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篝火 -春ー  作者: 日笠
7/24

睦月 -7-

遅れた…

 もう手も十分暖まったので、改めて本殿を目指す。

 犬神と確率論について話しながら歩いていると、奇声が耳に届いた。

「ひゃっほう! こいつぁ絶景チャンスだぜ!」

 本殿の近く、願い事の書かれた絵馬の立ち並ぶそのすぐ横に巫女さんが立っていた。そしてその下を、黒い小さな影が飛び跳ねている。

 おっさんだ。

「あの人、セクハラ真っ最中じゃないっすか?」

「僕たちが針の穴を通すような小さくて狭い可能性を夢見ている横で、それを飛び越える奴がいるのは癪に触るな。絶対止める。」

「いやでもあれって……。」

 普通の人には見えないという特性を使って、おっさんはどうやら袴の下から覗こうとしている様子。何を、とはここで明言しない。

 辛抱たまらず、僕はおっさんの方に駆け出した。けれども、距離的には数十メートルある。追いついたとして、おっさんはその時すでに目的を達成しているだろう。かといって、僕が叫んで巫女さんに危機を伝えたとしても、ちゃんと伝わるかどうかは疑問である。言い方次第では僕も変態扱いされる。

 ここでも究極の二択だ。人生、選択ばかりだ。

 意を決して、僕は腹に力を込める。

 声を上げようとした、その時だった。

 巫女さんが素早く足を上げた。

 今がチャンスとばかりに、おっさんがその下に潜り込む。

 その上に、勢いよく足が落とされた。

 ぽすっ、という軽快な音とともに、声もなくおっさんは雪の下の人となった。

「全く、蕗の下の妖精が聞いてあきれるわい。裾の下の変態に名前を変えたらどうかの。」

「えっ、あのっ……え?」と、叫ぼうとしていた僕は拍子抜けをして、間抜けな声しか出ない。

 くるり、と巫女さんがこっちを振り向いた。おっさんを踏みつけた足を軸足にして華麗に回る。心の中でおっさんに合掌。

「主らは暇なのかや?」

 巫女が僕を見据えて、笑う。その顔に見覚えがあった。

「お前ミコか?」

「千歳先輩! って、やっぱり女狐だったか。」

「ほう、犬神。久方ぶりじゃの。」

「犬神、お前気付いていたのか?」

遅れて来た犬神に尋ねる。

「確信はなかったっすけど。この神社一帯に獣臭くて汚らわしい淫獣の匂いが立ち込めていたんで。」

「誰が淫獣ぞ。」

「ああん? 手前のことだよ女狐。淫らで不埒で薄汚れた狐風情が。」

「お前とはいつか決着をつけねばと思っていたが、今か? 今なのじゃな。」

「ふん。自分と戦おうなんて新年早々いい度胸っすね。それともあれっすか? 歳のせいで実力差を忘れちまいましたか? ボケっすか? 健忘症っすかね?」

「気付いておらんようじゃから言っておくが、この地はうちのホームグラウンドぞ。ここでうちに勝とうなんて笑止。犬よ、コロポックルの奴同様、雪に埋めてくれるわ。」

 同じイヌ科同士だから仲良くすればいいのに、この二人は会えばいつも喧嘩である。だから会わせたくなかったのに、まさかミコがここにいるとは思わなかった。

 というか。

「お前、本当にミコか?」

「お主……まだボケとるのか。」

「はん、お前の存在価値が薄いから気付いてもらえないんだよ。」

「お前みたいな駄犬と一緒にするでない。」

「ああん?」

「やるか?」

「待て待て。」

 二人の間に入り、僕はミコを上から下まで舐めるように観察する。目と目が合うと恥ずかしそうに頬を赤らめて、体をもじもじさせた。

 この腹立つ動きはミコそのものだ。

「主、失礼なこと考えてないか。」

「その返しもやはりミコだ……。」

「まだ確証が足りんのか?」

「だって。」

 一番大切なものが、ないじゃないか。

「お前……耳と尻尾は?」

「……は?」

「ミコがミコ足り得るパーツが、お前には欠けている。うん、そうだ。お前には耳と尻尾が無い。つまりお前は偽物だ!」

「はぁっ!?」

「なにぃ、こいつ女狐じゃないのか。僕としたことが……。巫女さん、数々の非礼をお許しください。」

 犬神が深々と頭を下げる。

 目の前の巫女さんは目をぱちくりさせながら、やがて激昂で顔を真っ赤にした。

「千歳よっ! よく見ておれい!」

 ぼん、と白い煙が巫女さんを包む。煙が晴れると、そこには耳と尻尾を生やしたミコがいた。

「これでどうじゃ。」

 鼻を鳴らし不機嫌そうに言うミコ。僕は数十年ぶりの知己に会うような気持ちになった。

「おお! これぞミコ。久しぶり。」

「てめえやっぱり女狐かっ! 畜生、謝って損したぜ。」と犬神は雪に唾を吐く。

「主ら、そこはかとなく無礼じゃぞ?」

「だって、ミコの本体って耳と尻尾じゃん。」

「それはただのチャームポイントじゃろ!」

「嫌々、眼鏡キャラの眼鏡並みに主体性があるって。眼鏡が割れたらそいつは死んだも同然なんだって。」

「眼鏡とうちの耳は違う! うちと言えば、ほら。この溢れんばかりの美貌と可愛らしい小さな顔じゃろう? ほれ、ほれ。」

 そう言ってしなを作るミコを、僕は呆れた目で見ていた。

「そういうことをしてくれたら、最初からミコって断言できたのに。」

「主にはうちがどういう子に写っておるのじゃ。」

「頭の弱そうな老人妖怪?」

「頭が弱いのはユキだけで十分じゃ。」

「じゃあ変化が苦手な化け狐。」

「そうだ! それだ!」

 鬼の首を取ったように犬神が囃し立てる。ミコに指を突きつけ、鬼気迫る剣幕で彼女に捲し立てた。

「お前のチャームポイントと言えば化け狐なのに化けるのが苦手という残念なところだろう! 僕見たく完全に人に化けられないところが絶好の見下しポイントだったというのに……一体どうして。」

「どうしてって、先にも言ったじゃろう? ここはうちの神社じゃ。」

「何……、え、お前本当に神様だったの? しかもこんな地元の?」

「正確にはちと違うの。まあ、あれじゃ。親戚の家みたいな感じかの。」

「よかった。ミコは神様なんて大それたものじゃなかったんだね。ただの残念な化け狐だったんだね。」

「残念残念と、お主らなんなんじゃ。正月早々男だけで初詣に来る主らの方は社会的には残念な部類じゃろう。それと化け狐ではない。妖狐と呼べ、妖狐と。」

「化け狐と何が違うんだ?」

「そちらの方が格好いいじゃろう?」

 やはり残念だ。

「で、主らは何を願いに来たんじゃ?」

「なんでお前に言わなければならないんだ。よりによって、数学の弱そうなお前に。」

「なんでってうちも一応この神社の遠縁……なんじゃて? 数学?」

「なんでもない。それより、お前も願いを聞いてくれるのか。」

「一応な。」

「ふん、お前に願うことなど何もないわ。」

「犬神には一年間玉ねぎが付きまとう呪いでもかけてやろうかの。」

「くっ、卑怯だぞ!」

「ふん、脆弱な犬めが。」

 二人の言いあいの最中、ふいに僕は蚊の鳴くようなか細くて弱々しい声を聞いた。そっと耳をそばだてる。間違いない。

「おい、今声がしなかったか?」

「うん? ……いや何も。」

 耳の効く二匹が口論を止め、耳を澄ます。

 辺りがしん、と静まりかえる。風が木や絵馬を揺らす音。雪のこすれ合う音。そのささやかな音に混じり、もう一度、うめき声みたいなものが聞こえてきた。

「これは……下かの?」

 ミコが足元を見る。そして気がついた。

「あ、おっさんか。」

「コロポックルの奴か。」

 犬神が哀れむような声で、

「そろそろ助けてあげませんか?」

と言った。

「いいや、まだぬるい。変態にはそれ相応の処罰を与えんと。」

 コロポックルの上の足を、ミコがより一層踏みつける。丹念に押し込んだのち、足を上げるとそこには綺麗な大の字で埋まったおっさんの惨めな姿があった。

「哀れな……。」

 さらに、ミコはその上に雪をかぶせ踏み固める。おっさんの埋まっている場所が何処か分からなくなるくらい平らに踏み固めると、一仕事を終えたような清々しい表情でミコが笑った。

「ふむ、これくらいでよかろう。」

 すまない、おっさん。僕には何もできない。

「雪国の妖精だからたぶん、大丈夫っすよ。」

「そうじゃの、死にはせん。そうなってくれればうれしいが。」

 真顔でいうミコが怖かった。


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