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時計屋アネットとデタラメ新聞

作者: デスシスタ

 初めまして、皆様方。自己紹介させていただきます。私はブリジット・ブラウン。ブラウン家当主レジナルド・ブラウンの一人娘でございます。ブラウン家は一代でジェントリの地位と財を築いた曽祖父の家業を引き継いで細々と暮らしております。その家業は何かと言われると、この文面で書くのは憚られるような、と言っても犯罪まがいのことだったり卑しいものだったりということではなくて、ただ単純につまらないものでして、言ってしまえばこの国ではあまり栽培されていない農作物を自前の温室で栽培するというものです。その植物は料理などに使えますが何分傷みやすく味もかなり人を選ぶものでして、実際私も一口目はあまり美味しくないように感じていますが、しかしなかなか中毒性のある味わいでリピーターも多いことからニッチな需要を満たしているのでしょう。その植物が何かと言われたら私達の商売にも響くのでやはり詳細は控えさせていただきます。


 ところで私がどうしてこの文書を書くに至ったかと聞かれると、お恥ずかしいのですが、これは単なる寝る前の日記であって誰かに読ませたりするということは一切考慮しておりません。昨今の小説の流行、特によく見かけるようになった探偵物の影響なのでしょう、このような体裁で直近に起きた大きな出来事を書き記してしまうのです。こういう性分ですので探偵への憧れが強くなにか事件があるとすぐに首を突っ込んでいって、一端の女性となった今でも両親や使用人に叱られる毎日でございます。今日に至っては朝早くから家のポストを見張っておりましたので、郵便屋にお嬢様がすることではないと非難されてしまいました。それほど悪いことでしょうか。


 そう言えば今回お話したかったのはつまらない身の上話ではありません。探偵に憧れる私が探偵より凄いと心から思えた、ここ数日に出会ったある人間のことでございます。いえ、あの方が人間なのかと言われるとどうにも同意し難い点がいくつかあります。何故なら彼女はその美しい白鳥のような姿とは裏腹にワシのように恐ろしく屈強で、それでいてフクロウのように聡明だったのです。彼女と出会うのは運命だったのでしょうか。探偵ごっこで分解しそのまま戻せなくなった父の外国製の時計を修理しにこっそりとしかし大胆に街へ飛び出したのはいいのですが、生憎のホリデーシーズンでどこの店も休みと来たものですから、潔く屋敷へ帰ろうと寒空の下で乗合馬車を待っていたところ、ベンチの横の屑籠の裏にひっそりと貼り付けてあった『アネット時計店 ホリデーシーズンも無休』のビラを見つけてしまい、日が暮れると言うのに路地裏の更に奥の小さな店にやってきたのです。入り組んでいて人通りもないような場所で、凶悪犯罪の多いこのご時世だと言うのに不思議と周辺の治安は悪くないようで、そもそも人の手が入らず破壊されずに風化と経年劣化だけで錆びついているような、とかく外界と隔絶された空間でした。


「ごめんください。もう遅いでしょうか」


 夕焼けも遮られた薄暗闇の中で一際煌めく黄金色のなめらかなドアノブをひねると、ドアの隙間からまばゆい光が漏れ出しました。噂に聞く電気なのでしょうか。ガス灯の炎よりも輝かしい橙色の光は店の棚に陳列されていた多種多様な時計の数々を照らし出していました。目についたのから言えば実用性に欠ける大きさの砂時計なのか椅子なのかわからない代物や博物館で見たことがある古代の日時計の小さいやつ、赤青緑の縞々模様以外はオーソドックスな形状のホールクロックに、父の外国製時計と全く同じ見た目のものまで。高級品を仕入れているのですから実は一部の上流階級だけが知っている名店という奴なのかと身構えてしまいます。


「えっ、あぁ、お客さん?」


 カウンターの奥から声が聞こえます。奥の部屋は工房なのでしょうか。覗きこんではみるものの暗くてよく見えません。カウンターから身を乗り出すと同時に「下、下」と言われましたので顔を下に向けると、影になっていた机の裏側で栗毛色の髪に少々浅黒い肌の女性が時計かなにかの設計図を書いていました。彼女と出会ったのはこれが初めてでした。


「ちょっと待って、しまうから。修理ならそっちのテーブルに置いて」


 壊れた時計はカバンにしまっていて見えなかったというのにどうして彼女は私が時計の修理を依頼しにきたとわかったのでしょうか。探偵に憧れる私は考え得るすべての想定をします。そもそもこの街には大時計がいくつもあるので懐中時計がなくても問題はありません。急ぎの用で時計屋に来るなんて購入目的ではないでしょうし、配達業者ならわざわざこんな余所余所しい態度ではないでしょう。彼女は私の態度から私が修理を依頼しにきたとわかったのです。少なくともこの時はそう思っていました。


「あの、できれば早めに直してもらいたいのですけれど」


 彼女は時計の中の細かい部品を拡大鏡も使わずに確認していきます。


「これメチャクチャね。竜頭が曲がってるじゃない。どう見ても新品な歯車が潰れてる意味がわからないんだけど」

「はい、分解しようとしてハンマーでガンガンと」


 私が自信満々に言うと彼女はまんまるとした愛らしい金色の瞳を逸して溜息をつきました。


「私職人じゃないから、担当が帰ってくるまで手は出せないわね。修理より新しく買ったほうが早いわ」

「えっ、設計図書いていたのでしょう?」

「デザインは私の担当よ。作るのは職人。役割は逸脱しないわ」


 店員は頬杖をついてけだるげに言いました。あれほどの手捌きだったというのに職人でないと言うのですから驚愕としか言いようがありません。


「じゃあ、その、職人さんはいつお帰りに……」

「あー、ホームシックで三ヶ月は海外に帰郷してるからしばらくは帰ってこないわね。万国博覧会の頃からずっとそんな感じ」


 万国博覧会なんて私が生まれるずっと前の出来事なのですから、その異邦の職人は年季の入った熟練工なのでしょう。


「えぇ、では、これと同じ時計が欲しいのですけど」

「そこにあるでしょ。グレーなら製造刻印も一緒のはずだし。それ一年しか作られてなかったのよね」


 彼女は肘を立てたまま頬杖を崩して右手の指だけを店の奥の陳列棚に向けます。父の時計と同型の物が二十個ほど並べられてありました。バリエーションも様々で黒にウッド、グレーやシルバー。極めつけはその値段で、私の財布に入ってる金貨の枚数に七をかけたものと言うのですからどうしようもありません。正直なところ時計がこんなに高い物だとは思ってもいませんでした。


「えぇ、冷やかしになって申し訳ないのですけれど、今日は修理代しか手持ちがないのです」


 私は既に諦め気味でした。素直に持って帰って父にできる限り言い訳しなければいけないとその時は思っていました。ですがこんなに予想外の連続で参ってきていると言うのに、彼女の口から放たれた言葉は更に私の想定を超越したものでした。


「あー、その壊れたのと交換でいいわ。それコピー品なのよね。大丈夫よ、形状は寸分違わないから」

「えっ……」


 コピー品! そんな犯罪の匂いしかしない単語を聞かされたら私の中に眠る探偵欲が身体の奥底から溢れてくるに決まっているというものです。それよりも不味いのはこの人通りのない路地裏の奥の狭い空間で犯罪の片棒をかついでいると思われる女性と二人でいると言うこと! 地の利もないし何を隠し持っているかわかったものじゃありませんから、やれるだけ穏便に済ませようというものです。警察への通報はその後にしましょう。


「えっと、それ、私に言ってよかったのでしょうか」

「……それって、どう言う意味」


 意外にも彼女は温厚な態度のまま不思議そうに私を見つめ返してきました。もしかすると法の目をすり抜けた脱法的商品なのでしょうか。或いは彼女の言う模造品はかなり広い定義であり違法な物だとは限らないだとか。


「だから、その、犯罪じゃないかってことで……あっ、でも、ライセンス契約とか」

「いや、普通に犯罪ね。ここのブランド物の時計の半分ぐらいはうちの職人が勝手に作ったものよ。あいつクズだから。なんで私までこんなことしなきゃいけないんだか」


 状況が上手く飲み込めませんが、犯罪の認識もあるようですし、職人へのメチャクチャな言い草と口ぶりから悪いことだと言う認識もあるようでした。こうなると彼女がなぜそんな行為を平然と行えるのかが焦点になってくるでしょう。


「……その、なんと言っていいのか。警察はこないのでしょうか」

「こないわよ。アナタ地図拾ったからこれたんでしょ」


 そう言って彼女はカウンターの下からチラシの束を取り出しました。ゴミ箱に貼り付けてあったビラと同じものです。


「あの、状況が読み込めないのですけど。例えば……現実世界とこの路地をつなぐ魔法の切符がこの広告で……私は幻想の世界に迷い込んだ幼気な少女と言うことでしょうか?」

「それはいいアイデアね。でも単にここが入り組んでる上に管轄が切り替わるギリギリで事後処理が面倒だからわざわざ来たがらないってだけよ。あなた小説好きね」


 人を小馬鹿にするような表情で店員はケラケラと笑いました。その時は気が付きませんでしたが、今思い出すとアレは猛禽類が目を細めて鳴く姿に似ていました。どうやら私は餌にされかけたあわれな小動物だったのです。


「なんだか急に腹が立ってきました。通報させていただきます」

「こないわね。今は特に、ちょっと前に西地区で少年五人の儀式的な惨殺死体が見つかった事件あったでしょ? あれ以来警察も殺人事件しか興味がないみたい。あなたも帰るなら気をつけたほうがいいわ。ホリデーシーズンは大通りでも人が少ないから怖いわよ」

「脅しには屈しません!」

「あっ、時計交換しないの? 急用だったんでしょう? 次はなにか買ってね」


 時計を店員に交換してもらうと私はそそくさとその時計店を後にしました。路地を出て辻馬車を捕まえますと浮いた修理代で多めにチップを払いさっさと屋敷に帰りまして、夜まで出歩いたことを母にたっぷり咎められ、父の部屋に侵入して代替の時計を元の位置、棚の小箱の横に戻しまして、その日はこの日記を書くことも忘れて彼女に復讐することだけを考えていました。



「またか、紙の質はいいし印刷所が犯人じゃないか?」


 次の日の朝食は我が家の特産品を使用したスープでしたので、冴え渡るように頭がすっきりとしていました。ブラウン家の生産するその野菜はリフレッシュ効果や滋養強壮効果があり、まぁ味は人を選びますでしょうが細かく刻んでしまえば味は薄れますので、スープやカレーなどの料理に混ぜるならこれ以上のものはないと言えるでしょう。


「お父様、その、『アーグルトン・タイムズ』を見せてくださらない?」

「ダメよアナタ。ブリジットったらまた探偵ごっこ始めるんだから」

「グレイスの言う通りだ。人の部屋に入って機械を壊すのはやめなさい。もう大人だろう」

「あらお父様、結婚するまではどの女性も少女みたいなものですからね」

「私たちがお前の結婚に消極的な理由はいつも言ってるだろう」

「心配だからでしょう? 相手が」

「お前のその危なっかしい性格に振り回される人間の身にもなってみろ。私の時計を触ったのは知ってるぞ。おかげで昨日は寝る時間を間違えた」

「えっ! あんなに精巧だったのに……」

「精巧なわけがあるものか。流石に六時間も針をズラすのはやりすぎだ」

「六時間! ブリジット、あなた大胆すぎるわ。夜ごとに分単位でずらして行くのが正解よ」

「グレイス!」


 このようにその日の朝食はやけに騒がしかったのです。父に時計の交換がバレなかったのはいいことですが、私の関心は既に他のものに移っていました。ここ一ヶ月というもの契約してもいない妙な新聞が配達されるようになったのです。配達周期は不明で一週間に一回もあれば三日連続で届くこともあったり。ただでくれると言うのなら普通ならありがたいのですが問題なのはその中身でありましょう。書かれてる内容がまったくのデタラメなのです。


 最初に届いた『アーグルトン・タイムズ』は女王陛下の崩御の見出しが出ているものですからいつも配達物を回収している使用人が早朝から大騒ぎしました。えぇ、みなさんもご存知でしょうが女王陛下は生きておられます。アーグルトン・タイムズの中で死んだ女王の名前はマチルダと言う名前でしたし、日付が六年前でしたので家の者はみな質の悪いイタズラだと考えました。


しかしそれからと言うもの数日ごとにそのデタラメな新聞が届くのです。配達人を見た者はいません。誰よりも早く起きている年配の庭師は塀の傍を一周している間に新聞が届いていたと証言しました。期間も疎らなものですから張り込みする気にもなれず、今では家の者がただの娯楽として読むようになりました。私の生まれる前の首相だったメルバーンが閣議中に乱入した馬に蹴り殺されていたことが去年判明したなんて支離滅裂な話、真面目に受け取るなんて不可能でしょう? あぁ、あとひとつ特筆するなら、何故か広告欄にブラウン家の生産する農作物が宣伝されているということでしたね。それ以外はいつもアーグルトン結婚式場の広告が載っていますが、アーグルトンとはいったいどこなのでしょうか。


えぇ、それでまた話が戻るのですけれど、この日の、つまり時計店に行った日の翌日のアーグルトン・タイムズはいつもと違う雰囲気がありまして、いつもならブラウン家の広告が載ってる欄に、いつもと違う広告が載っていたのです。いえ、それ自体はブラウン家の広告でありますし商品もブラウン家が取り扱ってる野菜でした。ただ何故か広告主として記載されているブラウン家の当主がレジナルド・ブラウン――つまりお父様――ではなく、このブリジット・ブラウンになっていたのです。しかもその日の新聞の日付は過去ではなく未来、今書いているこの日記の日なのですから、私はなにか一抹の不安を感じました。ですから私は昼から再び街へ出かけていったわけです。


「ははぁ、これ面白いわね。羊、毛だけを残して大量失踪」


 私がカバンに詰め込んできた新聞を店員はじっくりと見回します。時計店の品物は昨日と少しばかり様子が違っていました。赤青緑のホールクロックはドギツイ色合いのオブジェクトに差し替えられてありましたし、昨日は置いてなかった鳩時計は時間になると鳥の代わりにまだら模様の蛇が飛び出してくるものですから気色悪くてたまりません。これもこの店の職人が作ったものなのでしょうか。


「だから、その、お父様になにかあるのではないかと」

「いやぁ、心配する気持ちはわかるんだけど、なんで私に? 一応、時計店なんだけど」 


 彼女は新聞を片手に持ったまま空いてるもう片方の手で昨日のビラを私の眼の前に差し出します。アネット時計店。これで酒屋や料理店だと言うなら詐欺以外に何がありましょうか。


「アネットって……店員さん?」

「そうね、少なくともアイツの……職人の名前ではないわ」

「ではアネット様、犯罪まがいのことをやっているこの店を警察に突き出さないのはアナタが良心の呵責で悩まされていて夜ごとに枕を濡らしていると考えてのことです」

「そんなことで傷心する性格じゃないけど」

「えぇ、ですから昨日六時間もずれた時計を渡して父に怒られる羽目になった件もすべて水に流しましょう」

「そんなの貴方が確認しなさいよ」

「ですからこのデタラメ新聞の出処を突き止める為にこの探偵ブリジットに力添えをしてくださらない?」

「あーもう……そうね、あなたが探偵だって言うなら、隠れて見張ればいいんじゃない? 起きれないならいいものあるわ」


 新聞を畳むと彼女はカウンターの影から小さな鍵付きの箱を引っ張り出しました。ロックを外して中から現れたのは濃緑色に塗られた金属製の時計。この時計の特徴はそれだけではありません。アネット様が背のスイッチをカチリと鳴らしますと、時計の隙間から勢いよく濁った煙が吹き出します。なんと言うかその煙は、強烈な刺激臭で瞼の裏と鼻孔の奥をずたずたにするのです。ブラウン家の農作物でもこんな臭いはしませんよ。どの料理にも安心してお使いいただけます。


「ぬげへっ……まさかこの店は毒薬の取引までしているのでしょうか。護身用の煙幕にはピッタリのようですが」

「あぁ、それはいい案ね。まぁこれは目覚まし時計なんだけど、セットした時間になると粉末の山葵が吹き出るの。唐辛子と迷ったんだけどあっちは気管がやられるのよね」


 スパイスを噴霧する装置なんて調理器具の雑誌でも見たことがありませんが、確かにこれならどんな眠気も吹き飛ばしてしまうでしょう。


「買います。いくらでしょうか?」

「タダでいいわ」

「昨日は買いに来いと言ったはずです」

「そうだけど、それ試作品だから売り物じゃないのよね。効果あったら教えてね」

「善意なのですか。それとも打算ですか」

「あら……他人の為に行動したいって言う自身の欲求を実行するのは誰の為なのかしら」


 難解な物言いで微笑むアネットを見て、私の中で彼女に対して感じていた心証が変わり始めていました。彼女はいったいなんなのか。なぜこんなところで犯罪まがいのことをやっているのか。どこ出身の何歳で暇なときはいつも何をしているのか。交友関係はあるのか。眼の前にいる正体不明の女性についてのあらゆる事柄が気になって仕方ありません。彼女の太い腕は逞しく男性がやるような作業を簡単にこなせそうだと言うのに、彼女の繊細で華麗な指先は時計をまたたく間に梱包していきます。


「はい、これ」

「あっ――」


 包んだ時計を渡そうとするアネットの手先が私の手先と触れ合いました。瞬間的に私の背筋が震え上がり身体中に鳥肌が立ちあがりました。彼女の日焼けして赤みがかった肌はその暖かな見た目に反して冬場の海よりも冷え切っていたのです。惨殺事件の噂も、暗く人通りの路地裏も、違法物品を売る店も、この時の恐怖に比べたら些細な懸念にすぎません。ただ純粋に、眼の前のアネットが恐ろしく思えたのです。


「あら、風邪? 早く帰って寝たほうがいいわよ。明日早いだろうし」

「うぁっ……か、帰ります……」


 彼女から時計を受け取ると私はうつむきがちに歩きながら路地を出ました。ホリデーシーズンだと言うのに私の心は暗く淀んでいて、彼女の手が触れた場所にはいつまでも彼女の冷たい指の感触が残っていました。



 次の日の四時過ぎになりますと枕元に置いておいた目覚まし時計から蒸気山葵が吹き出しましたので私はたまらず飛び起きて寝室のベッドからずり落ちてしまいます。効き目があったということは後で彼女に伝えましょう。それにこの装置のおかげで新しい商品のアイデアを思いつきました。ブラウン家の農作物を粉末状の調味料にするのです。そうすれば日持ちしない欠点も解消できますし独特で人を選ぶ風味も解消され、国中の人間がブラウン家の野菜を買い求めることでしょう。ブラウン家が貴族の地位を手に入れるのも夢ではありません。


 私が未来の展望を夢想しているその時でした。窓の外からガサガサと物音が聞こえたので、私は身をかがめてカーテンの隙間から屋敷の庭を見回します。私の三階の部屋からは門の外にあるポストがギリギリ見えますし、門の傍のガス灯は夜通し灯るように設計されていますので、怪しい者が近づいてきたら見えないこともないでしょう。


さて先程の物音についてですがそれは杞憂で終わりました。庭に生えている大きな針葉樹に一匹の大きなミミズクが止まっていたのです。栗毛色の毛並みを持ちワシのように大きな不思議なミミズクは丸く可愛らしい黄金色の瞳でただこちらを見つめ返していました。不意にその鳥はポストのある方角へ振り向きます。私もなんとなくそちらのほうへ目をやりますと、ポストの前には虹色に輝く人型の何かが立っていましたので、私は驚愕して動けなくなってしまいました。虹色の人はこちらに手を振りその場から一瞬で消えてしまいました。


理解が追いつかない私はただポストの中を確認しに行くことしかできません。太陽は東の方から顔を出し始めていて、ポストには朝刊の『アーグルトン・タイムズ』が刺さっていました。門の鍵を開けて塀の外へ飛び出し、ポストから新聞を引き抜こうと手を伸ばした、と同時に先程のミミズクが私の腕に掴みかかったのです。そして気がつけば私は朦朧とした状態でポストに寄りかかっていて、伸ばした手にはアーグルトン・タイムズが握りしめられていました。


「あの、ちょっと、ブラウンさん……ですか? 大丈夫ですか?」


 声が聞こえたので顔をあげると、目の前には如何にもな格好の郵便屋が佇んでいました。珍しいのは女性だったと言うことです。あまり女性の配達員と言うのも聞いたことがありませんから。


「配達員さん? 今、今ここに誰かいませんでした? 他の……ほかの配達員みたいな」

「誰も見てませんよ。ブラウン家の主が朝から寝巻きで外を出歩かないでください」

「変なこと言いますね、私、ただのお嬢様ですよ」

「何を言ってるんですか、その新聞にも広告載ってるんじゃないんですか。ブラウン家当主ブリジット・ブラウンの新定番スパイス」


 配達員の言葉にハッとしてその場に座り込んで新聞を開きます。私の予感は的中しました。えぇ、なにもかもが私の想像どおりになったのです。


『アンナ女王陛下、皇太子の死に関与か』

『絶滅危惧種のエリマキドラゴン、人工繁殖に成功。来年春には動物園に復活予定』

『不慮の事故から二年。若きブリジット・ブラウンが如何にブラウン家を再興させたのか? 亡き両親から受け継いだ手腕とは? 噂の婚約相手は誰か? 特集』


「使ってますよ、ブラウンスパイス」

「……そう、ですね、ありがとう」


 察しのいい皆様ならお気づきでしょうが、私はこの時には既に別の世界にいたことになりますね。デタラメだったはずの新聞を丸めると私は屋敷の中に戻りました。ネームプレートが外され荷物が積まれたまま埃が被った父と母の部屋を覗くと、頭の中に知らない記憶が溢れてきます。それによると私の父と母は二年前オペラハウスに行く途中、車輪から出た火花が下水道から漏れ出た可燃性ガスに引火し馬車ごと焼死していました。


二度寝の後、知らない使用人たちに優しく起こされて朝食を取りました。朝食は不思議なもので馬肉がふんだんに使われておりましたから大層驚かされたのです。なにせこの国ではあまり馬を食べる習慣がないものでしたし、逆に私個人は子供のころ海外で食べた生の馬肉が印象深くまた味わいたいと思っていました。


朝食を終えると私はブラウン家の主人として執務をしなければなりませんでしたが、良いことなのか悪いことなのか、私のやることはありませんでした。事業が高度にシステム化されていたおかげで私がやることはたまに来る契約書を確認することだけでしたから、私は昼前から屋敷を留守にして時計店に向かいました。アネットなら何か、この不可解な状況を説明してくれると思ったのです。

 辿り着くと私は落胆します。昨日まで神聖な空気を醸し出していた路地はただの薄汚く狭苦しい路地になっていましたし、行き止まりにあったのは時計店ではなくて、真っ黒なカラス……だと思われるのですがそのような落書きでしたから、打つ手がなくなってしまいました。帰ろうとして振り返るといつの間にか私の周囲を二匹の野犬が取り囲んでいました。いえ、野犬じゃないのでしょう。それは昨日のポスト前に現れた人型と同じ色、つまり虹色でした。それにその野犬の形は見た覚えがあるのです。子供の頃、近くの家の犬に追いかけられて以来、犬が怖いのです。虹色の野犬は確かにその時の犬の形をしていました。


「知らない。おかしい。記憶がない。違う。辿れない?」

「報告? 花嫁、不可解。本体、危険」


 野犬はそのような単語を犬の声帯で繰り返して発していました。当の私は逃げればいいものを犬へのトラウマから立ちすくんで動けなくなっていましたので、どうすることもできません。


「花嫁! 危険! 排除!」


 そう叫ぶと野犬の片割れが牙を向いて飛びかかってきました。思わず目をつぶって屈みます。元の世界に戻れるのなら犬に殺されても構わないと思っていました。肉が引き千切れる音がして自分が食われているのだと考えましたがそうではありません。瞼を開けると地面には虹色の犬の肉片が散らばっていました。虹色なのに内蔵はご丁寧に胃から直腸まで揃っているのですから今から思い出しても吐きそうになります。


「侵入? 脅威! 報告!」


 もう一匹の犬が路地から逃げ出そうとしました。刹那に現れた弓の影が逃げる犬を目掛けて飛んでいったかと思うと、次の瞬間には犬の輪切りが完成していました。えぇ、飛んでいったのは矢ではなく弓でした。あるいは弓と矢が一緒に飛んでいったのか。どちらでも構いません。なぜなら戻ってきたのは弓でも矢でもなく、昨日のミミズクだったからです。


「あの……どうも、フクロウさん」


 私が会釈するとミミズクはその場で私に右足を突きつけます。よく見るとミミズクの右足に紙が巻き付けてありました。この世界に存在しないはずのアネット時計店の包み紙です。紙を解いて開くと中にはアネット時計店のビラと同じ手書き文字でこう書かれていました。


『一過性』


 一瞬バカにされたと思いました。えぇ、一過性ですぐに覚める夢に本気になっているアホなのだと、ですがいつまでも目覚めない夢なのだからそうではありません。たったこれだけの短い言葉でしたが、今後私がどうすればいいのか、そのすべてが書かれていたのです。探偵ブリジット最初にして最大の難問を解くために私は屋敷に帰宅しました。玄関の扉を開いた私を待っていたのは盛大な結婚祝賀でした。



「相手がいない結婚披露パーティーなんておかしいでしょう」

「ですがこれは前々から決まってきたことですよ」

「朝から出かけるまで何も言わなかったのに?」

「忙しそうでしたので」

「なら、相手はどこにいますか」

「相手なら式場で貴方を待ってますよ」

「式も今日やるんですね、名前は?」

「それは」


 その場にいる知らない親戚と友人、使用人の全員が口を噤みます。これも全部、一過性の私の願いだったのでしょう。ブラウン家は曽祖父の代から子供が少ないジンクスがありましたから、親戚といえる親戚はあまり多くありませんでした。


「どうせ、そこまで動けないでしょう。わざわざあんな手下を飛ばしているということは本体は動けないのは明白です。ただ、書き換えるのならできるのでなくて? 三秒以内にここを結婚式場に変えてくださる? あと姿はそのままでいいでしょう。私の予想が正しいのなら貴方は――」


 私が言い切る前に玄関ホールは地響きを立てて動き出し、屋敷全体が目まぐるしく変形していきます。壁紙は純白に塗り替えられてましたし、階段は何故か椅子になり、置き時計はオルガンになるのだからこの世界が嘘っぱちの、私の歪んだ願望であることは間違いないのです。


「やぁ、キミがくるのを待ってたよ」


 父の部屋の棚がどこからか移動してきて講壇に変わりました。手付かずの高級時計とその隣の小箱。その中に入っていた虹色の宝石が空中に浮かび上がります。私が子供の頃父と母が私の為に買ったのです。いつか結婚するのだから、私につけてほしいと。だから子供だった私はその宝石に願いました。私がちゃんと結婚できるようにと。


「二年前は私のミスで火事を起こしかけて両親と大喧嘩しましたね。だから死んだのはその時。そこら辺の辻褄は合わせるのに、他は私が印象深かった単語とそれを見知った時期を適当に並べただけですよね」

「ワタシも万能じゃないからね。ワタシの作ったこの空間を出来うる限り操ることはできるが現実の世界で具現化できたのは新聞と人型だけだ。キミが重要視しなさそうなところはどうでもよかったのサ。でも全部キミが思いついたコトだよ」

「そんなただの発想まで願いの範囲なのですか? たしかに子供の頃エリマキドラゴンが世界に存在していると思い込んでましたよ。願いを叶えるなら早く私を元の世界に戻してください」

「それはできないね。最初のネガイが最重要だヨ」

「どうしても今日、結婚させたいのですね。一昨日届いたのも今日届いたのも同じ今日の新聞なんて。貴方がどうしても今日にしたかった理由はわかりませんが。貴方が叶えなくても私は勝手に結婚しますよ」

「今すぐ結婚してもらわないと行けないのサ。ワタシを作り出した存在はおかしな奴でね、ワタシに無尽蔵のエネルギーを封じ込めたのにキゲンがくると自動で使えなくなるようにしたのさ。そうなるとキミのネガイを叶えられないし、エネルギーが残っているからワタシの意識もこの宝石の中に永遠に閉じ込められる」

「じゃあ、早く相手を出してください。結婚すれば終わるのでしょう?」

「ワタシはキミの記憶からキミの理想の存在をこの世界に生成することができる」

「なら早く出せばいいと思いますが」

「キミの記憶から理想の存在を作り出した。それはなんだと思うヨ。ブリジット、無だ。何故ならキミは誰一人好きになったことがない。キミに理想の結婚相手はない」

「そんな、好きな人ぐらいいますよ」

「そうかもしれないネ、唯一辿れた他人への好意の記憶はあったがその理想像は再現不可能だ。今日キミをこの仮想の世界に呼べば直接生成することができるかもしれなかったがワタシにはアレを認識することができない。キミはいったいナニをスキになった」

「じゃあ、なにをすれば解決するって言うんですか。無と結婚しますか?」

「それだヨ、ブリジット。ワタシがこの宝石から開放される為のもう一つのセーフティ。契約者が殺すんだ。そうすればワタシも死ねる」

「はあ……はぁ? えぁっ――」


 教会は八つに引き裂かれ、私の理想の世界は無限に広がる深淵となりました。ただでさえ理解しがたい光景が続いていたと言うのに、今は天も地もなく、落ちているのか、浮かんでいるのかもわかりません。虹色の宝石は私の視線の先で煌々と輝いています。


「何もない無の世界だが、それでもキミのリソウだ。キミの理想のセカイを歪めてもキミを殺すことはデキナイ。だからキミの理想の死に方を与えるソンザイになる。これも妥協だがネ、キミがもっと恐怖を抱いた存在もまた再現できナカッタ」


 小さかった宝石がどんどん膨らんでいきます。少なくとも遠近法で近づいてるわけではないでしょう。張り詰めた虹の卵が弾け飛ぶと、中から十数メートルもあろう野犬……いや、巨大な虹の狼が現れたのです。神話に出てくる魔獣のようなそんな化け物で、その巨獣の大口は私をそのまま一呑みにしようとしていました。あるいは噛み潰すと言う手段もあったのでしょう。結果はどちらでもなかったのです。


「貴方、とんだ破滅主義者だったのね。理想の死に方がこれ?」


 聞き覚えのある声と共に一筋の閃光が私の背中を射抜きます。闇の中で一際目立つ黄金の光をまとった栗毛色の猛禽類が、私の弛み切った両腕を掴んで巨大な狼の牙の隙間をすり抜けていきます。冷え切った爪の食い込む痛みが私の意識をはっきりさせるのです。


「アネット様? ミミズクだったんですか?」

「さんでいいわ。いやアネットでいい」

「なんで貴方がミミズクなんですか? 私、貴方が動物だったら良いなんて思ってませんよ」

「これは私の自前の姿よ。こっちに来る前から会ったでしょ」


 フクロウは私の腕を掴んだまま旋回して狼のいる方角へと向き直ります。彼は私達のことが見えていないようで、その場をキョロキョロと尻尾を追いかける犬のように回転していました。

「キエナイ? いない! ドコだ……? どこへ消エタ!」


「死にたがりの主人に死にたがりの犬って感じね」

「彼はなんでアネット様が見えないんでしょう」

「あいつの創造主のセーフティ機構の一つね、神や悪魔を認識すると予想外の動きをするのよ、ああいう決まったルールに則ってるタイプは」

「では神か悪魔なのですね、アネット様、私を助けにきてくださったのでしょう? どんなものでも差し上げますから助けてくださらない?」

「私はしたいからしてるの。善意でも悪意でもないわ。と言ってもあぁも巨大だとちょっと戦いづらいわ」

「倒せないんですか。そんなぁ」

「いや、正々堂々の勝負がしたいってだけよ。見えない針で心臓を突くようなのは流儀に反するわ」

「彼のセーフティを壊せばアネット様を認識できるようになるんでしょうか」

「そうね、あいつは貴方の記憶や感情を読み取ってるみたいだし、何か爆発的に私への感情を溢れさせれば或いは」


 アネットへの感情を溢れさせる。それを聞いて私は先程宝石が言ったことを思い出しまして、少しばかり悩んだ後、意を決してアネットにささやきました。


「ちょっと、アネット様、人型に戻ってもらえませんか?」

「えぇ? いいけど」


 もこもこと羽毛が愛くるしいフクロウの姿がみるみると見慣れた美しい女性のそれに変化していきます。彼が私の記憶から辿れない好意と恐怖。たった二日の付き合い、だと言うのに私の初めての恋で最大の恐怖だと言うのなら、きっとそれは一目惚れだったのでしょう。

「どうするのこれで……あぁっ、そういうことねもう」

 彼女とのキスはなんだか葡萄の匂いがして、でもその瑞々しくて潤った唇が柔らかくて、私、いつか殿方と結婚するだと思っていましたけど、きっともうそんなことはないのでしょう。えぇ、ですが、お父様、お母様、曽祖父様。ブラウン家の家督は永遠にこの偉大なる女神に捧げられるのですから、安泰でしょう?


「ナニ、なんなのだ、なんだコノ……感情……? ブリジットの記憶……この女、アネット……? 神……女神か!」


「遅い!」


 気がつけば私の腕の中から飛び出していたアネットの貫手――厳密に言えば右腕は翼に変わっていたので手ではないのかもしれません――が人型に変わろうとしていた狼の虹色の心臓を突き破りました。彼がなりかけた姿はアネットだったのでしょうか。形が変わる前に私の理想の世界は崩れ去ったのでもう確かめる術はありません。ですが彼の最後の言葉はこうでした。

「カンリョウ」



 えぇ、ですから私の探偵としての活躍もアネット様の凄まじい戦いっぷりも、家の前で寝巻き姿のまま寝ていたところを母に叩き起こされたのも、婚約したい相手が女性だと伝えて父に気絶されたのも、家出の準備をしてるのもそしてこの日記を書いてるのも全部全部今日の出来事でございますから、今回のお話は採れたて新鮮のブラウン家の農作物みたいなものです。


探偵ブリジット最初の難問がまさかこんな幻想世界のお話だったとは誰も思わぬことだったでしょう。ですが安心してください。何故ならこの日記は私しか読みませんから。ところで父に聞いたら既にブラウン家の農作物は粉末状にされナムヌモ社のブラウン・ソースの原料に使われていましたので興味のある方はナムヌモ社のブラウン・ソースをお買い求めください。ブラウン家とアネット時計店をこれからもよろしくお願いします。それではまたいつか会いましょう。



「あぁ、私主人いるから無理ね。でも行方不明だから、そうだ、探偵なら探してくれる?」

「そ、そんなこと言わないでください!」

「しかも兄なのよね……」

「いいですよ! 同性婚も重婚も近親婚も変わりません!」

「あと若い男の子も嫌いじゃないわ」

「いいですから! アネット様といられればもう欲しいものも怖いものもありません! 何故なら怖いのはアネット様で欲しいのはアネット様だから!」

「様はやめてって、わかったわよ……えぇ、じゃあ、好きよブリジット」

「あぁ、幸せ、大好きです。アネットちゃん!」

「いや、ちゃんはないでしょう」

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