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その参

「それじゃあ、九条さんがあの盃を……?」


「うん。頼りないかな?」


「いえ、そんなことは!」


 湯の張った浴槽に二人で並んで浸かる。

 たった今、九条が盃の処分を依頼されたことを話したのだった。それに対する日菜の反応は、落ち着いたものだった。むしろ九条への配慮の方に慌てるほどに。


「死ぬのが怖くないの?」


「もちろん怖いですけど……でも、仕方ないですから」


 俯きがちに、日菜が答える。九条からは、その表情を窺うことはできない。


「……解せないね」


「えっ?」


 九条の呟きに、日菜が顔を上げる。


「君は若い。たとえ覚悟を決めていたのだとしても、それを避けられる可能性を感じて、少しも心が揺れないものかな」


「そんな……ことは」


 九条の口調は責めるようなものではなかったが、日菜はまた俯いてしまう。


「いいんだ、別に。それは君の問題だからね。けれど私は君を助けるよ、君の意思に関係なく」


「はい……ありがとうございます」


 けれどけれど、と九条は続ける。


「悩みがあるなら聞いてあげよう。人生の先輩として」


 日菜がパッと顔を上げた。その目は、水面のように揺らいでいた。九条はそんな日菜にニコッと笑いかけた。


「とはいえ、このままじゃゆだってしまうから、洗いっこでもしよう」




 九条が風呂に行った後、一人残された桐生は文机に向かっていた。さらさらと、ペンを走らせる。


 記しているのは、今日あった出来事だ。

 自分を記すことは、それ客観視し、分析することだ。第三の視点から見ることで、己を正すことができる。


 桐生は色々と仰々しい理由をつけてはいるが、簡単にいえば日記帳だった。夏休みの小学生みたいだね、と九条は笑った。そんな経緯を踏まえつつも、桐生はいまだに日記を続けている。


 辺鄙な村に伝わる、恐ろしい因習。得体の知れない盃と、それに殺されてきた人々。そして、まさに殺されようとしている娘。


 会ったこともない相手だが、見捨てることはできない。それが出来る人間だったなら、警察官なんかにはなっていないし、きっと九条に出会ってもいなかっただろう。


 しかし、桐生は無力だ。九条に窘められて、改めて思い知った。ここでは国家権力など何の意味もないし、まして非番の警察官にできることなどありはしない。


 せめて、顛末を記すくらいだ。




「そりゃあ、大変だね」


 九条は日菜の背中を流していた。

 湯船を上がってから、日菜はその悩みを、訥々と語り始めた。友達のこと、親のこと、進路のこと。ごくごくありふれた、少女らしい悩みだった。こんな現実じゃ生きている意味がない、と日菜は言った。


 熊谷日菜は十五歳で、つまり多感な時期で、不安定な時期だった。


「九条さんは……私に言わないんですか? 甘い、とか。子供っぽい、とか」


「う〜ん……私が甘い大人だからねぇ。十五歳が子供っぽいのも当たり前だし。でもまぁ、若者も老人も悩みは尽きないけど、自分なりに考えて出した答えを信じるしかないんだ」


 世の大人達は笑うかもしれない少女の悩みを、九条は笑わない。

 微笑ましいと感じてしまうような悩みでも、本人にとっては呪いのように感じられるのかもしれないからだ。想いの重さは、本人にしか分からない。


「九条さんは不思議な人ですね。子供じゃないけど、大人でもないというか……」


「この歳でゴーストバスターをやってるくらいだから、そりゃ不思議だよ」


 正確にはバスターではないのだが。


「ただ、人生の先輩として言っておくことがあるとすれば……生きる意味がないというのは、死ぬ意味があるということと同義ではないということだね」


「死ぬ……意味」


 日菜が九条の言葉を反芻する。


「遅かれ早かれ、それを見つめようが目を逸らそうが、人は死ぬんだ。だったら、いかに自分の"死"を利用するか、そう考えるべきだとは思わない?」


「……九条さんの話は私にはまだ難しいですけど、何だか死ぬのが嫌になってきました」


「死ぬのが嫌なら生きるしかないね。嫌々でも」


 九条としては、別に日菜を励まそうとか、そういうことを考えていたわけではなかったが、多感な少女の反応は九条の予想を超えていた。


 まあでも人の心なんてそんなものだよね、と九条は心の裡で思う。


 桶に汲んだ湯で日菜の背中を流すと、日菜が振り向いて九条に言う。


「今度は九条さんがどうぞ、私が背中を流しますから!」




 九条が戻ってきたのは、部屋を出て行ってから一時間ほど経ってのことだった。タオルを肩にかけ、濡れた髪のまま桐生の前に現れた。だらしないのはいつものことだから、驚きはしないが。


「遅いぞ、お前」


「ちょっと悩める子羊を導いていたからね」


「は?」


 桐生が聞き返すと、九条はキッと目を細めて言う。


「もし君が先に入浴していたら、今頃性犯罪者だよ。私に感謝してほしいくらいだ」


 何を言っているんだこいつは。とうとう頭がおかしくなってしまったのかと心配になったが、桐生のことは意に介さず髪を乾かし始めてしまった。


 桐生はため息を吐いて、着替えの用意を手に取る。部屋を出て行こうとしたところで、九条に呼び止められた。


「明日のことなんだけど、やってもらいたいことがあるんだ」


 やってもらいたいこととは、無論封印の準備のことだろう。今回は手伝わないつもりだったが、熊谷氏に見得を切ったのは桐生だ。何もしないというわけにはいかないし、出来ることがあればやるつもりだった。


「なんだ? 聞き込みか?」


「いや、そういうことじゃなくてね。掘ってきてほしいんだよね、土」


「つ、土?」


「場所は指定するから、パパッと掘ってきて」


 一体、土がなんの役に立つというんだ。

 疑問符を浮かべる桐生だったが、拒否するわけにはいかないのだった。

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