75、太陽系付近の戦乱
『お嬢さん、着きましたよ』
頭の中に直接響く声で、私は目が覚めた。
『気持ち悪くはないですか?』
私は声を出そうとしたが、声が出ない。いや、声が伝わらない? まわりは真っ暗だった。怪盗の銀色のハーフ仮面が妖しく光っているように感じた。
『心の中で言葉を思い浮かべてください。私が読み取ります。ここは、空気もマナもない宇宙空間ですから、声は伝わらないですから』
(あ、そっか、宇宙にいるのね)
私は身体にダル重さを感じた。重力もないはずなのに、なぜか重い。それに宇宙なら、なぜ、星がないのだろう。私は目が悪くなったのかしら。
『ここは、まだ太陽系ではありません。強い恒星がないため、真っ暗闇に見えるのですよ。太陽系付近は、話ができるような状況ではないのです』
(そ、そう……えっ? 空気がないはず)
『お嬢さんには、私にできるすべてのバリアを張ってあります。呼吸も問題ないはずです』
(そうよね、出発時にバリアを張ってくれたわね)
『はい。ですが、やはり少し不調のようですね。もう少し我慢できますか』
(ええ、大丈夫よ)
怪盗は、私をふわっと抱き上げた。お姫様抱っこをされている。
(えっ!?)
『あー、勝手に触れるのは無礼でしたか、ふふふ。お嬢さんの負担を減らすためです。我慢してください』
(いえ、大丈夫よ)
私は、なぜか怪盗の腕の中は、嫌じゃなかった。逆に、安心感のようなものを感じていた。やはり、私はこの怪盗に過去に会ったことがあるんだわ。
それが前世のことなのか、子供の頃のことなのか、最近のことなのかはわからない。でも、きっと、私は彼に心を許していたのだろう。
(あっ、流れ星?)
私の視界に、光る何かが流れた。そして、その光はどんどん進んでいき、何かにぶつかったらしく、真っ暗な宇宙空間に、爆発によるオレンジ色の光が輝いた。
真っ暗だと思っていたこの場所には、大量の岩が浮かんでいた。少し動けば、岩にぶつかりそうだ。
(この岩は……)
『このあたりにあった星の残骸です。いま、戦乱の場は、あちらの太陽系のすぐそばに移動しています。太陽のような恒星は潰さないように気をつけているようですが、この付近はその回避に失敗したようですね』
(いったい何が起こっているの?)
『お嬢さんは、50年程前の神戦争をご存知ですよね』
(ええ、もちろん)
『いま、この場所は、あの神戦争の時代です。赤の神々と、青の神々が、勢力争いをしています。こんなマナのない世界にまで入り込むことは禁じられているのに、争いに夢中で、気づいていないようです』
(もしかして、そのせいで地球が?)
『ええ、このあと、戦乱の場は太陽系に近づいていきます。ここで争っているのは、神々の中でも格の低い雑魚です。女神イロハカルティア様が、新たな黄色い星系の創造神となったという情報が、まだ伝わっていないのでしょう』
(その情報が伝わると戦乱は終わるの?)
『争っている神々がまともな連中なら……いや、まともな神々なら、こんなマナのない場所に入り込まないですね』
(そんな……)
『作戦は考えてあります。私は、お嬢さんの依頼によって、キーホルダーを盗みに来ただけです。それを邪魔されると、私が防衛行動に出る、もしくは反撃しても問題にはならない。だから、そのタイミングを狙って、地球に接近します』
(えっ? 防衛……反撃? 神々に反撃するの?)
『ふふ、大丈夫ですよ。相手は雑魚です』
(いえ、魔力は、そんなにもたないのでは……)
『正攻法でいけば、この場所との往復だけでギリギリですね』
(じゃあ……)
『ふふ、そのために準備時間をいただきました。大丈夫ですよ』
そう言うと、怪盗は私に、やわらかな笑みを向けた。至近距離で、彼の目を見て、私はドキッとした。仮面の奥の優しい目……マズイ、私、怪盗のことも好きになっている。
いやいや、こんなことを考えていてはいけないわ。思考を読まれると、私の気持ちがバレてしまう。何も考えないようにしないと……。ちょっと待って、そもそも、こんな状況で、私はいったい何を考えているのよ。
私は自分自身に、ため息をついた。
『安全のために、お嬢さんは私の腕の中にいてもらいます。暴れないでくださいね』
(あ、暴れないわよ)
『ふふっ、おてんばなお嬢さんだから、一応、念のためです。怒らないでくださいね』
(おてんばって……否定はできないけど)
怪盗の顔を見ると、彼は私の反応を楽しんでいるかのようだった。でも、その目は優しい。
(はぁ、もうっ)
私は甘酸っぱい気持ちになった。ダメだわ。自分のことなのに、感情って制御不能だわ。
『さて、そろそろ行きましょうか』
私は、怪盗の顔を見て、頷いた。彼は、口元に笑みを浮かべ、そして、私を腕に抱いたまま、何か淡い光のベールのようなものをまとった。
グンッと、遠心力のようなものを感じ、思わず目をつぶった。そして、移動速度が緩やかになったため、目を開けると、遠くに太陽らしきものが見えた。
(土星かしら?)
土星の環は、なんだか氷の塊が集まっているみたいに見えた。引力で集まった岩石だと思っていたけど。ここから太陽は遠いから、凍ったのかしら? でも、岩ではなく、氷に見えるわね。
『この星に興味があるようですね』
(あ、いえ……まぁ、そうね)
『美しいリングが特徴的ですね。ですが、私は青き星の方が美しいと思っています』
(それって、地球のこと?)
『ええ、見えてきましたね。ですが、ちょっと近寄りにくいですね』
怪盗は、大きな星の方を見ていた。木星だろうか。その奥に目を移して驚いた。攻撃魔法が飛び交っている。大規模な戦乱だ。何万という魔導士がいるのだろうか。
(太陽系の中で戦乱……)
『ええ、こんな場所で、ありえない行動です』
神々は、かなりの機動力があるようだ。木星の奥にいたかと思えば、地球に接近し、またしばらくすると今度は私には見えない距離にまで遠ざかった。
『タイミングを見計らって移動します。私のどこかを掴んでおいてください。移動したら、ちょっと手を離しますので』
(わ、わかったわ)
私は一瞬、戸惑ったが、怪盗に両手でしがみついた。は、恥ずかしいわ。
『そんなに、力を入れなくても大丈夫ですよ。ここは無重力空間です。抱きついてくれるのは大歓迎ですけどね』
(えっ!?)
私が顔を上げると、怪盗はニヤリと笑っていた。また、私の反応を見て遊んでいる? 反論しようとした瞬間、グンと遠心力のようなものを感じ、私は目をつぶった。
だが、すぐに彼は止まった。私は目を開けると、目の前に青く輝く星があった。その美しさに一瞬言葉を失った。
その次の瞬間、私をお姫様抱っこしていた怪盗の手が離れた。落ちるかと焦ったが、私はふわりと浮かんでいた。彼にしがみついていなければ、私は彼から離れてしまっていただろう。
地球の重力のせいなのか、私の身体は、次第に彼の横へと移動し、足の方が上がってきて、逆さづりのようになっていた。
(頭に血がのぼるわ……)
怪盗が何をしているのかは、逆さづり状態で見えなかった。だが、地球に向けて、白い光が放たれたのは見えた。その光は瞬く間に、地球を覆った。
『あらら。お嬢さん、逆立ちですか。ふふ』
(ちょ、なぜか、こんなことになったのよ)
『身体の中のマナを循環させてみてください』
私は、身体の中のマナが流れるイメージをした。すると、ゆっくり足が下におりてきた。逆さづりのせいで、ダル重さに、吐き気までが加わってしまったわね。
『ふふ、よくできました。体調不良は、地上で治しましょう。お嬢さんの街の情報をください』
私は自分の街を思い浮かべた。怪盗は、私の身体を支えるように、私の腰に左手を回していた。
その直後、炎魔法のようなものが、地球に降り注いだ。だが、炎は、白い光に吸収されるようにして消え去った。
(星全体を覆うバリアなんて、すごいわ!)




