第18話 銀座なのに赤坂
第18話 銀座なのに赤坂
銀鷹丸さんがいない…。
東京に帰ってしまったのだろうか。
俺は窓から身を乗り出した。
…例の赤い車はある、ではどこへ?
「へえ…赤坂さん言うんかあ、働いとるのんが銀座やのにい?」
「そうそう、そうなんです…『銀座なのに赤坂』!
お客様にもよくいじってもらえて、すごくお得な苗字なのです」
「ほんじゃ、『赤さん』やな」
「あかんやろよしのり、それじゃ赤ちゃんみたいやん」
「『赤さん』で良いですよ、それも良く言われますから」
玄関先で楽しそうな声がする。
降りてみると、銀鷹丸さんがよしのりと、その父のおっちゃんとおしゃべりして、
声を立てて笑っていた。
「よしのり、おっちゃん」
「お、秀忠、手伝いに来たで」
玄関先に座るおっちゃんが、タオルでよく日焼けした顔をこすりながら言った。
「ああ、ありがとう…で、なんで銀鷹丸さんが?」
「今朝は気分が良いので、まずはお風呂を借りて、
朝ごはんをいただこうとしておりましたの。
そしたらよしのりさんたちが…」
銀鷹丸さんは三和土に置かれた発泡スチロールの箱を開けた。
…また魚かよ。
よしのりのおっちゃんは漁師だから、売り物にならない魚をよくくれる。
前は母もいたからまだ良かったけれど、今はもう困るだけだ。
それでもおっちゃんが善意でしてくれる事に、要らないとは言えない。
「いつも悪いな、おっちゃん」
「かまんよ、どうせ腐らせるだけやし」
「ホークスさん、これ、さっそく朝ごはんにいただきましょう。
冷蔵庫の中でも、お昼まで置いてたら傷みます」
「えっ…こんな丸のままなのに?」
俺もよしのりもおっちゃんも、目を丸くした。
おっちゃんが言った。
「俺がさばいたろうか?」
「大丈夫です、おまかせくださいまし」
銀鷹丸さんは台所で、まな板の上に古新聞を敷き、
そこで魚を手際良くさばいて、刺身や切り身に造った。
その足許でごうが興味深そうに、ぐるぐると回っている。
「実は釣りも好きで…昔は海や川へとよく行って、
釣った魚をその場で調理したものです」
「へえ、意外」
「キャンプや狩りも好きですから、ちっとも意外ではないのですよ」
「よし、寒うなったら鹿でも撃ちに行こか」
「いいですね、ぜひおともさせてくださいな」
狩り…そうだった、銀鷹丸さんは俺とは真逆の人間。
だからあのゲーマー部屋とか、男らしい趣味なのだ。
「ごはんとおみそ汁はもう作ってあって、ちょうどおかずに困っていたのです。
ゆうべの残りだけでは少し淋しいなって」
「あんたあの『銀鷹』のママだろ? なんでそんな生活じみた…」
「それは仕事ですから…非日常の女は生活など見せてはいけない。
でも実際の私は一人暮らしです、ごはんぐらい作ります。
さ、皆さん座って、座って」
あのゲーマー部屋の持ち主の手料理か…恐ろしい!
俺は恐る恐るみそ汁に手をつけた。
「え」
俺は目を丸くして口をすぼめた。
「旨いやん」
「旨い…うっとこんメシより旨いかも知らん」
あの部屋を知らないよしのりとおっちゃんは、普通にもぐもぐと食べながら言った。
くそ…あの部屋の持ち主のくせに。
薄い色に濃いだしの味付けが、あの時の重箱入りの豪華弁当と同じだ。
あれは彼女の手作りだったのか…。
これは今夜また、寝ているうちにデッキにいたずらしてやらないと。
「ところで秀忠くん、あの猫、なんであんな小っさいのん?」
よしのりは銀鷹丸さんの膝で丸くなっているごうを見た。
「ああ、ごう? あの子はもう大人なのに、ちっとも大きくならない。
可愛いと言えば可愛いけど、健康的ではないね」
「どうせ秀忠くんの事やし、狭っこい部屋に閉じ込めとったんやろ?」
「ろくに陽も当てたらんし、運動もさしたらん、
まともに大きいならんのも当然やな」
ひどいな、よしのりもおっちゃんも。
それじゃまるで俺がごうを虐待しているみたいじゃないか。
「え…でも、なんだか」
銀鷹丸さんが視線を落として言った。
「ここに来る前より大きくなっていませんこと?」




