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砂と塩  作者: ヨシトミ
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第49話 海へ

第49話 海へ


「このついでに着替えて、今着ているものを持って帰って欲しいのです」

「わかった、お湯を汲んで来よう」


洗面器に熱めのお湯を汲んで来て、タオルを濡らして背中から拭いてやる。

銀鷹丸さんは気持ち良さそうに、ふうと息をついた。


「東京へはいつお帰りになるの?」

「実は銀鷹丸さん、店から停職90日を喰らってしまった」

「90日も?」

「みんなからの心遣いだよ、俺ら新婚旅行も行ってないから、

このついでにふたりでゆっくりして来いってさ…」

「まあ…それは嬉しいこと」


銀鷹丸さんはそれから、90日の間にしたい事を、

あれこれとりとめもなく話した。

山で姉ときのこ狩り、海でよしのり親子と魚釣り、

ムラのどこかでみんなと食事、家で俺と…。


その次の週末、ようやく銀鷹丸さんに退院の許可が出た。

特別な用事がない限り、俺たちは朝から晩までずっと一緒に過ごした。

家で、目の前の海で。

何て事のない日常だったが、それは東京にいる時よりも幸せだった。

東京では仕事もあり、ずっとは一緒にいられなかったから。


「休みが明けて、ホークスさんが東京へお帰りになっても、

私はちっとも淋しくはないのですよ」


11月のある曇った午後、目の前の砂浜をゆっくりと歩きながら、

銀鷹丸さんは笑った。

雨が近く、空気も砂もいやに熱かった。

ムラの者もとっくにどこかの屋根に隠れて、

誰も通りかからないし、誰もいなかった。

あるのは波が寄せては汀で壊れる音だけだった。


「だって、ここはあなたの田舎ですもの。

離れてもここと東京、それだけの距離の事、

私があなたを愛してるって、その気持ちがあるから、

淋しくもないし、何も変わらないのです」

「それは…俺もあんたを愛してるって気持ちも付け足して欲しいね」


はたから見れば、こんなおじさんとおばさんがふたり、

誰もいない砂浜で、愛し合うどころかデートする様子でもなく、

貝か何かを拾いに来た訳でもなく、本当に不思議な光景だろう。

ただ一緒にいる、ただ同じ気持ちでいる。

それが特別な日の、特別な出来事ではなく、

連続する日常の1コマ、それが俺たちという夫婦だった。


俺たちは男と女でありながら、そこからはみだしていた。

だからそれでいいのだ。



そんな話をしてから3日後。

遅れてやって来た台風が、俺たちのいるムラに最も近づいた。

いつぞやうちの座敷で飲んだくれているムラの男たちを、

銀鷹丸さんがもてなしているのを見た時と同じように、

雨風は怒り狂い、ごうごうと俺たちを非難し、

2階のあの部屋の窓に激しく叩き付けた。


そんな夕方、よしのりが突然家に飛び込んで来た。

彼はもちろんずぶ濡れで、あのすごい筋肉の発熱量も間に合わず、

体温が奪われてがたがたと震えていた。

それをどうにか温めようと、ごうが身体を必死にすり寄せていた。


「手伝うて欲し、芝本んとこのひでかずがまだ帰って来おへん」


「芝本のひでかず」は、ムラに住む俺の同級生の子供だった。

確か今年で8歳になると思う。


「私も探しましょう」


銀鷹丸さんが玄関で、母が使っていた白っぽい雨合羽を引っぱりだして、

もこもことそれを着込んだ。

そしてぱんと家を飛び出し、芝本屋敷に向かって急いだ。


「銀鷹丸さん…! だめだって…!」

「赤さん! あかんやろ、あんた…!」


俺もよしのりも彼女を追いかけた。

どこかの家の瓦や、板きれなど、風でいろんな物が飛んで来て、

俺たちの邪魔をしているうち、

銀鷹丸さんはどんどん先へ先へと行ってしまった。

俺たちが地を這い、ささいな障害にのたうち回る虫けらなら、

彼女は晴れた空を悠々と滑空する鷹のようだった。


雨の中ぼんやりと見えた彼女は、途中でぴたりと止まり、

きゅっと急に方向を変えた。

その先には、波打ち際で膝まで水に浸かりながら、

高波をスマホ撮影している少年がいた。

芝本のひでかずだった。


そんな彼を大きな波が襲おうとした。


「危ない!」


銀鷹丸さんはひでかずの腰をさらって、砂浜に倒れ込んだ。

ようやく追いついた俺たちは、彼女からひでかずを受け取った。

その時、次の波がやって来て俺たちの目を塞いだ。

波が引くと、よしのりがひでかずを身体で包み込んでいるのが見えた。

けれど、銀鷹丸さんの姿はなかった。

波が彼女を海へと連れて行ってしまった…。


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