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篝火 -春ー  作者: 日笠
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睦月 -5-

「さてと。」

 蜜柑を食べ終えたミコが炬燵から立ち上がる。

 ユキからの逃げ場を求めて、僕はミコに声をかけた。

「出かけるのか?」

「こんな寒い日に? 家におるわ。」

「出不精。」

「黙れ。そしてその言葉をそのまま主に返してくれるわ。」

 ミコが居間から消える。

 今ミコが向かっていったのは使われていない押入れへの戸口。

 そしてこの引戸こそが、諸悪の根源である鬼門とちょうど重なっている。らしい。詳しい話は分からない。鬼門周辺に一定の妖気が溜まると、妖界へ繋がってしまうそうなのだ。早い話が、僕の家の押入れが妖界へと通じているのだ。欠陥住宅だと知っていれば、どんなに家賃が安かろうとここに住まなかったのに、大家の馬鹿。俺の馬鹿。

 ミコが押入れを開け中へ入り、そしてすぐに出てきた。

「今お前家に帰ったんだろ?」

「家というか、物置みたいなところかの。本来いるべきところは御社なわけじゃし。」

「まあどっちでもいいけど。前から思っていたんだけどさ、そこのドアってお前の家に繋がってんの? いつもすぐ帰ってくるじゃん。」

「いや? 妖界全土津々浦々どこにでも繋がっておるぞ? 開けた者の自由自在じゃ。」

 絶句した。僕の押入れへの戸口がそんな未来形便利アイテムのようなものだったなんて。

 由々しき事態である。

 早急にドアを封印せねば。

「言っておくが、こうやって定期的に妖界とつなぐことで妖気を発散させないと、そのうち地獄に繋がってお主死ぬからの。」

 逃げ道がなかった。

「そんなアクティビティ溢れる場所だったんですね、ここは。」

 炬燵に戻ったはミコは、何やら大きな袋を携えていた。

「そうですよぅ。夜になったらいつでも呼んでください? すぐ出てこられますからぁ。」

「家に直結なんだろ? お前さっさと帰れよ。」

「場所も元々そうなんじゃが、家主の影響も大きいの。」

「まじで?」

「お主はひきつけやすい体質だったんじゃろ。」

 食べ合わせが悪いみたいなものなのだろうか。

 ミコが持ってきた袋をごそごそと弄り始める。僕はなんとはなしにそれを眺めていた。

 中から出てきたのは白い和紙と、唐草模様の巻物のような厚地の布。それに石。続いて硯、筆など見慣れた物も登場した。

「さて、ユキ。今年もやるぞ。」

「何をやるつもりだ。」

「何って、書初めじゃよ。日本人じゃろう? それくらい知っておけ。」

「それは知っているが、なぜここでやるんだ?」

「なぜって……さぁ?」

 ミコが小首をかしげる。合わせて尻尾と耳も悩ましげに揺れた。引っこ抜きたい衝動をかろうじて押さえ、さらに追及する。

「書道って汚れるイメージしかないんだけど。」

「うちはうまいぞ? ユキはまあ、あれじゃし、仕方なかろうが。」

「そんなぁ。私だってやるときはやりますよぉ。」

「部屋が汚れるから却下だ。」

 きっぱり、そう言った。最初からそう言いたかったのに口に出せなかったのは、場に慣れ過ぎてしまったのかそれとも毒されたか。だが言えた。言えてよかった。

「安心せい。できるだけ綺麗にするからの。」

「絶対駄目。」

「どうしてもかや?」

「もちろん。」

「はぁ。情けない。いいか? 書初めというのはその年一年の心構えを決める大事な行事ぞ。一年の始まりからぴしっ、と心を正し清め美しい字で一年の抱負を書く。日本の大切な和の習慣じゃ。それを和の神様でもある我らがやらんでどうする。こういうことをおろそかにするからこの国は変に外国にかぶれ、調和も自主性も中途半端な締まりのない国になるのじゃ。いいか、千歳。書初めは大事なものなのじゃ。和の心なのじゃ。それを忘れてしまっては、いい大人になれんぞ。」

「書初めがいかに大事かは分かったがそれを僕の家でやる意味が分からない。」

「つべこべ言わず書かせい!」

 ミコが大仰な所作で硯に水を差した。あまりに派手に、かつ堂々とやってのけたために、一瞬止めるのが遅れた。それが命取りだった。

 ミコは瞬く間に墨をすり、また同時進行で長半紙をぴんと広げ、筆に墨をたっぷりと含ませ、最初の一画目を力強く書いた。

「和の心はどうした!」

「この現代社会、何事もちんたらやっていては生き抜けんよ。」

「生命力旺盛なお前らが言う言葉じゃない。」

 一方ユキはちんたらと準備を始めている。僕はもう止めるのをあきらめて、白露に慰めてもらうことにする。

 寝ていた。

「ふむ。妖界は寒くて手が震えるからの。こちらの方が書きやすくていいわい。」

 この部屋も十分寒いのですが。妖界って極にあるの?

 うつ伏せになって炬燵に入りながら、書初め集団に尋ねる。

「一年の抱負って、どんなの書くんだ? 一攫千金とかか?」

 字面もかっこいいし、書初めに向いてそうだ。

「それはただの願望じゃろ。目標とか、成し遂げたいこととか、戒めたいこととかじゃないか?」

「戒めっ!?」

 ユキが目を輝かせて反応したのを、みんなして無視した。いちいち構っていると疲れる。

「僕の一攫千金だって立派な目標だ。成し遂げたいことだ。」

「じゃからそのために『仕事を頑張る』とか『いいことをする』みたいな具体例を書くんじゃよ。お主はもっと戒めた方がいいと思うがの。誰かの格言とかはどうじゃ。」

「確かに格好よさそうだが、一攫千金の方が見栄えはいいぞ。」

「外面だけで幸せが買えるか?」

「イケメンは人生イージーモードだろうな。」

「千歳さんはヒモ願望があるんです?」

「そこまでじゃないが……まあ、働かないで過ごせるならそれで。」

「じゃあ私のヒモに。」

「『なって物理的に縛ってください。』」

「うぐっ……。」

「お前の言いそうなことなど読めている。お前にこの言葉を贈ろう。『愛は、引けば引くほど熱く燃え上がる』」

「誰の言葉ですぅ?」

「スペインとかにありそうな諺じゃの。」

「僕の言葉だ。」

 ミコと白露からため息が漏れた。あの自由猫め、起きていたのか。さっきは僕を見捨てた癖に。

「主よ、うちからはそなたに『馬鹿は死んでも治らない』という言葉を授けようぞ。こっちはちゃんとした言葉じゃ。昔から受け継がれておる。」

「そんな迷信チックな言葉と、僕の感涙物の名言との間に何の差があるってんだ。」

「年季が違うのじゃよ。そもそも、名言というのはお主みたいな小僧が即席で作り上げるものじゃなく、後世まで知られるような偉人どもが口にするから名言と成り得るのじゃ。主みたいな薄っぺらな言葉じゃ人の人生などびくともせんわ。」

「歴史上の偉人だって実はただのおっさんだろう? 僕と大して変りが無いじゃないか。おっさんの残す言葉が真理だというのなら、僕の行きつけの居酒屋の常連客のおっさんの『嫁が結婚後こうなるとは、読めんかった』っていうダジャレだって真理じゃないか!」

「確かに。結婚したら女は変わるっていいますね。でも大丈夫ですよぉ。これが、ありのままの私ですから、千歳さん、安心してください?」

「つまり、僕が残した言葉だって名言大辞典に載ってもいいはずだ!」

「あ、無視ですかー。酷いですぅ。」

「お前に授けた言葉を忘れたのか、ユキよ。引くことを覚えろ。」

 僕がそういうとユキは目を丸くして、まるで顔が溶けだしたかのように涙を流し始めた。

「ほれみろ。ユキだって感動で涙を流している。立派な名言だった証拠じゃないか。」

「変態を泣かしただけじゃろう? 感動か悦なのか判別がつかんの。」

「千歳さんが……私に送ってくれた言葉……。だ、大事にしますっっ!」

 変なスイッチが入ってしまっていた。まあ、これで引いてくれるというのなら、結果オーライだ。

「変態さんの解釈の可能性は無限大。」

 白露は不吉なことを口走ったが、気にしないでおく。どうにか、言葉通りの意味で伝わっていますように。

「そこまで言うのなら、主よ。何か後世に残る偉大なことをその粗末な人生で成し遂げてみい。したら、うちが主の亡きあとに主の言葉を世界中に広げてやるわ。」

「お前より先になど絶対に死なん。」

「無理な相談じゃ。」

「死ぬときは道連れだ。」

「何おう!?」

 口ではそう言ってみたが、内心は少し冷えていた。

 僕が死ぬ。でも、こいつらはその後もずっと生きていくだろう。妖怪と人間とではそもそもの寿命が違う。ミコが現在僕より何十歳も年上で、そして僕より何十年、いや何百年も長生きをするのだろう。

 距離を感じた。僕と彼女たちの間には、深い大きな溝がある。その間を流れる黒い水のせせらぎが、僕の心を深く沈めた。

 彼女たちにとって、僕の存在は言わば期間限定のイベントのようなものなのかもしれない。長い生涯の、ほんの一瞬の通過点。

 改めて、住んでいる世界が違うのだなと思った。

 そう思えたから、たまにはこいつらに優しくしてやるのも一興かなと、らしくないことを考える。

「できた。」

 ミコが自信満々顔で筆をおく。 

 優しく、か。急に態度を変えたら変に思われるだろうか。

「何にしたんだ?」

「清い心で書いた大きな目標じゃ。」

 半紙を掲げる。

 一文字一文字綺麗に書かれたそれは、僕の心を強く揺さぶった。

 ―――一零キログラム減量―――

「零の字が意外と難しくてのー。」

 ミコがけたけたと楽しそうに笑う。

 前言撤回。

 こんな悩みのなさそうな奴に優しくする必要などない、と僕は今年の抱負を決めた。


やっとプロローグ半分終わったぁ! とりあえずは主要キャラの紹介みたいな話だからね。

次は初詣。明日やな

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