35、カフェラテとベーコンエッグ
私の頭の中には、いろいろな映像が流れていた。まるで、走馬灯のように…。夢でみていた世界は、やはり私の前世だったようだ。
混乱して、私は頭がおかしくなりそうだった。
あれ? 穏やかなオルゴールのような音が、かすかに聞こえる。何の曲だろう? 聞いたことがあるような、ないような…。その音を聞いていると、だんだん私は落ち着いてきた。
そっか、私は、あの爆風で死んだのね。健も、あの店にいた人達すべてが、真っ赤に染まった中にいた。きっと、みんな、私と同じように死んだのね…。
でもしかし、あれは火事だったのかしら。火事というより灼熱の何かに吹き飛ばされたような…? 強烈な炎系の魔法のような…?
いや、私の、美優の世界には魔法なんて存在しない。隕石が近くに落ちたんだっけ? でも核爆弾か何かのような威力だったのじゃないかしら…。
私が目覚めると、ミューがすぐ近くで、私のベッドにもたれかかるようにして眠っていた。
(あれ? ここは?)
寮ではない。見たことのない部屋だった。このベッドもキチンと整えられてシーツも清潔だ。宿なのだろうか。
そういえば、夢の中で、ミューが私の名を呼んでいた。ローズではなく、美優と…。あれはミューを初めて見たときの記憶だろう。
普通に考えれば、ミューが私の前世の名を知るわけがない。自分の名前がミューだと赤ん坊の私に教えていたのだろう。
でも、赤ん坊の私は、美優と呼ばれたと思っていた。ミューだけが、私のことを知る唯一の味方だと思っていた。あのときは、私にはまだ前世の記憶が残っていたのかしら。
その後は、この世界の言葉が理解できるようになる頃には、前世のことなど忘れていた。いや、封じられたということなのかもしれない。
赤ん坊のときには、まだ封印が完成していなかった、ということだろうか。
グゥウー、きゅるる
変な音のした方を見ると、ミューが目を覚ましていた。目をこすりながら、鼻をヒクヒクさせている。
「ミュー、おはよう」
「あ! ローズ様、記憶は大丈夫ですか? ミューのこと、わかりますかー?」
「わかるから、ミューって呼んだじゃない」
「ミユウじゃなくて、ミューですよ?」
「わかってるわよ。美優は私の前世の名前よ」
「じゃあ、前世の記憶、戻ったんですね。頭痛いとか、吐きそうとか、不調はないですか」
「うーん、今のところは大丈夫よ。なんだか、まだしっくりこないけど、体調不良はないわ」
「そっか。じゃあ、よかったですぅ。ローズ様、お腹減ってますよね? パンの焼ける匂いが〜」
「さっき、すごい音してたわよ? ミューのお腹」
「ん? そうですかぁ? 気づかなかったですけど」
(すごくギュルギュル鳴ってたけど…)
「ここは、どこなの? 近くにパン屋があるのかしら」
「たぶん朝食用のパンを焼き始めたんだと思いますよ。ここは、ローズ様がお気に入りのバーの2階です。簡易宿泊所になってるんですよ」
「そうなの?」
「そうなのです。酔い潰れた人が眠れる場所をということで、バーと銅貨1枚ショップの2階に作られているんですよ。3階は、バーのマスターの住居だそうです」
「へぇ。あれ? 探偵事務所に居たわよね?」
「あそこでは寝かせておけないからって。先生がここにローズ様を運んだんですぅ」
「えっ!? 所長さんが? でも、なぜこの場所に?」
「ここはいつも、昼間はガラ空きですからね。もう、夜明け前ですけど」
「あ、そっか、探偵事務所に居たのはランチ時だったわね。私は、そんなに長い時間眠っていたのね」
「そうですよー。ギルドの登録者カードは、余裕で出来上がってますよ」
私は窓から外を見た。虹色ガス灯は紫色だった。紫色は初めて見たわね。幻想的でとてもキレイな色だ。
「紫色の次は赤色だったわね」
「そうですよー。赤色になったら朝ですからねー」
ぎゅるるるる〜
ミューのお腹が、大音量で鳴った。
「わっ! なんか聞こえました?」
「さっきから鳴ってるわよ」
「えへへ〜っ。パンの香りが〜」
「じゃあ、下に降りて、ご飯を食べましょうか」
「はいはーい! ミューも同じことを考えていましたー。ローズ様、気が合いますね〜」
「そうね、ふふっ」
私達が、1階へと階段を下りていくと、あのバーだった。夜明け前というだけあって、客は少ない。
「あ、お目覚めですか。頭痛やめまいはないですか?」
マスターが私に気づき、声を掛けてくれた。どこまで知っているのかしら。
「ええ、大丈夫よ」
「それならよかった。カースに言われて、ちょうど朝食の用意をしていたところです。パンも焼きあがりましたので、お好きな席にどうぞ」
「ええっ? マスター、あの幻術士に命令されたんですかーっ?」
「カースって、呼び捨てるほど親しいのね」
「あー、あはは。えーっと、とりあえず朝食すぐにご用意しますね」
なぜか、マスターは慌てたようだけど、私は何か変なことを聞いたのだろうか?
カウンターには、マッタリしているひとり客が居たので、邪魔にならないよう、ミューと二人でテーブル席に座った。
「お待たせしました。朝食セットです。どうぞ〜」
トレイには、焼いたベーコンと目玉焼き、サラダとカットフルーツ、そして焼きたてパン、オレンジジュースがのっていた。
「お飲み物は、紅茶とコーヒー、どちらがいいですか?」
「ミューは、ホットミルク紅茶、甘甘で〜」
「かしこまりました」
「じゃあ、私は……カフェラテ。あ、カフェラテはないわよね、えーっと」
「カフェラテ、大丈夫ですよ。ホットでいいですか」
「ええ」
「かしこまりました」
「ローズ様、カフェラテってなんですか?」
「ん? エスプレッソに牛乳が入ってるコーヒー牛乳みたいな感じよ」
「エスプレッソってなんですか?」
「エスプレッソマシンで作る、濃いコーヒーかな? よくわからないわ」
「えー、濃いってことは、苦いんじゃないですか」
「そうね、カフェラテは少し苦味というかコクが深い感じね」
「ふぅん。やっぱり、ローズ様は転生者なんですね。そんな飲み物、アマゾネスにはないですし」
「えっ? あ、そう、ね。私はカフェラテをよく飲んでいたみたいだわ」
「あれ? ローズ様の卵料理がおかしいです〜。なぜ、黄色と白に分かれているんですかー。それに見た目が目玉みたいで怖いですよ〜。マスターのいじわるですかぁ?」
「ん? 普通のベーコンエッグじゃない。あ! 目玉焼きって、ないわよね」
そこに、マスターが飲み物を持ってきた。
「僕、いじわるなんてしませんよ? ベーコンといえば、やはり目玉焼きの方が、黄身をとろりと絡ませると最高ですからね。僕も日本の、平成時代から来ましたから」
「えっ? 私も平成生まれよ? 死んだのは、令和元年だけど…」
「僕が、この世界に来たのは、平成30年でしたよ。1年違いなんですね」
「えっ? マスターは年齢70近いって言ってなかった?」
「はい、この世界に来て、51年ですね。転生は赤ん坊じゃなくて、17歳の亡くなった人の身体に入ったんですよ。だから、60代後半ですよ」
「へぇ。そうなの…。死んだのは1年差なのに、この世界で過ごした時間は35年も違うのね」
「そうですね。時空を超えるタイミングによって、いろいろ変わるようですね。昭和のバブル期に死んで転生した人は、もうこの世界では300年以上生きているようですし」
「えっ? 300年?」
「はい、神族は寿命が長いんですよ。神族の子孫は、普通の種族どおりの寿命ですけどね」
「そうなんだ」
「ふふっ、おしゃべりしていると、お食事できませんね。また、続きは別の機会に」
「ええ。同じ平成生まれだなんて、マスターに親近感がわいたわ。また、ひとりで飲みに来るわ」
マスターは、ニコリと笑った。あっ!
「飯、食ったら、話がある」
いつの間にか、あの幻術士が、すぐそばに立っていた。
(な、何?)