春 -14-
第13話のあらすじ
桜の木の精に会った千歳は彼女の思いを晴らすと約束します。彼女のために、彼のために、自分のために。それぞれの思いは、一つの消失点に集まります。
終わりに近づく、第14話
時に体育会系の思考が理系のそれを大いに上回ることがある。
物事を理詰めで考えたとき。我々が問題に対し論理的思考を用いて悪戦苦闘しながら回答に近づいていくようなとき。正攻法でこつこつと、回り道をしながら外堀を埋め、ゆっくりとではあるが確実に答えを得ようと我々が頭を悩ませているのを尻目に、力技の解法が何食わぬ顔で答えに直進していくようなことが多々ある。その猪突猛進ぶりは理系人間の今までの努力を水泡に帰すような所業であり、しかし答えは正しいので馬鹿にすることはできないというジレンマを我々に課す。
この後、我々は体育会系の恐るべし直観力と言うものを目の当たりにする。
やっとのことでリアカーを家の庭まで運び入れたころには、二人とも既に息絶え絶えというような状況で、這うようにして居間まで上り込んだ。白露とユキが来ていたようで、久々に元旦メンバーが揃ったことになる。
畳の上に横たわる、疲弊し虫の息の僕たちに白露は無言でちゃぶ台を指差した。
「さっきまで犬神さんと芙蓉さんがいたんですよぅ。二人とも書置きしてどこかに行っちゃいましたけどぉ。」
「書置き?」
「……机の上。」
悲鳴をあげる体にムチ打って、のっそりと起き上がる。
ちゃぶ台の上に便箋が二枚置かれていた。その内一枚をめくり取る。
『約束の子供を見つけました。信じがたいことですが、咲かさずの爺だったようです。直接先輩と会って詳しい話をしたかったのですが、姑獲鳥の気配を感じるので、誠に遺憾ですが、退散させていただきます。不肖、犬神めをお許し―――』
手紙はそこで途切れている。
もう一枚の方は、解読が些か困難な震え文字で書かれていた。
『見つけたよ。まさか子供がお爺ちゃんになっているとは思わなかった。でもお爺ちゃんだって一度は子供だったんだから、広義の子供ではあるよね? それよりもここにいるととてつもない震えが私を襲うので、先に帰ります。花見の日にまた。』
震えているのは、ユキによる冷却のためか、それとも白露がいることによる被捕食者としての本能からか。
それはさておき。
犬神も芙蓉も、物証はほぼ皆無という状況から、嗅覚と本能だけで目当ての人物に辿りついたらしい。
体育会系侮りがたし。
ミコはと言えば、
「まあ、足で探す刑事が難事件を解決するということもたまには。」
と当たらずも遠からじなことを言いながら顔を引き攣らせている。引き気味である。
しかし、これで確信が持てた。
僕とミコの場合は、状況証拠から考えて一番可能性が高い、ということで咲かさずの爺に当たりをつけただけであって、早い話が確証には足らない。
だが、別々の方法で調べ出した犬神と芙蓉も同じ答えに行きついていた。多少強引で謎に包まれたやり口でも、それらが共通の答えを見出していたのなら、推察も確信に変わる。
花見はすぐそこだ。
「花見はすぐそこだ。」
口に出していた。
「わっ、お花見できるんですかっ!」
ユキが感動の声を上げる。
「やった。やりました! 千歳さん、ありがとうですぅ。」
「やめろ、寒いからまとわりついてくるな。」
「この感謝を伝えるためには言葉だけじゃ足りないですぅ。体いっぱいの愛情表現が必要ですぅ。」
「既に感謝が愛情になっているんじゃが。」
息を吹き返したミコが疲れた顔で言う。
「感謝も愛情も似たようなものですぅ。愛してくれてありがとう、ですよぅ。」
「意味が分からん。ええい! 離れろ!」
「嫌で……きゃあぁぁぁぁぁ!」
振り払うまでもなく、ユキが後ろ向きに吹き飛んでいった。
何事かと思いつつ、去った厄災に安堵していると、金属のぶつかり合う音が鳴っていることに気がついた。音のする方に目を向けると、マジックハンドを持った白露の足元でユキがしくしくと泣いている。理解に苦しむ構図だ。
「今のは、白露がやってくれたのか?」
そう尋ねると、白露は自慢げにマジックハンドを鳴らした。金属音の正体はあれらしい。C状の物を掴む部分が鉄製になっている。アームは途中に間接のある、人の腕のような構造をしていて、手元で操作するだけで自由自在に動くらしい。現に、のた打ち回る蛇の如く暴れまわっている。人の手でもあそこまで駆動はできまいて。
「それ、作ったのか?」
カチカチ、とマジックハンドが返事する。
「……新兵器。」
「白露はこう見えて手先が器用じゃからの。たまにこういう得体のしれない物を手作りしては、うちらに配ったり縁日で売ったりしておる。」
「すごいな。他の奴らと違って普通に生活できるじゃないか。」
料理だって上手いし。
相変わらずマジックハンドを鳴らして応答する白露だったが、今度はピースサインまで付けてきた。そして、それはただの肯定では無かった。
「住んでおるぞ、こっちに?」
「……え、嘘だろ?」
「本当ですよぅ。白露はこっちで千歳さんと同じように暮らしているんですぅ。」
泣きべそをかいているユキが白露を見上げる。
「でも今度のは少し怖かったですぅ。」
「要改良、みたい。」
「知らなかった。他にも、こっちで暮らしている奴はいるのか?」
「人間社会に溶け込んで普通に生活を送っているのは、白露くらいじゃの。」
「……意外と常識人。」
「いや、人ではないだろう。」
「むう。」
「ところで千歳さん。本当にお花見できるんですか?」
ユキがけろりとして、懲りずにまた這い寄ってくる。それを牽制するように、白露のマジックハンドがユキの首根っこに伸びた。
「ひっ。もうしませんってばぁ。」
白露にサムズアップする。無言で返してくれた。無口だが、常識もあるいい子だ。
「目途は、立っておるの。桜はもうすぐ咲くはずじゃ。」
「それでは、他の人にも教えないとですね! 料理も作らないとですし、それにお酒も。あ、おやつも摘んでこないと。」
楽しそうに慌てるユキ。指を折りながら、頬を紅潮させる。
「料理やお菓子は僕らの方でも用意するかな。酒はそっちに任せた方がよさそうだ。」
「ユキ、任せたぞ。」
ミコがひらりと手を振った。
「いや、お前も妖怪サイドに行けよ。」
「何を言う。うちはこっちサイドぞ。」
「白露並みに常識持ってから出直せ。」
「白露は根暗で低コミュ力ぞ? うちの方が社会的には愛され重要とされるキャラじゃ。」
言うまでもなく、ミコは白露のマジックハンドによって制裁された。
わいわいがやがやと部屋の中が騒がしくなってくる。春の陽気に当てられて、頭が緩んできているのか。部屋の中が明るくなったように見えるのは、気のせいなのかもしれない。
暖かくなったことは前から感じていた。
日が伸びて、動植物もちらほらと見るようになった。
春の気配は存分にしていた。
春の到来を告げる桜の開花は、まだ先である。
だが、みんなで騒ぎ立てるこの雰囲気に、僕は初めて春を実感した。
季節は、巡ってきた。
リアカーの荷台で、座布団に鎮座する狐と石、一匹と一個。
極力揺らさないように気を付けながら、犬神と二人でリアカーを引いて歩く。
夜空には、漆黒をくり抜いたような丸い月が浮かび、道行く僕らをほんのりと照らす。相変わらず穏やかな海には二つ目の月と、海原を行く船の明かりが灯る。旧幕張町からの眺めでおなじみ、天地の星空。絶景である。
風はなく、昼間充分に暖められた地面が過ごしやすい気候をもたらしてくれている。
月見で一杯、花見で一杯。十文。
「先輩も乗り込んだらどうっすか? 引手は自分だけで十分っすから。」
「揺れを押さえたいからな、僕も引くよ。」
「先輩の優しさが身に染みますっ。感謝感激っす!」
「すべては料理のためだからな。」
「はいっす!」
荷台にはミコと桜の精の他に、ミコたちが作った料理も乗っている。男子厨房に入るべからずと言われ台所から追い出されてはいたが、物陰から様子を窺ったかぎりでは腹を壊す心配は無さそうであった。社会で独立しているだけあって、白露の女子力は高い。決して口には出さないが、楽しみではある。
公園へ下る坂道へ差し掛かる。目的地まではあと少しだ。
思い返せば、計画当初から前途多難な花見であった。目を付けた桜は数十年来咲いたことが無く、どうにか咲かせようと模索しているうちに変人に絡まれ、あげく以後の生活において少しばかり忍ばざるをえなくなってしまった。こうして深夜に花見を決行する羽目になったのもそのためだが、月が綺麗だったのでよしとしよう。
やっと花見にこぎつけたのだ。感慨深いことこの上ない。しかも、人助け―――人ではないが―――も兼ねている。これほどまでに大義を背負った花見が今までにあっただろうか。さらに。ようやく明朝まで続く宴会からも解放される。待ち望んだ安眠が訪れる。春宴暁を覚えずを地でいって見せようではないか。幾重にも交錯した思惑が、花見と言う終着点を持って解消される。思わず涙を呑んだ。
「花見と言うのは、そんな大仰なものじゃったかの。」
無礼にも僕の心を覗き見たらしい、ミコが口を挟んできた。
「また読心したのか。無礼千万だな。」
「前にも行ったと思うがの。主は無防備すぎるのじゃ。垂れ流しの心の内が、嫌でも流れ込んでくるのじゃ。聞かされるうちの身にもなれ。」
「先輩の心を読むなんて最低の極みっすね。ここはひとつ、舎弟の自分が人肌脱ぎましょうか。」
犬神が袖をまくる。
「具体的にはどうしてくれるんだ?」
「先輩の心をかき消すくらい、騒ぎ立てます。」
「お前ら本当に、騒ぎ立てるのが好きだよな。」
「さもありなん。馬鹿騒ぎするのがうちらの本分じゃ。例えそれが、他者の重大なイベントにかこつけたものであってもの。あらゆることに便乗し、隙さえあればお祭り騒ぎ。」
「はた迷惑な奴。」
「主もその一端じゃろうに。」
「本当にすいませんね。桜の精さんも、ご迷惑でしょうに。」
僕の声に、桜の精は答えない。
力を蓄えているのじゃろう、とミコが言った。
「本当に、今夜で最期なんすね。」
「別れを華々しく飾ってやるのも、無礼かの?」
「今さらどんな言い訳したって、騒ぎたいという下心が見え見えだ。もちろん、桜の精も分かってはいると思うが。」
「じゃから、どうして主はそう第三者ぶるのじゃ。」
「むしろ先輩が黒幕っすよね。」
「何だ黒幕って。」
くすくす、と鶯のような高い声が頭に響く。
桜の精のお目覚めらしい。
『あなた達って本当に可笑しい。でも、素敵な人達です。』
「数名人ではないがな。」
「人でなしもいるがの。」
『うふふ。ああ、楽しいわ。楽しくて、楽しみ。やっと、ようやくあの子に会える。』
まるで恋する乙女のようだ。どこか子供っぽい、楽しげにはしゃぐ声が頭の中に届いてくる。
「今夜は、よろしくな。」
『ええ、もちろんです。』
「……あんたは桜を咲かせたら、消えてしまうのか?」
途中喉に突っかかりそうになったが、言いよどむことなく聞けた。
『そう、ですね。もう力もほとんどありませんから。』
でも、と桜の精が言う。
『約束を果たせるなら、本望です。』
「そうか、それなら、よかった。」
公園が見えてくる。がやがやと騒ぎ立てる声がここまで届いてくる。
月の照らす、桜の木の下。レジャーシートの上に、既に馬鹿騒ぎに興じている妖怪共が来ている。ユキに芙蓉、白露に鬼の親父さん。子供妖怪は桜の周りを走り回っており、一人知らないやつが白露と話していた。
こちらに気付いた芙蓉が手を振った。
「お、主役の登場だー!」
公園内に歓声が沸き上がる。
「待たせたな。」
「いいってことだ。さあ、飲み明かそうぜ。」
鬼の親父が待ってましたと言わんばかりに懐から一升瓶を出す。いつも思うが、この人の服の中はどうなっているのだろうか。
「待って。」
珍しく、白露が輪の中に切り込んでくる。
「……自己紹介。」
白露と話していた見知らぬ奴が、ぺこりと一礼した。
「枯葉と言います。」
「どうも。えと、あんたは?」
「覚じゃの。」
ミコが言った。
覚なら僕も知っている。人の心を読んで、終いには食べてしまう妖怪だ。しかし、目の前の枯葉は人畜無害そうに見えた。すらっと伸びた手足に、落葉とはとても言い難い、艶やかな茶色をした長髪。地味目のワンピースが似合っている。
「白露の友達かや?」
「……独立仲間。」
驚いたことに、この妖怪も人間社会で働いているらしい。確かに、見た目はただの美人な女性だ。
「……。」
「……。」
それ以上の紹介は白露も枯葉からも無かった。独立仲間というよりも、無口仲間だ。
「ま、人が多いことに越したことはない。宴だからな。」
「それでは、始めましょう!」
ユキが音頭を取ろうとする。それを制した。
「だからなんでお前らはそう突っ走ろうとする。まだ桜も咲いていないだろ。」
「あら、本当だ。千歳! さっさと桜咲かせろよ!」
「兄ちゃん、はやく!」
「桜、早く見たいです」
「まあまて。それよりも、爺は?」
あたりを見渡す。肝心の爺がいないのであれば、話が始まらない。
僕が問いかけると、鬼の親父さんが公園の隅、小高い丘になっているところを指差した。
「さっき芙蓉が軽くだが事情を話したらしいんだが、思うところがあると言ってあっちに行ってしまった。」
「お手上げだわ。」
芙蓉が肩をすくめる。
「最初は嬉しそうな顔をしたんだけどね。だけどすぐ何か考え込んじゃって。私、なんかまずったかな。」
「そうじゃない、と思う。とりあえず行ってみる。」
「ごめんねー。」
僕はミコと目配せをして、一緒に丘へ向かうことにした。
その間、桜の精には他の奴らとお話をしてもらった。
今このときを思う存分楽しんでもらいたかった。
月が綺麗な丘の上で、爺はぽつりと座り込んでいた。月光に照らされる爺は、目を細め夜空を見上げていた。その表情は笑っているようにも泣いているようにも見える。
丘の上は、夜露で湿っていた。
「話は、聞かせてもらいましたわ。」
僕らが近くまで行くと、爺は月を見上げたまま、独りでに語りだした。
「まさか、約束が叶うなんて思いませんでしたわ。ずっとずっと思い続けて、恋い焦がれ、死してなお無様に魂を縛り付け、この木に縋って当てのない時間を待ち続けてきました。本当に長い時間でしてのう。それこそ、自分の未練が朧のように霞むほどですわ。
戦争が始まって、まだ幼かったわしは遠くに行かなければなりませんでしたが、ついぞ最後に見た桜のこと、桜との約束のことは忘れませんでした。戦争が終わってしばらくが経ち、わしは桜が心配で心配で仕方ありませんでした。関東を襲った空襲は、あの桜をもその手に掛けなかっただろうか。火の手が届いてしまったのではないか。あの桜はもう、この世に存在しないのではないか。行って確かめたかった。この目で、しかと見据えたかった。しかし生きてこの地に戻ることは叶わず、痛いほどに桜を思いながらわしは永遠の眠りにつきました。
……永遠の、つもりでした。まさか、この身が朽ちてもまだ、約束を果たせる機会が訪れるとは思ってもみませんでしたからのう。霊と化したわしはこの地へ流れてきました。そこで見たのは、あれほどの戦火に耐え、依然と一寸も違わぬ様子で威風堂々と聳えるこの桜の木でした。あの子が守ってくれたのだ。直感し、涙しました。ようやく会うことができる。嬉々としてわしは桜に駆け寄りました。けれど、あの子はおりませんでした。
魂だけの存在となってから、いろいろと分かることがありましての。できることも増えましたわ。木の中に、あの子の残り香を感じることができましての。そして、あの子が必死になってこの木を守ってくれていたことも感じられた。木の幹に触れている間、あの子の思いが激流のように勢いよく、しかし心にはささやかなせせらぎの様に流れ込んで来ました。再会を願った約束。また帰ってくるかもしれない。そう信じて、いつか来るその時まで、今度はわしが代わりにこの桜の木を守ろうと誓いました。
時が過ぎ、季節は巡り、いつしか自分の中で気持ちが薄れていっていることに、わしは気がつきました。完全に無くなったわけではありません。酒が成熟し丸く、味わい深くなるように、海を眺め、往来を見つめ、地域の発展を見守り、子供の成長を見守り、変化していく町や人、時代を眺めているうちにわしの気持ちも、あれほど荒々しかった思いも段々穏やかになっていったのです。強い激情ではなく、淡い期待。ずっとこのままでもいい。あの子が来なくても、こうして世界を、まるで空を流れる雲を見つめるかのようにのんびりと見ていることができたら、それでもいい。そう、思い始めていたんですわ。そんな覚悟を、年甲斐もなく、やっと固められて、吹っ切れて、ほろ苦くて痛いこの気持ちを抱えたまま過ごして行こう。そう思えていましたのに……。」
僕とミコは丘の上に座っていた。
月の光の中、爺の独白は進んだ。ほろりと、夜露が爺の頬を伝うのが見えた。神妙な雰囲気がミコから伝わってくる。爺の話を聞いて、心に思うことがあるらしい。
それは僕にもあった。
独りよがりで、自分勝手で、当事者の気持ちを鑑みることなく、桜の精の事情を知ってからは水を得た魚のように俄然やる気をだし、結果自分の気持ちを押し付けた。
良かれと思っていた、なんてことは一度もない。
罪悪感と背徳感は常に一緒だった。他者の気持ちを持ち上げ、ここぞとばかりに便乗する。どう回ってみても、自分のためであることは明らかだ。
僕はそれを否定しない。
そして、否定しないことが美徳だとも思わない。
僕はただ、下心をひた隠しにし、擦り寄るようにして心の隙間に付け入り、相手の好意を促しておいて素知らぬ顔で便乗するような、絡め手だらけの汚い人間になりたくない、そう思って生きてきて、そうならないように行動してきた。
だから今度のこともそうだ。
「爺。僕は花見がしたい。」
どうせ見える下心なら、隠さない方がいい。下に忍ばせないのなら、それは心だ。
「あんたの決意を反故にしてしまったのは、申し訳なく思う。それに、僕はあんたを幸せに成仏させたいわけじゃなく、ただ花見がしたいだけの最低な男だ。そのために、あんたたちを利用したことになる。
だけど、あんたたちの気持ちを蔑ろにしているわけじゃない。もしどうしても嫌だっていうのなら、今からやめてもいい。個人的には、どうしても会ってほしいが。ああ、うん。どうしても会ってほしい。あの桜の精だって会いたがっていたし、その、あいつも実は消えたくないのかもしれないけど。でも桜の精はもうすぐ消えちまうんだ。最期にあんたに会いたいって、来てくれた。だから、やっぱり会ってくれないか?」
「主……。」
不安の憐みが混じった声でミコが言った。
「少しはオブラートに包むとかそういうことをじゃな。」
「断る。隠したらそれは下心だ。」
「それでももう少し器用に……ああ、もう。主にそういうことを期待したうちがあほうじゃった。」
「ふぉっふぉっふぉ。」
ミコのため息をかき消すように、爺の独特な笑い声が久々に広く響く。その声は桜の木まで届いたようで、その場にいた全員がこちらに注目した。
「ふぉっふぉっふぉ。わしも随分と長い間この世を見てきましたが、若いの、あなたほど自分に正直な人は初めてですわ。ふぉっふぉ。爺、少し滾ってしまいましたわ。」
「その歳でよく言う。」
「外見はこんなんですが、生前のわしはもっと若く凛々しくてのう。ま、若いのには負けるけれども……。」
それまでずっと月を見上げ、こちらを見向きもしていなかった爺が、ゆっくりと顎を引いた。月の光がスポットライトの如く爺を照らし、その中でワルツを踊るように爺が悠然とした振る舞いでこちらを振り向く。
今夜初めて、爺と対面した。
「ありがとう、若いの。」
次回で最後!
変わらぬ御愛読感謝です




