77、過去との決別
私は、前世の地元にできた新しい商業施設の中を、怪盗アールと一緒にぶらぶらしていた。まさか、ここにこんな形で来ることになるなんて思わなかったわ。
いろいろな店を、彼は楽しそうに見て回っていた。怪盗は、バーのマスターに似た姿に化けているから、なんだかマスターのお兄さんと一緒にいるような、不思議な感覚だった。
でも、とても楽しい。怪盗と一緒にいて居心地がいいと言うのもおかしいが、私が親しみやすい姿に化けるという配慮も嬉しかった。
それに、今は日本にいる。私の感覚は、前世の美優に戻っていた。
(あっ、タピオカ……)
商業施設の5階あたりから、タピオカミルクティを持ってぶらぶらしている女性が増えてきた。この階に店が入っているのかしら?
「ローズさん、こっちです」
突然、彼は通路を引き返した。
「どうしたの?」
「行列に並んでみたいのでしょう? あれは何ですか」
彼が引き返したのは、私がタピオカのことを考えた思念が漏れていたためだろうか。
「タピオカミルクティの店よ。何年か前から流行っていて、一度飲んでみたいと思っていたのよ」
「へぇ、不思議なものが流行っているのですね」
そう言いつつも、嫌な顔もせず、一緒に行列に並んでくれた。美優がバーに行くまでの時間潰しに、彼は本屋に行きたいのではなかったのかしら。ここに本屋があるかと、最初に聞いていたものね。
順番が来ると、彼がカタコトの日本語で注文をしてくれた。私は普通に話せるけど、こんな外見で普通に日本語を話すと、旅行者という設定が崩れてしまうからかしら。
彼は、一万円札を出して、お釣りを受け取っていた。私は、彼の分もタピオカミルクティを受け取った。
「ローズさん、五百円硬貨を手に入れましたよ! しかも、五千円札も千円札も、一度の買い物で手に入りました。タピオカミルクティ、最高ですね」
「ふふっ、確かにすべてのお金が揃ったわね。こちらもどうぞ。おごってもらってよかったのかしら」
「ええ。石や貴金属なんかより、いろいろなことができる方が価値がありますよ。ローズさんに教えてもらわなければ、私はこの不思議な飲み物と出会う機会がなかったでしょうから」
私はなんだか、彼が怪盗だということを忘れそうになっていた。いや、実際、忘れている時間の方が長いかもしれない。
でも、怪盗アールは正体を明かさない。ということは、依頼が終われば、もう彼とは会えなくなる。最初で最後のデートか……。でも、いい思い出になったわ。
私達は、タピオカミルクティを飲みながら、ぶらぶら歩いていた。予想よりもさっぱりしていて、タピオカの黒糖っぽい香りともちもち感がミルクティに合い、とても美味しかった。
(あ、本屋さんがあるわ)
「アール、本屋さんがあるわよ」
「少し立ち寄ってもいいですか」
「ええ、構わないわ。でも、文字は読めるの?」
「こういう本で、文字の勉強をするんですよ」
「へぇ」
彼は、目当ての物があるようだった。コミックコーナー? まぁ、漫画の方が絵があるから読みやすいのかしら。
「探していた物がありましたよ。また来なければ」
「えっ? あ、往復ならできると言っていたわね」
「ええ。また、道案内を……あ、いえ、なんでもありません。少し舞い上がってしまいました」
彼の手には、XYZが合図になっているあのコミック本が握られていた。1巻〜3巻の三冊を持ってレジへと向かった。でも、コミック本を持っていて、邪魔にならないのかしら?
彼は、また一万円札を出して、釣り銭をもらっていたようだ。ほんとに、お金のコレクターなのかしら。
「そろそろ、移動しましょうか」
「ええ。そのコミックの袋を持ったままで大丈夫なの?」
「邪魔になったら、魔法袋に収納しますから大丈夫ですよ。まだ少し早いですが、先に目的の店に行ってしまいましょう」
私達は、たわいもない話をしながら、私、美優が最後に行ったバーへと向かった。すっかり、忘れそうになっていたけど、本番はこれからだわ。
バータイムにはまだ、少し時間が早いためか、店は空いていた。私達が外国人に見えるからか、店員は英語で話しかけてきたが、逆にわからない。でも、彼は英語で普通に返事をしていた。流暢な英語だ。
(私より断然、できるのね)
店員が私にも英語で話しかけてきたが、私にはさっぱりわからなかった。するとアールは、私の代わりに返事をしてくれた。
そして、途中からは、カタコトの日本語を使い始めた。彼が日本語を話すとわかって、他の店員もホッとしている。
私達は、テーブル席に案内された。カウンターでよかったのにと思ったが、たぶん、マスターは英語がわからないのだろう。テーブル席なら、英語ができる店員が応対できる。
「ローズさん、注文もしてしまいましたよ」
「えっ? そうなの? 私、英語は全然わからないから。アールは、すごいのね」
「ふふっ、この国に来るといつもイギリス人に間違われるので、習得したんですよ」
「へぇ、日本にはよく来るの?」
「この時代は初めてですが、もう少し古い時代にはね」
「そう。何か用事があるの?」
「えーっと、この国の食べ物を気に入っているんですよ。ふふっ、なんだか、いろいろ聞かれるんですね」
「あっ、詮索しないと言っていたのに、つい……すべてが終わると、記憶を消されてしまいそうね」
すると、彼は私の顔をジッと見つめた。そうして、フゥッと小さなため息をついた。
(何か、変なことを言ったかしら)
運ばれてきたのは、軽食とモヒートだった。
「モヒート?」
「ええ、私も、カクテルならこれが一番好きなんですよ」
「そう、奇遇ね」
軽食を食べながら、モヒートを飲んだ。あの日に飲んだのも、モヒートだった。なんだか、いろいろなことが頭に浮かんできた。
でも、いま、目の前にいる彼のおかげで、それほど辛くはなかった。ここで立ち止まらずに、前に進んでいけそうな気がする。
「ローズさんと一緒にいると、私はとても楽しいみたいです。自分が何者かも忘れてしまう……。お嬢さんの記憶は消さないでおきます。もし、また私の力が必要なときに呼べるように。そして次に会ったときには、お嬢さんが望むなら、私は仮面を外しましょう」
「えっ……突然どうしたの? なんだか、もう終わったような言い方をするのね」
すると、彼は私の目の前に、キーホルダーをぶらんと差し出した。私が怪盗に依頼した、アイツとお揃いのキーホルダーだ。
「いつの間に?」
「いま、盗りました。あとは、この店で失くしたように、少し工作をすれば不自然にはならない」
私はカウンターの方を振り返った。すると、今まさにイスに座ろうとしている健と、そして私、美優がいた。
「あとは、お嬢さんを無事に送り届ければ完了です」
「そうね、でもなぜ急に、私の呼び方を変えたの?」
すると彼は、やわらかく微笑んで、私にキーホルダーを渡した。時計はもうすぐ夜10時になる。
「もうすぐこの時間が終わるかと考えると、少し寂しくなりました。例の時間より、早くここを出る必要があります」
「あの、私……」
「前世の関係者と関わることは、禁じられています。ましてや自分と話をすることは、できません」
「やはり、そうよね」
そうだろうとは予想していた。ちらっともう一度、私は健の後ろ姿を見た。やはり、好きだったわ。
「じゃあ、行きましょう」
「ええ」
彼は先に席を立った。私はキーホルダーを、ポケットに入れ、彼の少し後を追った。
お会計をする際に、彼は小銭を床に落とした。それを拾う際に、私の……美優のバッグをひっかけて床に落とした。
だが、彼はそれに気づかないフリをして店を出て行った。私もそれに合わせた。
私が二人の後ろを通り過ぎるとき、店員が美優にバッグが落ちたと声をかけた。床に落としたバッグを拾おうと、彼女がイスから立ち上がったとき、一瞬、目が合った気がする。
私は素知らぬふりをして、心の中でサヨナラを呟いた。
(さよなら、私……)




