いつかの夜
ーー午前二時。裏野ハイツ102号室。
五つの大きなディスプレイが光り、その中ではせわしなく幾つもの数値が変動している。キーボードを叩く音が、音階なく、無秩序に響く。
男はヘッドホンをしている。激しい音楽が両耳に当てたスピーカーから漏れる。
男は株取引で生計を立てていた。扶養家族は無く、別段欲しいものも無く、今やただひたすらに金を儲ける事を喜びとして生きていた。その執着心は尋常ではなく、彼はほとんど眠らず、室外にも出る事も無い。
ーー一つ、なんのきっかけも無く突然右上のディスプレイの電源が落ちる。男は気付かない。目の前、正面のディスプレイに集中している。
もう一つ、左上のディスプレイがプツリ、と落ちる。男はまだ気付かない。眼前のディスプレイには『契約完了』の確認画面が映っている。
契約者名『小田島三雄』
両左右のディスプレイがほぼ同時に事切れる。ここで男はようやく異変に気付いた。キーボードから手を離し、前屈みになっていた男は背もたれに身体を預けた。
五つのディスプレイの内、四つの電源が落ちて真っ黒になっている。男は机の下にある電源タップを見た。ーーそこに異変は無い。
キーボードが、カタリ、と動いた。男は画面に映る文字でそれに気付いた。『s』
目の前にあるキーボードをのキィが、裏側から引っ張られているかのように、誰も触れていないというのに押されている。
『そ』
画面左上に表示される文字とキーボードを交互に見た。キィはカタ、カタリと小さな音を発しながら押される。『r』『れ』男の目が見開かれる。
『h』
『は』
『お』
『r』
『れ』
『n』
『の』
『n』
『な』
『d』
『だ』
『それはおれのなだ』
男の顎の下の肉が震えた。ガタガタと震え、歯を剥き出しにする。男は勢いよくヘッドホンを外した。すると、耳元ではゴォォォォ、ゴォォォォと空気を吸う音がする。
背後に何かがいる。男は動けないまま、荒い呼吸をした。息が白い。冷房を動かしているとはいえ、強過ぎる冷気が男を包み、全身に悪寒が走った。
目の前のディスプレイが落ちる。カーテンも締め切っているので、その部屋にはもはや光源が無かった。
「ああぁあぁぁああああああぁぁぁぁぁ‼︎」
一呼吸分の断末魔がビリビリと裏野ハイツを震わせた。そしてやがて、辺りには夜の無力な静けさが戻った。




