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篝火 -春ー  作者: 日笠
22/24

春 -13-

第12話のあらすじ

小学校の周りをリアカーで練り歩く変質者と、フェンス越しに学校を観察していた変態が合流しました。ようやく見つけた桜の木の精は可愛らしい卵石になっていて、彼女の一人語りが始まります。


ほろ苦い思い出に浸る第13話

 私があの桜の木で目覚めたのは、もう何百年も前のことになります。私はとある街道沿いに植えられた、若い木でした。毎日毎日たくさんの人が通って、通り過ぎる人もいれば、私の根元で休んでいく方も居られました。たまに子供たちが来ては、私に登って遠くを見渡すこともありました。その時、私と子供たちは同じ目線で世界を見ていました。どこまでも続く長い道。そこから来たり、行ったりする人々。春になると、私の元で宴会を開いたりしました。その内すぐ横に茶店ができて、通りの人々がそこで休むようになりました。ある恋人たちの、逢瀬の待ち合わせ場所になったこともありました。様々な人生に触れて、たくさんの人の思いの欠片が私の中に蓄積されていきました。私はより一層綺麗な花を咲かすようになり、よりたくさんの人が、私を信仰してくださいました。いつしか、私は自分の意志を、心を、体を持つようになりました。大勢の方の思いが、私に力をくださいました。私もそれに応えるために、一層美しい花を咲かせようとしました。

 幾度と廻る春の中で、何度か人の子と関わることがありました。その度に、私の元へさらに思いの欠片が集まりました。その頃には、自分で自分の身を守る程度のことはできるようになっていた気がします。雷を防いだり、街道工事の折には責任者の枕元に化けてでたこともありました。ふふっ。意外とやんちゃだったみたいです、私。おまんじゅうをお供えしてくれる人もいました。たまにおじいさんが水をやってくれるのですが、それは甘くてふわふわとする、不思議な水でした。私はそれが少し苦手でした。

 たくさんの争いがありました。地面が割れるようなこともありました。それでも、私は私を思ってくださる人達のために、私自身を守り続けてきました。空が荒れ、国が廃れ、疲れ切った人々の心を少しでも癒せたらと、春になるたび、私は花を咲かせてきました。こんな楽しい思いをさせてくれた、せめてもの恩返しを、と思っていました。ですが、私を見てくれる人は次第に減っていきました。

それから、少しの間眠りにつきました。

 しばらくして、私は一人の男の子と出会いました。

 人の子が私の所へ来るのは久しぶりでしたので、私は木の上から彼をじっと見ていました。口を半開きにして、茫然と花を見ている姿が可愛らしくて、可笑しくて、愛おしくて、私は思わず笑ってしまいました。

 その子のご両親と思われる夫婦が後からきて、その子の手を引っ張りました。もう行ってしまうのか、と少し寂しくなり、私はまた眠りにつこうと思いました。ですが、その子は帰ろうとしませんでした。引っ張る親の手を必死で振り払い、私をじっと眺めてくれていました。

 彼のご両親は、彼を残し先に行ってしまいました。ついて行かなくてもいいのかな、と心配に思い、私は桜の花の影から少し顔を出しました。

 泣いているあの子と、目があったような気がしました。

 心が温まっていくのを感じました。ああ、まだ私を見て泣いてくれる人がいる。私を思ってくれる人がいる。長らく忘れていた気持ちを、私は思い出すことができました。と同時に、この子を不幸にしてはいけないと強く思いました。

 お行きなさい。

 私は姿を現し、その子に言いました。

 その時約束を交わしたんです。

 また春に咲かせるから。

 だからまたおいで、と。

 走っていくその子の後姿を、私は今も忘れることができません。すごく、すごく強く、私に刻み込まれているんです。

 それから、全てを焼けつくすような衝撃が辺り一帯を襲いました。

 また咲かせるから。

 またおいで。

 大事なあの子との約束を守るために、私は必死になって桜の木を守りました。けれど、弱まっていた私の力では、桜を守ることが精いっぱいでした。全てが終わった後、私は力のほとんどを失っていました。それでも、少しの間は桜の木に居ることができました。もう姿を現すことができなくても、木の中で、私は彼を待ち続けました。

 春が終わり、夏が来て、秋が過ぎ、冬を越えて、また春が訪れる。

 何度かの季節を巡りました。

 ですが、あの子はついぞ、現れませんでした。

 ついに木の中にいることができなくなった私は、それでもあの子との約束を忘れることができず、思念となりこの世を彷徨いました。そしてここにたどり着きました。子供がたくさんいるこの場所なら、いつかあの子と会えるかもしれないと思いました。微弱ながら、桜の木に力を送ることもできました。私からはもう、桜を感じることはできませんが。あの木が今も枯れずに、残っていることを祈るばかりです。


『しかし、それももう限界です。この春が終われば、私は完全に消えてしまうでしょう。ですが最後まで、私は諦めたくありません。一度なら、桜を咲かせるほどの力をまとめて送ることができると思います。あの子が来た時のために、私はこの力を取っておきたい。例え、身が滅びようとも、あの日の約束は、絶対に果たしてみせます。』

 石はそう締めくくった。

 僕は何も言えなかった。

 太くたくましく、重厚ささえうかがえるあの木の抱えた歴史。下調べもせずに行楽気分で出向いた自分の小ささを思い知る。

 説得のしようが無い。

 一時の感情に任せて、花見を楽しみたいだけの理由で、桜の精の力を使うわけにはいかないのだ。

 そして知ってしまった以上、このまま放っておくわけにも行かない。

 無遠慮だったのならば、せめて恩で報いねばならないだろう。それが人としての仁義だ。

 心を読んだのか、押し黙っていたミコがちらりとこちらを盗み見る。

 力の籠った、同意のまなざしだった。

「なあ、桜の精さんよ。」

『なんでしょう?』

「その子のためなら、桜を咲かせてくれるんだよな。」

『ええ。約束のためなら。この身朽ち果てても。』

「じゃあ、もしその場に偶然僕たちがいて、満開の桜の下で花見をしていても何ら問題はないわけだな。」

『それは……どういう。』

「僕たちがその子を探してやる。だから、桜を咲かせてくれ。」

『……よろしいのですか?』

 石の声が弾んだ。

 犬神も芙蓉も、驚いたようにこちらを見ている。

「勘違いするなよ。花見のために協力するだけだ。だから、任せてくれ。」

 ミコが笑う。

「素直じゃないの。」

「ツンデレって奴?」

「さすが先輩っす。」

「お前らうるさいぞ。で、どうかな?」

 石は沈黙している。僕は息をのんだ。

 ややあって、石が答えた。

『よろしく……お願いします!』

 ふと眼前に、涙を浮かべながらにこやかに笑うあどけない少女を見た気がした。目を(しばた)かせ石を見直してみたが、そこにはつるりとした卵石があるだけだった。桜の精の幻影を思いながら、ゆっくりとその場を離れる。

「それじゃあ、一足お先に。」芙蓉が羽を羽ばたかせ、ふわりと宙に浮かぶ。「子供探しは私の十八番だからね。本当は目印が欲しいけれど。」

 そう言い残し、灰色の雲が立ち込める大空へと飛び立っていった。

「人探しなら自分だって負けないっすよ。犬神の誇りに掛けて、嗅覚を軸にした探査能力を存分に発揮してきます! ではっ。」

 犬神の周囲がぽん、と煙に巻かれたかと思うと、空を切って真っ白な大犬が空へ駆け出した。まっこと、人の目を気にしない輩である。先が思いやられる。

『本当に、なんてお礼を言えばいいのか……。』

 涙声が、石から響く。

「お礼なんていらない。こっちはあんたらの再会にかこつけて、騒ぎたいだけだ。」

「そうじゃ。そちはこの我侭放題の男に振り回されただけじゃ。気にすることはない。」

『ありがとうございます。』

 それを最後に、霧が晴れていくような余韻を残して声が消えた。ミコが言うには、力を蓄えるために眠りについたのだろうということだ。現実問題、彼女には時間が無いらしい。急がなきゃな、と強く思った。

「さて、体力馬鹿共には足を使って調べてもらうとして、うちらは頭を使おうかの。」

「犬神はともかく、芙蓉の方は心配だな。進捗状況も含めてだが、おもに頭が。」

「件の子供が、今もなお子供で居続けているわけないのにの。……ところで、引き手がいないんじゃが。」

 芙蓉と犬神が行き、桜の精も眠りについてあとに残された僕たち二人は、どちらからともなく、二人してリアカーに乗り込んでいた。

「当然だろう。二引く二は零だ。」

「誰が引くんじゃ?」

「お前、妖力とかで動かせないの?」

 僕がそう言うと、まるで出来の悪い生徒を見るような、侮蔑と憐みの籠った目をミコが向けてきた。

「主の発想は小学生並みじゃな。」

「はぁっ!?」

「何でもかんでも妖力で解決できると思うな。万能パワーでもなんでもないのじゃ。」

「じゃあ何ができるんだよ。」

「些細な身辺管理くらいじゃ。まあ、出来る奴も居ることには居るが。」

「なんだ。ミコが低級なだけか。」

「失礼な! これでもうちは名のある妖怪ぞ!」

「はいはい。仕方ないな。」

リアカーを飛び降り、犬神の定位置だったところに着く。胸の前を横切る鉄の取っ手に手を置いて、力いっぱい押してみた。木が軋み、車輪が回り始める。犬神ほどではないが、行けそうな気はした。

「少し揺れるかもしれないが、我慢しろよ。」

「う、うむ。」

 より一層力を込める。最初の起動さえこなしてしまえば、あとは多少重くても進むことはできる。ただ、体力が持つか不安だった。

 不意に、リアカーが少し軽くなった。

 何事かと後ろを振り向こうとしたとき、僕の横にミコが来た。仏頂面を浮かべながら、僕の隣に手を添える。

「うちだけ安穏としているのも、気分が悪いしの。」

「あっそ。」

 苦笑しつつ、二人でリアカーを押した。

「少なくとも、桜の精と約束を交わした子供は、今は八〇歳くらいになっているわけだよな。」

「どうしてじゃ?」

「だってそうだろ? 桜の精がいなくなった後、咲かさずの爺があの桜に憑りついたのが数十年前。四、五〇年前としても当時の子供は今じゃ六〇くらいだろう。六〇歳ということは、もうおじいちゃんって感じか。隠居とかしているなら、旧幕張町の方に住むよな。あーでも、二世帯住宅とかなら埋め立て地の方か。探すにしても結局は広範囲だな。いっそのこと、あの爺が約束の子供だったら手っ取り早いんだが。」

 鉄の棒に体重を預けつつ、後ろに大きく仰け反る。さっきまで見えていた太陽は雲に隠され、のっぺりとしてどこまでも平坦な曇り空が広がっている。

「主は、違うと思っておるのか?」

「確かに、あの爺の昔話は、桜の精の話と驚くほど似ている。ミコには話していなかったよな? 僕が最初にあの爺と出会ったときにも、同じような昔話を聞かされたんだ。あの爺が、桜の精と約束を交わしたまま再会せずに終わったという内容の。同じものなんじゃないかって疑うくらいだよ。それくらい酷似している。そっくりだ。……でも、それはありえない。」

「なぜじゃ?」

「時代が違いすぎる。あの爺は疎開した際に桜の精と出会ったと言っていた。疎開ということは、戦時中と言うことになる。つまり六〇年ほど前か。そしてさらに四、五十年を経るわけだから、爺と桜の精との出会いは百年前だ。だけど、桜の精と件の子供との約束は、そう遠い昔のことじゃない。まあ約束が果たされていない子供と言う点では爺も該当しているわけだし、変わり身として再会させるのも悪くはないかもしれないが、桜の精が再会を願っている子供は爺じゃないからな。影武者を立てたところで、仁義に反する。」

 生半可な気持ちで桜の精に会った僕に対する戒めと、桜の精に対する贖罪の意味も込めている。それ相応の誠意をもって、ことを成し遂げたかった。

「主はどうして、爺ではない子供との約束が、近い時代のことだと申しておるのじゃ?」

「おかしなことを聞くなよ。桜の精の口ぶりは、つい最近のことを言うようなものだったじゃないか。」

「……主は何か勘違いをしていそうじゃが。」

「勘違い?」

「ああ。うちらもそうであるように、あの桜の精も数百年の時を生きている。」

 風が吹き立つ。ミコの長い金髪がふわりと膨らみ、黄金の川の如く流れる。緋色の目はどこか陰りを増し、深い紅を湛えて僕を見た。手の届く距離。手も肩もぶつかり合う近いところに居るのに、僕とミコとの間に空いている僅かな隙間に、越えがたい壁を感じる。

「うちらと、人の子とでは、時の流れに対する感じ方が違う。突き詰めれば、生きている世界が違うのじゃよ。所詮うちらは日陰者。影に忍び、闇に隠れ、こそこそと生きていくしかない。ひとたび陽の目に当たるようなことがあれば、途端好奇の目に晒され、見世物にされ、そして最後には始末される。とどのつまり、うちらは人じゃない、化物じゃからの。」

 もう、慣れたがの。

 つとめて明るく、けれど憂いを帯びた悲しげな声。笑って見せてはいるが、その実、感情なんて一切もない、乾いた笑いだった。悲観することも、涙することも、怒り狂う訳でもない。長い時の中で、ミコたちは乾ききってしまったのかもしれない。不憫な境遇に感情を向けることを、慣れという形で、諦めたのだ。

 千葉と話したことを思い出す。

 奴は妖怪を退治の対象と言った。

 それが無性に僕の心を波立たせたのは、妖怪達を日常に居て当たり前のものと僕が捉えていたからではないのか。僕と変わらない、僕の側にいる者たちと思っていたからではなかったのか。

 だけどいま、心の中で悲痛な叫びをあげるミコに対し、僕は彼岸と此岸のような途方もなく埋められない距離を感じてしまっている。

「……そんな悲しいこと、言うなよ。」

「別に悲しくはのうて。うちらにはもう、これが普通じゃ。」

 それ以上、慰めることはできなかった。

 張りつめた空気を破るように、ミコが口を開いた。

「『時というものは、それぞれの人間によって、それぞれの速さで走るものなのだよ』。」

「は?」

「話が脱線してしまったの。うちらのことは、気にせんでよい。つまりじゃな、主たちとうちらとの間では、時間的感覚に絶対の隔たりがあるのじゃよ。」

 小指一本分、伸ばせば重なり合う空間が、遠い。

「主ら人の子との間だけでも、その違いは顕著なはずじゃ。人生を謳歌した老人と年端もいかぬ幼子。両者の間では、一日、一週間、一ヶ月、あるいは一年という月日に対する主観的長さが異なるじゃろう? そしてそれは、相対的なものじゃ。」

「……長く生きている分、その人生に対して一年はあまりにも短い。」

「その反面、幼子はたったの一日が生涯において長い時間を占める。」

 霞がかっていた道に一筋の光が差し込むように、答えに向かって明瞭なる道標が生まれた気がした。

 時間のずれ。認識のずれがあったのだとしたら、爺は……。

「ま、爺が年齢を偽って化けている可能性もあるがの。」

「どういうことだ?」

「それはまた、別のお話。行ってみる価値はあるじゃろう。さあ、公園に向けて出発じゃ。」

 柄にもなく芝居掛かった言い回しは、本心を取り繕おうとしているのか、それとも乱れた心がそうさせるのか。問い詰めることも、あえて茶化してやることもできず、僕はただ、ああとだけ答えた。


頑張れ15歳の私

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