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少々暴力表現があります。苦手な方はご注意下さい。
残された私は大きな不安と小さな寂しさを感じて俯きます。…いえ、寂しいなんておこがましいですよね。隊長様だってお付き合いがあるのですから。それに私から身を引いたのですから、ここは大人しく隅の方で立っていましょう。
「で?君は誰なんだ?」
忘れていました。まだマリー様のお父さんが側にいらっしゃったのでしたね。これは大変です。
「見た事のない顔だな…どうせ成金貴族だろう。そうだな、私が相手をしてやろう」
先程のにこやかさは全て消えて、とても卑下た笑みを浮かべて私を舐めるように観察しています。私の背中を冷や汗が伝います。これは、ちょっと…
「さぁ、こっちへ来なさい。私は奴よりも金持ちだぞ」
ひいぃっ!!嫌です!!無理です!!
慌てて首を振りますが、男性はニヤニヤしながら私の手首を掴みます。痛いですっ!止めて下さい!!周囲に助けを求めようと目を走らせますが、隊長様の不機嫌オーラの影響でしょうか、誰もいらっしゃいませんでした。
その間もギリギリと力を込められ続け、痛みと恐怖に涙が浮かびます。
私は渾身の力を振り絞って暴れまくりました。するとそのうちの一発が男性に当たったらしく力が緩みます。…今です!!
私は夢中で腕を払うと、一目散に駆け出しました。背後から男性の怒鳴り声が聞こえますが、あの巨大では追いかけては来れないのでしょう。すぐに声が聞こえなくなりました。
それでもしばらく走り続け、バルコニーまでやって来て室内から見えない所へ逃げ込みます。
走ったからだけではない動悸と、今更ながらに襲って来た大きな恐怖に身体が震えます。
立っていられなくてズルズルとその場にしゃがみ込み、自身を腕で抱き締めます。
大丈夫。大丈夫だから、落ち着いて。落ち着くの。
自分に言い聞かせていても荒い呼吸は治まりそうもありません。く…苦しい。
酸素を求めて息を吸い込みますが、何故か楽になるどころか苦しくなってしまいます。
私…は、どうしてしまった…のでしょう…誰か……!!
「…ゆっくり深呼吸するんだ」
突然私の口に紙袋が当てがわれます。な、何ですか!?これでは余計に息が出来ませんよ!!
「大丈夫。ただの過呼吸だ」
もがく私の手をそっと押しやり、声の主さんは大きな手でゆっくりと背中を撫でて下さいます。
「ゆっくり………そうだ。それで良い」
優しい声に励まされ、徐々に呼吸が楽になります。良かった……死ぬかと思いました。
ボンヤリとした意識の中で背中を撫で続けて下さる方を見上げました。
視界いっぱいに広がる鮮やかな赤。私の視線に気付いた翠の瞳が優しげに細められました。
「もう大丈夫だな」
そう言ってハンカチを差し出されました。何ですか?…あ……私、乙女として出してはいけない物まで全力で出し切ってますね。なんて事でしょう。
しかし身体の力が抜けていて上手く腕が上がりません。
私の様子に見兼ねたのか、赤髪の男性が少し乱雑に顔を拭いて下さいました。うぅ…何から何まですみません。
「立てるか?」
あー…頑張りたいと思います。唸れ!私の黄金の両足よ!!
何とか立ち上がろうと踏ん張りますが、身体が言う事を聞いてくれません。情け無いです…。
男性は小さく笑って私の膝の下に手を入れると、ふわりと抱き上げました。
こここここれは!?これはまさしく『お姫様抱っこ』デス!?
「すまんな。しばらく辛抱してくれ」
うおぉぉ!!近い!!近いですから!!這います!!自分で這ってでも動きますから!!!
男性は私の焦りも意に介さず、スタスタと歩き出されました。…というか、一体どこへ行くのですか!?
「その格好では戻れまい。心配するな。部屋に侍女を呼んでやるから」
言われてハッと気が付きます。エロおやじに対して大暴れし、猛ダッシュを繰り広げ、挙げ句の果てには涙や鼻水も垂れ流してしまった私の姿は人前に出れるものではないでしょう。
男性はとたんに顔を隠して真っ赤になる私を見てクスリと笑われました。…本当に居たたまれません。
部屋にたどり着くと、男性はすぐに侍女さんを呼びに行って下さいました。ここまでに誰にも会わなかったのは、きっと男性が気を付けて下さったのでしょう。…本当に頭が上がりません。
しばらくしてやって来た侍女さんに身繕いを整えて頂き、温かい紅茶を貰って飲んでいると再びあの男性が部屋に訪れました。
「落ち着いたようだな」
はい。ありがとうございました!!本当に、何から何までご迷惑をお掛けしました…。
深々と頭を下げて感謝の気持ちを伝えます。先程の侍女さんに筆記具を借りれば良かったです。私とした事が失念です。
「一体何があったのか…聞いても?」
ですよね…。そこは誰だって気になりますよね。しかし私には説明出来る声がないのです。
申し訳なさに俯く私の目の前に差し出されたのは、ノートとペンでした。
驚いて男性を見ると、翠の瞳が柔らかく細められます。
「話せないのだろう?」
あ、はい……そうなのですが…良く分かりましたね。
私は隊長様と別れてからの出来事を大まかに書いて男性に伝えます。正直思い出すのも恐ろしい出来事だったのですが、優しい翠の瞳に見つめられていると何故か安心出来ました。
「……そうか…。恐ろしかったな」
男性はそう言うと私の頭に手を乗せて撫でて下さいました。それは何だか嬉しいような、悲しいような……。
男性が手を離し、またハンカチを差し出されました。…私は泣いていたようです。しかしせっかく化粧直しをして頂いたと言うのに、これでは崩れてしまいます。グッと堪えようとした時、再び優しく頭を撫でられました。
「…泣きたい時は泣けば良い」
もう、限界でした。
私は声が出せていたら恥ずかしく泣き叫んでいたと思います。この時ばかりは声が出せないことに感謝しました。
私が泣き止むまで、男性は優しく頭を撫でて下さっていました。




