第110話 機神
神威を纏った刃で幾度かルシファーと切り結んだ後、俺は軽く肺に溜まった空気を外へと押しやった。
廃都での戦闘の時と比べて未来視が加わっているのに、やはり易々と倒せるような相手ではない。
それどころか、以前より身体能力も消滅の異能も一段階レベルが上がっている気がする――。
「解せませんか?簡単ですよ、我々を押さえつけていたこの星の力が弱まっているからですよ。もうじき私もオメガも大手を振って地上を歩けるようになるでしょう」
「あぁそうかい、くそったれの侵略者共め……」
「まったく酷い言い様ですね?人生の先輩に対して」
「――は?」
「いえいえなんでもありませんよ」
人生?先輩?化物の手先の分際で何が言いたいんだこいつは。
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『ルドルフ!お願いルドルフ目を醒まして!』
『アイン……無事でよかった』
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一瞬、脳裏に見たことのない筈の光景が浮かんだ気がした。
ふいに肩を叩かれた。リーリャだった。隣にクリスもいる。
「馬鹿、まともに取り合うな。防御の神威による近接攻撃でしか攻撃が通らないのなら、あいつの相手は私達が適任だろう。ここは任せて、行ってくれ」
リーリャがルシファーの背後に浮いている大きな白い繭を顎で示した。
「そういうことだ」
クリスは短くそれだけ言って、強化外骨格の近接魔導兵装に撃鉄を入れた。
確かに適任かもしれないがルシファーは紛れもない最悪の難敵だ。下手したら二人とも一分と保たずに消される可能性も――。
「太一、二人に任せよう」
アレクだった。
「リーリャ、時間を稼いでくれればそれで充分だ。絶対に死んじゃだめだよ」
「アレク……うん、わかってる。あなたも気を付けてね」
「ほぉ、いつぞやの軍人のお嬢さんですか。ご立派ですね。父親の命と片腕を消し飛ばされて、恐怖で立ちすくんでいるでしょうに」
「フン、生憎そういうのは全部、宇宙に置いてきたんでねッ」
リーリャとクリスが同時にルシファーに飛び掛かると同時に、俺、アレク、ナーシャ、店長、玉藻、ジャンの6人は【主】の元へと走った。
逃げた【主】を覆う繭は、ゲート間近の海上に、天空要塞のように浮遊していた。
【主】を覆う繭はどう見ても堅固そうであったため、俺は迷うことなく奥義をもってそれを切り裂いた。銀極穂で『銀閃』を用いればどんな硬質なものでもバターのように切り裂くことができた。腕の損傷はすかさずナーシャが治してくれた。
「これは……」
広大な繭の内部には、恐らく万を超える数の1メートル程の大きさの球体がびっしりと内壁にへばりついており、その中央にはひときわ巨大な球体が鎮座している。その外壁にも同様に球体が、中を守るかのように多層にこびりついていた。
「なななんですかこの球体は――」
店長が動揺する。
「あれは全部、卵だ」
玉藻が答えた。
「破壊しろ!」
誰からともなく叫び、全員が卵の破壊を始めた。
極大魔法と魔弾が飛び交い、緑の液体を散らして、次々と卵は破壊されていった。
だが数が多すぎたため、皆自然と中央の球体の外側を覆う卵群の破壊に集中していった。
幾許かして、ついにそこには風穴が空いた状態になった。
中央の球体の内面は卵膜のように半透明な球体であった。
――中に、巨大な天使が膝をかかえて眠っている姿が見えた。
その時、天使が僅かに動いたかと思うと、全ての卵に一声にヒビが入り始めた。
「羽化する――。この数に襲われたらまずい。ナーシャ!」
俺はナーシャに指示した。
「えぇ!」
ナーシャが6人の姿を隠すように半透明の水の隔壁で覆った。
「奥のほうで……存在が、さらに膨れ上がっていっている?」
俺も先ほどから感じ取っていたが、同様にステータス閲覧の使えるアレクの顔が驚愕に歪んだ。
奥には間違いなく【主】がいるのだが、その性能がどんどん膨れ上がっているのだ。
(まさかこの繭は治療だけじゃなく、進化――させているのか?)
ドバッ
その時、卵が一斉に割れた。
「ゴエェェェェ」
中から顔のない多種多様の化物が、次々と羽化していく。
口のない顔から、くぐもったような叫び声が繭の中に木霊する。
「擬人――」
生物としての特徴はバラバラのくせして、能面のような顔と二足歩行する姿は、ダンジョンで見た擬人とまるで瓜二つだった。
ナーシャの防御壁のおかげで、敵は俺達には目もくれないまま、空へ空へと飛び立って行った。
激しい数の濁流が視界を覆う。
相当数を殺し損ねていた。
「『諸国司令、人造兵全軍の出撃を願います』」
アナスタシアはゲートバスターズにも伝わるよう、そう、冷静に無線を送った。
間もなく、繭の向こうの空で擬人の大群とぶつかるように魔導兵と思しき大隊が飛来してきた。その兵士たちは皆、人間の形を残してはいたが、皆身体のどこかが異形のものに変態しているか機械化されており、その技術の源が敵の技術である合成生物であることは容易に想像がついた。
「あれは……」
空で激しい戦闘が始まった。
――その様相は、もはや戦争だった。
俺は思わずナーシャを見た。
彼女は俺を見て、黙って目を伏せた。
その姿を見てすぐに、俺にあの軍団の情報が知らされていなかった理由が分かった。恐らくは、敵に改造された雪の生体データから造られた兵士たちなのだろう。
「あなたが考えている通りの存在よ、彼らは。あれが基地が持つ最後のカード。あなたに知らせれば反発される可能性があったから、軍のほうで情報が伏せられていたの。……ごめんなさい」
「謝る必要なんてない。綺麗事を言ってられる状況じゃないし。使えるものは何でも使わないと」
そしてナーシャは自嘲気味に笑った。
「やっぱり、隠す必要なんてなかったのにね。太一は大きくなったね。――本当に」
大方のキメラ達が繭の中を飛び立っていった。
奴らがどこを目指しているのかは分からないが、外の世界ではかなりの被害が出るだろう。
しかし、あとは魔導兵団や各国の軍隊に任せるしかない。
「あ、以前仕掛けた罠が作動しているようです」と店長。
フゥとため息を一つついた。
基地に関しては、司令と彼らに任せるしかない。
再び対面した【主】を解析した。
その能力は大きく増加していた。
もはや到底、俺達の手に負えるものではなくなっていた。
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【主】?
種族:不明
性能:生命力ⅢⅩ, 理力ⅢⅩ, 霊力ⅢⅩ, 時制力ⅢⅩ, 運S
スキル:不明(保有数>1000)
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「ここまでとは……」
俺は、いや、情報を共有し合ったた6人全員が言葉を失っていた。
「【ゲート】の向こうに残してきた半身、力の源を、少しずつこちらに送り込んでいるんだわ……」
ナーシャがそう分析した。
「どこまで果てしなく強いのじゃ、こいつは……」
先ほどは俺、ナーシャ、アレク、玉藻の四人がかりでなんとか一撃を防いだが、もはや到底そのようなことは不可能だった。大人と赤子程の歴然たる力の差があった。
【主】が復活するまで、もうさほど時間はないだろう。
……だがもう、例えやぶれかぶれでも、やるしかないのだ。
俺は銀極穂を握りしめた。『銀閃』であれば、ルーパーの分を一発お見舞いしてやるくらいは出来るはずだ。
――ふと肩に手が置かれた。制止されたのだ。
アレクだった。
「紫電。魔素核を全部使って、モード【魔卿】になった場合、何時間耐えられる?」
「我々が保有する原初の魔素核の欠片、および渡瀬太一のインベントリ内の魔素核全てを使用した場合、マスターが望む出力の70%程が得られると算出しますが…………40分が限度です。それで私と製造神の魂魄、そしてあなたの肉体が崩壊するでしょう」
「ふふ、成程。――40分もこの化物を抑えていられる力が得られるなんて、ゾクゾクするね。それと気合と根性をちょちょっと追加すれば、あとはまぁ……オナリンが上手く間に合わせてくれるだろう」
彼は誰に向くでもなく、微笑みながらそう呟いた。
どうやら紫電と話しているようだが、紫電からの返答内容は俺達には聞こえなかった。
「おいアレク、何を言って――」
「太一。不完全燃焼だろうけど、君にこの化物と戦わせてあげることは出来ない。なんたって君は『最後の希望』だからね。この化物の足止めは僕が引き受ける。このキモい繭をさらに超多層の隔壁で覆うから、全員ナーシャのテレポートで脱出してくれ」
アレクはいつものアレクのまま、そう軽快な様子で口にした。
しかし、首を簡単に縦には振れない。
「アレクお前――死ぬ気か?」
「どうかな。でもまぁ、諦めずにここまでやって来たんだ。タダで死ぬ気はないさ」
「アレク……」
ナーシャが近寄り、自然とアレクと俺とナーシャの三人の輪になった。ナーシャの目は既に涙で溢れていた。
「ナーシャ。ここまでよく頑張ってきたね。人類一丸となっての抵抗、その全てが君から始まったんだ。君のバトンを僕が受け取り、つなぎ、あとは太一にちゃんと手渡すだけだ。僕達三人だけの力では勿論なかったけど、よくここまで来られたものだ。僕達三人は魂の絆で結ばれている。僕の冒険はここまでかもしれないが、あとのことは任せたよ、ナーシャ、太一」
ナーシャは泣き崩れた。
俺は――この男をここで死なせていいのか。
俺に、俺が生き残ることに、本当にそれだけの価値があるのか。
「太一ぃ、悩んでるとこ悪いけど、とりあえず時間ないから持ってる魔素核を全部プリーズ」
「あ?あぁ」
結局いつものアレクのペースに飲まれて、俺はアイテムボックス内に保管していた魔素核を手渡すことになった。これまで様々な戦いをして手に入れてきた魔素核、全部だ。
渡した端から次々と、溶けるようにアレクの装着型アーティファクト『紫電』へと吸い込まれていった。
「大丈夫、僕の役目はもう十分果たしたさ。ナーシャ――もしこの先、君がどうしても地球はもうだめだと判断したら、その時は『ノア』に乗ってみんなは宇宙へ逃れてくれ。そのためのキーはナーシャ、君に渡しておく。君だけは何があっても生きるんだ、いいね?」
「――――はい」
アレクは今、きっと最後の言葉を伝えている。
「ジャン、世話になった。クリスと君がいなかったら、僕はここまでやってこられなかった。クリスに宜しく伝えておくれよ。もし僕が死んだら、来世でまた一杯やろうってね」
「はぁい、覚えてたら伝えとくわ。あたしたちも、あんた程の男だったからここまで協力してやったのよ。楽しかったわ、アレキサンダー」
俺は最後の魔素核を手渡した。インベントリの中が随分とすっきりした気がする。
紫電はその内部に莫大なエネルギーを抱え、ゆっくりと変貌を遂げつつあった。
「ジロウ、玉藻さん。あなた達はそれぞれ面白い経歴で太一の仲間になったけど、僕にとってのクリスとジャンみたいに、二人が太一の両腕、最もよき理解者だと認識している。太一には大仕事が待ってるんだ。僕は太一ならやれる男だと信じてるけど、もし困ってたら助けてやっておくれよ」
「えぇ、えぇ、わかりました……」
「――承知した」
いつも通りもらい泣きする店長と、いつになく神妙な玉藻。
既に紫電はアレクを完全に包み込み、更に渦を巻くように次々とパーツが組み合わさっていった。
次第にそれは、巨大ロボットを形作っていった。
彼の声も、肉声から機械的な声へと切り替わっている。
――いつしかアレクの変身した姿を見て、二人でロボトークで盛り上がったのを思い出した。お互いスーパーロボットよりもリアルロボット系が好みだったのは余談だが。
今、彼自身がそんな姿になっていた。
「アレク、その姿、最高に恰好良いよ」
「ふふ、だろう?さすがブラザー、いいセンスだ」
ついに完成したリアルロボットは、こんな時になんだが、本当に心躍る恰好良さだった。
【主】はあまりにも強大だが、これならばひょっとすると……と思わせられる。
こんなヒーロー劇をこの場でやってのけるアレクという男の大きさに、俺は感動すら覚えた。
「あと何か言い残したこと――。はぁ。こんな形になってしまうなら、ちゃんと自分で伝えておけばよかったんだけど――。ナーシャ、すまないが全てが無事に終わったらリーリャに伝えてくれないか。『僕の事は忘れて幸せになるんだよ。愛しき君へ、機械いじりのオジサンより』と――」
「――うん、確かに、伝える……ね」
「ありがとう、ナーシャ」
「aaaaaaaaaa――――!!!!」
――ビリビリと大気を震わせる咆哮と共に、天使は再び産まれ落ちた。
「脱出するわ!皆手をつないで。……アレク!負けないでね!」
「負けるなよ、アレク!」
「アレクさん、頑張って!」
皆の声に応えて、アレクは手でピースをひらひらさせた。
俺が最後に見たのは、刀と銃を両の手に持った、大きな大きな背中だった。
涙で視界が霞む。
あぁ、力が欲しい……。
力が……俺に力があれば…………。
「『テレポート』」
ーーーーーーーーーー
「あれ、君、ひょっとして脱出しそびれた?」
アレクは、なぜか隣に一人残った人物に声をかけた。
「まーね」
ジャンだった。
「おいおいジャン、君まで一緒に死ぬ必要はない。今からでも………」
「違うわよバカ。敵の大将が同じくバカみたいに動かずじっとしてるもんだから当然もう座標合わせてあったわけ。あたしの最強魔法のね。ドタキャンなんてしたら女神様にぶっ殺されちゃうワケ。それなのにあんたがあんな演出するもんだから、行けないなんて言い出せなかったでしょ、まったく」
「はは。……すまないね、最後まで。クリスへの伝言どうしよっか」
「ほっときなさいよ。そんなのは要らないのよ、あたしたちに」
「それもそうだな。じゃぁ、最後の大仕事、やってやるか、マリア!」
「えぇ。アレク、やっぱあんたは最高よ」
巨大な氷塔がそびえ立つ白い世界で、紫の雷と化した機神は、処狭しと縦横無尽に戦った。
相対する天使ははるかに巨大かつ強大であったが、機神は何度も手足をもがれながらも再生し、対等にそれと渡り合った。
傍観者のいない双方の戦いはすさまじく、余波は外壁の外にまで及んだ。
まさに、地球で初めて再現された、神と神との戦いであった。
紫電の見立てを大きく超えて、戦いは約2時間にも及んだという。
――――瀬戸の海に沈んだ幾つもの機械の残骸たち。
その中に埋もれた小さなコアは、気泡を吐き出しながら、最後となる言葉を発した。
『偉大なるマスター……。どう………安らか……に……………………………………………』




