10、ハロイ島へ
コンコン
「おはようございます、ローズ様。朝食の準備が整いました」
私が着替えを済ませるのを見計らったかのように、爺が声をかけてきた。
こんな風に、爺が起こしにくるのも、これが最後になるのかもしれない。そう考えると、私はなんだかしんみりした気分になった。
コンコン
「ローズ様、お目覚めですか。体調は大丈夫ですか」
私が返事をしなかったためか、爺は心配そうな声を出している。ほんとに、爺は呆れるほどの心配性だ。
コンコン
「おはようございます、ローズ様…」
「爺、聞こえているわよ。コンコンコンコンしつこいわよ」
「あ〜よかった。はっ、申し訳ございません。朝食の準備が出来ております」
私は、朝食を食べたらすぐに出発できるようにと、昨夜、最低限の着替えだけを詰めたカバンを持った。財布は、ミューがくれたブレスレット式のアイテムボックスに入れてある。
自分で稼いだ金以外は、テーブルに置いたままだ。誰かが母に渡すだろう。
そして、自室をぐるりと見回した。生まれたときから16年間過ごした部屋だ。ちょっと離れがたいような気持ちになった。この部屋には、もう二度と足を踏み入れることはないかもしれない…。
(はぁ……らしくないわね)
私は、無理矢理に気持ちを切り替えて、扉を閉めた。
扉の外には、爺が待っていた。その目は涙で潤んでいるように見えた。
(爺も、私と同じことを考えているのかしら)
私は、無言で、食事の間へと向かった。爺も無言で、私の後を付いてきた。
朝食は、私の好きなものばかりが用意されていた。私は無言で、すべて残さず食べた。
いつもなら話しかけてくる食事の間の料理人も、今朝は無言だった。私がそうさせてしまっているのだろう。
食事の間には、先輩はいなかった。朝は会うことの方が少ない。私は、なぜか目で探してしまう自分に腹が立った。先輩とも、もう一生会えないかもしれないな…。
うん、それでいい。その方がいいかもしれない。会わなければ、きっと、もう胸の痛みを感じることもないだろう。
「ややっ? ローズ様、おはようございます。なんですか? 気持ち悪いくらい静かですねー」
「ミュー、おはよう」
「あれ? 荷物はそれだけですか? あ、他はアイテムボックスに入ってるとか?」
「アイテムボックスには、私が稼いだお金だけ入れたわ。銀貨50枚くらいは持ってるわよ」
「えー? そんなのすぐになくなりますよ。街での宿代はどうするんですかー。学費は無料なはずだけど、食事代とかもアレコレかかりますよ」
「冒険者ギルドがあるでしょ? 適当に仕事を受けて、必要な分は稼ぐから、気にしなくて大丈夫よ」
「うひゃー、ローズ様がそんなことをするんですか? 一応、王女様ですよ?」
「一応って何よ。自分のことくらい自分でやるわよ」
「まぁ、ミューも冒険者登録してますからねー。ミッションを一緒に受注しましょう。ミューは先輩ですからね」
「そうなの? ふっ、頼りにしてるわ」
「お任せくださいーっ」
ミューが発した『先輩』という言葉にも、ドクッと、私の心臓は大きな音を立てて反応していた。はぁ、もう…。
「ローズ様、ワープワームの準備が整いました。出発の準備が終わられたら、転移魔法の間へお越しください」
「わかったわ。お婆様は?」
「転移魔法の間に、いらっしゃいます」
「そう。じゃあ、ミュー、行くわよ」
いってらっしゃいませ! と、食事の間の料理人達が頭を下げた。私は彼らに、軽く手をあげてそれに応えた。
「爺、なんて顔をしてるの。私はちょっと長めの旅行に行くだけよ?」
「そ、そうでした。申し訳ございません」
「いってくるわね」
「はい、うぐっ、い、いってらっしゃいませ」
爺は、今にも号泣しそうな顔をしていた。ほんとに心配性なんだから…。
転移魔法の間に移動すると、そこには大量のイカツイ顔のこびとがいた。これは、ワープワームという魔物だ。
主人に媚びるために擬態しているらしく、もともとは、毛虫のような火の魔物らしい。
人を乗せてワープをする能力だけでなく、敵の偵察をする能力もある。戦乱時には大活躍するのだ。
アマゾネスでは代々、この魔物の支配権が受け継がれている。支配権を持つ者が亡くなると、その時の女王に支配権が移動するそうだ。その際には、この魔物は姿を変えるらしい。主人が好む異性の姿に化けるそうだ。
「ローズ、荷物はそれだけかい?」
「はい、お婆様。必要なものは現地で調達しますわ」
「ご隠居様、ローズ様はお金も自分が稼いだ分しか持ってないんですよーっ。自分のことは自分でするって言って」
「あらあら、ふふっ。頑固なところは母親にそっくりね。あの街なら、ローズなら大丈夫だろうよ。何か困ったことがあれば、街長を頼ればいい。彼は優しい青年だったからね」
「お婆様、街長をご存知なの?」
「あぁ、50年程前に一度会ったことがあるんだよ。とても温厚で華奢だから驚いたよ。伴侶にしたかったんだけど、そのときには彼は結婚していてね。あっさりと振られてしまったね」
「えっ!? お婆様を振るだなんて…」
「まぁ、タイミングも悪かった。結婚したばかりで、奥さんにべた惚れのようだったからね。誘惑の術を使っても効かなかったんだよ」
「へぇ…。じゃあ、今頃は、爺さんになっているわね。頑固ジジイじゃなければいいけど…」
「温厚な爺さんになっていると思うよ。ただ、彼は怒らせてはいけないよ。神族の街を任されている、女神様の側近だからね。ハンパない戦闘力を持っているよ」
「わ、わかったわ。気をつけるわ」
私がお婆様から神族の街の話を聞いていると、母が転移魔法の間に入ってきた。
ドクッ!
母の後ろに付いていた先輩と目が合った。彼は、とても心配そうにしている。そんな顔をされたら、行けなくなる…。はぁ、もうほんとに私は…。
「ローズ、部屋に金貨を積み上げていたようだけど、どういうこと?」
「私は、自分で稼いだお金だけを持っていくわ」
「はぁ……ほんとに貴女って人は…」
「誰かとソックリだわね。頑固なところは…。ローズがそうしたいなら好きにさせてやればいい。あの街なら、実力さえあれば、金には不自由しないよ」
「まぁ、そうでしょうけど…。ミュー、よろしく頼んだわよ。貴女には私の代理権を与えます。ローズがバカなことをしたら、ひっぱたいても構わないわ」
「女王陛下〜、私にはそんな根性ありません〜」
「ふふっ、まぁ、ローズの友達のつもりで構わないわ」
「はーい。ローズ様、そろそろ行かないと、イカツイこびとが火を吐き始めちゃいますよ〜」
「そうね。じゃあ、皆さま、ご機嫌よう」
私はミューと共に、ワープワームが作ったクッションのようなものに乗った。お婆様が、指をぱちりと鳴らした。
ワープの瞬間、私はなぜか先輩の顔を見てしまった。心配そうにしながらも、必死で笑顔を作っている先輩の顔が、私の目に焼きついてしまった。
(はぁ、私はほんとに…)
ふわっと身体が持ち上がった次の瞬間、私の視界はグニャリと歪んだ。身体が上下左右に激しく揺れる。私はワープの揺れで、気分が悪くなった。ちょっと限界が近いかと感じた瞬間、視界がパッと緑色に染まった。
ドタッ!
私は、緑の美しい草原に投げ出されていた。
「ローズ様、着きましたよー。ハロイ島の玄関口、精霊が守る草原ですよー」
「ワープ、揺れたわね」
「あー、この島付近は、マナが濃くてワープを妨げるんです〜。この草原は、精霊が調整してくれてるから、弾かれずに着地できるんですよー」
「そう…」
「さ、あれが、目的地の湖上の街ですよ」
私は驚いた。海のように広い湖の上に街が浮かんでいるのだ。さらに、ありえないほどの高さの塔が見えた。
(あれ? あの塔って、なんだか懐かしい……?)




