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怪異探偵事務所〈九条軒〉  作者: 桜庭楽
深みに眠るもの
9/12

その肆

「この子を絞め落としてくれるかい。技術的な面からして君が適任だ」


 悩んだ末、九条がそう言った。だが、それは桐生としては賛同しかねる方法だった。


「かなり危険だぞ……脳に障害が残るかもしれない」


 桐生であれば、この場の誰よりも最小限のリスクで失神させられるのは間違いない。ただ乱暴な手段であることには変わりない。


「この子が覚醒状態でいる限り、繋がった縁から精力を奪われ続ける。その先は話の通り。無理矢理に失神させれば、その勢いを弱めることができる」


 否定的な桐生に、九条が説明を加えた。

 たしかに、死因があくまでも衰弱であるのなら、失神によって体力の損耗を抑えられる可能性はある。だが、子供の首を絞めるなんてことは……。


「……やってください、おねがいします」


 桐生に頭を下げたのは、涙ながらに瞳を抱いていた男性だった。父親らしい男性は、畳にひたいを擦り付けんばかりに深く頭を下げる。


「桐生くん……君はよく分かっているはずだよ。土壇場では、合理的に判断するべきだ」


 九条が桐生の目を見た。力強く見つめられて、桐生はハッとした。九条の言う通りだ。こんなときに自分の感情を出している場合ではない。状況からして最善の手段であることは間違いない。そして最適なのは桐生だ。桐生がやるしかない。


「分かった……」


 桐生は瞳の首に手を伸ばす。

 首を締めて失神させるには脳への血流を遮断する必要がある。遮断する時間が長すぎると、障害が残る可能性が上がる。必要十分な時間だけ、頚動脈を圧迫しなければならない。


 桐生は慎重に、指先の感覚を確かめる。少女の細い首に埋まっている頚動脈を見つけ、そこをグッと圧迫した。


 途端に少女の目が虚ろになり、全身から力が抜ける。倒れた体を支えた。


 桐生は自分の息が荒くなっていることに気がついた。嫌な汗もかいていて、非常に不快だった。すべての感覚が遠い。

 当たり前だ。子供の首を締めて平気な方がおかしい。


「ご苦労様、桐生くん」


 九条が、浅い呼吸をする桐生の背を撫でる。柔らかな手から伝わる体温で、現実の感覚を取り戻していく。


「……皆さん、瞳ちゃんの近くにいてあげてください。怪異との縁は血に結びついています。血縁的に近い人がそばにいれば、部分的に縁を綻ばせることができるので」


 九条の話を聞いた大人たちが、眠っているような瞳を囲んだ。


「あ、女将さん。浴衣の帯をもらえませんか」


 九条が頼み、女将が裏から帯を持ってきた。一体何に使うつもりなのか、九条は立ち上がって広間を出て行こうとする。


「九条! どうするつもりだ?」


「外に出て、直接縁を切ってくる」


「な……危険だろう!」


「まあ安全ではないけど……この帯を私の目に巻いてくれる?」


 そう言って九条が帯を差し出した。


「見なければ平気だろうから、目隠しをして行ってくる」


 九条はこともなげに言うが、本当に大丈夫なのか。桐生には分からない。だが、九条を危険なところに送り出すようなことはできない。もしものことがあれば、なんてことも考えたくない。あの子のためにそこまでのことをするべきなのかというような、恐ろしいことまで考えてしまう。


「ふふ……大丈夫だよ。私は特殊な体質でね。怪異に障られることはないんだ」


 思い詰める桐生に、九条がデコピンをした。正に鳩が豆鉄砲を食らったという様子の桐生に、九条が笑いかけた。


 桐生はゆっくりと 、九条なら帯を受け取った。九条はその場でくるりと回って、桐生に背を向けた。桐生は手の中の帯に目を落としてから、それを九条の目元に巻きつける。


「それじゃ、君は広間に戻ってて。玄関の扉を開けるときに外を見ると危ないし」


 九条はひらひらと手を振って、おぼつかない足取りで玄関の方へ歩いていった。桐生は言われた通り、九条に背を向けて居間に戻る。


「九条……ちゃんと戻ってこいよ」


「もちろん。ここは頼んだよ、助手くん」


 最後までふざけながら、九条は旅館を出ていった。残った桐生は、広間にいる少女と、その周りの大人たちを見守ることにした。




 ◆◆◆




 旅館を出てすぐ、九条は身震いをした。職業柄こういうことには慣れた身であっても、冷や汗を流さずにはいられない状況だった。


「ひぇ〜……」


 無数の目に見つめられている。生者を恨み羨む死者の目だ。黄泉から来た化物というのもあながち間違いではないのかもしれない。


 だが、今九条の周りにいるのはいわば触手としでもいうべき存在だ。縁が繋がっている本体はもっと遠いところにいる。できるだけ本体に近づいて、祓鬼の念でもぶちこんでやろう。


 縁を辿って、進んでいく。なんども躓きながら、海の方へと近づいていく。本体はそこにいるのだろう。

 誘われるように、突き進んでいく。


「うわっ!」


 何かヌルッとしたものが足を撫でた。気色悪さに思わず声を出してしまう。


 九条の特殊体質――極度の霊媒体質は、訓練によって怪異の干渉を無効化することができる。その防壁を通過して、肌に触れられた。霊的な問題ないといえばないが、気色悪いのは確かだ。


 どれほど歩いただろうか、時間の感覚もなくなりつつある頃に、浜へと差し掛かった。ザリザリと砂を踏む音が聞こえる中に、波のような、しかしそれではない音が聞こえてきた。


 それはうめき声だった。言葉にはなっていないが、きっと呪っているのだろう。邪な響きをしていた。


 浜辺に打ち上げられるような格好になっているであろうそれは、うめきながらいくつもの触手を伸ばす。だが、それらは九条に触れることができない。


 それのすぐ近くに立って、九条は懐に手を伸ばす。そこから出てきたのは、漆で飾られた小刀だった。


 九条にとっての最後の手段。怪異を祓うことのできない九条の隠し玉だ。


 妖刀――影切。九条の師が与えた、正真正銘の妖刀である。


 九条は影切を鞘から抜く。鋭利な刃が、月の光を跳ね返して光った。九条は剣術など知らない。ゆえに無造作に小刀を振り上げて、振り下ろした。


 盛大に空振りをして、刃が空を切る。九条は体勢を崩して、浜に手をついた。しっとりと濡れた砂が手に付いて不快だった。


 視界を閉じた状況で小刀を振るうのは、思った以上に難しかった。もう一度、よく縁を確かめる。相手は動いたりはしていない。もっと正確に、振り下ろせばいいだけだ。


 三歩ほど進んで、また影切を振り下ろした。今度こそ刃が実体を捉え、刃がめり込んでいく。ぶつん、という感覚とともに抵抗が消えた。


 辺りに満ちていた邪悪な気配も霧散して、嫌な感じもしない。もう目隠しをとっても大丈夫だとは思うが、念には念を入れておく。


「ふぅ……」


 九条は息を吐いて、とぼとぼと来た道を戻っていく。

 これであの怪異を完全に祓えたわけではない。祓ったのはあくまでも一部で、本体ともいえる部分は海の底にでもいるのだろう。地上の人間からはどうしようもない。


 これであの少女は救えたはずだ。あとは朝にやってくるという専門家の領域である。


 だが――あらゆる行為には対価が必要だ。無論、今回も例外ではない。


「……ぐっ、うえ」


 九条は体を屈めて口元を押さえた。生暖かい液体が溢れる。ツンと鉄っぽい匂いがして、より気分が悪くなった。見なくても分かるそれは血液だ。


「はぁ……はぁ……」


 九条は封印の専門家であって、怪異と戦うことはできない。それは祓鬼術の才能がないとか、そういう次元ではなかった。


 九条はその身に怪異を封印していた。その怪異は、九条が別の怪異へ干渉しようとする意思を感じると体内で暴れるのだ。だから九条には、退治という強力な干渉はできず、封印という消極的な干渉しかできない。


 その禁を破れば、このように肉体に跳ね返ってくる。だから九条にとって、直接怪異を相手取るのはまさに命がけの、最後の手段なのだった。


 九条は地べたに座り込んで息を整える。こんな調子で戻れば、きっと桐生くんを心配させてしまう。それにきっと、彼は自分を責めるだろう。


 苦しむ少女と九条のことを天秤にかけるはずだ。そんな思いを、桐生にはして欲しくなかった。


 九条は月光の下、波の音を聞きながら、浅い呼吸を続けた。

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