睦月 -3-
え、じゃあ誰が。
その時、足にかかっていた負荷が消えた。いろいろ言いたいことはあったがとりあえず息を整える。まだ足が痛む。正月早々大変だ。一年の始まりにこうなのだから、今年は足に気を付けた方がいいのかもしれない。あとで御守りを買いに行こう。
「どう? 落ち着いた。」
「お前、起きてたのか?」
この声の主はおそらく炬燵で丸くなる方の妖怪、白露。猫又だ。
「白露よ……起きていたのなら返事せい。」
「面倒。」
猫の性分よろしく、マイペース。ものぐさで、無口で、我が道を行く子。それが白露。
「おい白露。お前なら炬燵の中覗けるだろう? どうにかして抜け出せないか?」
返事が無い。が、いつものことなのでしばらく待つ。僕もミコも白露の答えを黙って待っていた。
庭先の道路から子供の黄色い声がする。きっとお年玉をもらって、ゲームでも買いに行く途中なのだろう。僕ときたら、正月最後の日を炬燵で軟禁されているというのに。涙が出てきた。
「さっき見てみたんだけど。」
「今じゃないんか。」
遅めの返事にミコが突っ込む。白露は構わず続けた。
「よくわからなかった。私には無理。寝る。」
「寝るなっ! 待て、お前だけが最後の希望なんだ! せめて猫に戻るなりなんなり。」
「無理。私の尻尾も踏まれてるのおやすみ。」
「白露!」
聞こえてきたのは、白露の健やかな寝息だけだった。
脱力感が体を支配し、床に身を投げうつ。
「もう僕たち、一生このままなのかなあ。」
「千歳と心中など死んでも嫌じゃ。」
僕に暖かいのは炬燵と床だけか。
静かな部屋の中で、何かのモーター音だけが虚しく鳴りわたる。それはまるで「残念でしたー。お前の一年はこんなもんですー」と僕を嘲笑しているようで、無性に腹が立つ。冷蔵庫でなかったら、あとでコンセントを抜いてやろう。冷蔵庫であったとしても、一瞬くらい蔵庫にしても構わない。代わりにユキを詰め込んでおこう。
「嫌じゃが、仕方ない。」
「ミコがデレた……?」
「デレとらん! 全く、口を開けば阿呆なことばかり。そんなうつけにはこうじゃ!」
寝巻の上から先端の集合体のようなものが僕の右足をくすぐった。
「ミコの尻尾か? 服の上だからそんなにくすぐったくはないぞ?」
「ちっ、ではなく。」
「いやあからさまに舌打ちしたろう。」
「したがそうではなく。」
「したんじゃないか。お前、居候の分際で舌打ちなどと。」
「話が進まんじゃろが!」
ミコが激昂した。
「お前が話さないからだ。」
「こんの……ふぅ。」
落ち着かせるために息を吐いたらしい。
「イライラするのは更年期障害の始まりだぞ? ちゃんと医者で見てもらえ。」
追撃をかける。
足を捻られた。
「じゃからの、どの方の足がくすぐったかったのか聞いておるのじゃよ。」
ようやく本題に入る。
「どっちって、右足?」
「右足のどこらへんじゃ。」
「たぶん、脹脛。」
「やっぱりお主が犯人か。」
「もしかして戸棚のきつねうどんお前のだった?」
「それもじゃが。」
声に些か怒気が含まれる。いらない地雷を踏み込んだようだ。
「お主が右足を上げてくれれば、多分うちの尻尾も解放される。したらうちは狐に戻って、それで解決じゃ。」
「でもそれ結構痛いかもだぞ。」
「背に腹は変えられん。」
痛いのはお前だけではないだろう。だが、それしか方法はなかろう。白露もなんだかんだ言ってまだ起きているだろうし、何も言ってこないということはそれで納得しているはずだ。ユキに至っては仕方がない。今回彼女には不意打ちを食らってもらう。
「本気で上げてくれよ。うちの尻尾はふさふさじゃからの。」
「訳が分からない。デブってことか?」
「あとでビンタじゃからの。」
足を上げたくなくなってきた。
「なあ、ミコ。別にもうこのままでいいじゃないか。思えば俺たちは出会ったころからいがみ合ってたよな? それが今じゃこうして、一つの炬燵で互いを労わり、気づかいながら過ごしている。仲睦まじい限りじゃないか。うん、睦み月の名前に相応しいことだ。そう思わないか? 平和ってこういうことなんじゃないかな。世界中が、俺とお前見たく幸せになったらいいのにな。」
「いいから足を上げい。」
誤魔化しきれなかったようだ。でもちょっと恥ずかしがっている雰囲気が伝わってきたから、ビンタは回避だろう。狐頭まじちょろい。
「主よ、うちは読心も心得ておるからの? 覚悟しておけよ。」
事態は悪化していた。
「仕方ねえな。足上げるぞ? 覚悟しとけよ。」
願わくは今回の作戦によってミコの尻尾が解放され、なおかつ痛みのあまり失神しかけるも最後の力を振り絞り狐化だけはし遂げる。そしてその間に僕は逃走、という流れが起きますように。
力いっぱいに足を上げた。
「にゃ! にゃあぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
白露の珍しい悲鳴。彼女がこんなに大声を出すことはあまりない。
「抜けた!」
声と共に小さな爆発音がする。化けたか。僕の足からも負荷が消え、まず左足が抜けた。続けて右足も抜き去る。閃光の蹴り足、帰還。大丈夫、僕の足は光になっていなかった。
安心したのもつかの間、すぐさま炬燵を抜け出す。
が、ミコの手から逃れられなかった。
「誰がちょろい女じゃと?」肩を掴む手から鋭い殺気が流れてくる。「きつねうどん、楽しみにしてたのにぃぃぃ!」
メインはそっちだったか。
冷たい頬を切るような平手打ちが、僕の意識を奪った。