睦月 -4-
反抗的な寒さの中にも日差しの暖かさを感じられるようになった午後、我が篝家にも平和が戻っていた。白露は炬燵で丸くなり、イヌ科のミコはむすりとした顔をしながら炬燵で蜜柑をむさぼり、僕はのんびりと駅伝の復路を見る始末。
ミコの狐色をした長い髪と、頭頂から覗く獣耳が咀嚼の度にゆらゆら動く。ついでに揺れているのか、自称高級品の大きな尻尾が背中から見え隠れしている。僕の胸くらいしかない小さな体に、大きなサイズの巫女装束、そこから伸びる小さな手。その手が蜜柑を運ぶのをじっと見ていると、ミコがこちらを見た。
「なんじゃ。」
「なんでも。」
彼女の緋色に光る瞳が、こちらを訝しげに睨む。テレビに視線をずらして避けた。
先ほどまでの騒動から一転、実に和やかな時間が過ぎる。
駅伝を見ていると、あんなに肌の露出の多い服で走っても寒くないのだろうかとか、もう少し朗らかな陽気を提供してやってもいいんじゃないのか、とかそういったどうでもいいことばかりが頭を過る。
ミコの手から一房蜜柑をつまむ。
「おい、それはうちの蜜柑だ。取るでない。」
「元は俺の収入で買った蜜柑だ。つまり俺のだ。」
「元を辿るという話ならば、この蜜柑は農家の人が丹精込めて作った、いわば農家の人の子供のようなものじゃ。つまりこれは農家のものであってお主のものではない。」
「じゃあお前のでもないじゃん。」
「そんな捻くれた性格をしておると人生損するぞ。テレビを見てみい。なんと美しいことか。」
テレビではちょうど襷を渡す瞬間が映し出されている。
一生懸命汗水を流し、仲間の元へ一秒でも早く襷を届けようとする走者。それを今か今かと待っているチームメイト。今、襷が彼の手に渡った。自分の区間を走り終えた青年はその場に崩れ落ち、そこへ誰かがタオルを羽織らせてやっている。やはり寒いのか。
「美しい場面だ。」
「じゃろ?」
「だが俺には不要だ。」
「そうですよぅ。千歳さんは今のままで十分素敵ですぅ。」
ユキがアイスを持って居間に戻ってきた。当然のように俺の横へ入ろうとするのを、全力で阻止する。
「なんでぇ~。」
「うっとうしい。寒い。冬はお前寄るな来るな帰れ。」
「夏場はあんなに抱いてくれたのに。」
頬を染めるユキ。そのまま溶けてしまえばいいのに。
「千歳さぁん、寒い部屋で炬燵に入りながら食べるアイスが絶品のように、寒い部屋の中炬燵で一緒に暖めあいながら食べる私も、きっととろけるような甘さですよ? ほら、あーん。」
「変態から有用性、利便性を取ったら残るのは邪魔なものばかりだ。」
「迷惑性。」白露が声を上げる。
「犯罪性。」ミコがそれに続く。
「性欲処理ならお任せ!」とユキが最低な言葉で締めた。
「いいからお前は自分の場所に戻れ。」
渋々、といった感じで僕の斜め向かいへ腰を下ろす。アイスの蓋をあけ、そして何を思ったか匙をこちらへ差し出してきた。
「なんだ、くれるのか?」
「お主は何でもかんでも。乞食か? 飢えておるのか。」
「自分の自由な時間に飢えている。最近は枯渇ぎみだ。」
「そうじゃなくて、あーん、してください。」
ピクリ、とミコの耳が動いた気がした。
「なんで僕が。」
「いいじゃないですかぁ。ほら、早くしないとアイス溶けちゃいますって。」
「たまにはお前の雪女らしいところも見てみたい。」
世間一般で聞く雪女とは、普通もっと冷血で、出会った男どもを死の抱擁で氷漬けにしたり、死の接吻で内側から氷の彫刻にしたり、死の呪いをかけて一生女に縁のない生活を送らせるとか、そういうものじゃないのか? こうまで甘々で、なおかつ頭ゆるゆるでいいのだろうか。
「適温保つの難しいんですよぉ。アイスって、溶けかけが一番のおいしいじゃないですか?」
「一人で食うか、そのアイスを僕に寄こすか、選択肢は二つに一つだ。」
「えー。」
「ユキ、いい加減にせい。うっとうしい。」
「あ、じゃあ。」
そう言って、ユキはおもむろに匙を口に含んだ。そして口の中で転がすように、丹念に舐めまわす。僕はそれを見ながら、若干引き気味でミコに尋ねた。
「こいつ何してんの? 鉄分足りないの? こいつに不足しているのはDHAとかだと思うんだけど。」
「変態の趣味趣向はうちには分からん。主の方が理解あるだろうて。」
「さすがに雑食趣味はないわ。」
ユキはというと匙の尻尾の方をつまんで、最後の最後まで惜しむかのようにゆっくりと口から抜き出した。ユキの艶っぽい唇と唾液で濡れた匙の間に白い糸が架かっている。それを舌でぺろりと切ると、匙とアイスを一緒に差し出してこういった。
「どうぞ。」
「いやいや。」
全力で拒否。
「何が不満なんですぅ? アイス、あげますよ。」
「そんな濃厚な関節キスはいらん。アイスだけもらう。」
「え、じゃあ。」
言いながらユキは舌を出した。髪を押さえて、薄い紫色をした綺麗な舌をアイスへ伸ばす。藍色をした瞳が、アイスを舐める直前になってちらりと僕を見た。結果上目使い。こいつ全部計算ずくなんじゃないかな、と僕は蔑むような目で彼女を見ていたことだろう。
「えー! なんでそこでドキリとしないんですかぁ?」
「お前のはハードすぎるんだよ! いたいけで純情な男子はそういう露骨に狙ったやつだと返って引くんだよ!」
「二十超えていたいけとか純情とかいい大人がいうことかの?」
「据え膳くわぬは男の恥。」
白露まで入ってきた。
「人外はお断りだっ!」
僕の叫びに、ユキが残念そうに笑った。その目が光っていたのを、僕は一生忘れないだろう。この子もやはり雪女。魔性の女には違いないのだ。
ユキちゃんの描写は大丈夫かしら…
まあ際どいのは今回だけ。早く本編に入りたい!!