「ふんっ」と引っ張ると、千切れた首根っこから緑のシャワーが降り注いだ。


「アインきみ、よく狙われるね。あいつらからすると美味しそうなのかな?ははは」


 私は地面にへたり込んでしまった。



 地下(ハイブ)への突入に戦力の大半を割いた作戦は失策だった。想定の倍以上の擬人が小さな横穴から地上に這い出てきたため、地上はやや劣勢に陥ってしまった。食人族との戦争でやや劣勢という状況がどういうものなのか、それは現地を見て察するより早いものはなかった。

 だが、アドルフが戦線に投入されて以降、地上の敵は瞬く間に駆逐されていった――。

 そもそも、私は初めて戦場に出て兵士の戦う姿を見て分かったのだが、兵士たちは10人集まってもゼル1人の足元にも及ばないほどの実力だった。

 神の加護をもつ兵士も勿論いたのだが――実力は似たり寄ったりだった。

 どうやら私が通う学園は特別な子供たちが集められていたのだと、ようやく分かったのだった。


 ハイブの掃討はまだ達成されていないが、マルコが築いた要塞が敵の迎撃体制を整えると、私たちは一旦任務を解かれ、学園に帰還することとなった。


 私は帰り路に、おそるおそる2人に尋ねた。

「あの――2人は恐ろしく強いのに、なぜ軍人に昇格されないの?あの活躍なら、士官だって夢じゃないと思うけど……」

 無表情で何かを考え込んでいたアドルフだったが、少し表情を柔らかくしてくれた。

()()は……もはやそれほど重要じゃない。人類の命運はアカデミーにかかってると思っている。だから私は軍には入らない」

 独特の反りをもつサーベルを手に、アドルフは私の目をまっすぐ見てそう言った。



「軍が重要じゃないって、どういうこと……」

 暗い学生寮のシャワー室でひとり、肌にこびりついた緑の液体をただ無心に擦って洗い流した後、ベッドの上で今日一日のことを振り返った。

 頭の回転はそこまで遅い方ではないと思うのだが、今は思考がやたらと鈍く、少しでも情報と感情を整理しておかないと頭がパンクしそうだった。

 アドルフがああ言った理由は分からない。軍以上に重要なものが今の時代にあるのだろうか。

 ――今日は――怖かったな。被食者の心境ってあんなに怖いんだ。弱肉強食って残酷だな。

 残党狩りであんなに悲惨なら、この先もし私が生きている間に大戦なんて起きたら、どれほどの市民が犠牲になるのだろう。

 ――この星が置かれている現実についてしばらく考えていたが、考えれば考える程気分がひたすらに落ち込むので、早々に切り上げることにした。

 天井のシミのことでも考えるようにしよう。あの丸いシミ、なんかマルコの顔に似てるかも――。

「……おやすみ」

 極度の疲れはすぐに身体を眠りへと誘ってくれた。


『おやすみ、アイン』


 

 翌朝――。

 目が覚めたとき、いつになく身体が軽く感じた。


「それでは、ゼル対アイン、模擬戦――はじめッ!」

「シッ!」

 あれから数日が経って、ゼルのサンドバッグ役になるといういつもの日課がやってきたのだが、不思議と今日は彼の動きがよく見えた。

 (あれ――、あんまり早くない)

 あれだけ素早いと感じていた彼の動きが、しっかりと認識できる。

 何度か彼の攻撃を躱すと、ついに彼は本気になったらしい。

「ちっ、モード【獣化(ビースト)】!」

 最近は遠慮してくれていたのか。まったく変身してなかったのに、いきなり変身をしてきた。

「おらぁ!」

「いたぁ!」

 私は思いっきり殴られて昏睡した――。


 目が覚めた後、いつもの指導教官は、やたらと熱心に身体の調子について尋ねてきた。相変わらず新しいスキルはないが、私のパフォーマンス?みたいなものを何やら熱心に計測しているようだった。


「今日、動きとっても良かったね」

 リシェルとの昼食で、私は珍しく褒められた。

「そうなの!なんでだろう。ゼルの動きがね、今日ははっきり見えたの。誇張なしのマジでよ。なんでかな」

「やっぱり、本当の戦場を経験したのが大きかったんじゃない」

「うーん、そうなのかなぁ。だとしても、もう二度と戦場になんて行きたくないけどね」

「そうだよねぇ。ほんと、アインもよく生きて帰って来られたね」

「いやアドルフがいなかったら車降りて5秒後に死んでたよ。誇張なしのマジで」

「へー、さすがは英雄君だね。……惚れた?」

「なんでそうなるのよ」

「そりゃ――――」

「――――」

 楽しいな。

 リシェルと話すこの時間だけが、私にとっての大切な日常だ。


ーーーーーーーーーー


 その後も時折、ハイブへの支援任務が下された。地下の擬人はあらかた掃討されたとのことだが根絶は難しく、月からの第二次侵略戦争に向けて蓄えていた戦力がじりじりと消費されていることに現場の兵たちの間では嫌な空気が流れていた。

 一方で、学園では教師も生徒もあまりにいつもと変わりがなく、ここだけ世界から取り残されているような感覚を受けた。

 私は現実と夢現を往復するような感覚で、アドルフとマルコと共に戦場に行った。相変わらず私はひたすら後方支援であり、私の初級回復魔法はなかなか兵士たちに好評だった。

 二人のおかげか恐怖もずいぶんと和らいできた戦場から三度目の帰還を果たした後、私には明らかな変化が訪れていた。


「それでは、ゼル対アイン、模擬戦――はじめッ!」

「シッ!」

 瞬きできるくらいには動きが遅くなったゼルがいつものように顔面に向けて殴りかかってくるのを余裕をもってかわす。すぐに人狼へと変身して更に殴りかかってくる。それも何とか全部かわした。

 明らかにゼルが遅くなった――のではなく、私の反応速度が上がっていた。初めから覚えていた初級魔法以外に和神からは全くスキルをもらっていないが、今ならばどうにかなりそうだ。私は久方ぶりに反撃を試みることにした。

 私が使える4属性+回復の初級魔法の中で、私は風魔法がいちばん好きだった。

 ――なんというか、自由なところが!

 足底と手掌に高圧力の風の塊を集めてタイミングを狙い、ワン・ツーで思い切り解き放った。


「ぐっ――がはっ――」

 私の渾身の掌打はゼルの鳩尾に吸い込まれクリーンヒットした。体力のずば抜けた彼が持久戦を狙ってくるとやっかいなので、たたみかける。積年の恨みも込めて往復ビンタした後、こめかみを掌でばちんと挟み込み、ゼロ距離で風の爆弾を破裂させた。

 それで、ついに彼はその場に崩れ落ちた。

「そこまでっ」

 こんなに自分から動いたことがなかったから、もう息が上がっている。

 だが私が初めてゼルに、というより戦いそのものに勝った、瞬間だった。

「いてて。……やられたな」

 私はゼルに手を差し出した。

「99敗1勝よ。やっと、あんたに勝てたわ」

「そうだな……。もうお前と戦ることはないだろうだけど、これからも頑張れよ、アイン」

「勝ち逃げなんてしないわよ、たかが一敗で大袈裟な」

「はは、そっか。勝ち逃げはしないか」

 ゼルは笑った。

 ――でも、彼の言ったことは本当の事となった。

 それきり、ゼルが学園に来ることはなかった。



 私の模擬戦の相手は主にリシェルになった。彼女は貧血でふらふらでありながらとても強く、私はいつも彼女に触れることさえできずに気絶させられた。

 というよりも彼女が本気で血を使って真剣勝負をすれば、私など瞬時にハリネズミにされるだろう。

 私はゼルが来なくなった理由を教員に何度も尋ねたが、家族の都合としか教えてくれなかった。あいつ家族なんていたのか。それならば挨拶くらいあってもいいだろうに――。



 そして四度目の遠征が訪れた。

 その日の掃討作戦では、軍の車輌、私たち学校の特別車輌とは別に、アカデミーの車輌が現地を訪れていた。周りの軍人たちも物珍しそうに眺めていたが、そのままハイブの中へと入って行った。

 なんだろう。

 マルコは出発した時から常に食べるのに夢中で忙しそうなので、アドルフに尋ねてみることにした。

「アドルフ、アカデミーの車だよ。何を運んで行ったのかな」

 最近では私も物怖じせずに彼に話しかけられるようになった。話してみると、性格も優しくて、本当にいい人だったのだ。

「なんだろうな。私もいち学生だから、そこまで詳しいわけじゃなくてね」

「そっか」

「……」

「アドルフ?」

「いや、なんでもない」

「そう」


 敵の数も随分と減り、私たちは地上での掃討支援任務――もはや支援というか本隊みたいなものだが――をつつがなくこなしていた。地下ハイブでは、軍主力部隊が最後の巣を壊滅させるための大攻勢を行っているはずだった。

 私は車の外にでて、最初の侵略爆心地グラウンドゼロで更地化した荒野を流れる風を感じていた。


『頑張れよ』


 その時ふと、懐かしい声が風に乗って聞こえた気がした。


 私はなにか胸騒ぎというか、妙な予感が働いて、思わず自分のスキルを確認した。

 ここ最近の私の謎の能力向上が戦場にいることと関係があるとしたら――。

 初級魔法……火、水、風、土、それと回復。私がもつスキルはそれで全部のはず。

 新しいスキルなんてないはずだ。


 ――『獣化』。

 あった。

 なんで……。よりによって、その名前なの。

 私が得た初めての戦技は、ゼルの得意な技だった。


「アドルフ!」

 作戦中にも関わらず私はアドルフの名を叫んだ。

「どうした、アイン」

「わ、私、私……新しいスキルを得たって……。『獣化』って、ゼルのスキル。これって……」

 声も、身体も震えていた。

「同級生の彼か――。――たまたまさ。初めてのスキルを、大事にするといい」

「たまたま……そんなこと、あるわけが……。私って――」

 アドルフは私の肩に手を置いた。

「……軍の識者達から、ここ最近、月面が不穏だと報告が上がっているらしい。今回の原因不明の残党蜂起といい、にわかにきな臭くなっている。そのスキルをしっかり使いこなすようになっておくんだ。いいね?」

 私は何も言えなかった。

 急に自分が得体のしれない存在になったような気がした。


 四度目の遠征にして、主力部隊はついに地下の最も奥深くまで到達し、擬人たちは余さず駆逐された。


ーーーーーーーーーー


 あれから、半年ほどが過ぎた――。

 残党蜂起の爪痕が残ったまま、軍部は更なる大混乱に陥っていた。

 なぜなら、石ころしかなかったはずの月面に、正体不明の構造物が急速に組みあがっているとの報告が上がったからだ。

 それは100年前より言い伝えられる、擬人たちを乗せた『舟』に酷似しているとも――。

 軍部は騒然として、残党蜂起で消耗した部隊を立て直そうと躍起になっていた。 


 そんな中においても、相変わらずこの学校の中ではいつも通りの訓練が行われていた。

 アドルフに言われた通り、私は獣化の特訓を休むことなく続けてきた。

 ゼルは全身がオオカミの姿になったが、私はそれとはずいぶんと違った。

 見た目は変わらず、ただ背中に鳥の翼のようなものが生えた。

 真っ白な翼だった。


 私はある夜――リシェルに寮の共有スペースに呼び出された。

 ゼルが消えてしまって以来、私はリシェルと距離をとるようにしていた。

 なんとなく、そうしないと彼女までどこかへ行ってしまうような気がしていたからだった。


「アイン、こんばんは」

「こ……こんばんは」

「最近なんかアイン、よそよそしくない?」

「そ、そんなことないよ」

「そんなことあるんだなぁ」

 リシェルは私の手を握った。

「ね、アイン。私にとって、あなたは一番の友達。それは今までも、これからもずっとそう」

「わ、私も……そうだよ」

「知ってる」

 リシェルは笑った。

「アインは賢いし、優しいし、可愛い。私の自慢の友達。でも――」

 そこでリシェルの声が急に冷たくなった。

「明日の模擬戦では、決して私に対して手を抜かないこと。あなたが『獣化』を使いこなせるようになったこと、知ってるんだから。私も全力を出す。私が全力を出せる機会ってそうないの。だから、あなたも一生懸命に戦ってね」

「……いやだよ。リシェルが全力なんて出したら――貧血でぶっ倒れて死んじゃうじゃない」

 そう言うと、リシェルはまた穏やかに笑ってくれた。

「ぷっ。ぶっ倒れてって、可笑しい。大丈夫、明日は超級回復魔術師がスタンバイしてくれているらしいから。あなたは何も気にしないで」

「……そうなんだ。なら……安心……なのかな」

「約束しよう。お互い一生懸命に戦うって。私は今のあなたと、全力で戦ってみたい」

「……じゃあ私とも約束してほしい。私が勝っても、ゼルみたいに勝手にいなくならないって」

「アイン……。うん、わかった。約束する」

 私たちは、指切りの約束を交わした。

 そのあとリシェルは私を抱きしめてくれた。

 彼女の肌は青白く、背中に回された柔らかな両腕からは、ふわりと消毒液のような匂いがした。




 ――翌日。


 「それでは、リシェル対アイン、模擬戦――はじめッ!」

 相対するリシェルの顔は見たことない程に真剣そのものだった。

 リシェルは宣言通り、全力を出してくるつもりだ。

 私も、親友との約束に、本気で応じなくちゃいけない。


(彼女の全力の戦い方は……)


 彼女の身体がコンディションを維持できる血液量と、最低限、脳と心臓の血流が保てるレベルの瞬間最大出血量をあらかじめ計算しておき、戦況に応じて体外に出す血液量を変化させながら戦うというものだ。いくら互いの攻撃が致命傷にならない模擬戦でも、自爆による出血多量では死んでしまう。その点では、彼女にとっては不利な条件と言えた。

 彼女の身体から4本の血の鞭剣が現れた。彼女が得意な技だ。

 私は素早く距離をとって短く思考した。

 血の武器は――火と雷に弱い。火は血を凝固・消耗させ、雷は直に本体まで伝ってダメージを与えられる。土や風は効果が薄く、水に至っては逆効果のこともある。私は雷が使えないから、遠距離攻撃は必然と火一択だ。

 火球を生み出す――。遠征のたびなぜか強化された魔力が、次々と空に拳大の火球を浮かべていく。

 そのさなか、鋭く尖った鞭が迫ってきた。

 今、私は魔術師、彼女は狙撃手のようなものだ。どちらも遠距離攻撃タイプで、攻撃の威力もスピードも彼女が勝る。リシェルはフィジカルこそ並みの加護者に劣るが、集中力により研ぎ澄まされた鞭剣の切れ味は恐ろしいものがある。

 風魔法で作ったブーツを履くイメージで、リシェルの意思で縦横無尽に破壊を振りまく鞭の打撃をかろうじて回避していく。

 そして火球を矢継ぎ早に放った。狙いはリシェル本人だ。避けられない彼女はそれを必ず鞭で防御するはず。だが――。

 火球で彼女の血を削る作戦は、思っていた以上に困難だった。鞭のスピードが速すぎて、火で温度が上がりきる前にかき消されていく。片やこちらは、開始早々に生傷だらけだ。

 翼で空に逃げて狙撃することはできない。フィールドの範囲が限られているからだ。彼女の血の量で充分に届く。この点は私にとって不利と言える。伸縮する鞭の血液量はおそらく1-2L。彼女はもう1L程の血を自由に使える奥の手として取ってあるはずだ。

 苦し紛れに水の鞭で対抗してみたが、出力が違いすぎて、ただ彼女の血が欲しいだけの潤いを提供しただけだった。私の不得意な土魔法じゃ防御にならない。

 つまり、私は早々に奥の手を切らざるを得なかった。『獣化』を発動させる。

 ごっそりと体力が削られるが、代わりに背中から白い翼が生えてくる。

 リシェルは束の間、攻撃の手を緩めた。

「間近で見るのは初めて。……綺麗。天使の翼みたい」

「ありがとう。でも綺麗なだけでも、飛べるだけでもないッ」

 私は立体的に駆動しながら、新たな飛び道具、『白羽の矢』を立て続けに放った。

 貫通力があるこの技はリシェルに見せるのは完全に初めてで、立体駆動と併せて彼女の鞭の攻撃性を完全に封じることができた。私は風の爆弾を掌の内に蓄えながら、彼女に向かって突進を仕掛ける。

 だが、彼女は持ち前の集中力で私の動きを完全に予測していたようだった。

「『アギト』」

 私と彼女の直線上にいつの間にか敷かれていた血の池から、大きな赤い巨人の口が生まれ、私の目の前でその大きな口が拡げられた。

「かみ砕きなさい」

 口が閉じる速度は、視認もできない程だった。万力のような圧力が背部に加わる。

 ――もしこれが、背中への攻撃じゃなかったら、負けていただろう。


 私は翼を繭のように丸めて硬化させて、無理やり背中から引きちぎった。

「ぐぅぅぅ!」

 私の細胞が残ることで、わずかな間繭は維持される。その隙間から、私は『顎』を脱出した。

 激痛に耐えながら、ひたすらにリシェルの元へと走る。

 風の靴を履きつぶして加速し、私は鞭の有効射程の内側へと身体を滑り込ませた。

「アイン――お見事」

 風の掌打を放った。

 そのたった一撃で、リシェルの身体は人形のように何度も地面を跳ねて転がった。


「そこまでっ!勝者アイン!」


 私もいたるところがボロボロではあったが、すぐにリシェルに駆け寄り、身体を抱き起した。

 彼女は極度の貧血に陥っていたが、教官の結界魔法のおかげで、外傷は軽微なものだった。

「アイン……本当に強かったよ。これならきっと……彼も喜んでるわ」

「彼って……ゼルのこと?リシェル、知ってるの?ゼルがどうなったか」

「――」

 リシェルはただ微笑んだだけだった。

「ちょっと、リシェルってば!」

「下がりなさい、ツァラトゥストラ。彼女の治療を行う――」


 超級回復魔術師が歩み寄ってきた――その時だった。

 空に、無数の流れ星が流れた。

 一瞬、その場にいた全員が、そして地上に生きる全ての目撃者たちの時が、止まった。


 そのまま全て余すことなく、流れ星は地上へと降り注いだ。

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