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怪異探偵事務所〈九条軒〉  作者: 桜庭楽
深みに眠るもの
6/12

その壱

「桐生くん。海に行こう」


「は?」


 うだるような暑さの夏の日のこと、対面で素麺を啜る九条が唐突にそう言い出した。めんつゆに薬味を足していた桐生は、顔を上げて九条の真意を確かめようとする。


「最近暑いし、夏らしいこともしてないでしょ。行こうよ」


 九条は事務所の窓の外を眺める。傍で風鈴が揺れていた。

 眺めるとはいっても、この立地から見えるものなんて向かいの建物のコンクリートくらいのものなのだが。


「……二人でか?」


 素麺をめんつゆに漬けながら、九条に聞く。


「誘いたい人でもいるの?」


 逆に聞き返された。

 誘いたい人は……特にはいない。同僚を誘うのもおかしいし、学生時代の友人とも年数回会う程度の関係だ。

 一緒に海へ行くほどの仲の人間はそうはいなかった。


「私と海に行けるなんて幸せなことでしょ? どうしてそんなに仏頂面なのかな」


 桐生の沈黙を受けて、九条が調子に乗り出す。


「お前と行くと面倒事に巻き込まれそうなのが嫌なんだ」


 桐生が眉をひそめながら言うと、九条は顔を向けて心外だという表情をしてみせた。


「まっさかー。いくらこんな仕事してるからって、出先で怪しい事に関わるなんて滅多にないことだよ。怪異なんてそこらへんに落ちてるものでもないんだし」


 まあ九条のいうことにも一理ある。怪異の専門家が外出の旅に怪異に出くわすというのは、警察官が外出の度に犯罪者に出くわすというのと同じだ。まずありえない。


「水着姿も見れるよ。悩殺してあげようか」


「あいにくお前の水着姿に興味はない」


「裸にしか興味がないと」


「…………」


 ああ言えばこう言う。

 まさに九条が体現している言葉だ。まともに取り合うだけ時間の無駄である。


 しかし、海か。

 しばらく行っていないし、特に予定があるわけでもない。ちょっとした気分転換として、行ってみるのも悪くない。


「まあ、たまには良いか」


「よし、決まり! ……ところで桐生くん」


「なんだ?」


「水着はビキニかワンピースのどっちが良い?」




 ◆◆◆




 海水浴の話が出てから五日ほどして、当日となった。その日の朝、桐生は事務所の前まで車を回し、九条の準備を待っていた。


 しばらくして、九条が事務所兼自宅の階段を降りてきた。珍しいことに浴衣姿ではなく、夏らしい白のワンピースだ。何を詰め込んでいるのか、大きな荷物を持っている。


「おまたせ、桐生くん」


 九条がよっ、と手をあげる。そして九条は荷物を後部座席に載せ、助手席に乗り込んだ。桐生も運転席に戻ってシートベルトを締めた。


 国道から高速に乗り換え、二時間ほど車を走らせる。道中、いつも以上に上機嫌な九条にからかわれたりもしたが、苛立ちを抑えながら無事に海水浴場へと到着した。


 車窓からは真っ青な海が見えている。太平洋を臨むビーチには、家族連れから友人の連れ合いまで、様々な人が集まっていた。しかし、予想していたほど混んではいないようだ。


 シートの上に半ば立ち上がって水平線を熱心に眺めている九条をちゃんと座らせて、海沿いの道を進んでいった。まずは荷物を置きに旅館へ向かう。


 桐生が予約していた旅館は、海のすぐ近くに建っていた。ビーチからもかなり近い。長年の潮風にさらされたのであろう壁が、風情のある色に染められていた。


 車を降りて、旅館の中へ入る。


 桐生がチェックインを済ませると、九条が部屋の鍵を持ってパタパタと走っていった。


 まったくせわしない奴だ。

 あと、当然のことだが部屋は別だ。このところ、なし崩し的に同室で寝泊まりすることが多かったが、未婚の男女がそんなことを繰り返しているのはよくない。世間体的に。


 桐生が自分の部屋で荷ほどきをしていると、九条が部屋に飛びこんできた。肩からトートバッグを下げていて、準備は万端といった様子だった。


「遅いぞ桐生くん!」


「お前が速いんだ……」


 小学生のように頬を膨らませている九条に睨まれながら、せっせと荷物をまとめた。二人で旅館を出て数分歩き、ビーチに併設されている更衣所の前で九条と別れた。


 桐生はさっさと着替えて、海を眺めながら九条を待っていた。五分ほどして、九条が更衣所から現れた。


 桐生の視線を流れるようにしながら、品の良い桃色のビキニを身にまとった九条が恥ずかしそうに顔を伏せている。あれだけノリノリだったのに、土壇場になってこの有り様である。


「……似合ってるんじゃないか?」


「そ、そう……どうも」


 どことなくぎこちない会話になってしまった。

 桐生は頭をかいて何か言おうとして、適した言葉が見つからずに黙る。九条は辺りに目を泳がせては、桐生をチラチラと窺っていた。


「さすが、現役警察官は鍛えてますね……」


 九条がなぜか他人行儀に言う。

 そんなに驚かれるような鍛え方ではないはずだが、体を鍛えるのは桐生にとって趣味の一環だ。恥ずかしくない程度には引き締まっている。


 九条は自分と桐生の体を交互に見ては、うらめしそうな表情をしている。


 桐生の主観としては欠点のある体つきではないと思うのだが、そんなセクハラまがいのことは言えない。


「ところで」


 九条がビーチと、そこで遊んでいる人を眺めながら言う。


「海って、何をすればいいんだろうね?」


 そう言って、首をかしげるのだった。

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