第五幕
思わず倒れてしまうくらいの頭の痛みを歯を食いしばって抑える。
ここで倒れてなるものか。ここで倒れたら何も進まない。
前世の記憶を取り戻したのだって遅すぎるのだ。
「よろしくお願いいたしますわ。朔様と周君。」
周。その名前を言っただけで頭がまた割れる様な音がする。痛みが襲う。何故、何でこんな重要な事を忘れていたんだろう。なぜ?前世の私が叫んでいる。
そうだ。綴を攻略しようとしてもはこの子を攻略しないと何をしてもバッドエンドなんだ。それに、この子はいくら攻略しても、本当に攻略することは出来ない。
それからは朧だった。
頭がグルグルして、御爺様達とお母様の会話に黙って微笑むしか出来なかった。
綴はそんな私に終始訝しげな目を送り続けてきたが、和やかな大切な人との空いた時間をこの時で少しでも埋めるようなお母様達の雰囲気に気が引けたのか出して言う事は無かった。
恐らくお母様は上手いこと音信不通だった12年間を説明したのだろう。
また近いうちお母様と紫苑が遊馬邸に来ることを約束するする旨をお母様はきちんと取り付けたみたいだ。一瞬でも気を抜けば気絶してしまうであろう意識の中でそんな様な会話が聞こえた。
(お母様に……言っておいて欲しい事を伝えておいて良かった……)
三時間程喋ると日も傾いてきたので、遊馬家一同に見送られて私達は
屋敷に着くと、ふっと、自分の中で安心したのだろう。いよいよ本格的に吐き気と眩暈が紫苑を襲った。
少しずつ小さくなっていく執事さんの安心した様な啜り声とお母様の笑い声をゆっくりと聞きながら、綴に寄りかかるのは申し訳ないので真っ直ぐ後ろに倒れる。ビックリするくらい早く綴が私の方を向いて顔をこわばらせた。そして私の腕を掴もうと必死の形相でてを伸ばした。
あぁそんな顔しないで、綴。大丈夫。ほんの少しまた眠るだけだから。
貴方にしてしまった事は必ず償ってみせるよ。もう、傀儡になんてしないから。
紫苑の手首に温かい力強い感触が伝わる。
(あと、凄く憂慮しなければいけない案件があるのだけど………まさか攻略対象に会う度に具合悪くなってぶっ倒れるなんて…………無い、わよね……………?)
この後私は多分、床(大理石)の床に直撃した衝撃で失神した。普通は死ぬと思うけど綴が手首を掴んでくれたから速度が緩まって衝撃が小さくなったんだろう。
それからというもの、紫苑は一週間寝込み続けた。その間に状況は色々と変わったらしくお母様がお父様の不貞行為を知らないにしても、長年帰って来ない現状を遊馬に伝えていない事をお父様は知ったらしく、(お母様は言わなかったけれど、もしかしたらお父様と何かしらの取引をしたのかもしれない。)お母様を監禁することも行動を制限する事も無くなった。遊馬の御爺様もおばあ様も何度か紫苑のお見舞いにも来て下さるようになった。
「紫苑。ここにプリン置いていくね。」
「………綴。学校は?」
私は一週間で大分熱は引き、頭痛も無くなったが、夕方になったりすると微熱が出てくるので大事を取
ってあと一、二週間は休むことになっていた。
「午後から行く。」
「駄目よ。ちゃんと学校に行かなきゃ。友達が出来ないわ。」
「大丈夫。……………努力はしている。」
「具体的には?」
意地悪なようだが、今私が学校にいない間に少しでも一人で活発的に動いて私以外の他人と関わってほしいのだ。今まで綴の近くにきて仲良くなろうとする子達(主に女の子)を撥ねつけてきたし、ちょっとでも私がいない隙に綴に話しかけようものなら取り巻きを使って色々と容赦しなかったから、今は綴にとっても、学友達にとっても絶好のチャンスなわけだ。このチャンスを逃してはいけない。
「……………学級委員の仕事を紫苑に任せて今までやってこなかったから何だっけ………佐藤さん?の仕事を手伝ってた。」
「?あぁ伊勢さん(取り巻き1)ね。吃驚するくらい名前が違うけれど…………?あの方は学級委員の仕事を私がやっていると手伝ってくれるから。」
伊勢さんは引っ込み思案な女の子だが、家が麗火学院一帯の地域の名士で実際学園の理事は伊勢一族が代々務めている。この学院でやっていくにあたって役に立つと思って、声を掛けた。話してみると声は小さく途切れ途切れで聞き取りずらいが、聡明な子で自分の立ち位置、自分の客観的な評価、今自分がするべきことを良く心掛けている。私が伊勢さんを取り巻きにした理由も、そうすることでの自分の家自身のメリットも彼女はきちんと理解している。これがかなり出来ない人間が多いので彼女の存在は非常に役に立つ。クラス替えに関しても学年のスクールカーストを都合が良いように命令しなくとも他の取り巻きやら学校側を動かしてやってくれている。
そんな優秀な彼女でも、今の綴と私の現状に困惑している筈だ。紫苑は取り巻きだろうが例外無く綴を近付けようとしなかったし、綴も先生に当てられて答えるか私と喋るかくらいだった。多分、喋りかけられたとしても、答えようとはしなかっただろうし、考えなかったと思う。
「他の方とは喋ったの?伊勢さんはちょっと別だし、ろくに喋ってはいないでしょう?」
綴はぎくりと分かりやすく体の動きを止めた。顔は何も変化してないけれど。
「そう言うと思って、手当たり次第に喋りかけたのだけれど……何を話したら良いか分からなくて、今日の天気について話したら………会話が十秒も続かなかった。」
うっかり同情してしまいたくなる感情を押し殺して、紫苑は心を鬼にした。
「綴が私以外と喋らなくなったのは私のせいだわ。私が元凶。ねぇやっぱりーー」
「駄目。絶対に婚約は解消しない。僕が君に依存したのは僕の意志だ。それにー」
「やめて。そんな事を一之宮財閥の御曹司が言う事では断じてないわ。あの時の貴方に付け込んだのは私だわ。」
綴がその後に続ける言葉を私は知っている。初めて出会った5歳の時に孤立無援状態で部屋の隅っこで蹲っていたあの子の心に私は付け込んだ。見てくれだけを気に入ってあの子の心を慮ろうともしなかった。
会話を切るように紫苑は一息つく。
「……………………いいわ。もうこの話は。綴、学校の準備をしなきゃ。」
綴は一瞬だけ、本当に少しだけ、苦しそうな顔をすると、部屋を出ていった。
部屋の窓には、綴が毎日来て手入れしてくれているお見舞いの花束やらがバランス良く花瓶に刺されていた。
紫苑はゆっくりと深呼吸をした。
時間が無い。もう新たな攻略対象と出会ってしまった。予定より早く。記憶を最初に思い出した時の疲れもそのまま背負っている感じがしてだるいがそんな事は言ってられない。
遊馬周。確かゲームでは明石周だったが………跡取りといえど家は遊馬の分家扱いなので、学院では分家の方の名前を使っていたのかもしれない。
周は遊馬家当主、つまり御爺様の勧めで中等部から麗火学院に編入すると、寡黙な性格から、プライドも家柄も一級品の子息子女に虐められる。またその頃周が自分の又従兄弟だとしった紫苑は周の虐め現場に颯爽と現れ、取り巻き達が表立って出来ない様な諜報活動やら、悪事を働くことを条件にいじめっ子達を停学、姉妹校に転入させたりなど、消し去り周を助けた。紫苑の非情ともいえるいじめっ子達の制裁は綴、周を更に孤立させる要因になり、ヒロインにも非難される訳だが……。紫苑のその行動は周の目に眩しく映り、紫苑に深く心酔する様になる。その為、周ルートを攻略する前に綴ルートを攻略しない限り、どんな選択肢を選んでも、周によって悉く綴との接触を邪魔されたり場合によっては階段から落とされたりして攻略を邪魔されて100%攻略不可能となる。なお、周のハッピーエンドは他のキャラとのノーマルエンドレベルの親愛度しか無い。綴ルートでも、物理的な妨害が周の意志によって無くなるだけで妨害自体は行われる。これは攻略対象と言っていいのかどうかだが、スチルが攻略対象と同じくらい豊富で綺麗なので、運営の周に対する気合の入れ様は他の攻略対象と変わりない。また、ちょっと背が小さめの美麗ショタ系王子の綴よりも、何処か儚げで守ってあげたくなる周の容姿と性格に惹かれるファンも少なくなかった。そんな周の紫苑に対する恋心とも依存心とも違う忠誠心はヒロインでさえも砕く事は出来なかった。
(さぁ、……………どうする?中等部に上がるまで出来るだけ接触を避けて、虐め現場に駆けつけて、ゲーム中の紫苑と同じ行動をする………?)
そうすることで、まだお見舞いに来てくれたのも含めて2,3回しか会っていないわけだし、確実に周を従わせる事が出来る。……………でも、利点が無い。しかし、周がいじめを受ける未来を知りながら、いじめを看過するのは目覚めが悪い。……………そうだ。取り巻き(友達)にしよう。
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最後までご拝読有難うございました。いつもより、遅めの更新で申し訳ないです。
次話は、周の設定紹介をこの欄で載せられると思います。