第102話 一人の青年の意地
アナスタシアが視認範囲内の小規模テレポートを繰り返しながら居住区にたどり着いた時、そこに以前の面影はなかった。
瓦礫の山に上がる火と煙。罪もない市民たちの死、死、死…。
基地を襲った兵士たちは彼らの生死にはまるで興味がないようで、助けを請う人々を生かすでも殺すでもなく、ただ通り過ぎて行った。むしろ負傷した生存者が多ければ多いほど戦いに勝つに有利とでも判断している様子だった。
アナスタシアは気配を絶ち、彼らを中枢へと見送った。
玉藻が守るメインタワーが落ちることはまずない。ならば自分がここで戦って被害を広げるのは得策ではない。
以前住んでいたアパートは崩れ落ちていた。引っ越しをした日も今は遠い昔のようだった。
ジロウ達が住む住宅街に急ぐ。
銃撃の音が大きくなっている気がした。
――――――――――
「ゲートバスターズの一人、田村次郎だ。優先度は低いが褒賞が出るぞ!殺せ!」
「ぐッ」
浴びせられる魔弾の嵐が頭上を掠めて行く。
自宅はとうに崩壊し、近くに住んでいた顔を知った人たちの多くが帰らぬ人となり無慈悲にそこら中に散らばっていた。生き残った人たちは運よく一般兵や魔導兵に保護された後、その兵ごと吹き飛ばされた。魔導兵部隊本陣まで逃げ延びた人たちは一握りに過ぎない。逃げ延びたとしてもそこが無事である保証すらない。惨状だった。
そんな中で次郎は、遮蔽となりそうな瓦礫を点々としながら、必死で妻子を守り続けていた。
「日名子、こっちへ!」
「お父さん…怖い、怖いよ」
「大丈夫、お父さんが絶対守ってやるから」
「……」
「お母さん生きてるの?」
「あぁ、致命傷じゃない。二人とも大丈夫だからな」
妻の沙優莉は最初の爆発の際に破片が頭に当たって以来、意識がなかった。呼吸は荒く早く、一刻も早い治療が必要なのは明確だった。
左手で盾と妻を担ぎ右手にはハンマーを持ち、卓越した運の力でなるべく兵士と接触しないルートを選び続けながら、次郎は中枢区画を目指した。
「死ねェ!」
「……ッ!!」
弾が当たらない次郎に痺れを切らし、運の介入余地の少ない接近戦を仕掛けてくる兵士が増えてきた。
魔導刀による一閃を回避し、ハンマーで頭部を殴打した。
クリティカルが出れば一撃で倒せるが、そうでなければ倒すのに二、三発は殴る必要がある。
五人目の兵士が地面に倒れた。
だが時間は浪費され、確実に包囲網は形成されつつあった。
「殺傷力に乏しい自分が恨めしいとまで思ったのは、これが初めてですね…」
次郎が切りつけられる度に日名子は悲鳴を上げたくなるのを懸命にこらえていた。
そうすれば正確な居場所を知られ、敵兵団に有利になるだけである事を彼女は理解していた。
「日名子、がんばれ。もう少しで魔導兵区画への検問にたどり着くからな」
「……うん」
次郎はそう言いながら、あまりにも少ない援軍を見るに、魔導兵部隊本陣が真っ先に潰されてしまった可能性を考えざるを得なかった。それは、この基地を守る力が失われたことを意味する。
「ハァ、ハァ、ハァ……」
感覚はもうよく分からなくなっていたが、自分の最も大切なものを運んでいる左腕はまるで独自の判断でそうしているかのように、妻を背負い盾を掲げ続けた。
そして次郎達は検問にたどり着いた。
そこに衛兵の姿はなかった。検問は破られていた。
「ハァ、ハァ、ハァ……」
「お父さん……」
「全方面に展開しろ!一斉掃射すれば奴は防げない!」
こんなところで……。
終わってたまるか!
今や唯一となってしまったスキル『降神祭』を発動し、間髪入れずに【御神籤】をひいた。
(神様……ッ)
次郎はただひたすらに、家族の無事を祈った。
ドォン!!ドォン!!ドォン!!ドォン!!ドォン!!ドォン!!ドォン!!
「な、なんだ!」
敵兵たちが動揺する。
空からなにかが降って来たのだ。
降って来たのは、七枚の無骨な鉄板。
魔導コートされた厚さ1メートルはあろうかという数百トンもの鉄板が、轟音と共に次郎達を守るように地面に突き刺さった。
次郎の眼前には、急ごしらえだがひたすらに頑丈そうな、鉄の花びらのような形状のシェルターが構築されていた。
「はは……感謝しますよ、神様」
次郎は沙優莉の口に最後の予備ポーションを含ませると、ゆっくりと地面に横たえた。
「日名子、これを持っていなさい。お母さんを頼んだよ」
「お父さん――ッ」
次郎は命綱であるシールドを娘に手渡し、ハンマーと身一つでシェルターの隙間から外へと躍り出た。
「化け物が!」
その瞬間、敵兵士長の怨嗟の声と共に、地響きのような音を立てて一斉に全方面から魔弾が掃射された。
スキルにより運を吸い取られた兵士たちの虚無感は、反逆という汚点のついたこの作戦への僅かな嫌悪感と相まって、出所のわからない理不尽な怒りとなって次郎を襲った。
大勢の兵士の運を一人で吸い取った次郎は、現実を捻じ曲げる程の神通力の塊となっていた。当然銃弾など当たらない。包囲網を張った兵士たちは次々と同士討ちの目にあう。
だが次郎は焦り続けていた。下手に自分が有利になればなるほど、敵は家族に目をつける。
「うぉぉぉぉ!!!」
シェルターもいつまで保つか分からない。次郎は包囲網に向かって突撃し、ぶぅんぶぅんと頭上で大きくハンマーを振り回した。
それが面白い様に全弾クリティカルヒット!
次郎はカボチャで出来た頭を潰していくように、兵士を殺してまわった。
だが足りない。時間も手数も。
「ひぃ」
すぐに次郎の異常性に気づいた兵士たちが、対決を避けてシェルターへと殺到し始めた。
折り重なった鉄板は銃弾を通さないが、人が入れる隙間は残っている。
中に入られたなら、もう全ては終わりだ。
次郎は手あたり次第にシェルターに近づく兵士たちを殺していくが、とても間に合わない。
「家族を確保しろ!負傷した方は見せしめに殺せ!」
「殺せ!殺せ!」
「あぁぁぁぁ」
これは現実か?
自分たちは正義の味方として戦ってきたはずだ。
なぜこんな目に合う。
なぜこんなに多くの人間たちから憎しみをぶつけられなければならない。
――。
――いや。
次郎は目を見開いた。
違う。
この世界はとっくに狂しくなっている。
原型を留めた都市や街はもはや一つたりとも残っていない。
内海をはさんだ中四国全域には、この基地を除いてまともな人間はもう一人も住んでいない。
ゾンビが跋扈し、神に愛された人間とそうではない人間が線引きされた不公平な世界。
富があったり何かに優れた人間が遺伝子を残すために『箱舟』へと移送される無慈悲な選別。
そうだった。
私は人間から憎しみをぶつけられることなんて、とっくに慣れている。
涙でぼやける視界の向こうで、鉄のシェルターに押し寄せる敵兵の数々―。
でもこれは……あんまりじゃないだろうか。
「私の家族に触るな!!!!!」
次郎はハンマーを投げ捨てて家族の元へと走った。
もう絶望的なまでに、どうしようもなかった。
――その時、シェルターの上に降り立つ機影があった。
スリムだが重装備な、機械の鎧を身にまとった一人の青年だった。
背中に備えられた小さな両翼からジェット噴射をしながら音もなくシェルターに着地した。
青白い顔をしたその人は半死半生といった様子だったが、静かに腰に刺した刀を抜き去った。
「―『天誅』」
ジグザグに高速移動しながら、一閃。
あっという間に兵士十人分の首が空を舞った。
それは惚れ惚れするような、見事な動きだった。
日本舞踊でも見ているかのようだった。
続いて両碗に備え付けられた魔導ランチャーは主の魔力を吸い尽くして、シェルターを中心に同心円状に爆撃系の魔弾を掃射した。
それを視界に収めながら、次郎はシェルターに向かって走り続けた。そして背中から爆風を受けると、吹き飛ばされて大きく転がった。
「うぐ……あ」
軽い眩暈のあとに気が付くと、ちょうど機械の鎧をまとった青年の足元に仰向けになっていた。
「誤解しないでくださいね。あなたならきっと大丈夫だと思って撃ったんですよ」
その青年は、かつての因縁の相手だった。
「大空寺くん……ですか」
「えぇ、あなたは、お変わりないですね」
次郎はあたりを見回した。気配が随分と静かになっていたからだ。
シェルターを取り囲むように、地面が大きくドーナツのように抉れていた。
自分達を執拗に追いかけまわしていた敵兵団は、今の爆撃であっさりと全滅していた。とてつもない殲滅力だった。
「これはアレキサンダー総統が特別に開発していた強化外骨格です。存在する七機のうち一機だけはこの基地の魔導兵団本部に保管してありましたが、同時に二機の別機体の襲撃にあい、それだけで本陣は崩壊しました。本来のこの機体のパイロットは死亡し、奪われかけた寸前で僕が搭乗し逃げ出しました。二機は今も僕を探しているでしょう」
それだけ伝えると、安心したかのように、大空寺青年は地面に倒れ込んだ。
重魔装外骨格もまた自然に青年の身体から離れて地面に転がった。
地面には彼を中心に赤黒い染みが静かに広がっていった。
次郎は急いで起き上がると、大空寺青年を抱き起した。
胸部と腹部に大きな裂傷があった。
致命傷だった。
ポーションはもうなかった。
「魔力も今ので空になりました。……僕はもうじきに死ぬでしょう。でもよかった、最後にあなたに言っておきたかったことがあるんです。だから気が付いたらこちらに来ていたんでしょうね。げほっ」
青年の口から鮮血が散った。
「なんですか」
次郎は震える声で二の句を促した。
そんな次郎の余裕のない顔をみて、青年は静かに口元を緩めた。
「こんな所でまで恰好つけて僕は……。ごめんなさい。僕は……謝りたかったんです。あなたに。ずっと」
「なんでですか」
「……馬鹿にしたことを。あなたが本当は優秀だったからとか、そういうことじゃない。あなたは家族を守るために戦っていたんですよね。僕にもあったんです、家名が、父からの期待が……そんな……ちっぽけですが……守りたかったものが……。だから……おな……じ……」
大空寺青年の体温が急激に下がっていくのが分かった。
周囲に衛生兵の姿はない。
次郎は覚悟を決めると、慎重に言葉を選んだ。
「…あなたは私と家族の命の恩人です。あの時も私はあなたに運命を変えてもらったようなものです。あなたとの決闘があったからこそ、私はここまで来れたんです。何を憎んだりするものでしょうか。どうかこの先も一緒に戦いましょう、地球の未来のために」
「はは、あなたらしい……まるで、どこかのキャッチコピーみたいですね……」
殆ど聞こえていなかったに違いない。
でも最後に青年はぽつりとそれだけを呟いた。
満足そうな顔をしていた。
彼はその短い生を終えて、静かに息を引き取った。
――――――――――
アナスタシアが大きく地形の変わった場所へと辿り着いた時、次郎は彼の埋葬を終えていた。
後でちゃんとしたお墓を作ってあげられるように、彼の愛刀を墓標に立てていた。
「店長さん」
次郎達の身になにがあったかは分からないが、酷く心身ともに傷ついていることはわかった。
アナスタシアが声をかけると、彼は我に返った。
「アナスタシアさん――?あ、あの、妻が負傷していますので――ッ」
「ッすぐ治します」
アナスタシアはすぐに超級回復魔法で沙優莉の治療に取り掛かった。荒い呼吸をしていた彼女だったが、次第に穏やかな寝息へと変わり、ようやく次郎は安堵の息を吐いた。
日名子は軽症だったため、初級での治療もすぐに終わった。
最後に、次郎はそれなりの怪我をしており中級治療を受けた。次郎はアナスタシアに感謝の意とともに、重魔装外骨格のことを伝えた。
一人の若い英雄が、機体と自分達家族を守ってくれたことも。
アナスタシアは既に知っていた情報と照らし合わせて、現状を把握し、頷いた。
その直後だった。
ドォン!
ドォン!
更地化した広場に、ひどく粗暴な音が響き渡った。
二機の機影――間違いなく例の機体だった。
駆る人間は本部魔導兵団の精鋭中の精鋭なのだろう。
「ナーシャさん!」
「……店長さん」
――アナスタシアは次郎と短く、一言二言の言葉を交わした。
次郎は最初それに反論したが、すぐに項垂れてアナスタシアの提案を受け入れた。
アナスタシアは、次郎とその家族、そして大空寺青年が守った機体に手をかざした。
次いで、彼らの姿は突如として消え去った。
彼女がテレポートでメインタワー内の安全な場所へと送ったのだった。
それを見て、二人のエリート兵は幾らか慌てた様子だった。
家族がいるとはいえわざわざ貴重な戦力を減らすとは思っていなかったのだろうか。それとも余程あの機体が重要なのだろうか。
「ターゲットだ。見た目で油断するな、強いぞ。速やかに殺せ」
もう何度目になるか、結局はそんな無骨な無線のやり取りの末に自分に銃口が向けられるのを、アナスタシアは冷めた目で見ていた。
数発、強力な魔弾がアナスタシアに向けて放たれた。
いずれも先ほど魔導兵部隊を全滅させたレベルの、増幅された魔力が込められていた。
『界絶瀑布』
それに対し、アナスタシアは極大防御魔法を展開した。
それは雑兵に対して使用していたものとは全く別次元の出力だった。
ギャリギャリと鋭く回転する碧水牢は、一発一発が幻獣をも屠る対物魔導ライフルを悉くはじき返した。
「なに!?」
決戦用の機体を駆るエリート兵たちに、それは予想外だったらしい。
データでは、聖女アナスタシアにそこまでの戦闘力はなかったはずだった。
「仕方ない、メインタワー制圧用の兵装を解放しろ」
「出力を120%に引き上げるぞ」
「了解」
二人組が血気逸る一方で、アナスタシアは淡々と考えていた。
――どうやったら中の人間だけを殺すことができるだろうか、と。




