34、ローズの前世
「一応、確認するが、おまえ、封印を解くんだな?」
「えっ? ええ。それをお願いに来たわ」
「その少女に知られても構わないのか?」
「ミューは、ローズ様の保護者みたいなものですからっ」
「おまえには、聞いていない。ローズ、どうなんだ?」
(かんじ悪いわね)
「構わないわ」
「じゃあ、そこに座れ」
幻術士カースは、何か呪文のようなものを唱え始めた。私は指定された椅子に座った。
少し離れた場所で、所長がジッと様子を見ていた。私の視線に気づくと、やわらかな笑みを浮かべた。私は彼の微笑みで、スーッと緊張がほぐれたような気がする。
上手く言葉が見つからないが、見守られている安心感のようなものかもしれない。
ミューは、ウロウロと歩き回っていた。彼女は心配ごとがあると、じっとしていられなくなる。でも、こんな部屋の中でウロウロしていると、幻術士の術の邪魔になるんじゃないかしら?
でも、幻術士は、ミューがウロウロしていても全く気にしていないようだ。いや、それほど、集中しているのかもしれない。
「さぁ、始めるぞ」
「ええ」
幻術士は、私に術を放った。私はその瞬間、部屋の中からどこかへ飛ばされたような浮遊感を感じた。
でも、もしそうなら、ミューが騒ぐはずだ。何の騒ぎも聞こえない…。あれ? 何も……聞こえない。
「あ、あの、先生、ローズ様が寝ちゃいました。一体どうなってるんですか」
「ミューさん、俺に質問されても困るかな。幻術士さん、どんな感じですか」
「おまえなー、その話し方……はぁ、まぁいいか。今、彼女は生まれる前の世界に戻っている。いわゆる前世だ」
「ええ〜っ? 戻れるんですかーっ?」
「思念だけだがな。前世の自分の身体に戻すことが一番手っ取り早いんだよ。術を使って記憶だけを呼び起こすには、彼女の過去は衝撃が強すぎる」
「むごい死に方をしたのですかね」
「あぁ、それを再び見せることになってしまうがな。元の身体に入っている間は、混乱を避けるために、こちらの世界の記憶は封じた」
「なるほど…。それで、時間をかけて記憶を思い出すように仕掛けられていたのですね。強すぎるストレスで、ショック死してしまわないように」
「え〜、そんなぁ〜。ローズ様が可愛そうです」
「ローズは、意志が強い。それはおまえが一番よく知っていることじゃないのか」
「うー、確かにローズ様は頑固者ですけど〜」
(あれ? 私はどうしてたんだっけ?)
「美優? 大丈夫か?」
私は声のする方を見ると、幼馴染みの健が心配そうに私の顔を覗き込んでいた。
「えっと、私、何をしていたのかしら?」
「なんだ? おまえ、変なしゃべり方しちゃって〜。どこかのお嬢さまかよ」
「あれ? なんだか変だよね? えーっと…。何してたっけ?」
「俺の結婚式の二次会の打ち合わせだろ? まさか、結婚しちゃダメ〜とかで、意識が吹っ飛んだんじゃないよな?」
「あはは、ナイナイ。そっか、あと10日しかないじゃん」
「それ、おまえ、さっきも言った〜」
私は目の前のグラスを飲み干した。ミントの香りがいい仕事をしている。彼が私に教えてくれたカクテル。
「おまえ、今日はペース速くないか? マスター、モヒート、薄めにしてやって〜。なんならノンアルコールでもいいから」
「ふふ、かしこまりました。確かに今日は、少しペースが速いですね。じゃあ、ジンベースで薄めにしますね」
「え〜、マスター、私は大丈夫だよ?」
「でも、彼氏さんが心配してますよ」
「彼氏じゃないわよ。幼馴染みよー」
「おまえ、マスターに絡むなよ。マスターすみません」
「いえいえ」
ドン! ガタン!
私はそんなに飲んでないのに、急に頭がクラクラしてきた。それにすごい音がした? 地震?
「ちょっと、今のは近かったな」
「ん? 何が?」
「美優、ぜんぜんニュース見てないのかよ? 隕石だよ。ここ最近、しょっちゅう、世界中に降り注いでるんだってさ」
他の客が、マスターにテレビをつけろと言っていた。緊急速報があるかもしれないからかな?
テレビからは、レポーターの焦る声が聞こえてきた。私は中継の映像を見て驚いた。火の雨が降ってる?
「これ、映画じゃなくて、リアル?」
「た、たぶん、そうだと思います。報道番組ですから」
マスターは、番組を確認していた。当然、誰もが映画だと思うような映像が流れていた。
そして、テレビでは、屋外に出ないようにと呼びかけていた。ただごとではない。まさか、戦争? でも、戦闘機も何も空には飛んでいない。まるで、宇宙から降り注いでいるかのような火の雨だった。
「おい、美優、どうする? これ、外に出るのはマズくないか? 帰れないぞ。日本全国の皆さん、屋外に出ないでください、建物の中に避難してください、って…」
「うん、何これ? まさか戦争?」
「いや、隕石だろ。宇宙のどこかで大きな爆発があったって、先週テレビで言ってたから、それが原因じゃないか?」
「それって大丈夫なの? 地球に穴が開くんじゃ?」
「ほとんどは海に落ちるだろうけど…」
「じゃあ、大丈夫ねー」
「あはは、おまえ、お気楽かよ」
そう言うと彼は、子供の頃のようにニカッと笑った。私が好きな彼の笑顔…。でも、彼はもうすぐ、他の人のものになってしまう。
「健の方こそ、その子供っぽい笑い方、お気楽かよ」
「なんだ、それ。バカじゃねーの? あはは」
「バカって言う方がバカなんだよーっ」
「はいはい、酔っぱらいさん」
「酔ってなんて……えっ?」
「何?」
健は、私が凝視している壁を見て、固まった。なぜか、壁が揺れて見える。いや、違う……オレンジ色に…。
彼は、とっさに私に覆い被さるようにして、守ってくれた。でも、その次の瞬間、何かの風圧のようなものを感じ、目の前が真っ赤に染まった。
私は、ハッと目を覚ました。あれ? 健は? それに、ここは……私は……誰?
「目覚めたか。封じていたこの世界の記憶を解放する」
パリンと、頭の中で何かが割れるような音が聞こえた。あ、私……。
「私は、美優…」
「ローズ様、ミューは、ここにいますよ!」
「ミュー? 美優よ、みゆう…」
「わ〜、ローズ様が赤ん坊の頃に戻っちゃいましたー」
「え? ミュー? どうしたの? 私は…」
(私は誰? 私は一体…)
ふわりと、何かに包まれた。術が放たれた方を見ると、黒髪の体調悪そうな人が……あ、幻術士だ。えっと?
「しばらくすれば、混乱は収まる。前世の記憶と、今の記憶が、頭の中でキチンと整理できるまで、少し眠れ」
パチンと指をはじく音がした。私はスーッと眠るように、意識を失った。
「ローズ様は、大丈夫なんですかー。なんか、ミューのこと、ミユウって呼び始めましたよ」
「ミユウは、ローズの前世の名前だ」
「えっ? ミューの名前ばかりを呼ぶから、ミューがローズ様のお世話係になったのに〜」
「ふぅん。赤ん坊の頃には、記憶はまだ完全に封じられていなかったんだな。なぜ自分が赤ん坊の姿になっているのかがわからず、自分の名を連呼して、自分を知る者を探そうとしたのだろう。だが、不思議な縁だな」
「そう……ですよね。てっきりミューのことが気に入ったと思っていただけに、ショックが大きすぎますよー」
「ミューさん、ローズさんはミューさんのことを気に入ってると思いますよ。おそらく最も信頼しているのではないかな」
「先生〜、そう見えますかぁ?」
「ええ、そう見えますよ。ですよね? 幻術士さん」
「は? そんなことは、自分で直接聞けばいいだろうが。俺は今、ローズの調整に忙しい。邪魔するな」
「はーい」
私は、遠くでミューの話し声が聞こえていた。そうか、私が生まれたときに、私の名を呼んでくれた。
あれは、ミューが自分の名を私に教えていたのね。
(互いに自分の名を言い合っていたのね…)