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八月四日 木曜日 (2)

「自分の戸籍を売ってしまっていたのさ」


 アラカワは話した。ーー彼はある程度の全貌を掴みつつある。その情報網、情報収集能力は流石プロだと、二人は認めざるを得なかった。


 ーー今から二十年以上前、その町にはある男が暮らしていた。その男は駅前の高層マンションに住む、不動産会社の経営者だった。一代で巨万の富を成し、妻と二人の娘を持ち、高級車、小型船舶、個人用ジェット機まで所有していた。男は幸せの絶頂を味わっていた。しかし、八十年代の後半から九十年代の初めにかけてバブルが崩壊、数多の企業が破産に追い込まれ、倒産した。男の会社も例外ではなく、資金繰りが滞ると自宅を捨て夜逃げ、自己破産。妻は二人の娘を連れ姿を消して、かつては彼を持ち上げ、持て囃した者達も影も無く消え失せ、頼れる者も無く、友人も無く、男は孤独になった。


 売れるものは全て売り、日雇いで食いつないだ。そしてやがて、彼は自分をも売ってしまった。彼は、何者でもなくなってしまったのだ。


 そして、九十五年の七月、彼は自室で自ら命を絶った。


 アラカワはカードケースから小さな白いコピー紙を出した。


「紙面の隅に載っていた」


 それは新聞記事のコピーの切り抜きだった。五センチ角程の小さな四角の中に数行の文章があり、それはとあるアパートの一室で

氏名不詳の自殺死体が見つかったということを伝えている。


 契約時に使われていた名前は偽名で、名前のわかるようなものは一つも見つからなかったという。


「だからアレは……」


「……まぁお前達の言う通り、ソレがいわゆる霊的なモノだったとしたならば……」


「名前を欲しがっている。その自殺者の霊」


 空気が張り詰め、沈黙の間が空く。


「オバケなんて信じたかないがなぁ」


「それでも、全ての辻褄が合います」


 「なぁ、チョーノ。じゃあどうすりゃいいんだろう」ハナが弱った顔で言う。


「アラカワさん、彼の名前はわからないんですか?」


「その筋の人間を動かしてるよ。数日中にはわかる」


 チョーノはハナを見た。「……つまり、教えてやりゃあいいんじゃないだろうか。名前を……。『名を返そう』って、そういう意味ですよね?」チョーノの言葉に、アラカワは困った顔をする。「そりゃあそういう意味で言ったけども……名前を教えてやればすんなり成仏するってぇの? 『あぁそっかぁ。思い出した思い出した。ありがとね』ってな調子で……」


「アラカワさん! 仕事引き受けてくれたんですよねぇ?」


「そりゃあ引き受けたけれども! 俺は探偵だぜぇ? 霊媒師じゃあない。探偵としてキッチリ真相は明かすさ。だがな、除霊は俺の仕事の内には入ってないぜ」


 ーーアラカワの言うことはもっともであり、探偵としてちゃんと仕事をしてくれていることもあって、ただ待っていただけのチョーノとハナはそれ以上何も言うことができなかった。


 解決の糸口が見えて、ハナは幾分気分が晴れたような顔をして部屋を出た。裏野ハイツに一度戻って、服を持ってくる必要があったのだ。アラカワの訪問が遅くなったこともあり、外はもう既に暗かったが、ハナはそこまで恐怖心を抱かずに外へ出ることができた。アラカワはというと、「少し寝かしてくれ」と一言断って床に寝転び、数分後には寝息を立てていた。


 やがてハナが戻ると、ドアを開ける音で彼は飛び起き、入れ替わりに出て行った。見送りに出たチョーノがふと空を見上げると雲は無く、しかし星は一つも、確認することができなかった。

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