第二幕
き、気持ち悪い……
あれから更に三日三晩寝込んで現在絶賛療養中の紫苑は溜息をこぼした。
まず、前世の18年と少しの記憶から乙女ゲーの事を思い出そうとするだけで頭が割れるんじゃないかってくらい痛くなる。
(ようやく、熱が下がったのは良いけれど、このまま情報を思い出せないのは困るわね。あと、学校が終わったら毎日の様に綴は家に来るし……どうせ、この家には私以外住んでいない様なものだから誰に咎められるわけではないのですけれど。)
この静乃宮家は家庭崩壊している。ヒロインが15歳になるまで御爺様は存在を知らなかった訳だからここ五年はこの家に来ていないお父様はこの家に帰ってきているとでも御爺様は思っていたのだろうか。全くなめている。跡取りや一之宮財閥の後継者の婚約者が居るという事実だけで十分なのだろう。別にどうとも思わないが。記憶を思い出すのは取り敢えず後回しにして、問題は断罪された際の保険だ。「シズノ」の跡取りになるのが勿論第一希望だが、やはりもしそれが難しくなった時に逃げ込める又は後ろ盾になる存在が必要だ。私に味方しても、「シズノ」を率いる御爺様が手出ししにくい事情があり、「シズノ」に匹敵する力を持つ企業が。その二つの条件を併せ持つ素晴らしい企業が一つあるのだ。「シズノ」の馬鹿の息子社長は妻である令嬢と実の娘を長い間ほったらかしにして、愛人としかもその間に子供を作ってたっていう幾ら返そうとしても返せない義理があり、「シズノ」も多少融資を受けている「遊馬銀行」つまり、お母様の古巣である。
「紫苑。」
「綴、ご機嫌よう。私お母様の所に行って参りますわ。」
「えっ……どうして?安静にしてて。」
ベットから降りた紫苑を慌てて綴は元に戻そうとぐいぐい押した。だが、まだ小学五年生でどちらかというと若干紫苑の方が背が高い状況で紫苑をどうにか出来る何てことは無かった。
「お母様にお話があるの。私の将来に関わるお話よ。」
「婚約は絶対に解消しない。」
「婚約の話じゃないわ。」
(どちらかと言うと婚約解消した後の話だけれど……)
「ならいいけど………そもそも紫苑のお母様は何処にいるの?」
「分からないわ。」
「えぇー……………。」
堂々と答える紫苑にちょっと困った声を綴は出した。
(相変わらず、口数は少ないけれど感情は何となく分かる気がするわ。表情には心配そうな目くらいしか出ないのは問題ね。他人から見ても分かるくらい表情を表してくれないと綴に友達が出来ずに結局私にベッタリになるわ。)
「一応執事に聞いてみようと思うの。」
「会ってくれそう?」
「分からないわ。」
「ええぇぇーー……………。」
更に困った声を綴は出した。
寝間着のままだが無理に行こうとすると綴も「僕も紫苑のお母様見てみたい」ということなのでお供として連れて行ってやる事にした。早速廊下にいる執事に声を掛ける。
「執事さん。」
「何でございましょうか?お嬢様、綴坊ちゃんも。」
「お母様に会いたいのだけれど、今何処にいらっしゃるのかしら?」
「…えっ、……今会いたいと仰いましたか?」
「言ったわよ。」
「み、皆の衆ーーー!集合!遂にお嬢様が!」
執事の行動は早かった。呆気に取られる紫苑と綴をよそに私担当のメイドさん(15人くらい)を呼ぶと何と外商を呼び出した。
「ちょっと何でこんな事になっているの?」
外商が山ほど持って来た洋服を順々にメイドさんに着させながら紫苑は悲鳴を上げた。綴はというと執事さんと一緒にどんな洋服が紫苑に似合うか一緒に首を捻っている。
「やはり、女の子の洋服はよく分からない。取り敢えず紫苑は何でも似合う気がするのが……。」
「わたくしも綴坊ちゃんに同意で御座います。どういたしましょう。」
「どういたしましょうではないわよ!私一応病み上がりよ⁈さっさと選んで!」
かれこれ20分はこの状態が続く紫苑はまたもや悲痛な面持ちで悲鳴を上げる。
「……行商さん。」
「何でございましょうか。」
「私に合う洋服を何でも良いのでお願いいたします。」
「そうですね…紫苑様はお肌が白いのでモノトーン系の色のお洋服も、赤やパープルなどの暖色系の物も似合いますよ。何か好きな色は御座いますか?」
「そうね……青色が好きよ。」
(実は乙女ゲーの方の紫苑も青色が好きだったけれど。こういう前世も今世も好きな色が青色だし、こういう何気ない一致ってやっぱり乙女ゲーの登場人物ってことを考えさせられる……)
「では、青色のこのワンピースにネイビーのボレロを…………」
30分後、完全に外行きの格好をした紫苑が執事と綴の前で一回転する。
「………綺麗だ。」
「お美しいです。お嬢様。織部は感動でございます。」
「じゃあ、行きましょう。お母様の所へ!」
「……………では参りましょうか。」
「一つ質問なのだけれど、何で私はお母様に会った事が無いの?」
「何を言っているんだ?僕も顔こそ見たことはないが僕がこの三日間毎日来ると温かい紅茶が君のとは別にあったから、お母様のだと思ったのだが。」
「えっ、どういう事……………?執事さん?」
石像の様に執事さんが動かなくなったので紫苑がつんつんと突くと突然執事さんはおいおいと泣き始めた。私たちがドン引きしていると執事さんは何処からか取り出したハンカチで涙を拭くと廊下の真ん中で正座してどう言ったら良いのか分からない様子でたどたどしく執事は事情を話し始めた。(私達もそれに倣って正座した。)
「………奥様はですね、何と言いますか………出不精な方でしかも旦那様が大の苦手でして。廊下などで会ったら堪らないと、秘密のルートで常に屋敷を移動しておりまして……しかもお嬢様とどう話せばよいか分からない様でらっしゃってお嬢様が寝ていて誰もいない時にこっそりと……」
「秘密のルートって?」
思わず気になった紫苑が聞くと執事はビクッと身体を震わせると震える腕で上を指差す。どうやら天井裏をお母様は移動しているらしい。色んな苦労を思い出したのかまた執事さんはおいおいと泣き出す。
(そりゃあ、いつまでも帰ってこない主人に娘に面と向かって会えないだけでなく、天井裏を移動する主人の奥さん何て泣きたくなる気持ちは分かるわ………)
「それで………お母様の存在を全く気にしないお嬢様が奥様に会いたいと言って下さるなんて……………これで、奥様の奇行………失礼………行動も少しは収まるかも知れません。」
すると執事さんはズイっと私と距離を詰めると私の手をガシッと掴んだ。
「お願いいたします。この家の風評を良く出来るのはお嬢様しかいないのです。」(無言で綴がすぐさま執事さんと私の手を離した。)
「き、期待に応えられるかは分からないけれど頑張るわ。」
「ご武運を…………恐らく奥様は今頃この状況を察知して必死に身なりを整えている筈ですから。お部屋はこの廊下を右に曲がった所に蔵書室(三室目)の二番目の本棚を体当たりしますと、出てきますので。わたくしはこの顔ではとてもいけませんので。」
ズゥーっと執事さんが鼻をかむ。
「そうね……怒られてしまうかもしれないものね………」
思わず執事さんに同情の目を向ける。
「いいえ。笑われて写真を撮られまくります。」
「………うわぁ。」
綴の方はさっきから驚いて言葉も出ない様だ。不安気に揺れている瞳も今回は驚きの方が勝った様で、全く動いていない。
執事さんに見送られ、さっきから全く動かない綴を無理矢理引っ張りながら紫苑は二番目の本棚を思いっ切り押した。思ったよりも広い部屋が視界に広がる。燦燦と煌めく豪華なシャンデリアの下に紫苑と同じ瞳の色をした美しい女性が猫脚のサロンチェアに腰かけていた。