睦月 -8-
疲れた
「さて、主ら参拝はせぬのか?」
「あ、忘れてた。」
僕と犬神は本殿に向かい合うと、お賽銭を投げて手を合わせた。
「犬神、分かっているな? 願い事はただ一つだ。」
「確率の向上っすね?」
「主ら、宝くじでも買うのかや?」
ミコが不思議そうに首をかしげる横で、一心不乱に神に願う。
待てよ。さっきミコが願いを聞いてやろう的なことを言っていた気がする。ということは、僕たちの熱い願いはミコに筒抜けなんじゃないか?
恐る恐る、後ろを振り向いてみる。
不動明王がいらっしゃった。
「こんの、変態がぁぁぁぁあ!」
「やべ、逃げろ。」
「先輩、ってうわぁぁぁぁ!」
「正月早々、何を考えておるんじゃ!」
逃げ惑う僕たちを追うミコ。誰もいない本殿で、鬼ごっこが始まった。
「男はそういう生き物なんだ!」
「それが神に頼むことか!」
「冷たい心を温めるのは女子高生との握手のみ!」
「捕まれ! 社会のために迅速に捕まってしまえ!」
ミコが急に立ち止まる。何事かと思って振り向くと、ミコは屈んでいた。次の瞬間、両手におにぎり大の雪玉を持って立ち上がった。
「食らうがいい! これが神の鉄槌ぞ!」
「先輩、ここは自分に任せて先に!」
先ってどこだろう。
「ふん、女狐。長かった戦い、ここで決着をつける!」
「駄犬がっ! 年季の違いを思い知れ!」
綺麗なフォームで投げられたミコのストレートが、犬神の鳩尾にジャストミートする。
うめき声と共に動きの止まる犬神。その顔めがけて二投目が放たれた。
「ぐはっ!」
仰向けにノックダウンする犬神。
「先輩……逃げて。」
それを最後に、犬神は気を失った。
「犬神……お前のことは忘れないからな。」
「千歳よ。主の悪行ももはやこれまで! 雪に沈むがよい!」
ミコが新たな雪玉を作り、駆け寄ってくる。
倒れていった仲間のためにも、ここで僕が負けるわけにはいかない。
そして、逃げるわけにもいかない。
足元の雪をかき寄せ、小さな雪玉を作る。
「一騎打ちだ!」
「望むところじゃ!」
意気揚々と投げた僕の一投目。日ごろの運動不足が祟ってか、明後日の方向へ飛んでいく。
「やべっ。」
一目散に逃げ出した。
「待つのじゃ!」
逃げる僕を追って、後ろから雪玉が飛んでくる。ガゼルのように右へ左へ走りそれをかわしながら、僕は絵馬のつり下がっている方へ逃げた。
社会人の運動不足は深刻的な問題だ。生活習慣病が増えるのも頷ける。これは一回国を挙げて全国体育祭とか開くべきなんじゃないだろうか、と酸素の足りない頭で考えていると、後頭部を衝撃が襲った。
「的中!」
ミコの声が遠くに聞こえる。
ふらつく足では踏ん張ることもままならず、僕は無様にも雪の上に倒れ込んだ。
「千歳よ、謝るのならば今のうちじゃぞ?」
ミコが近づいてくる。僕は手元の雪を握りしめるが、雪が踏み固められていてうまく取れなかった。
「年貢の納め時じゃな。」
「まさか。お前ごときに負ける僕じゃない。」
「大口を叩けるのも今のうちじゃ。これに懲りたら、今後うちには優しくするんじゃの。」
あれ、そんな話だっけ? と思いつつ、手元の雪を掘り起こす。せっかく温まっていた指先が、またも冷たく悴む。
「ミコ、お前は一つ大事なことを忘れている。」
「なんじゃと?」
ミコの足音が止まった。僕の反撃を警戒しているらしい。が、しかし。僕にはもうそんな体力は残っていない。ただの時間稼ぎだ。
「僕は諦めが悪いんだ。例え目の前に越えられない壁があろうとも、乗り越えることが困難な障害があろうとも、僕はやると決めたら絶対にやってみせる。絶対に、女子高生と手をつないでみせる。」
「呆れた男じゃ。その気合をもっと別のことに使えんのかの。」
「男とはそういう生き物なのさ。」
指先と引き換えに、手元の雪は随分と柔らかくなった。掘り返し、拳よりもっと大きく雪を丸める。
その時、僕の耳元で何かが囁かれた。
「残念じゃ、千歳。主とはもっと付き合っていたかったがの。これで終わりじゃ。」
「それは、どうかな!」
最後の力を振り絞り、僕は寝返りを打ってミコに向き直る。そのままの勢いで、右手の雪玉をミコに投げつけた。
十分に近づいていたミコの胸に、僕の渾身の雪玉が当たる。
「何を、これくらい!」
反撃に転じようとしたミコを、僕の叫び声が止めた。
「今だ、おっさん!」
「合点!」
ミコに当たり崩れた雪玉から、おっさんが飛び出した。
「なんじゃと!」
飛び出したおっさんがミコの体に張り付く。慌てて取ろうとするミコの手を、まるで虫のように這いずり回りすり抜ける。やがて、巫女装束の隙間から中へ潜り込んだ。
「なっ!」
「ぬかったなミコよ! 僕がここへ逃げたのも計算のうち! 全ては既に戦闘不能と思い込んでいたおっさんをお前の元へ投げ込むためだったのさっ! さあ、降参するなら今の……うち……。」
おっさんは、握りしめられていた。今にも体の中身を吹き出しそうに、ミコの手の中で顔を苦しみに染めている。
ミコはというと息を切らしながら、鬼の形相でこちらを睨んでいた。
万策は尽きた。
もはや、これまで。